第3/4話 野営と露台

 しばらくすると、水車の数十メートル前方で、川が、緩やかに右にカーブしているのが見えた。それの内側は、幅の広い河川敷となっている。そこは、どうやら、キャンプ場の一部であるようで、キャンピングカーが三台、停まってていた。いずれも、川と直交するような向きであり、車体前部は右岸を、車体後部は左岸を差していた。

 一番目の、紫色をしたキャンピングカーの付近には、テーブルが置かれており、そこに、オーナーらしき一家が集まっていた。若年の父親は、プレゼント箱を持っており、若年の母親は、クラッカーを構えており、小学生くらいの娘は、とんがり帽子を被っていた。テーブルの上には、凝った意匠のバースデーケーキが用意されていた。

 彼らは、すぐさま、水車の接近に気づいた。慌てふためいて立ち上がると、その場を離れ、河川敷の奥のほうへと避難した。

 数秒後、水車は、河川敷に乗り上げた。それからも、ごろんごろん、と転がり続けると、紫キャンピングカーの真ん中あたりに衝突した。

 どがしゃあっ、という音とともに、車両は押し潰された。ボディは、踏んづけられたティッシュ箱のようになり、ウインドウのガラスは、粉々に砕け散った。

 水車は、紫キャンピングカーを乗り越えると、その後も転がり続けた。そして、しばらくしてから、二番目の、緑色をしたキャンピングカーの真ん中あたりに衝突した。

 どぐしゃあっ、という音を立てて、水車は、緑キャンピングカーを踏み潰し、そのまま、それを乗り越えた。衝撃により、車両は、くの字に折れ曲がった。ボディの一部が、派手に破れ、中が見えるようになった。

 車内には、大きなベッドが設置されており、その上に、男女がいた。男は、パンツ一丁であり、右手に、ひどくえげつない形状のアダルトグッズを持っていた。唖然とした表情で、開いた穴から、外を眺めている。女は、いわゆるアイドル衣装のような見た目をした、安っぽい作りの服を着ていた。アイマスクと耳栓を装着し、手足を縛られている。

「お尻っ、叩いてっ、ぶっ叩いてくださいっ」女は、離れた所にいる渾一ですら耳を塞ぎたくなるほど大きな声で、喚き散らしていた。「さっきより強くしてくださいっ、さっきの鋼鉄トゲトゲ超高圧電流ウィップより強くうっ」真ん丸な尻を、左右に、ぐいーんぐいーん、と揺らした。

 水車は、その後も転がり続けた。行く手には、三番目の、橙色をしたキャンピングカーがあった。

 そのキャビンの十数メートル前方には、大きな岩が転がっていた。岩の手前には、タープが設けられている。スクリーンが下ろされているため、見えにくかったが、内部には、簡易ベッドが四台、置かれていた。左から順に、中年の父親、中年の母親、中学生くらいの息子、幼稚園児くらいの娘が使用している。みな、眠っているようだった。

 数秒後、父親が、むくっ、と頭を上げた。不機嫌な表情をしている。水車の振動や騒音などのせいで、目が覚めたに違いなかった。他の三人は、明らかに熟睡しており、起きる気配はなかった。

 父親の顔は、みるみるうちに、驚愕に染まった。彼は、その後、転げ落ちるようにしてベッドから下りると、靴を履くのも忘れて外に飛び出し、だだだだっ、と橙キャンピングカーめがけて全力疾走した。

 数秒後、父親は、車両のキャビンに乗り込んだ。おそらくは、それを移動させ、水車に衝突されないようにしよう、と考えているに違いない。水車は、その時、車両の三メートルほど手前にまで迫っていた。

 どるるる、というエンジンの始動音が鳴った。それとほぼ同時に、橙キャンピングカーが急発進した。一秒もしないうちに、水車の進路上から逃れることに成功する。

 直後、車両のキャビンは、タープの側面に突っ込んだ。

 タープは、前進し続ける橙キャンピングカーにより、縦に潰される空き缶のごとく、押し縮められていった。途中、がらん、からから、という、何かが引き摺られるような音や、ばきっ、べきっ、という、何かが破壊されるような音、どんっ、どかっ、という、何かが撥ね飛ばされるような音が、何度も鳴った。

 一秒後、橙キャンピングカーは、大岩に激突し、急停止した。どがしゃあんっ、という音が辺りに轟いた。タープは、車両と大岩に挟まれ、ぺしゃんこになっていた。キャビンも、大岩に衝突したせいで、ぐちゃぐちゃに拉げていた。

「お願いしますっ、お尻っ、ビンタしまくってくださいっ」緑キャンピングカーの女は未だに喚き続けていた。「ダンスっ、いつもの『ケツしばき懇願お尻ふりふりダンス』やりますからあっ、『ねえー♪ お願いー♪ わたしのデカケツ──』」歌いだした。

 すでに、水車は、橙キャンピングカーが停まっていたあたりを通過していた。その後、しばらくすると、河川敷を外れて、川の中へ、ざぶざぶざぶ、と入っていった。再び、下流に向かって、ごろんごろん、と転がり始める。

(それにしても、未だに、横転しないとはな……! これまでは、さすがに経沌州に着く前には停止するだろう、という楽観的な気持ちも、少しばかり、抱いていたが……この調子じゃ、危惧したとおり、斎六々美術館に到達してしまうかもしれない……!)

 渾一は、そう脳裏で独白した。彼は、現在、水車の百メートルほど後方を、それとほぼ同じ速度で、走行していた。

(たぶん、漣華は、今も、斎六々美術館の穏田棟の一階、玉藻屋にいるだろう……彼女は、食事に、とても時間をかけるタイプだからな。

 その建物は、経沌州の手前の端に位置している。しかも、一階の空間のうち、その店のある部分は、州の端から、さらに、少し手前にはみ出している。

 もし、水車が斎六々美術館に到達したなら、真っ先に、穏田棟に激突するだろう……そうなる前に、美術館に行って、漣華を、外に連れ出さないと……!)

 渾一は、行く手の車道上に、車両や歩行者などがいないことを確認してから、アクセルグリップを、ぐい、と深く捻った。オートバイのスピードが、上がる。

(おれのスマホは、バッテリー切れ……充電道具を入れているショルダーバッグは、舟腰帯の里の駐車場に置いてきてしまっている。つまり、漣華と連絡をとって、避難するように伝える、ということは、できない……おれが、直接、玉藻屋に行って、漣華を外に連れ出さなければならない。

 おれは、今回の旅行の計画を立てるにあたり、斎六々美術館の公式ウェブサイトを閲覧した。その時に得た情報によると、たしか……汰護井川の左岸と経沌州を繋ぐ橋には、左岸側の出入口にのみ、ゲートが設けられていた。だが、なにも、鉄道の改札機みたいな、本格的な設備があるわけじゃない……ただ、警備員が二人、道の両脇に突っ立っていて、付近にある事務所での手続きを済ませずに通行しようとする輩がいないか、チェックしているだけだ。オートバイに乗っていれば、じゅうぶん、強行突破できる……!

 もちろん、後で、美術館の従業員たちに、こっぴどく怒られるだろう。警察にも通報される可能性が高い。だが、こちらの事情を説明すれば、ある程度は、理解を得られるはずだ。それでも、もしかしたら、最終的には、訴訟沙汰のような、何らかのトラブルに発展するかもしれないが……そんな未来を心配することよりも、漣華を避難させることのほうが、重要だ……!)

 しばらくすると、十数メートル前方にある丁字路の左折路から、軽トラックが一台、出てきて、川の左岸沿いの車道を、上流に向かって走行し始めた。渾一は、オートバイを減速させ、水車とほぼ同じスピードにすると、ハンドルを操り、その車両を回避した。現在、彼は、水車の数十メートル後方にいた。

(橋を渡りきったら、すぐ近くに、穏田棟の正面玄関がある……オートバイから飛び降りて、そこに駆け込もう。

 一階フロアにおいて、正面玄関と、玉藻屋の出入口とは、まっすぐな通路で繋がっている……全力疾走して、店に行き、漣華を抱えたら、再び、全力疾走して、正面玄関に戻り、外に出よう。おれは、脚力には、かなり自信がある……オートバイを降りてから、穏田棟を出るまで、一分もかからないはずだ……!)

 そう内心で呟いたところで、水車の数十メートル前方にて、川に、橋が架かっているのが視界に入った。それは、いわゆる鋼橋であり、見るからに頑丈そうな作りをしてた。上には、車道および歩道が設けられていて、自動車や歩行者などが通行している。

(やった……! いくら水車でも、あの橋は、破壊できないだろう)渾一はオートバイを減速させ始めた。(仮に、破壊することができたとしても、その後も転がり続けることなんて、できやしない……勢いを失って、停止あるいは横転するに決まっている)

 しばらくして、渾一は、車道の左側の路肩にオートバイを停めた。再び、川に視線を遣る。どうやら、ここら辺は、底が浅くなっているようで、水車は、直径の一割ほどしか水没していなかった。

 数秒後、鋼橋の十数メートル手前にて、川面に、何かが浮かんでいることに気づいた。目を凝らし、よく観察する。すぐさま、それの正体はウッドデッキである、とわかった。上には、数多くのテーブル席が設けられている。たくさんの人が、それらについていて、満席となっていた。

 長方形をしているデッキの右辺からは、簡素な造りの木橋が突き出ており、右岸の河川敷に繋がっていた。木橋と河川敷が接続している地点には、木造の建物が聳えている。どうやら、そこが出入口となっているようだ。

 建物の屋根に、視線を遣る。そこに掲げられている看板には、「鉄板焼 曇徴」「世界一の超火力!」と書かれていた。よく見ると、デッキにある席は、いずれも、テーブルの横に、大きなガスボンベが据えられていた。

(不味い……あのデッキ、水車の進路上にあるぞ……! このままじゃ、あそこにいる人たちが、被害に遭ってしまう……!)

 渾一は、そんな焦りを感じたが、しばらくして、それは治まった。デッキの上にいる人たちは、みな、水車の振動や騒音などにより、それが迫ってきていることに気づいたのだ。

 その後、彼らは、みな、慌てふためいて、その場から避難し始めた。木橋を渡り、店舗に入る者もいれば、足を滑らせ、川に転落する者もいたが、とにもかくにも、水車が到達するより前に、デッキは無人となった。

 しばらくして、水車が、ウッドデッキの下辺に、ばきゃあっ、と衝突した。その後は、ばきっべきっぼきっ、という音を響かせながら、床板や柱などを破壊して、デッキ内を突き進んでいった。テーブルや食器、椅子やガスボンベなども、それに巻き込まれ、潰れたり砕けたりした。

 数秒後、水車の外輪とデッキの床板が交差している点あたりに、突如として、火炎の塊が一つ、出現した。それは、どんどん膨張していった。さらには、その火炎の塊と周囲の大気の境で、新たに、いくつかの火炎の塊が出現し、それらも、同じようにして、ぐんぐん膨張していった。

 ほぼ同時に、どどどどど、という音が辺りに轟き始めた。渾一は、思わず、手で耳を塞ぎ、目を瞑り、歯を食い縛った。少量の涙まで出た。

(デッキの各テーブル席に置いてあるボンベのガスが、爆発を──)

 そんな心中での台詞は、途中で打ち切らざるを得なかった。猛烈な爆風が押し寄せてきたためだ。渾一は、背を曲げ、姿勢を低くして、ひっくり返らないように努めた。体じゅうに高熱を浴び、本能的に、火傷を負うのではないか、と危惧した。ヘルメットとゴーグルのおかげで、頭頂部および目元だけが、熱を受けていなかった。

(ぐ……!)

 渾一は、爆風を浴びながらも、うっすらと瞼を開いた。川の様子を、確認する。

 川の水が、爆発により押し退けられた結果、高い波となって、右岸の河川敷に押し寄せ、地面を覆い尽くしていた。水面には、店舗の瓦礫だの、必死にもがいている人だの、いちじるしく損傷した死体だのが浮かんでいる。鋼橋の上でも、自動車がガードレールに衝突したり、歩行者が尻餅をついたりしていた。

(な……?!)

 渾一は、あんぐり、と口を開けた。水車が宙に浮いていたからだ。

(そういや、雨涙塔の解説プレートには、「水車は、ある特殊な合金で出来ており、とても丈夫かつ軽量」って書かれていたっけな……)

 現在、水車の外輪の最下部は、鋼橋よりも高い位置にあった。それは、すでに、放物線の頂点を越えていたようで、その後は、前方、斜め下に向かって落ちていった。

 鋼橋の真ん中あたりでは、大型タンクローリーが一台、ガードレールに対して斜めに衝突し、停止していた。水車は、その車両のタンク部分を、どぐしゃあっ、と押し潰して、鋼橋の上に着地した。

 直後、水車の外輪と車両のタンク部分が接触している点あたりに、突然、火炎の塊が一つ、出現した。それは、みるみるうちに膨張していった。さきほどから轟き続けている音も、いっそう大きくなった。タンクに保管されていた燃料が爆発したに違いなかった。

 鋼橋は、真上から巨人の足で踏みつけられたかのように、真っ二つに折れ、崩落していった。自動車たちは、四方八方に吹っ飛ばされ、川に落下したり、左岸沿いの道路を飛び越え、中古車販売店の店舗に突っ込んだりした。歩行者たちは、真っ黒焦げになったり、吹き飛ばされ、崖のようになっている左岸の壁面に激突したり、吹っ飛んできた瓦礫に衝突され、弾け潰れたりした。

 水車は、爆発の衝撃を受け、さらに前方へと吹っ飛んだ。その後、鋼橋が架かっていた地点より十数メートル離れた所の川底に、どしゃあんっ、という音を立てて着地した。引き続き、下流に向かって転がり始める。

(くう……!)

 渾一は、オートバイを発進させた。一気に加速し、水車を追いかけ始める。すでに、かなりの距離が開いていた。

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