お互い婚約破棄がしたいと思った二人、なぜかラブラブになる。
虎戸リア
お互い婚約破棄がしたいと思った二人、なぜかラブラブになる。
イルメニア離宮。
そこは王都から離れた湖の傍にあり、王族の避暑地として夏期にのみ使われる宮殿。しかし季節は春。夏はまだ遠く、イルマ湖の向こうに佇むレニア山脈も頂上付近はまだ雪を被っていた。
そんな離宮の一室で、二人の男女が向き合っていた。
「えっと……」
一人は背の低い女性だった。綺麗な金髪に碧眼と、この国の典型的な貴族の特徴を有していた。彼女の名はレイア・イルドナ、公爵令嬢である。
「あー……」
その向かいにいるのは、赤髪をだらしなく伸ばした無精髭の青年だった。背は高く顔は整っているが、その顔には苦い表情が浮かんでいる。着ている服もまるで戦場帰りかのように薄汚れていた。
彼の名はジレド・イルアリア。この国の王族の傍系だが、変わり者で、貴族としては珍しく騎士として騎士団に所属していた。
そんな二人の間には、気まずい空気が流れていた。ジレドが思わずあくびをしてしまい、慌ててそれを手で隠した。
「……軍務がお忙しいのですね」
レイアが作り笑いのまま、そうジレドへと伝えた。
「あー、まー……そうだな」
「……」
「……」
最悪だ、とレイアは心の中でため息をついた。目の前の婚約者を見て、彼女は半ば諦めていた結婚について、再度絶望を味わっていた。
数ある貴族の中からよりにもよって、なんでこのいけ好かない軍人と結婚しないといけないのか。
ジレドについてこっそり調べてみると、目に付いた貴族令嬢に片っ端から手を出しているという噂が流れていた。レイアからすれば、こんな男の何処が良いか理解ができなかった。
そもそも婚約者との顔合わせで、髭を剃ってこない馬鹿がこの社交界のどこにいると言うのだ。それに、会話もリードしてくれないし、あくびまでする始末だ。
こんな礼儀も知らない浮ついた男と結婚なんて死んでも嫌だ。だが、自分が公爵令嬢という立場かつ相手が王族の傍系である以上、一方的に婚約破棄なぞ出来るわけがなかった。
いっそ、こいつを謀殺して湖に沈めるか……なんて物騒なことが一瞬脳裏をよぎるが、ブンブンと首を振ってその考えを消した。
「完全に詰んだ……」
思わずレイアはそうこぼしてしまった。
「ん? 詰んだ?」
ジレドが首を傾げる。
「あ、いえ……なんでもありません」
「そうか」
ちっ、やりづれえな。
そうジレドは心の中で舌打ちした。叔父である国王に言われなきゃ、こんなつまらない場所には出て来なかった。
そもそもとして、年下の女性には一切の興味がなかった。出来れば年上、しかも既婚者であれば尚よし。実際問題、そういうことが噂されると社交界で抹殺されるので、それを消す為にあることないことを噂として流がしていたほどだ。
だから間違っても目の前にいるちんちくりんで胸のなさそうな子供には一切の恋愛感情が湧かなかった。
だが、この大人しそうで物言わぬ相手が自分の婚約相手らしい。
最悪だ。
だが、相手はこの国の大貴族である公爵家の一人娘だ。こちらから婚約を破棄しようものなら、国王に何を言われるか分からないし、騎士団から追い出されるかもしれない。それだけは避けたかった。
「はあ……受け入れるしかないか」
ジレドは思わずため息をついてしまう。それを見て、必死に青筋を立てないようにしていたレイアがついに口を開いた。
「あの」
「なんだ?」
「……私達って一応婚約者同士ですよね」
「……らしいな」
「つまり、結婚すれば夫婦となるわけですね」
「そうだろうな」
「ジレド様は――それを望まれているのですか」
レイアはもう、このくだらない探りあいをすることにいい加減嫌気がさしてきたのだ。
だからまっすぐにジレドを見つめて、そう静かに問うた。
「……残念ながら、否、と答えよう」
だからジレドも正直に答えた。ここで誤魔化すのは良くないと思ったからだ。
すると、彼女がにっこりと笑った。
「ああ……良かったです。もし、そうだと言ったら平手打ちでもしてやろうかと思っていました」
ニコニコと笑いながら、レイアが平手打ちの素振りをした。
「あはは……それは良かった」
「よくありません。貴方のような、粗暴で礼儀もなってない優男と結婚なんて最悪です」
レイアの言葉に、ジレドは片眉をピクリと上げた。
「こっちも、お前みたいなガキとの結婚なんて望んでねえよ。俺はな、大人の色気ムンムンのムチムチな女が好みなんだよ」
「はあ? 私だってあんたみたいな軍人よりも、知的で読書が趣味っぽい銀縁眼鏡が似合う細身の方が好みなんですけど? 筋肉臭い男は、戦場に帰ってください」
「んだとてめえ。こっちが大人しくしてたら調子に乗りやがって。大体、眼鏡かけてたら知的って思う時点で浅はかすぎるんだよ」
「あ、浅はかですって!? これだから脳みそまで筋肉で出来ている人との会話は苦手なんです! その色気あるムチムチ貴族令嬢とやらと結婚したら如何です?」
「ええい、じゃあこんな婚約なんて破棄する」
「それはこっちのセリフです! 私は婚約破棄を望みます!」
まるで子供みたいに言い合う二人だったが、ある程度お互い言い合ったところで、だんだん怒りよりも羞恥心の方が強くなっていった。
「……すみません。私もしかして、とんでもないこと言いました?」
「言いました? じゃねえよ。思いっきり言ってたぞ。俺、あそこまで罵倒されたのは同族以外からは初めてだよ」
「一応言っておくと、それは私もですからね。色気は確かにないかもしれないですけど、胸はそこそこありますから」
「へいへい……あと言っておくが、俺は普段、
「隊商団?」
レイアが意外そうにそう聞くと、ジレドが頷いた。
「放っておくわけにはいかないだろ? まあキッチリ全員捕縛したし、隊商団は無事だよ」
「へえ」
「だから、悪かったよ。予定よりも到着が遅れて、髭を剃る暇も着替える暇もなくここに来たんだ。こんな格好で申し訳ないとは思っている」
ジレドは素直にそう言って頭を下げた。
「……そんな事があったのですね。だったら最初に言ってくだされば良かったのに」
「言い訳みたいで格好悪いだろうが」
「言われないとこっちは分かりません。おかげで第一印象は最悪です」
「こっちは眼鏡がないせいであんたの顔もぼやけて見えねえから、第一印象もクソもない」
「そうなんです? 見えないくせにガキだの胸がないだの言っていたのですか」
「どう見てもお前、十五歳ぐらいだろ」
目を細めてジレドがそう言うと、レイアがため息をついた。
「私……
「……へ?」
「貴方より年上ですよ、ジレド様。婚約者のことぐらい調べてください」
「マジで?」
「マジです。はあ……壊れた眼鏡、まだ持ってますよね?」
ジレドが頷くと懐からケースを取り出し、壊れた眼鏡を取り出した。
「――『リペア』」
レイアがその眼鏡を受け取り、それに修理の魔法を使うと、眼鏡が彼女の手の中でひとりでに直っていく。
「……凄いな。軍魔法は何度も見たが、修理する魔法は初めて見た」
「あんまり複雑なものや大きなものは直せませんからね。はい、どうぞ」
レイアが差し出した眼鏡をジレドが掛けた。
「おー、完璧だ。ん? おお!?」
ジレドがクリアになった視界の中にいる美しい女性を見て、感嘆の声を上げた。確かにレイアは背は低いものの、胸は大きかった。つまりジレドにとってレイアは、流石に既婚者ではないものの、好みのど真ん中であった。
「はう!」
そして、眼鏡を掛けたジレドを見て、レイアが胸を抑えてしまう。
「ど、どうした!? 大丈夫か!?」
何事かとジレドがレイアへと近付き、彼女の身を案じた。
「うっ……筋肉と眼鏡……これは効く……予想外に良き……」
「……えっと?」
目の前で戸惑うジレドを見て、レイアが赤面する。まずい、近くで見ると余計に胸がときめく。
何よ、格好いいじゃない。
レイアは盛大に手のひらを返したのだった。
そしてそれは、ジレドも同様だった。
何だよ……めちゃくちゃ好みの女じゃねえか。
近距離でお互いを見つめ合う二人は、図らずして、意気投合していた。
「「あの」」
お互いが同時に口を開き、そして同時に微笑んだ。
「あ、どうぞ」
「いえ、ジレド様から」
「いや、えっと……なんつうか、さっきは行き違いがあってだな……その婚約破棄とか口にしたが……あれは無しの方向で……」
ジレドが頭を掻きつつ、そう宣言した。
「私も心にもないことを言ってしまいました。婚約破棄なんてとんでもない。ジレド様は紳士でとても素敵です」
「……ほんとかよ」
ジレドが散々言ったくせに、と思いつつ呆れた表情を作る。
「おほほ……嘘と方便は貴族令嬢の嗜みですわ」
「調子がいいな、ほんと」
「それより、お腹空きませんか? いい加減食事にしましょう」
レイアが手を叩き、侍女を呼んだ。
「おー、それなら助けた隊商団の隊長からいいワインを貰ったからそれを開けよう」
「ワイン! 開けましょう開けましょう!」
こうして二人は、後にこの国で一番の仲良し夫妻として社交界で有名になるのだった。
お互い婚約破棄がしたいと思った二人、なぜかラブラブになる。 虎戸リア @kcmoon1125
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