第49話 努力の才能

 ゴルフというスポーツは、三つの対戦相手が存在する。

 まずはスコアを競い合うのだから、当然その相手が存在する。

 もっとも一つの大会で、100人以上の選手が存在し、一緒に回るのは一人から三人というものだ。

 つまりその他の大勢とは、直接にプレイを見せ合うのではなく、スコアで対決しているのだ。


 二つ目の対戦相手は自然環境も合わせたコースである。

 意図的に作られたコースが多いが、あるがままの自然を活かしたコースも多い。

 そのコースをどう攻略していくか。

 また雨が降っても風が吹いても、そのままで行われる。

 同じコースであっても日によって、その難易度が変わってしまうのだ。


 そして三つ目の対戦相手は己自身。

 普段通りのパフォーマンスを発揮していれば、問題なく勝つことが出来る。

 しかしその普段通りのプレイというのが、とても難しいものになるのだ。

 ショットをするにおいて、その判断が正しいのか間違っているのか。

 また欲を出してしまうと、自分では不可能なショットを求めてしまったりする。


 この三つと同時に、戦わなければいけない。

 だが同時に戦っていては、気力がもたないのである。

 普段は当たり前に出来るショットで、スコアを崩さないようにラウンドを進めていく。

 そして勝負のところに、集中してバーディを取っていく。

 アマチュアレベルで言われるのは、とにかくパーを基準に考えること。

 具体的に何をどうすれば上手くなるのか、それも考えないといけない。


 百合花の才能は、練習する才能であった。

 もっとも本人はそれを、練習とは思っていなかったかもしれないが。

 家の周囲にはいくらでも、クラブを振ってボールを飛ばす空間がある。

 適当な場所にピンの代わりのフラッグを立てて、そこにボールを集める。

 百合花はこの遊びに熱中しだした。


「お兄ちゃんの子供の頃に似てるなあ」

 桜がそう呟いたのは、直史も自分で練習用のストライクゾーンを作り、土を盛ってマウンドから投げていたからだ。

 毎日毎日、自分が満足するまで投げていた。

 そんな兄の姿に、百合花はかぶるところがある。


 近所の農家のおっちゃんが、重機を使ってバンカーを作ってくれたりする。

 あるいは全く刈っていない、ラフの中からボールを出す。

 ジュニア用のクラブセットを買ってもらってから、百合花は黙々と一人でボールを打ち続けた。

 何がそんなに楽しいのか、と保護者たちは少し心配したりもしたが。

 百合花には才能がある。

 それは没頭という形で表出している。

 まさに直史と同じように、毎日何百球もボールを打っている。

 いや、打っている球の数は、直史よりも多いであろう。

 

 天才と凡人の最大の差は何か。

 それは集中力と言われている。

 そして百合花の場合は、あまりコーチなどにも教わらず、ただ飛ばすだけの練習もしない。

 色々な距離で、色々なコンディションから、狙ったところに球を集める。

「ふ~ん」

 桜はそれを見て母親として、練習場まで百合花を連れて行くことがあり、そしてただ打たせているのも暇なので、自分でも打ってみることにした。


 中学時代は悪魔のツインズ、などとも呼ばれた桜である。

 その運動神経はまさに抜群であり、多くのスポーツで実績を残した。

 人数が足りないから、と助っ人を頼まれていたこともある。

 だがその競技の中に、ゴルフは入っていなかった。


 ゴルフは金のかかるスポーツだ。

 単純に道具に金がかかるし、まだ練習をするのにも金がかかる。

 野球もたいがい金がかかるスポーツであったが、ゴルフはそれ以上なのである。

 クラブ一本が、少しでもまともなものなら普通に一万円は超える。

 もちろん中古などであれば格安のものもあるし、百合花の手にするジュニア用のクラブは安い。

 だがドレスコードもあるし、スパイクなども必要となる。

 ボールは消耗品であるし、何よりプレイフィーが高い。


 ただ一つのコースに関しては、直史が用意してくれた。

 そこを使う限りは、いくらでも練習が出来るというわけだ。

 田舎にゴルフ場というのは、一つの雇用の創出でもある。

 河川敷のコースなどもあるが、内陸部のコースを一つ、直史は買い取ったのだ。

 もちろん自分はオーナーではあるが、ちゃんと採算は取れるようにしている。


 ゴルフは精密さが要求されるスポーツだ。

 最もボールを飛ばすスポーツでありながら、最後は小さなカップにボールを入れなければいけない。

 そして精密さを要求しながら、不運とも戦っていかなければいけない。

 難しいから面白い。

 舞台の上で完璧に踊る、バレエなどとは違うもの。

 ただゴルフにおいても重要なのは、体幹と体軸である。

 これらはほとんどのスポーツにおいて、重視されるものなのだ。




 コースからお客さんが消えた後、百合花は桜と共にラウンドをする。

 当然ながら飛距離は、圧倒的に桜の方が出るのだ。

 たださすがの桜としても、完全に真っすぐに飛ばすというのは、かなり難しい。

「最初からある程度、曲げることを考えて打った方がいいか」

 実はこの桜の言葉には、真実が含まれているのである。


 幅が20ヤードのコースに打った場合、左右のどちらかに曲がっても、10ヤードまでしか余裕がない。

 だが必ず右か左に曲がるボールにすれば、その20ヤードの幅が使える。

 もちろん理想的なのは、真っすぐに打てるようになった上で、どちらにも曲げることが出来るようになること。

 だがトッププロであっても、右に曲がるか左に曲がるか、どちらかを得意にしているものなのだ。


 それでも真っすぐに飛ばすことを目的に、練習をしていく。

 基本的には真っすぐに飛んだ方が、飛距離は稼げるからだ。

 曲げるにしてもその曲げ幅を、完全にコントロールすることなど出来ない。

「意外と難しいなあ」

「面白いでしょ」

 桜は止まっている球を打つなど、簡単なことに思えた。

 だがゴルフというのは、野球よりもはるかに遠くへ、そして正確に飛ばしていくスポーツなのだ。

 ティーから打つのならともかく、フェアウェイから打つ場合は、様々なシチュエーションになる。

 右足が下がったり左足が下がったり、爪先上がりだったり爪先下がりだったり。


 色々なボールを打たなければいけないというのは、野球と同じである。

 だが野球のバッティングと違うのは、最終的に小さな穴に入れなければいけないということ。

(なるほど)

 ゴルフというスポーツは、案外奥が深い。

 それはもうスコットランドで生まれてから、野球などよりもはるかに長い歴史を誇っている。

 もっとも野球にしても、その元はクリケットという競技にある、と言われているが。

 競技人口も野球より多いらしい。そもそも野球がマイナー競技なのは、世界的に見れば間違いないのだ。


 練習場ではある程度、球を打ってからやってきた。

 だがティーショットから、ドライバーの球は曲がっていく。

 ゴルフは感覚のスポーツなのだろう。

 桜はそう考えたが、同時に精密さのスポーツであるとも言える。


 他のスポーツと比べても、正確さが要求される。

 そして思考も重要であるのだ。

 遠くへ飛ばしたら、コントロールのしやすいクラブで、二打目を打つことが出来る。

 だが遠くへ飛ばしすぎれば、打ちやすいフェアウェイではなく、茂みの中のラフから打つことになってくる。

 草の抵抗まで考えなければいけないため、飛距離が計算しにくくなる。


 


 基本的にゴルフは、18ホールを1ラウンドと呼び、72打で上がることを基準にしている。

 もちろん初めてのコースで、72打で上がれることはない。

 百合花が初めてコースに出た時は、半分のハーフを回ったのだが、それでも36打から11打もオーバーした。

 子供だからレディスティを使ったのだが、それでも充分に凄いことである。

 一緒に回った直史は、4オーバーであった。

 つまりもしフルラウンドを回ったら、8オーバーになったという計算か。


 桜はゴルフに詳しくない。

 だがそれでも、少しだけは調べてからやってきた。

 8オーバーというのはつまり、シングルと呼ばれるアマチュアの上級者だ。

 もちろんコースによって、難易度の違いというのはあるが。

 いくらあの兄でも、ちょっと練習場で打っただけで、このコースに対応出来たというのが信じられない。

 確かに一つの道に精通した人間は、他にも優れた結果を残す。

 それでも直史の残した数字は、もう少し練習すれば、プロになれるのではないだろうか?


 もちろんそんな単純なものではない。

 だが直史が、野球よりもゴルフの方が、向いていたかもしれないというのは間違いではない。

 ゴルフはメンタルスポーツである。

 一番のメンタルスポーツは、どうやらビリヤードであるらしい。 

 他にはダーツなどもそうらしいが、ゴルフは魂を削りあうスポーツなのだとか。

 ならばあの孤高のマウンドの上で、ピッチングを行っている直史が、メンタルに優れているのは納得の話である。


「桜、結局何打?」

「……96打」

「よし、92打で、あたしの勝ち」

 初めてのフルラウンドを回って、96打というのも化物なのだが、この二人にはそういった基準が分かっていない。

「ぐぬぬ」

 まだまだ飛距離が全く出ない百合花が、それでも勝てたこと。

 娘に負けたことによって、桜はちょっとだけ本気になって、ゴルフをやることになる。

 そしてこの大人気ない母に負けて、百合花はさらに練習をする。

 そうやってお互いに鍛えあって、誰も知らないままに実力が上がっていく。

 百合花が驚天動地のデビューを果たすまで、まだ少しの時間があるのだった。

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