捌話
阿修羅院に着いた義刀、槍絃、弦の3人は早速、阿修羅院の神主に許可を貰い境内の調査を開始した。
時雨乃の父でもある神主から義刀に対しての目は厳しかったが業炎鬼の感情を抑制する訓練が役に立ち義刀は自然と神主の視線に気付かない振りが出来た。
御上からの仕事を受けたのは槍絃なので神主への対応は基本的に槍絃が行っている為に視線を合わせずに済んだというのも大きい。
人の腰くらいの高さで切断された御神木の根本には肉剣妖魔が逃げ込む為に掘った穴が残っている。日当たりの良い場所ではないので1メートル程度の深さになるともう先は見えない。
義刀が業炎鬼の炎で妖魔を焼き払った際に出来た焦げが全周に残っており、燃え辛い筈の土が燃えた事から業炎鬼の火力の高さが窺える。
「始めます。揺れるとやり辛いから離れるか動かないかしてて」
「分かった」
「はいよ~」
義刀も槍絃も離れずに残る事にした。
2人ともそれぞれの事情で弦に調査を依頼している側なので彼女を置いて離れる訳にはいかない。
そんな2人の事は意識の外に置いて弦は本の白紙のページを開いて地面に置く。薬品入れ2本を取り出して蓋を外すと液体が混ざるように穴の奥に液体を垂らす。
2種類の液体は混じり合うと薄青く発光しながら穴を滑り落ちていき、日当たりが悪いにも関わらず穴の奥が見えるようになった。
「これは確かに逃げられてるわね」
「しぶといな」
「仕方ねえ。見えない位置で本体から一部が切り離されちゃどうにも出来ねえ」
「業炎鬼に限らず地中が得意な鬼じゃなきゃ気付けないでしょうね」
陸や空は目視が可能だが地中や海中は著しく目視が難しくなる。
海沿いで活動する鬼の中には海中での活動や感知力の高い鬼も居るが、地中となるとかなり希少性が高い。
弦は筆を取り出して本に調査内容を書き、追加で薬品を1本取り出した。
焦げた穴に付着している肉片が炭化した部分を探し出して薬品を振り掛ける。土との境目も曖昧なので炭化した肉片と思われる部分を含めて投網のような掛け方だ。
薬品は弦が狙った位置を中心にはしなかったが妖魔の肉片らしき部分だけが荒い網で蓋をされたように淡い緑色に発光する。
「やっぱり炭化までしちゃうと反応が鈍いわね」
「火力不足だったか」
「討滅するには良い手だけど、後で確認って考えると都合が悪いねぇ」
「命懸けの最中に加減なんて考える方が危険です。さて、反応薬で追える事は分かったけど、これ以上は無理ね」
「行先までは分かんねえよな?」
「ええ。この反応薬を多目に渡すから怪しそうな場所に手当たり次第に掛けて、としか言えませんね。地表に対して浅い位置に居れば見つけられるでしょう」
「ま、地中の妖魔相手ならそんなもんだろ」
「人海戦術は?」
「情報屋に頼んでみるかねぇ。どれだけ吹っ掛けられるか考えると寒気がするぜ」
「御上の仕事なら御上に払わせる事は出来ないんですか?」
「出来るけどね、情報量は先払いなのよ」
「ご愁傷様です」
口では槍絃に同情を示しながら弦の表情は笑顔だ。
義刀も普段通りの無表情だが表情が有れば笑みを浮かべていただろう。
良い性格をしている後輩たちに溜息を吐いて槍絃は空気を変えるように手を叩く。
「さて、状況は分かった。こっからは人海戦術の上に時間も掛かる。弦ちゃん、薬品は数を用意出来るのかい?」
「はい。簡単な物なので作り始めて2日で同じ入物に10本なら用意出来ます」
「ありがと。1回情報屋に話を持っていってからお願いするよ」
「お待ちしてます」
「義刀はどれだけ早くても1日は暇だし激流鬼の仕事を手伝うのか?」
「ああ。ユヅ姉、激流鬼の仕事は直ぐに始められるか?」
「大丈夫よ。お父様も早ければ早い程良いという状況らしいし」
「じゃあこのまま鬼塚院に行く」
「階段が長くて大変なら背負ってあげましょうか?」
「余裕だ」
「おいおい、美女に密着出来るんだぜ?」
「なら槍絃が背負われろ」
「俺は美女に背負われる背負いたいな」
「やっぱり槍絃さんは助兵衛」
「槍絃は助兵衛」
「可愛くない年下共め」
わざとらしく話を混ぜっ返して会話を切り、槍絃は阿修羅院の外を示して解散の合図とした。自分は破壊された母屋の片付けを行う神主の方に向かい、義刀と弦には境内の外へ促すように手を軽く払う。
反対意見も無いので2人は槍絃と別れて境内の外、鳥居の方へ歩き出す。
「そう言えば、ここに住んでいたのは神主さんだけなの?」
「いや、奥方と娘が居る」
「へぇ。母屋はあんなだし、お役人が用意した仮の家かしら?」
「そのはずだ」
「ま、鬼なら深入りは危険なだけだものね」
そんな風に話していると境内に繋がる数段の階段の前に1人の少女が居た。
話題の時雨乃だ。
話す為に遅い足取りだった2人を待っていたように綺麗に直立している。
「こんにちは、義刀様」
「ああ」
「初めまして、私は阿修羅院の1人娘、時雨乃と申します」
「ええ、私は激流鬼の弦。ここに出た妖魔の調査に来たわ」
「調査、ですか?」
「ええ。実は上手く逃げてたらしくってね、行方を追っているのよ」
「憑き物になった原因を探る訳では無いのですね」
「ん? まあ、それは鬼の仕事じゃないからね」
「そうですか。義刀様とはお仕事の?」
「ええ。まあ家も近いし幼馴染って奴よ」
「幼馴染」
「弦、仕事が有るんだろ」
「あ、そうだったね。人前だからって呼び方を変えなくても良いでしょうに」
「呼び方? 義刀様は普段は何と?」
「ん? ユヅ姉って言ってるわね」
「ユヅ姉」
「変な目で見るな。行くぞ」
「あらぁ、ごめんなさいねぇ」
「……成程」
本心から嫌そうな義刀、お節介な笑みを浮かべる弦、何かを納得した時雨乃と反応は様々だ。
しかし義刀と弦には仕事が有る。
時雨乃は阿修羅院に用が有るようなので互いにそれ以上の無駄話はせずに別れた。
考え込む様に眉を寄せて神主に向けて歩く時雨乃は直ぐに神主と槍を持った男、槍絃が一緒に居る事に気付いた。
「お邪魔してしまい申し訳無い。また数回は調査の為に訪れる事も有るかもしれませんが、その際には必ずご連絡致しますので」
「ああ、ご丁寧にどうも。鬼の方というのはもっと粗暴なものかと」
「ははは、感情を抑制する訓練を積んでいる者しか居ませんからね、人の感情の機微等、持っていない絡繰りとでもお考え下さい」
「え、いや、そこまで、とは」
「俺もこんな口調ですが、この院の破損について心を痛めるような感情は持ち合わせていません。この口調なら人付き合いで無用の問題も起き辛いですから」
「……そ、そうでしたか」
「ええ。では、これで」
槍絃の顔は確かに穏やかな笑みを浮かべており普通なら人を安心させられるようなものだ。
しかし神主は仕事柄様々な人間、それも阿修羅院の特性から力を渇望する武芸者の目を見る事が多い。
その為、直ぐに槍絃の目に何の感情も無い事に気付いた。
無表情で目にも感情が無いなら分かる。
だが槍絃は表情だけは笑みを浮かべながら目だけが無表情だ。
それは表情と感情を完全に分離して自分の意識下に置いているという事でもある。
それだけ人間らしい情緒を置き去りに出来る訓練を積んでいるという事実に神主は寒気を覚えた。
人間の形をしているが人間ではない槍絃に驚きを隠せない神主だが、娘が近付いて来た事で正気に戻った。
「ああ、すまない、気付かなかった」
「ううん。お弁当、持ってきたよ」
「ありがとう」
「今の人、前に鬼通りで義刀様と話していた方だわ」
「ああ、斬乃介さんを切った鬼だったね」
「うん。討滅出来て無かったって」
「そのようだな」
「……何か有ったの?」
「いや、少しな。鬼と人の違いを目の当たりにして年甲斐も無く放心してしまった」
「鬼と、人の違い?」
「……ああ、お前たちの世代だと私たち以上に分かり辛いだろうな」
「何だか不思議な言い回しだね?」
普段の穏やかで優しい父には珍しい困惑と嫌悪とでも表現するべき暗い表情だ。
見慣れない表情の父に困惑する時雨乃だが勤めて明るい声で話す事にした。
「ね、鬼と人ってそんなに違うものなの?」
「……先程、槍絃殿も言っていたが、鬼というのは人の形をした絡繰りに似た側面が有る」
「絡繰り、ですか?」
「そうだ。鬼は憑き物になる可能性が有る」
「それは先日、業炎鬼の奥様にお伺いしました」
「そうか。なら分かると思うが、感情を発生させない為に鬼は必ず感情を持たない訓練を積むのだ」
「だから、人の形をした絡繰り、と?」
「……私の父の代でな、鬼が憑き物に落ちた事件が頻発したのだ」
「……江戸、なのに?」
「そうだ。戦国の世ならまだしも、江戸の世にだ。私も父たちから理由は聞かなかったがね」
人同士の争いはそれだけ妖魔を発生させる。仕事が多くなればそれだけ鬼も披露や苛立ちで憑き物に近くなる。だからこそ、人々は可能な限り争いを避けて生活を送っている。
そしてやっとの思いで江戸の世になり争いが無くなったはずだが、そう考えると江戸の世で鬼が大量に妖魔に堕ちる理由が無い。
不思議な話では有るが時雨乃にも神主にも当時の様子を確認する術は無い。
時雨乃も神主に弁当を届けるという用事は終わったので仮の家で母の家事の手伝いが有る。
神主との会話も切り上げて直ぐに阿修羅院を後にする。
そんな時雨乃が阿修羅院から離れていくのを槍絃は家の影から見送った。
閃郷斬乃介が妖魔になった原因の候補は無数に有るが、時雨乃への慕情という可能性は有る。道場の後継者、時雨乃への慕情、自身の剣の腕と彼を知らない者が勝手に想像する事は出来ても、確かめる事はもう出来ない。
その為、槍絃はただ機械的に彼の都合の合う範囲で彼女を監視ししてみたのだが、この後はネツキの所に行かなければならない。
監視はここまでにして槍絃は色町に向けて歩き出した。
▽▽▽
出来れば肉体的にも精神的にも登りたくない石階段を登った義刀は少しだけ息を切らして鳥居を潜った。
礼儀として柄杓で手を洗うか先に登り切っていた弦に視線で問えば首を横に振られた。
逆に顎を振って母屋の方を示されたので弦に従って付いていく。
「激流鬼の依頼ってのは何なんだ?」
「まあ力業よ」
「激流鬼が業炎鬼に依頼ってなら力業だろうが、具体的には?」
「ある塊の破壊」
「轟雷鬼の分野じゃないか?」
「実は轟雷鬼にも頼んだんだけどね、無理だったわ」
「……単純な力なら轟雷鬼の方が上だが、何か考えが有るのか?」
「流石は業炎鬼、四鬼の中でも最良って言われるわけだ」
「戦闘や規範に特化した訓練をしているだけだ」
「絶風鬼は少し気安すぎるものね」
「本題だ。轟雷鬼でも駄目な塊をどう壊すんだ?」
四鬼の中でも各家にはそれぞれ特徴が有る。
業炎鬼は高い戦闘力と判断力が有る。
絶風鬼は他家の支援を得意とする。
激流鬼は知識に秀でている。
轟雷鬼は力と情に溢れている。
つまり轟雷鬼で壊せない物体を四鬼の中でも別の鬼が壊す事は出来ない。
勿論、御上が抱えている力に秀でた鬼なら轟雷鬼よりも単純な力で勝る者は居る。
それなのに知識に秀でた激流鬼が業炎鬼に力仕事を頼むは道理に合わない。
「簡単に言ってしまえば力の質の差ね」
「力の質というと、武器の差か?」
「斧は粉砕が得意だものね。刀を使う業炎鬼に切断力を求めるなら意味は分かるでしょ?」
「ああ。轟雷鬼に破壊出来ない物を切れるかと言われると自信は無いが」
「自分が出来ないかもしれない事を出来ないかもしれないと言えるだけ充分よ。それに炎と刀の使い方について注文も有るし」
「使い方?」
「そう。ギィ坊が使う業炎滅刀は炎を刀に纏わせて憑き物に炎と斬撃を叩き付ける技よね?」
「そうだ」
「それは単純に炎と刀の攻撃の合算でしかない」
「そうだな」
「炎の力、刀の力は業炎鬼個人の力量に依存する。だから刀を振る腕力を鍛えたり、より高い熱量の炎を発揮出来るよう魔動駆関との親和性を高めるんでしょう?」
「そうだ」
「で、炎を剣術のように操作が出来たら攻撃方法に幅が出来ると思わない?」
弦の提案の意味が分からずに眉を寄せる義刀に弦は笑みを深くした。
「説明しましょう」
「寺子屋の先生に成れるのは25からと聞いているが?」
「予行演習よ」
「……そうか」
「まあ想像して欲しいのは刀鍛冶ね」
「鉄を溶かして鋼を精製して、形状を整えて、鋭く研ぐ」
「そう。今回は炎を燃やすではなく鉄を溶かすに使っている部分が肝心ね」
「俺は刀鍛冶では無いが、想像と言う事は別の使い方をしろと言う事か」
「よくできました」
「具体的には?」
「端的過ぎるのは業炎鬼の悪い所ね。ちゃんと話すわよ」
「分かった」
「素直。先に確認したいのだけど、業炎鬼が炎を強く使用する場合はどうするの?」
「強くて大きい炎だ」
「まあ一般的に強い炎と言えばそうよね。でも、強い炎を使うにはもっと別の方法が有る」
「何?」
「焼き切るって言えば良いのかしらね。概念が説明し辛いわ」
「焼き切る?」
「そう。業炎鬼に力で炎を刀の様に薄く押し込めて小刀のような形状には出来るかしら?」
「炎の小刀?」
「そうそう。出来る?」
「今まで試した事が無い。場所を借りて試すしかない」
「それじゃ試しましょうか。寺の裏に砂利の広場が有る。そこで私の水で囲んで試しましょう」
「分かった」
弦の提案を試す為に義刀は寺の裏に案内された。
寺の裏、雑草だらけの山道を少し進むと相撲や空手を思わせる開けた場所が有る。砂利だけで人為的に作られた円形の広場は弦の提案通り炎を使っても周囲を水で囲めば山火事は起きなさそうだ。
「じゃ、始めましょうか」
背中の弓を手に取り左手の宝石を上の宝石に打ち付ける。
魔装を召喚する動作に反応して弦を包む様に複数の水塊が彼女の周囲に浮かび上がった。
その水塊は中に青い武者鎧を含んでおり、弦の身体に張り付き1つの巨大な水塊となる。
空中に浮かんでいた水塊は支えを失ったように落下して砂利を濡らし、青い武者鎧が姿を現した。
弓を引きやすいように業炎鬼と比較すると上半身は非常に装甲が薄く見える。しかし腰から下は弓を引く力、発射する力に耐える為か装甲が厚く低重心で安定した形状をしている。頭部や肩、足の甲には津波を思わせる意匠が施されており激流鬼の名の由来が分かる。
弦が激流鬼に成ったのを確認して義刀も刀の鯉口を切ってから納刀して業炎鬼の魔装を呼び出した。
赤い武者、青い津波。
「実験開始よ」
激流鬼の合図で業炎鬼は刀を正眼に構えて集中を始めた。
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