巨大水車大猛進

吟野慶隆

第1/4話 木橋と経緯

 川の上流から、ごろんごろん、と転がってきた巨大水車が、木橋に衝突した時、それの上には、たくさんの人がいた。具体的には、木橋の中央にて、男優と女優の二人が演技しており、それを左右から挟み込むようにして、スタッフたち十数人が撮影しており、さらにそれを左右から挟み込むようにして、野次馬たち数十人が見物していた。

 川の左岸沿いの車道にいる涸西(こにし)渾一(こんいち)は、男優と女優の顔や服に、見覚えがあった。彼らは、一昨年に公開され、興行的成功を修めた、あるパニック映画の主人公とヒロインだった。おそらくは、それの続編を制作している最中であり、そのため、みな、迫り来る巨大水車を、大掛かりな演出の類いと勘違いして、避難しなかったに違いなかった。

 どごおおおん、という鈍い音が辺りに轟いた。男優の頭部は、水車に激突されて破砕し、首から下は、俯せに倒れた。女優は、吹っ飛んできた木片を顔に食らい、仰向けに倒れた。左の頬から右のこめかみにかけて、ぱっくり、と大きな切り傷が出来、そこから、血が、どばどば、と流れ出し始めた。

 水車は、木橋に衝突した後も動き続け、数秒も経たないうちに、それを両断した。直後、木橋は、ばきばきばき、ぼきぼきぼき、めきめきめき、などという音を立てながら、崩れ始めた。

 その上にいた人たちのうち、左岸あるいは右岸に逃れられた人の数は、二桁にも満たなかった。ほとんどが、喚いたり叫んだりしながら、木橋の砕片とともに、落ちていった。ある者は、先に川底に着地していた砕片に激突して、全身を強打し、ある者は、なんとか着水には成功したものの、降ってきた砕片に押し潰され、圧死した。付近の川面は、大量の血液により、赤黒く染まり、たくさんの、損傷の激しい死体が、ぷかぷか、と浮いた。

(水車は、どうなる……? 木橋に衝突したことが原因で、減速したり横転したりするか……!?)

 そんな期待を抱きながら、渾一は、右斜め前方の水車を見つめた。今、彼は、サイドカー付きオートバイを走らせていた。

 期待は裏切られた。川の、木橋が架かっていた地点より奥のあたりは、底が、ややきつく傾斜しているらしい。現在、水車は、木橋に衝突する前と同じくらいの速度で、下流に向かって、ごろごろ、と転がっていた。

(く……駄目か……)渾一は、奥歯を、ぐぐ、と強く噛み締めた。(……とにかく、一刻も早く、漣華(れんか)を、美術館から避難させないと……この水車が、その建物に衝突してしまう前に……!)


 今から一時間ほど前、午前十一時。

 渾一は、腿の上に載せていたショルダーバッグを担いで、パイプ椅子から立ち上がった。みっともなくない程度に、伸びをする。その後は、席を離れ、イベントホールの出入口に向かった。

 彼は、「舟腰帯(ふなこしおび)の里」という道の駅にある建物にいた。ホールの奥、天井付近には、「舟腰帯の里 マジックフェスティバル」と書かれた横断幕が掲げられている。今は、休憩時間であるため、ステージには、誰もいない。

(それにしても、さっきの、セイエンジカくんの奇術、素晴らしかったなあ……)「セイエンジカくん」というのは、株蘭(かぶらん)市のマスコットキャラクターだ。(あんな、明らかに頑丈な、金属の檻の中から、脱出するなんて……それも、着ぐるみのまま。いやあ、わざわざ、これを見るために、一泊二日の旅行をしてまで、ここへ来た甲斐があった……)

 そう内心で呟いたところで、渾一は、客席の中央に設けられている通路に入った。後は、これを、まっすぐ進んでいけば、突き当たりが、ホールの出入口だ。

(この休憩時間が終わった後も、他のパフォーマーが、いろいろ、手品を披露するようだが……別に、見なくていいな。セイエンジカくんのマジックさえ見られれば、それで満足だ……)

 そう胸中で独白しながら、渾一は、ホールから出た。その直後、ふと、近くに設営されている物販コーナーが視界に入った。

(おれが、この道の駅に着いた時は、イベントの開始時刻まで、余裕がなかったから、寄っていられなかったが……ちょっと、見てみようかな。セイエンジカくんのグッズ、売っているかもしれない……)

 そう内心で呟きながら、渾一は、物販コーナーに入った。十数秒後には、セイエンジカくん関連グッズが陳列されているエリアを発見することができた。

(おっ……懐かしいな、これ。漸子(ぜんこ)が、とても気に入っていたやつだ……)彼は、棚に並べられている縫い包みのうち、一つを手に取った。(たしか、二年目の結婚記念日の時に、おれから、贈ったんだよな……葬儀の時は、棺桶にも入れてやった)

 そう脳裏で呟いていると、ズボンの右ポケットから、しゅぴーん、という電子音が聞こえてきた。音源は、そこに入れているスマートフォンだ。

 渾一は、縫い包みを元の場所に戻すと、その端末を取り出し、ケースの蓋を、ぱかっ、と開けた。ホームボタンを、かちり、と押す。

 ディスプレイが、ぱっ、と明るくなって、待受画面として設定している、自宅のリビングにある棚を撮影した写真が現れた。そこには、彼が今まで、各地の陸上競技大会に出場しては獲得してきた、トロフィーだのメダルだの賞状だのが、ずらり、と並んでいた。

 待受画面の中央付近には、チャットアプリの通知が表示されていた。漣華からメッセージを受け取った、という内容だ。渾一は、スマートフォンを操作すると、そのアプリを起動し、トークルーム一覧画面にアクセスした。

 漣華とのトークルームのタイトルは、画面の最上行に表示されていた。アイコン画像として、可愛らしい野良猫の写真が設定されている。彼女によると、今年の春、高校の入学式の帰り道に、たまたま見かけて撮影した、とのことだ。

 渾一は、そのトークルームにアクセスした。受信したメッセージは、二つあった。一番目は、テキストで、「念願の『心を略奪した狩人』を見れた!」「斎六々(いつきろくろく)美術館、最高!」という内容だった。二番目は、画像で、漣華が撮影した写真のようだった。彼女の首から上が写っており、その後ろには、ファンタジーな世界に登場するような見た目の狩人を象った石像があった。

 漣華は、長い黒髪をツインテールに纏めていた。身長は、同年代の平均より、かなり低く、体つきも、幼い雰囲気がある。そのせいで、初対面の人からは、必ずと言っていいほど、中学生、ひどいときは小学校高学年生に間違われる、と、よく愚痴を零していた。

(よかった、楽しんでくれているようだ……)

 渾一は、思わず、微笑しながら、ケースの蓋を、ぱたん、と閉じた。スマートフォンを、ズボンの右ポケットにしまい、物販コーナーの見物を再開する。

 五分後、数メートル先に置かれているワゴン、その上に陳列されている、何らかの商品の表面に、セイエンジカくんのイラストが描かれているのを見つけた。(ん……あの絵、今までに目にしたことのないやつのようだな……)と内心で独白すると、そこへ向かう。

 しばらくして、目的地に到着した。そこは、斎六々美術館の関連グッズのエリアだった。その中に、セイエンジカくんとコラボした品──なんとかいう彫刻を模したマグカップで、側面に、セイエンジカくんのイラストが描かれている──があったのだ。

 近くの壁には、ポスターが貼られていた。それは、美術館の敷地にある建物のうち、穏田(おんだ)棟の外観を撮影したものだった。その写真の各所に、キャッチコピーや特別展示の紹介などが書かれていた。

 写真の中では、手前から奥に向かって、汰護井(たごい)川が流れている。それの、ちょうど真ん中には、経沌(けいとん)州という中州があった。中州と言っても、面積は広く、地面や岸は、コンクリートやアスファルトなどで、きちんと舗装されている。そこ全体が、美術館の敷地となっていた。

 その、経沌州の手前の端に、穏田棟が建っていた。四階建てであり、外壁のうち、ここに写っている面は、すべて、ガラス張りとなっている。建物の一階部分は、少し、手前に出っ張っており、岸から、はみ出していた。

 渾一は、しばらく、そのポスターを、ぼんやり、と眺めた後、視線をワゴンに移した。(うーん……このグッズは、要らないかな……よく見たら、けっこう、高価だし……)そう胸中で呟き、その場を離れた。

 それから数分が経過したところで、物販コーナーの見物を終え、建物を出た。(予定どおり、次は、今日の午後から株蘭市役所で行われる、セイエンジカくんのイベントに行こう。ただ、その前に、昼飯を済ませておかないと……市役所の近くにあるラーメン屋、気になっているんだよな)駐車場に向かい始めた。

 舟腰帯の里の横、渾一から見て右方では、汰護井川が、手前から奥に向かって、まっすぐに流れていた。それに沿うようにして、岸から十メートルほど離れたあたりを、歩道が通っている。その上を、歩きだした。

 そして、数分が経ったところで、丁字路が見えてきた。歩道が、直進路と左折路に分岐しているのだ。角に立てられている看板に描かれている、左折路の奥を差す矢印の上には、「駐車場」と書かれている。

 しばらくして、渾一は、丁字路に差し掛かった。その時、視界の右端にて、なにやら、セイエンジカくんのイラストのようなものを捉えたような気がした。思わず、そちらに目を向ける。

 交差点の右方、歩道と川岸の間には、おおむね円柱の形をした、大きな建物が聳えていた。側面からは、極太の金属棒が一本、突き出ており、川に向かって伸びている。それの始端は、屋根の近くに位置していた。終端には、直径が十メートルほどの、巨大な水車が取りつけられていた。

 その円柱の手前、歩道の上には、プレートが設置されていた。渾一の腰と同じくらいの高さにあり、表面には、長い文章や、セイエンジカくんのイラストが記されている。おそらくは、この建物について解説しているのだろう。

(来た時は、気づかなかったな……急いでいたし。ちょっと、見てみることにしよう……)

 そう脳裏で独白すると、渾一は、プレートに近づいた。それの表面に、視線を遣る。

 プレートの右下隅あたりに、セイエンジカくんのイラストが描かれていた。また、プレートの大部分は、彼の発する吹き出しで占められていた。その中に、解説文が書かれている。

 それによると、この建物は、雨涙(うるい)塔という名前のようだ。水車は、ある特殊な合金で出来ているらしい。もし手榴弾の爆発に巻き込まれたとしても、掠り傷一つ付かないほど丈夫であり、なおかつ、水の流れる力を受けることで、ちゃんと回転するほど軽量である、とのことだ。

(ふうん……)

 雨涙塔に対しては、もともと、大した興味を抱いていなかったせいもあり、一分もしないうちに、全文を読み終えた。渾一は、プレートから離れると、歩道の左折路に入って、再び、駐車場に向かった。

 しばらくして、目的地に到着した。彼は、アスファルトに下りると、自分の所有するオートバイを停めてある所に行った。

 車両の左側面に付いているサイドカーに、近づく。収納ボックスのロックを、がちゃっ、と解除すると、蓋を、ぱかっ、と開けた。中から、ハーフタイプのヘルメットや、ビンテージデザインのゴーグル、オープンフィンガータイプのグローブなどを、取り出す。ショルダーバッグを、いったん、サイドカーのシートの上に置いてから、それらを装着した。

 すべて身に着け終えた、ちょうどその時、ズボンの右ポケットから、しゅぴーん、という電子音が鳴った。渾一は、そこから、スマートフォンを取り出すと、それのケースの蓋を、ぱかっ、と開けた。

 直後、きいいん、というような金属音が、どこかから聞こえてきた。

(……?)

 思わず、音源を捜して、きょろきょろ、と辺りに視線を巡らせた。それのボリュームは、耳を塞ぐほどではなかったが、気に留まるくらいには大きかった。また、決して、聞いていて愉快な気分になる類いのものではなく、むしろ、不快な気分になる類いのものだった。

(……何だったんだ?)

 けっきょく、音源を突き止めることはできなかったが、別に、本腰を入れて捜すつもりもなかった。渾一は、視線を、スマートフォンに戻すと、ホームボタンを、かちり、と押して、ディスプレイを明るくした。

 待受画面の中央付近には、チャットアプリの通知が表示されていた。漣華からメッセージを受け取った、という内容だ。

(ん……バッテリーが底を尽きかけているな。オートバイに乗る前に、充電、始めておかないと……)

 そう内心で呟きながら、渾一は、スマートフォンを操作し、ホーム画面を表示した。チャットアプリを起動して、漣華とのトークルームにアクセスする。

 受信したメッセージは、二つあった。一番目は、テキストで、「昼飯」「玉藻(たまも)屋より」という内容だった。玉藻屋とは、斎六々美術館の穏田棟の一階にあるレストランの名前だ。

 二番目は、画像で、漣華が撮影したもののようだった。テーブルの表面が写されており、その上には、ヘッドフォンが置かれている。席の左方は、ガラス張りの壁となっており、その向こう側、屋内の床よりも低い位置には、水面が広がっていた。おそらくは、汰護井川の川面だろう。

 そこまで目にしたところで、突然、スマートフォンのディスプレイが、真っ暗になった。

(これは……)

 ホームボタンを、かちり、と押す。直後、ディスプレイに、バッテリー切れを意味するマークが表示された。

(やっぱりな……それじゃあ、充電を始めるとするか。モバイルバッテリーとケーブル、取り出さないと……)

 そう胸中で独白すると、渾一は、スマートフォンを、いったん、ズボンの右ポケットにしまった。サイドカーのシートの上に置いてあるショルダーバッグを、持ち上げる。左手で、ファスナーを、じいーっ、と開けると、右手を、内部に入れ、がさごそ、と探り始めた。

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