漆話
ネツキからの情報に閃郷斬乃介の現在の居所は無かった。
地中を土竜のように移動出来る肉剣妖魔に地上での活動が主な狐の調査網は相性が悪い。
また地上に出る必要の有る動物ならまだしも、妖魔は地下に潜ったままでも生きていける。
捜査網を広げても諜報活動を主任務にする狐たちが狩られては今後の活動に障る。
情報屋としての組織運営を考慮するとネツキたち蝶蘭の面々で調べられるのはここまでだったのだろう。
「て訳で、少しは協力しろ」
「討ち損じたのは俺の責だ。謹慎している身で出来る範囲は協力する」
「お前、謹慎って状況を利用してないか?」
「気のせいだ」
蝶蘭で得た情報を義刀を共有し協力を要請する槍絃は呆れ顔で椅子に座る年下の友人を見下ろした。
場所は阿修羅院近くの通りに有る甘味処、義刀は好物の餡団子を無表情に頬張っている。
無表情ながら常連と呼んで良い程に通い詰めているので店主も義刀の無表情を気にしていない。
やはり謹慎という状況を利用していると確信して槍絃は溜息を吐いた。
「お前、謹慎って状況を利用してるだろ」
「気のせいだ」
悪びれた様子も無く団子を頬張って茶を啜る義刀、無表情のくせに甘味の事になると多感な友人に溜息を吐いて槍絃は話を続ける事にした。
「閃郷斬乃介の行方は分からないんだよな。お前、直に戦って何か感じなかったか?」
「阿修羅院の神木から逃げたんだ、土に強い鬼が居れば行方を探れるんじゃないか?」
「それが確実かねぇ。しっかし、土に強い鬼って誰だっけ?」
「知らん」
「お前、自分で提案しておいて」
「御上から仕事を受けたのはお前だ」
「くっそ、都合良く逃げやがって」
「逃げる事も戦術だ」
「本当にその通りだよ糞野郎」
話ながらも食べるのを止めない義刀は最後の団子を食べ終わると茶で口の中を整えた。
満足したのだろう、無表情の割に満足気な様子で一息付いて店主に会計を申し出る。
ふと気付いて槍絃が割り込んだ。
「ここは俺が払おう」
「……何を企んでいる」
「おいおい、疑問じゃなくて確信か?」
「謹慎の身だ、手伝える事には限度が有るぞ」
「いやいやいや、謹慎の身でも散歩くらいは出来るだろ?」
「……屁理屈だ」
「物は言い様ってんだよ」
悪巧みを隠しもしない槍絃に義刀が眉を寄せる。
互いに表情を隠しもしないのは鬼の感情を溜め込まない訓練の成果とも言える。
鬼2人が目の前で腹の探り合いをするという事態に困惑する店主だが根負けした義刀が店主に向けて顎を振って見せた。
機嫌良く袖から財布を出した槍絃が団子の代金を払い安心した店主は直ぐに皿を持って2人から逃げていく。
他の客は2人が話し始めた時点で離れているので自分から近付く事になって店主に皆が同情し、追加で団子の注文が入った。本日の団子屋の売り上げは今期最高である。
会計を済ませた2人は土の中を調査出来る鬼が居ないか確認する為に京の鬼門、鬼通りに戻って来た。
まずは業炎鬼の道場に向かい義刀の父、忠刀に声を掛ける。
「ほう、義刀の討ち損じか」
「……面目次第も有りません」
「修行不足だ。謹慎中の訓練は覚悟しておけ」
「……はい」
「槍絃殿、愚息の後始末を押し付けてしまい申し訳無い」
「いえいえい、仕事は仕事なんで気にしないでください。出来る範囲で付き合わせるんで」
「御上に目を付けられない程度で好きに使ってくれ」
「親父殿?」
「お前の責だ。まさか断るような不義はしまいな?」
「……はい」
実の父親にして仕事の上司であり道場の師、3つの立場から逃道を潰されては義刀もサボれない。
本当は仕事をしたくないと表情に出ながらも口では了承する辺り義刀が忠刀に逆らえない事を表している。
今後も使える手だと記憶に刻んで槍絃は忠刀へ本題を切り出した。
「逃げた妖魔は恐らく地中に潜んでいます。忠刀さんの知り合いに地中を探知出来るような鬼は居ませんか?」
「地中、か」
「流石に都合良くは居ませんか?」
「少し変則的だが激流鬼の中に阿修羅院の穴から何かを発見するやもしれん」
「成程、研究者の目線は考えておりませんでした」
「槍絃殿、伝手は?」
「お恥ずかしながら個人的な知り合いが数名居るのみです。正式な御上からの仕事を依頼して良いものか、悩みますね」
「そうか……義刀」
「はい」
「激流鬼への紹介状を用意する。お前が届けろ」
「はい」
「先に言っておくが紹介状の中にはお前への貸しとする事を書いておく」
「……はい」
「これは大変な事になってきたな?」
「……仕損じた罰だ、甘んじて受ける」
無表情ではあるが仕事が増えた事で面倒に思っているのは肩が落ちている事から明白だ。
丁度良い手伝いが出来た槍絃としては仕事が楽になって有難い。忠刀から対策と伝手まで用意して貰うのだ、残った仕事は妖魔を見つけて倒すだけ。
……地中の妖魔なんて話になった時は頭を抱えたもんだが、まあ見込みが立って何よりだ。
御上から、ネツキから、同時に仕事が片付くというのも大きい。
1つの仕事で2つの面倒事が片付く事は中々無い。
今回は相当に幸運だと息を吐いて槍絃は義刀を連れて激流鬼の寺子屋へ向かう事にした。
▽▽▽
鬼通りの中には鬼の家々が建てた道場が無数に乱立しているが、鬼とて人間である事に変わりは無いので生活する為に必要な施設は一通り揃っている。
八百屋、肉屋、呉服屋、寺に医者など様々だ。
そんな中、激流鬼という鬼は四鬼の一角に数えられる1家だが道場を立てている訳では無い。
鬼塚院という寺院に併設して寺子屋を運営しており鬼通りの子供は殆どが激流鬼の寺子屋に通った事が有る。
その為、激流鬼の大人は大半の鬼の恥ずかしい子供時代を知っており鬼通りの鬼たちからすると大変にやり辛い相手だ。
義刀も槍絃も例に漏れず12歳までは寺子屋に通っており四鬼の繋がりも有って定期的に顔を合わせるので今でも顔を覚えられている。2人共、足取りが軽いとは言えず義刀に至っては自分に仕事を増やされる事も確定しているので誰から見ても嫌そうだ。
「さて、俺たちにとっては非常にやり辛い相手な訳だが」
「ん、そうだな」
「対応は基本、お前に任せた」
「おい、御上から仕事を振られたのはお前だろ」
「忠刀さんも言ってたろ、お前が激流鬼に手紙を渡せって」
「……ちっ」
「ほらほら、精神を健全に保たないと駄目だぜ?」
「今回はお前が原因……でもないが」
「ま、鬼だって人間、討ち損じなんて珍しくも無いし、気を抜いて行こう、ぜっ」
最近になって西洋から伝わった拳から親指だけを上げる手遊びをする槍絃。
その指を義刀が反対に折り曲げようとして2人で年甲斐も無く追い掛けっこをしてしまった。
「おいおい、激流鬼に着く前に疲れちまうよ」
「くそ」
鬼通りの中を北に走った2人は山間に向けた鳥居と階段の前に着いていた。
この階段を登れば鬼塚院と激流鬼の寺子屋が有るのだが、少々階段が長い。
8歳から12歳の子供が登るには少々長いのだが、これは足腰の訓練の為だと言われている。
眉を寄せた2人が渋々と階段を登り始めて20分、技術的な問題で均等ではない石畳の階段は体力を消耗する。現役の鬼として活動する2人は同じ年代でも体力が有る方だが登り切った時には少しだけ呼吸が荒くなっていた。
子供たちは時間を掛けて登って途中で休憩するし、普通の大人も滅多に登らない。
そんな階段と考えれば2人は異常に速いと言って良い。
「本当に、ここ考えた奴は頭が可笑しいんじゃねえか?」
「修行僧の為だと言われたら納得する長さだ」
「珍しく同意見だ。てかガキの俺たちはよく毎日登ってたな」
「親父殿に言われてなかったら絶対に来てなかった」
「違いない。さて、本題を済ましちまおう」
階段を登り切り鳥居を潜って境内に入れば正面には一般的な寺院が建っている。
礼儀に則って手を洗って小銭を賽銭箱に放って参拝し、激流鬼が使う母屋を訪ねた。
「御免ください、業炎鬼の義刀と申します」
「少々お待ちください」
建物の奥の方から声を通す為に大き目の声量で返答が返ってくる。
直ぐにパタパタと足音がして引戸が開いた。
「はいはい、業炎鬼の方だって?」
出てきたのは鬼にしては表情豊かな割烹着の女だ。初老で白髪と目尻に皺が有る。
まずは代表として義刀が前に出て応える。
「はい。突然の訪問で失礼します、業炎鬼の次男、義刀と申します。本日は父、忠刀から激流鬼への支援要請依頼の書を持って参りました。此方、つまらない物ですが」
「これはこれはご丁寧にありがとうございます。私はお手伝いのミネと言います。お手紙の件は少々中でお待ち下さいな、当主様が少々立て込んでおりまして、声を掛けてきますね」
「ありがとうございます」
ミネに連れられて中に上がり通された客間にて腰を落ち着けた。
少し待つとミネが茶と煎餅を持ってくる。
激流鬼の当主は何か事情が有って出られないらしく代理が出ると伝えられた。
義刀も槍絃も激流鬼に正式に仕事の依頼が出来れば良いだけなので当主に固執する気は無い。
更に少し待ち、茶が温くなった頃に激流鬼の代理が客間に入って来た。
「当主の名代を務めます、激流鬼の長女、弦(ゆづる)です」
弦と名乗った女は義刀と槍絃の間くらい、10代後半程度に見える。
激流鬼の長女という事から彼女も鬼なのだろうが2人の目からは妖魔との戦闘が行える程に鍛えているようには見えない。
長い黒髪は少しだけ青みが有り毛先を日に透かせば群青に見えそうだ。目付きは少し吊目で口調が厳しければ気の弱い相手なら委縮してしまうだろう。
実は3人は寺子屋時代にそれぞれの年代で顔見知りなので自己紹介は形式的、廊下にまだミネが居るかもしれないので格式ばった話し方だ。
「本日は業炎鬼当主様からの妖魔の調査依頼という事ですね」
「はい。阿修羅院より逃亡した肉剣の妖魔の追跡の為、お力をお借り出来ないかと」
「分かりました。地中の妖魔を探し当てるのは難しいですが、まずは阿修羅院の調査をお手伝いしましょう」
「ありがとうございます」
「手紙に頂きました義刀さんのお力をお借りするというのも当方として有難い。丁度、当主が抱えている問題に火力の高い鬼への協力要請を検討しておりました」
「そんな時期だったんですか?」
「狙い澄ました様な話ですが、当主同士の間で話した事は有ったそうなので業炎鬼のご当主も狙った通りだったのでしょう」
「親父殿め」
「体良く使われてしまったようですね」
吊目なので分かり辛いが義刀に対して向けた笑みは年相応に可憐だ。
槍絃が隣で笑みを深くするのを横目で見てしまった義刀は軟派は1人の時にしろと心の中で悪態を吐いて弦に意識を向け直す。
「調査はいつ頃なら可能でしょうか?」
「当主より妖魔の調査を優先するよう言付かっています。これからでも大丈夫ですよ」
「では、お言葉に甘えて」
「はい。しかし、生意気だったギィ坊が立派に業炎鬼ご当主の名代ねぇ?」
「……ユヅ姉、勘弁してくれ」
「おっと、お前らそんな風に話す仲だったのか?」
「槍絃さんは軟派で有名だったから私が避けてました」
「酷くない?」
「自業自得だ」
「今回の義刀と一緒って訳だ」
「ぐっ」
「ホント、ギィ坊は口喧嘩下手ね」
「その割に自分から突っかかって来る事有るんだぜ?」
「意地っ張りの負けず嫌いね」
「好き勝手言いやがって」
「ま、旧友との雑談なんてこんなものでしょう。じゃ、調査の準備をしてくるから外で少し待ってて下さい」
「分かった」
「はいよ」
弦が席を立つのに合わせて義刀と槍絃も席を立って家を出る。
境内の中、鳥居の前から少し横に逸れて弦を2人で待つ。
「しかし弦ちゃんとお前が知り合いだったとはね」
「同じ時期に寺子屋に居たからな。四鬼としての会合でもお互いに当主の付人をしていたし」
「そりゃ接点くらいあるか。でも良いのか?」
「何がだ?」
「時雨乃嬢だよ。お前が女連れなんて傷付くんじゃねえの?」
「ん? 何でその名前が出るんだ?」
「は?」
「ん?」
何かが噛み合っていない会話に2人で首を傾げ槍絃が先に気付いた。
「阿修羅院を守った事で懸想されてるんだと思ったが違うのか?」
「そんな筈は無い。単純に憑き物になった侍の事情に興味が有って俺に声を掛けただけだろう」
「何だよ、この前は気を遣って損したな。で、弦ちゃんは?」
「それこそ前から面識の有る仕事仲間ってだけで色恋沙汰など無い。顔を合わせるのだって数ヶ月に1度だ」
「弦ちゃんの反応もそんな感じだったな。とうとう義刀にも春が来たかと思ったのによう」
「母上が縁談が有るとか言っていたな」
「元服したしそんな時期だよな。次期当主候補だと相手もそれなりの家柄か?」
「まだ母上が候補を確認している程度だ。知る訳が無い」
「淡泊だねぇ」
「そういうお前はどうなんだ? 次期当主候補なのは同じだし、20だろう」
「へへっ、俺はまだまだ遊びたいんだよ」
「遊び人め」
義刀が会話を切って母屋の方に身体を向ける。
その仕草で槍絃も弦が母屋から出て来たのに気付いた。
背負った弓の上下には蒼い宝石が嵌められており左手袋の手の甲には同色の宝石が縫い付けられている。
着物ではなく青を基調とした軽装の袴に皮の胸当て、竹製で円筒状の薬品入れ、後ろ腰に本を皮と銅の金具で装備していた。
「激流鬼は学者先生って話だけど、弓と皮鎧以外はそんな感じなんだな」
「槍絃さんだって絶風鬼らしく胸元が開いてて軽薄そうですよ」
「お堅いのなんてヤダヤダ。義刀みたいにちゃんと着込んでたら息が詰まるぜ」
「俺を引き合いに出して躱そうとするな」
口喧嘩が弱い事を見せつけられた後だ、自分に話題が飛ばなければ負けなくて済むので義刀は早々に話題を切り上げて鳥居に身体を向けた。
「行くぞ」
「ええ。地中の妖魔を感知するなんて面白そうだわ」
「俺には学者先生の感覚は分から無さそうだ」
「俺も」
「脳筋共。ほら、行くわよ」
探求心の足りない男共に呆れつつ弦は鳥居を抜けて階段を下り始める。
長過ぎて麓が見えないので義刀も槍絃も溜息を吐くが日常的に昇り降りする弦は特に何も感じていない。背後の2人の溜息を聞いてもよくある反応なので気にも成らない。
「そう言えば、2人はこんな短時間で昇り降りはした事が無い?」
「そりゃ四鬼の会合でも鬼塚院は選ばれないしねぇ。出来れば俺は来たくないのよ?」
「俺も」
「軟弱ね。女の私でも1日で何往復かする事も有るのに」
「正気じゃない」
「義刀に賛成」
「やってるんだっての」
段差が均一ではない下り階段は踏み外すと大怪我に繋がる。
雑談に意識を持っていかれ過ぎないように注意しながら3人は20分程で階段を降り切った。
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