陸話
銀閃流道場の一件以来、京の都では妙な噂が立っていた。
阿修羅院に纏わる武の神の意志が武芸者たちを煽っているという噂だ。
その噂を元に絶風鬼、槍絃は夜の色街で武芸者を観察していた。武士のように上等な着物を纏っていれば薙刀を背負っていても怪しまれる事は無い。
義刀は緊急とはいえ妖魔討伐の独断専行をしたので現在は謹慎中という名の休暇を取っている。
その為、阿修羅院に縁も無いのに義刀と頻繁に話しているという理由で槍絃に京の都に蔓延る噂の元を探り元凶を排除する任務が通達された。
厄介な仕事ではあるが色街に縁の有る仕事なら楽しみもある。
客寄せに誘ってくる女に鼻の舌を伸ばしながらも周辺を見る。
経験上、噂というのはまず色街や飲み屋で誰かが口を滑らせる事から始まる。
その大元を確認するにはその場に行くのが最も早い。
「ちょっと聞きたいんだけどさ、阿修羅院の噂って知ってる?」
「ああ、武の神様がお侍様や武道家の人たちの心を煽って憑き物にしようとしているって話?」
「それそれ。俺も腕にはちょっと覚えがあるからさ、戦える相手が居たら戦ってみたいんだよね」
「あぁら、物騒ね。でも噂の出所なんてこんな広い色街じゃ分からないわ。でもウチに来てくれたら知ってる子が居るかも」
女はあまり好みの顔ではないので槍絃は適当に流してその場を後にした。
色街を少し歩いていれば槍絃の行きつけの店が見えて来た。
色街の中でも客足の少ない表通りから1つ路地に入った建物だ。その路地の近くまで行ってようやく見えてくる。目立った客引きも立てずただ蝶蘭とだけ書かれた看板だけで店が開いているか閉じているかも分からない有様だった。
躊躇い無く槍絃は蝶蘭の扉を開き店内に入る。店内は玄関から廊下と階段が見えており廊下の長さから奥行きの長い間取りが見て取れる。
扉に開いた音に反応して直ぐに玄関に1番近い襖が開き若い女が出て来た。玄関に三つ指を突いて頭を下げ槍絃を歓迎する。
「いらっしゃいませ、槍絃様。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「ネツキに会いに来たんだけど2階かな?」
「はい。どうぞ、こちらへ」
女に案内されて2階へ上がり最奥の部屋に通され女は可能な限り気配を消して立ち去った。
室内は小部屋だが中央にお茶と鍋が置かれており軽い食事が出来るようになっている。襖から見て茶器と鍋の奥に布団が敷いてあり1人の人間に似た者が窓枠に座っていた。
「槍絃様、ようやくアタシを買ってくれるんデス?」
ネツキと呼ばれた狐のような耳と尻尾を生やした金に近い髪色をした吊目の美女は窓枠から腰を起こし茶器の前に正座した。語尾に癖の有る話し方だが彼女の神秘的な存在感にはよく合っている。
胸元の開いた薄手の着物から彼女の艶の有る四肢が薄らと透けて見える。しかしそれは人外特有の怪しさを秘めた艶だ。
槍絃をもてなす為にもまずは茶を淹れ次に自分の分を温く薄めで用意する。
「相変わらず怖いくらいに美しいね。そして猫舌ってのが可愛らしい。でも買わない」
「槍絃様も相変わらずイケずな方やワ」
槍を壁に立て掛けた槍絃は茶器を挟んでネツキに向き合うよう片膝立ちで座る。
「ま、槍絃様にはいずれアタシを買ってもらうとシテ、今日はどないしたんでス?」
「いつも通りだよ。聞きたい事があるんだ」
「最近世間を騒がせる憑き物と言えバ、阿修羅院の噂くらいやワ」
「それそれ。阿修羅院が武芸者を煽っているって聞くんだけどさ、妖としてのネツキの意見を聞きたい」
化け狐のネツキは槍絃に恋する妖魔専門の情報屋だ。
蝶蘭は表向き遊郭のような装いだがその実は一見客お断りの化け狐が経営する情報屋になっている。街に迷い込んだ化け狐や人間に友好的な妖の駆け込み寺にもなっており、その存在は鬼とは異なる都の防衛の1つと見なされ御上公認の施設として秘密裏に運営されている。
「アタシら化け狐は憑き物じゃないし武芸もからっきしサ。そんな奴の情報で構わないんデス?」
「人外からの見立てってのは貴重なんだよ? それに俺が持ってない情報だってあるかもしれないだろう」
「そう言う事ならアタシが知ってる情報で槍絃様が知らない情報があったらその分の情報料を頂く、それでどうデス?」
「俺は構わないけど、俺が知ったかぶりをしたらどうするんだ?」
「ウフフ、アタシが槍絃様の周囲に張らせてる妖たち、中々優秀なんですヨ?」
ネツキの不気味な執着心に寒気がする槍絃だが彼女の情報網はそうして構築される。
だがネツキが情報屋として評価されている能力は情報網ではなく、多くの情報を全て完璧に記憶している記憶力にある。
そんなネツキが本気で1人の人間に情報収集を絞った場合、個人情報など全て丸裸になる。何日の何時ごろにどこで誰と何をして何を考えているかすら筒抜けだ。
「ちなみに、もし嘘を吐いたらどうなるんだい?」
「アタシを買ってもらいまス」
「絶対に嘘を吐かないと約束しよう」
「イケずな方やワ~」
茶番に2人で笑い合って槍絃はネツキに先を促した。
ネツキも長引かせる気は無いようで直ぐに表情を引き締め情報を口にした。
「阿修羅院には強大な力を持った武の霊が幾人も祀られてるんデス。アタシらから見れば霊たちは基本的に温厚で参拝に来る武芸者を温かく見守っていますヨ。ただ、最近はどうにも危険な霊が現れたようデス」
「どんな危険なんだい?」
「誰彼構わずに喧嘩を吹っ掛けるような戦闘凶デス」
「それが武芸者に影響を与えている?」
「恐らく、と言わせて頂きますエ。アタシら妖狐には武芸は分かりませんデ、観察に行った子らも喧嘩っ早いのが居るな、程度にしか分からないんデス」
「それは仕方ないね」
「そう言って頂けると助かりますワ。さて、あとは閃郷斬乃介の動向でしょうカ」
「妖魔に成る前ってことかな?」
淀み無く話し続けていたネツキが困ったように眉を寄せ、言いづらそうに続きを口にした。
「閃郷斬乃介はまだ生きておりマス」
「義刀が仕損じたという事かな?」
「率直に言いまして、その通りデス。閃郷斬乃介が変じた妖魔は再生能力を持っています」
「だから義刀は焼き尽くす方法を選んだんだよ。俺の風じゃ相性最悪だったはずだ」
「そう、普通ならそうなるはずデス。ですが、あの妖魔の再生能力は正確には別の能力の副産物デス」
「蜥蜴の尻尾切り、とでも言う気か?」
「その通りデス」
つまり義刀が焼き尽くした妖魔はただの肉片で本体は既に大木の下から土竜のように逃げおおせていたという事だ。
……面倒だねぇ。人間の時、彼は一体何を思って妖魔に変じたのやら。
親指と中指を顎に沿えながら人差し指で唇を撫でる。
槍絃は自覚している癖を敢えて隠さずに考えを纏め、ネツキはその間に着物の袖から1枚の紙片を取り出した。
「ここからはアタシからの依頼になりまス」
「うん?」
「この憑き物、討滅して頂きたいんデス」
「へぇ。君から憑き物討伐の依頼を受ける事はこれまでも有ったけど、今回みたいに芸者に関係が無さそうな場合は初めてだね」
「世は何事も繋がっておりますカラ。閃郷斬乃介の死に影響されて乱暴者が増えとるんデス。乱暴な客が増えるのは、アタシらにとっては死活問題」
「なるほど。報酬は今回の情報量から差し引いてくれ」
「ふふ、今回はトントン。どうせならアタシを買って貰えば良かったワァ」
「ネツキと会うのに報酬の算段は立てているさ。情報ありがとう。また報告に来るよ」
「ハイ。次におうの、楽しみにしておりマス」
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