第46話 最強の母

 運動神経がいい、などというのはよく言われる言葉である。

 だが実際には、運動神経などというものはなく、スポーツ全般に優れた人間がいるだけである。

 その理由については、脳の部分の発達が問題となる。

 子供の頃から動き回っていると、自然と体幹や体軸が鍛えられる。

 そこを制御しているのは、やはり脳なのである。

 もちろん意識的に、それを行うこともある。


 ツインズはそれを、子供の頃に習っていたバレエから、実感として理解していた。

 喧嘩でも有効に使えたし、野球でも応用出来た。

 腕の筋肉を無駄に鍛えるよりは、下半身の力を伝えることを重視する。

 さすがにピッチングなどは、肩の強さが重要になってくるが。

 しかし下手に筋肉をつけるよりは、稼動域が広くて柔軟である方が重要だったりする。


 そんなわけで百合花がゴルフを始めて、練習場などで打っている間、暇なので自分もやってみた。

 するとほとんど一球目から、クラブの芯でボールを叩いたのである。

「「「おお~」」」

 240という数字のあるネットを揺らして、周囲から歓声が上がる。

「え、なんで?」

 百合花としては驚きで、240ヤードというのは、女子のプロでも届かない選手はたくさんいる。

 それを打ち抜いたということは、実際にはさらに数10ヤードは飛んでいったということだろう。

「なんでお母さん、そんなに飛ぶの?」

 男である直史はともかく、女子でしかもほとんど初めて、クラブを握った桜である。

「なんでと言われても、これはバッティングとピッチングを合わせた感じね」

 感覚的に上手く説明出来る。


 ゴルフのスイングというのは、それこそバッティングにおける、ゴルフスイングと似たようなものだ。

 しかしバッティングと違うのは、ミートポイントである。

 初心者は普通、当てることすら難しい。

 だが直史も桜も、バッティングとピッチングの経験を、これに活かしているのだ。


 振ると言うよりはむしろ、振り回されるその先を、ボールに合わせるだけ。

 そして二球目以降は、確かに同じぐらい飛んだものの、右に左にとそれなりに曲がっていった。

「ほら、そんなに上手くいかない」

「でもキャリーでネットに届いてる……」

 もっとも大介が道具を選んで全力で打ったなら、350ヤードほども飛ぶのかもしれないが。


 少し打っただけであるが、基本的なことは分かってきた桜である。

 他の人のスイングを見ていても、ポイントとなるところはいくつかある。

 それに実家近くに作った小ホールで、百合花が色々と試しているのも見ていた。

「前後運動と回転運動、あとはインパクトの瞬間……」

 しばらく打ってもなかなか、最初のようにまっすぐは飛ばない。

 だがほぼ芯を食っているので、距離自体は出ている。

 

 百合花は自分のやってきた練習の長さと、桜の初めてやることを比べている。

 だが実際は違うのだ。

 桜は自分が今までに蓄積してきたものの、上にゴルフのスイングを置いている。

 もっとも二人とも、ベースボールグリップの持ち方であることは共通している。

「なるほど」

 そして一定の数を打った後は、もう桜のボールは左にしか曲がらなくなった。

 スイングの再現性が、とんでもなく高いのである。


 桜は理解した。

 ゴルフというスポーツは、野球や格闘技、またはバスケットボールなどと比べても、最もバレエに近い競技だ。

 踊りと球技にどういう関係が、と普通の人間は不思議に思うだろう。

 だが少なくとも桜は、姿勢が重要だな、と考えたのだ。


 実は現在のスポーツにおいては、バレエの身体操作というのが、そのまま通用する要素が強い、という研究もされている。

 考えてみればあのバランス感覚などは、確かにどんなスポーツでも必要なものかもしれない。

 またバレリーナというのは細さに比べて、圧倒的なバネを誇る。

 喧嘩をさせたら案外強い、と言われる職業であったりする。


 今からでもプロを目指そうか、などと考えたりはしない桜である。

 ただ娘のために、効果的なトレーニングはなんとなく分かる。

「百合花、ゴルフが上手くなりたい?」

 何かコツでも掴んだのか、と母の言葉に強く頷く百合花である。

「なら、他のスポーツもしようか。野球は効率的じゃないからテニスか……卓球でもいいかな? でもやっぱりテニスかな」

 なぜゴルフを上手くなるのに、他の球技までやらなくてはいけないのか。


 


「それはいいことだな」

 百合花にとって一番言動に信用のある人間は、伯父の直史である。

 その直史がたまに実家に戻ってきたタイミングで、百合花はそれを聞いてみた。

「アメリカでも最終的に、四大スポーツのどれかを選ぶけど、他のスポーツでもドラフトにかかる選手っていうのはいるものなんだ」

 何をやらせても上手いということだが、それだけではない。

「小父さんも最初から上手く打てただろ? あれは野球の経験をそのままゴルフに組み込んだからだ」

 ハーフを4オーバーで回ったものだが、素人に毛の生えた程度でこのスコアは異常とも言える。

 1ラウンドに換算すれば、8オーバーということで、知識のない素人ならたいしたことはないと考えるだろう。

 しかし少しでもゴルフをやったことがあれば、初めてのラウンドで8オーバーなどというのは、天才にしか思えないものである。


 百合花の11オーバーでさえ、フルラウンドに閑散すれば22オーバー。

 ハンデキャップ22というのを、小学生の女の子が叩き出す。

 それもまだ、ラウンド経験がまるでないのに。

 もちろんティーグラウンドの位置などで、難易度は変わってくる。

 またゴルフは、予断のない最初の方が、簡単に思えたりするスポーツである。


 ゴルフは姿勢だ。

 野球にバスケットボール、またサッカーやテニスなど。

 それぞれのスポーツにおいて、静止した状態から球を扱う、というところはある。

 野球のピッチング、バスケのフリースロー、サッカーのPKに、テニスのサービス。

 だが決定的に違うのは、ゴルフは全て止まっている球を打っていくという点だ。

 他は動き出したボールに、こちらが対応していかないといけない。

 しかしゴルフだけは違うのだ。

 あとは球技で言うなら、ビリヤードなどもそうか。


 競技的な要素は、弓道やアーチェリー、狙撃などに近い。

 だがそういったものと違うのは、常に正しい姿勢で、クラブが振れるわけではないということ。

 ティショットはともかく、他は自分が打ち込んだところから、次を打っていく必要がある。

 その中で完璧なスイングが出来る場面など、そうはないであろう。

 だからテニス、と桜は言ったのだろう。


 反射神経を鍛えるのなら、卓球が一番であると言われている。

 しかしその卓球を選ばなかったのは、おそらくボールの重さの関係だ。

 卓球のボール、ピンポン球というのは、プラスチックで大変に軽い。

 それに比べるとゴルフの場合、芯でボールを食った場合、男子は300mほども飛んでいったりする。

 ピンポン球は絶対に、そこまでは飛ばない。

 飛ぶためにはボールが、ある程度重い必要があるのだ。


 テニスの場合は相手の打ってきた力も加わっているので、重量はかなり感じるのだろう。

 またテニスの場合、完全なスウィングでボールを捉えることなど出来ない。

 サーブだけはおおよそ調整出来るが、後は相手との駆け引きで姿勢は崩れる。

 その中でどれだけ、力の入ったスイングが出来るかが、重要となってくるのだ。

 これはゴルフの二打目以降に似ているだろう。


 ゴルフというのは運動強度はそれほどでもないように思える。

 確かにアマチュアの楽しむゴルフなら、問題はないのだ。

 だがプロのレベルや、アマチュアでも競技会や選手権に出るレベルとなると、その運動強度は高まってくる。

 一日に歩く距離は、おおよそ10kmほどもあるだろうか。

 それに加えてキャディがおらず、カートも使わない場合は、10kgほどのバッグを背負っていかなければいけない。

 それを女子でも最高の試合なら、四日間連続で行うことになる。

 実際は前日などに練習ラウンドというものがあるため、五日間ほども歩き回るということになるのだ。


 運動強度は、週に一日やる程度なら、大変にいいだろう。

 しかしアマの大会などで、自分でバッグを背負っていくならば、これは相当の基礎体力が必要にある。

 ラウンドを回るのに、どう早くしても四時間ほどはかかるのではないか。

 じっと相手を待っていることもあるが、とにかく歩く競技である。

 そして四日間をかけて、ようやく一人の勝者が選ばれる。


 広大な土地が必要であり、道具もたくさん必要であり、さらに世界中を回っていくこととなる。

 王様のためのスポーツと言うか、貴族のスポーツと言おうか。

 だが実際は庶民が、これに熱中していたりするのだ。

 あまりに競技熱が過熱して、確か禁止令も出ていたはずである。


 テニスもまた数時間に渡って、そして数日に渡って、トーナメントが行われる。

 試合時間もそれなりに長く、集中力の維持も必要となる。

 桜はさほどテニスをやったわけではないはずだが、選んだものとしては間違っていないのではないか。

「対人相手に勝敗のつくものだし、むしろそっちの方が向いてるかもしれないな」

 直史の説明に納得し、百合花はテニスも始めることになる。


 攻撃的な性格だと、直史は百合花のことを思っていた。

 だがそれならば対戦相手の見える、テニスなどの方が好まれるのではないか。

 ゴルフのために始めたテニスに、かえってのめりこむことになるかもしれない。

 直史はそう思ったが、百合花がゴルフをメインに考えるのは、この後も続いていく。

 そしてそれは直史にとっても、ありがたい利点となるのだが、それはもっとずっと先の話である。

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