第39話 祭りの後

 ライガースのシーズンは終わった。

 まだポストシーズンは続いているが、今年の試合は全て終わった。

 ファン感謝祭などもあるのだが、大介としてはあとは、完全にもうオフという気分である。

 球団からスケジュールを聞いておくが、11月もほぼフリーで動ける。

 そんな大介は息子が関東大会に出ているため、千葉に戻ってきている。

 今年は神奈川が開催地なので、かなり厳しい大会になるはずだ。


 そしてその前に、大介はなぜか北海道にやってきていた。

「いや、マジでなんで?」

 子供たちは妻の実家に預けて、もう暑さも抜けた季節に北海道へ。

 ただ連れられて来たのは、なんとなく見覚えがある場所であった。


 ひたすら続くわずかな丘陵地帯を、道路が走っている。

 そしてそこから遠くに見えるのが、サラブレッドの牧場であった。

「ああ、ここか」

 大介はシーズンの終わりに、それなりに落ち込んではいたのである。

 そういう時には動物との触れ合いが、メンタルを癒してくれる。

 もっともこの時期になれば、生まれた馬も既に乳離れが済んでいる。


 生まれてすぐに立ち上がり、半年も経たずに母親から離される。

 サラブレッドの宿命とは言っても、なかなか孤独なものではないか。

 もっともサラブレッドは経済動物。

 特に牡馬、雄馬は引退すれば半数どころか九割が肉になる。

 優れた成績を残したか、血統的に優れた馬だけがその遺伝子を後世に残せるのだ。


 大介は以前に、サラブレッドを一頭買ったことがある。

 その馬はトップレベルのレースをいくつも制し、アメリカに送られ種牡馬となった。

 その成績はほどほどであったのだが、数頭は飛びぬけた成績を残した。

 今もその血統は、何頭もの馬に混じっている。


 歪だな、と大介は思うものだ。

 サラブレッドはほとんどが、人間の手を借りなければもう、繁殖も出来ないようになっている。

 ここまで家畜化されながらも、食べるための肉ではないというのは、かなり不思議なものなのだ。

 ただし引退した競走馬は肉となり、脂肪分の少ないサラブレッドは、ペットの食事として需要がある。

 デビューすら出来ない馬もいて、それもまた肉になるのだが。




 大介の前に連れて来られたのは、栗毛の牡馬であった。

 大介には馬を見る目などはないが、生命の力強さを見抜く力はある。

 それなりに大きくはなっていて、もう仔馬という気配ではない。

 野生動物の成長というのは、本当に早いのだなと思わせる。

 サラブレッドというのはまさに、走るためだけに生まれてきた存在。

 それだけに価値があるという、歪な存在ではないのか。

「サンカンオーに似てる気がするなあ」

 つまりこれを買ってくれ、という話であるのだろう。


 サラブレッドの売買については、庭先取引とオークションという、主に二つの形態がある。

 このようにオーナーや代理人が足を運んで、直接牧場と売買するのを、まさに庭先で取引するので、庭先取引というのだ。

 昨今の主流はオークションであり、馬産農家が共同で催すセールもあれば、巨大なグループが己の生産馬をオークションに出すというものだ。

 ただ、これにさらにもう一つ、一口馬主というものもある。

 これは馬主の権利というのを、小分けして多くの人が持てるようにするというものなのだ。


 巨大グループが手元に残すために、有望な馬を自己所有し、一口馬主として応募を待つこともある。

 昨今は馬を一人で買うというのも、なかなか難しい経済状況となってきた。

 昔なら中小企業の社長や、医者や弁護士などといったところが、それなりのお得意さんではあったのだ。

 野球選手にも何人か、馬主になっている人間はいる。


 日本全体が、そこまでの娯楽を楽しめなくなったと言おうか。

 もちろん今でもそういったところに、金を出すような酔狂はいる。

 しかし大介も好き放題に金を出すわけではない。

 サンカンオーの成功がなければ、もう一度馬主になろうとは思わなかっただろう。

(趣味の世界だよな)

 金には困っていない大介だが、サンカンオーにはかなり稼がせてもらった。

 それに趣味とするにしても、こういったちょっと変わった趣味の方が、長続きしそうではある。


 そもそも生まれてから成長し、デビューして引退するまで、気長に楽しむ趣味であるのだ。

 もっともサンカンオーは、かなり強かったのも確かである。

 あの年に生まれた馬の中では、最終的には一番強かったのではなかろうか。

「預ける厩舎とか、心当たりはあるの?」

 以前に大介が預けた調教師は、もう引退している。

 長らく日本にいなかったので、その交流も途切れているのだ。

「そうですね。厩舎の都合はつきそうなんですが……」

 どこか言いにくそうな牧童に、大介は鷹揚に促す。

「厩舎所属の騎手に乗ってもらうと思うんですけど、女の子なんですよね」

「珍しい、よな?」

 男女が一緒に競うという点では、かなり稀なものである。


 ちなみにボートレース、つまり競艇も男女は混合で行われる。

 もっとも女子の場合、一般のレースだと重りが軽くなるという、そういう特典もあったりするのだが。

 ただ重賞にまでなってくると、そういったメリットもなくなってくる。

 逆に牝馬が参戦する場合、そこで重りの軽減のメリットがあるが。


 大介はそのあたり、別にいいやと考える人間である。

 そもそも二人の嫁が、物理的に喧嘩をした場合、おそらく自分よりも強い。

 その点では問題はないのだが、むしろ二人にこそ反対はされないだろうか。

「平場のレースでは普通に乗ってもらえばいいし、重賞に勝てなかったらその時にこそ乗り換えでいいんじゃない?」

「レースに出るようになるのは、早くても再来年の夏か……」

 サンカンオーのレースの場合、大介はクラシック戦線などをあまり見ることが出来なかった。

 プロ野球のシーズンと重なっているからだ。


 有馬記念をはじめとして、GⅠを三勝したサンカンオー。

 現代基準で見ても、充分に名馬の範疇である。

 その息子がケンタッキーダービーを勝っているのも、また凄いのである。

 ただ平均的に種牡馬成績が優れていたかというと、時々大物が出るだけで、そこまでの安定感はないのだが。


 今年の大介は、ホームランの数が落ちた。

 それでもホームラン王ではあるが、少しでも落ちたら一気に落ちるのが、スポーツ選手の身体能力だ。

 来年はまだ、どうにか通用するだろう。だが再来年はどうだろうか。

 驚異的な身体能力を持っている大介だが、それに頼っている部分もある。

 かつてのようにレベルスイングで、ライナー性のホームランを打つのが少なくなった理由。

 それは爆発的な瞬発力が失われたからではない。

 反応速度がほんの少しだが、以前よりは落ちているのだ。

 動体視力の問題である。


 それでも技術を使って、ホームランを打つことが出来る。

 しかし動体視力の筋肉の衰えは、防ぐことが大変に難しい。

 全力を出せなくなった大介は、あっさりと引退するだろう。

 その時は好きなことをして、遊びまわればいい。

 それこそ草野球にならば、60歳になっても参加しているだろう。

 大人げなくホームランなどを打つかもしれない。


 馬を買うというのは、道楽でしかない。

 だが大介の人生は、ほとんど自分の好きなことばかりをして生きてきた。

 ならばここに道楽の、一つや二つが追加されたところで、問題はないとも思うのだ。

「この子いくらだって?」

「3000万」

「安いよね」

 まあ、既に年俸などどうでもいいぐらいに、大介の資産は運用で増えている。

 3000万が端数というのは、極端すぎるかもしれないが。


 既に充分大きいが、それでもまだ子供の馬に、そっと手を伸ばす。

 これで手をかじられでもしたら、とんでもない損失になるのだが。

 手の塩分を舐めるかのように、ぺろぺろと舌を出した。

 べとべとになった手を、特に不快とも感じない。

 毛並を確かめたかったのだが。

「これから毎年一頭ずつ、どっかから買っていくか」

 サンカンオーはその血を、メールラインとしてつなげていけるのか。

 他にも数頭、種牡馬になった馬はいる。

 馬産は日本の市場に、外国資本が入ってきているところだ。

 しかしそんな金でどうにかするという路線には、ロマンを感じない大介であった。

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エースはまだ自分の限界を知らない[第八部パラレル 新・白い軌跡前夜] 草野猫彦 @ringniring

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