第2/4話 発進と船舶
ぎいいいい、というような金属音が、辺り一帯に響き渡り始めた。渾一は、思わず、ばっ、と耳を塞いだ。手を離されたバッグは、付近のアスファルトに、どさっ、と落ちた。
(……!?)
その後も、金属音は轟き続けた。渾一は、今度こそ音源を突き止めようとして、さっさっ、と周りに目を遣った。
数秒も経たないうちに、その正体が判明した。雨涙塔だ。
(いったい、何なんだ……? 駐車場に来る前に見かけた時は、特に、異状な様子ではなかったが……)
十数秒後、音は、ふっ、と失せた。渾一は、手を耳から離すと、安堵の息を吐こうとした。
吐けなかった。ばきいんっ、という大きな金属音に鼓膜を劈かれたためだ。
同時に、何かが、雨涙塔から発射された。それは、宙を吹っ飛んできて、駐車場のアスファルトに、ごおんっ、と着地した。その後は、ごろごろごろ、と転がってきて、渾一の近くで停止した。
(え……?)
思わず、視線を遣る。それは、握り拳くらいの大きさをした、螺子だった。
直後、ばきいんっ、ばきいんっばきばきいんっ、というように、金属音が、断続的に轟き始めた。
雨涙塔に、視線を遣る。そこからは、音が鳴り響くたびに、さきほどの螺子と同じ種類の螺子が、四方八方へ、宙を吹っ飛んでいた。よく見ると、それは、建物から川に向かって伸びている軸の、水車との接続点あたりから発射されているようだった。
十秒弱が経ったところで、がっきいんっ、という、ひときわ大きな金属音が鳴った。同時に、水車が、ずるんっ、と大きく下降した。軸の先端から外れたのだ。
(あ……!?)
水車は、水の中へ、ざざざざざ、という音を立て、飛沫を上げながら、沈んでいき始めた。しかし、それは、数秒も経たないうちに、どしん、という音とともに、止まった。川底に衝突したに違いなかった。川面からは、水車全体のうち、直径の三割ほどが突き出ている。
(な、なんてこと──)
そんな脳裏での呟きは、途中で打ち切らざるを得なかった。水車が、動き始めたのだ。ざぶざぶざぶ、という音を立てながら、川の中を、下流に向かって、ゆっくり転がりだした。
その後、しばらくの間、渾一は、口を、あんぐり、と開けたまま、水車を眺めていた。しかし、それが停止したり横転したりする気配が、いっこうに感じられない、むしろ、じょじょに加速している、と気づいて、我に返った。
(こ、これは、不味いんじゃないか!? 今、漣華は、斎六々美術館の穏田棟にいる……それは、汰護井川の中にある経沌州の、手前の端に位置している。
このまま、水車が、下流に向かって転がっていったら、いずれは、その建物に衝突してしまうかも……もし、そんなことになったら、考えるまでもない、大惨事だ。早く、穏田棟に行って、漣華を、外に避難させないと……!)
渾一は、ズボンの左ポケットから、オートバイのキーを取り出すと、車体に設けられているホールめがけて、半ば突き刺すようにして、挿し込み、捻った。エンジンが、どるるるん、という音とともに始動した。
付近のアスファルト上に落ちているショルダーバッグを拾う時間も惜しかった。彼は、すぐさまシートに跨ると、アクセルグリップを捻って、その場から発進した。その勢いで、サイドカーの収納ボックスの蓋が、ばたん、と閉じた。
猛スピードで駐車場を横断すると、川の左岸沿いに設けられている道路に入り、その上を走行し始めた。その道は、右端から順に、歩行者が川に転落するのを防ぐための金属柵、歩道、ガードレール、二車線の車道、ガードレール、歩道、というような構成になっていた。
やがて、数十秒が経過した。渾一は、水車の数十メートル後方を、それとほぼ同じ速度で、走行していた。
できれば、もっとスピードアップし、距離を縮めたかった。しかし、水車を追いかけている最中でも、対向車がやってきた場合は、それを避けたり、横断歩道に出くわした時は、無人であることを確認したり、と、さまざまなアクションを行う必要があった。そのため、現時点より加速するのは都合が悪い、各種のシチュエーションに対応しきれなくなってしまう、と判断したのだ。
(頼むから、早く、停止するか横転するかしてくれ……!)
そう内心で独白した直後、水車の数十メートル前方にて、川に、木橋が架かっており、その上に、人がたくさん集まっているのが見えた。
そして、冒頭に至る、というわけだ。
水車は、木橋を破壊してから約一分が経過した頃でも、下流に向かって、ごろんごろん、と転がり続けていた。渾一は、相変わらず、それの数十メートル後方を、同じくらいの速度で走行していた。彼の周囲では、川の左右の岸は、ほとんど垂直な崖のようになっており、その真下に水面が広がっていて、河川敷の類いは存在していなかった。
(木橋の左岸側の入口と、この道路の間に、小さな広場が設けられていて、助かった……もし、そうでなかったなら、木橋から逃げてきた人たちが、車道に溢れ返って、通行できなかったかもしれない)
そう胸中で呟いたところで、水車の数十メートル前方にて、川面に、船が浮かんでいるのが見えた。見た目から推測するに、エンジン駆動だろう。ボディの側面には、「株蘭小学校一年生ご一行様」と書かれた横断幕が掲げられていた。
最初、船は、下流に向かって、ゆっくりと航行していた。しかし、数秒後、突然、急加速し、猛スピードで進み始めた。水車が迫ってきていることに気づいたに違いなかった。
(あの船は、けっこう、幅が広い……仮に、ぎりぎりまで、左右の岸に寄せたとしても、ボディの一部が、水車に衝突されてしまうだろう。とにかく逃げるしかない、というわけだ……)
その後も、船は、猛スピードで航行し続けた。それを追いかけている水車は、減速するどころか、微妙に加速しているようで、相手との距離を、じりじり、と詰めていっていた。
(……!)
渾一は息を呑んだ。船の数十メートル前方にて、川面が消失しているように見えたからだ。目を凝らしたところで、そこは滝になっている、とわかった。落差は、十メートルほどだ。
操縦士が滝に気づいたらしく、船は、がくん、と一気に減速した。しかし、当然ながら、あっという間に、水車に距離を縮められた。
それに追い立てられるようにして、船は、再び、ぎゅんっ、と大きく加速した。さきほどよりも高いスピードで、突き進み始める。そのまま、滝の縁から、ばしゃあっ、と宙に飛び出した。
数秒も経たないうちに、船は、川の上、滝壺の数メートル前方に着水した。ばっしゃあん、という音が鳴り、飛沫が立った。操縦士がアクセルを作動させ続けているためか、船は、間髪入れずに発進し、航行を再開した。
直後、滝の上にいる水車が、その縁から、ばっしゃあんっ、と宙に飛び出した。それは、しばらくしてから、川の底、滝壺の数メートル前方に着地した。どっしゃあん、という大きな音が轟き、派手な飛沫が聳え、短い地響きが生じた。
それから、水車は、滝を飛び下りる前より明らかに高いスピードで、ごろごろごろ、と転がり始めた。ジャンプした時の重力により加速したに違いなかった。
(厄介な……!)
左岸の地面は、滝の手前あたりから、下方に、きつく傾斜しており、滝壺の十数メートル前方あたりにて、水平に戻っていた。渾一は、その坂道を走り抜け、水車を追いかけ続けた。
しばらくすると、船の数十メートル前方で、川が、左方に、きつく曲がっているのが見えてきた。カーブの右側には、幅の狭い河川敷がある。それの奥、堤防を越えた先には、十階建てのホテルが聳えていた。
今や、水車と船との距離は、三メートルを切っていた。その後、船は、いっさい減速することなく、猛スピードを維持したまま、急カーブに突入した。
奇跡は起こらなかった。船は、ほとんど直進し、河川敷に突っ込んだ。
どばしゃあんっ、という音を立てて、船は、宙に飛び上がった。船底が、浅くなった川底にぶつかったせいで、バウンドしたのだ。
船は、空中を〇・九秒ほど突き進んだ後、堤防を越え、その先にあるホテルの二階部分に衝突した。どっごおん、という音を轟かせて、外壁を貫き、屋内に突入する。
一秒後、どっかあん、という音が鳴り響くと同時に、外壁の大穴や、フロアの窓から、火炎だの黒煙だのが噴出した。船が爆発したに違いなかった。
さらに一秒後、どどどどど、という音を轟かせながら、ホテルが崩落し始めた。屋根が、みるみるうちに低くなっていき、建物は、十秒も経たないうちに、瓦礫の山と化した。
(水車も、あの船のように、コースアウトしてくれるか……!?)
渾一は、そんなことを願ったが、叶わなかった。水車は、河川敷に乗り上げはしたものの、その後は、堤防に衝突し、その側面を、ごりごりごり、と擦りながら、それに沿って、カーブを曲がっていったのだ。そして、最終的には、堤防から離れて、川の中へ、ざぶざぶざぶ、と入っていった。再び、下流に向かって、ごろんごろん、と転がり始める。
(ちくしょう……!)
渾一は唾でも吐きたくなった。不幸中の幸いと言うべきか、水車は、堤防の側面を擦りながら移動していたおかげで、かなり減速しており、彼のオートバイと同じくらいのスピードになっていた。
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