第37話 黄金の血統

 北海道の日高地方は、言わずと知れた競走馬の産地である。

 九州でも馬産はわずかに行われているが、そのほとんどはやはり、北海道がシェアを占めているのである。

 中央競馬にサラブレッドを送り込む、日本最大の馬産地。

 そこで今年もまた、多くのサラブレッドたちが生まれてくる。


「へえ、栗毛なんだ」

 元は家族経営であったが、わずかに従業員を入れている牧場で、今年生まれた仔馬が飛び跳ねている。

 それを見つめるのは、小柄な少女と言ってもいい見た目の女性であった。

 実際のところはもう、とっくに成人は済ませている。

 現在のJRAに所属する騎手の中では、二人しかいない女性騎手の中の一人である。

「ケンタッキーダービー勝った父親と、同じ色だし期待してるんだ」

 従業員でもあるが、牧場長の娘でもある少女は、勝手知ったる騎手にも慣れている。


 競馬は絶対的な血統の世界である。

 基本的に雄である牡馬は、引退したら九割以上が肉になる。

 雌である牝馬も、場合によっては肉になる。

 ただそれは食べられるために生産される、牛や豚と同じこと。

 サラブレッドは経済動物なのである。


「うちで生まれたGⅠ馬がアメリカに渡って、その子供がケンタッキーダービーを勝って、また日本に戻ってきてこの子の父親になってるんだもんね」

「サンカンオーの記憶は、少しだけあるなあ」

 もう10年以上も前になるが、地元の近くに地方競馬があったため、馬は身近な動物であった。

 父親に三冠馬を持つ、サラブレッドの歴史の中の名馬の一頭。

 サンカンオーは引退後、しばらくは日本で種牡馬として供与されたが、血統の飽和のためにアメリカに輸出された。

 ほどほどの種牡馬成績を残したが、その中から一頭、ケンタッキーダービーを勝つ馬が出てきたのだ。


 それがまた、日本に輸出される。

 こういったことはサラブレッドの世界では珍しくない。

 いくら優れた血統であっても、同じ場所にずっといると、飽和してしまうからだ。


 かつて日本は競馬後進国であった。

 1981年に海外馬を招待して初めて開催されたジャパンカップ。

 国内最強クラスの馬をそろえたものの、結果としては惨敗であった。

 日本馬が初めて勝ったのは第四回の競争からであるが、それ以降もまだ比較的、外国馬の勝利が多い時代が続いた。

 しかし現在は、賞金の高額な競争が同時期に増え、あまり強力な外国馬が来ないこともあって、おおよそ日本馬が勝利することが多くなっている。


 この日本の競馬の発展というのは、当然ながら関係者の努力によるものが大きい。

 ただそれよりも明らかなのは、血統の問題だ。

 かつて日本は、種牡馬の輸入大国であった。

 今でもそれは、ある程度続いている。

 だがアメリカからの一頭の馬の輸入が、一気に血統レベルを向上させたと言っていい。


 アメリカ年度代表馬、サンデーサイレンス。

 血統が微妙であるために、抜群の競争成績を残しながらも、繁殖牝馬を集めることが出来ず、日本に輸入された種牡馬。

 しかしその種牡馬成績はとんでもないものであり、日本競馬史上最高の記録を残し続けた。

 これによって日本は繁殖牝馬も良血統のものを輸入し、今では両親のどちらかからサンデーサイレンスの血統の入った孫、あるいは曾孫以降の馬が、ほとんどのレースを制している。

 海外での大レースにも勝つようになった。


 これはサラブレッドの世界では珍しいことではなく、サンデーサイレンスの仔であるディープインパクトの血も、世界中に広がりつつある。

 そもそも父親の血をたどっていくと、三頭の馬にたどり着いてしまうというのが、サラブレッドの世界なのだ。

 もっともこれは血統上そうなっているだけで、実は怪しいというケースもある。




 そういった話は末端の馬産にはあまり関係がない。

 そもそも日本のサラブレッド生産は、一時期よりもかなり落ちているのだ。

 最盛期はバブルが弾けたそのすぐ後ぐらいの時代。

 だがサラブレッド生産の供給が減った後も、サンデーサイレンスの血は残り続けた。

 あまりに圧倒的な馬の血統は、世界に拡散するのだ。

 サンデーサイレンス以外にも、ノーザンダンサーやミスタープロスペクターなど、ほとんどのサラブレッドに名馬の血が入っていく。

 やがて血統は飽和する。

 そして日本からアメリカへ、かつてとは逆のように、サラブレッドの種牡馬は輸出されていった。サンカンオーもその中の一頭である。


 ほどほどの成功を収めた後に、GⅠ馬が生まれて、また日本へとその血が戻ってくる。

 サラブレッドの血統はまさに、アメリカから日本、そしてヨーロッパやオーストラリアなど、様々な土地へと渡っていく。

 日本から韓国へ輸出された馬もいるのだ。

 だがサラブレッドの最期というのは、なかなかに悲惨なものであったりする。


 そんな多くのサラブレッドの中でも、特に牡馬は引退後に肉になる。

 筋肉質のため人間の食事には向かないが、ペット用の太りにくい肉としては適しているのだ。

 功労馬やオーナーの愛着のある馬、また馬術球技などに転身する馬もいるが、それでも圧倒的に肉になる確率が高い。


 ちゃんと墓を作ってもらうにしても、昔は火葬するのにサラブレッドでは大きすぎるため、まず胴体を切断してから焼いたという。

 ほんのわずかな馬だけが、例外的に土葬されている。

 戦後の馬の中では、シンザンやテンポイント、マルゼンスキーあたりが有名であろうか。


 火葬にしても土葬にしても、天寿を全うできるサラブレッドは、せいぜいが1%ほどだという。

 そういった現実を残酷と思うだろうか。

 だがいまやサラブレッドは、人間の手助けなくしては繁殖すら出来なくなっている。

 そのくせ自然交配による生産だけが認められていて、人工授精は認められていない。登録出来ないのだ。

 貴族の遊びから発生した競馬は、ある意味食肉のための畜産よりも、歪な存在になってしまっている。

 それでも人は、愛情をもって馬たちに接するのだ。


 馬の出産は、おおよそ人間に近いぐらいの妊娠期間が必要である。

 それだけの期間を使って、ようやく一頭の馬を産む。

 数百万円から数千万、あるいは数億。

 まだ一度も走っていない馬に、そういった値段がついていく。

 今でこそセレクトセールなどで開放されているが、元は金持ちの道楽であった。

 さらに古い話をすれば、江戸時代の鎖国が終わった後、騎兵を作るために輸入されたのが日本の馬産の最初。

 しかし騎兵が時代から消え去った後、競馬として馬産は産業として残っている。


 競馬にはロマンがある。

 生涯でたったの三勝しかしていないのに、ダービーとオークスを勝った牝馬がいたりする。

「でもこの子、まだ買い手はつかないんだよね」

「最悪うちの名義で走らせるけど、一応サンカンオーを買ってくれた人に、声をかけてみるつもりなんだって」

「ああ、プロ野球選手の」

 サンカンオーはアメリカに輸出された。

 それと行動を共にしたというわけでもないだろうが、白石大介もアメリカに渡った。


 NPBとは比べ物にならに、圧倒的な高額年俸。

 ただ金を使うことには、ほとんど無頓着であるという。

 果たしてこの馬が、競馬場にデビューすることが出来るのか。

 そもそも競争力テストで撥ねられて、デビューすら出来ないという馬もいるのだ。


 それでもこの仔馬には、なんらかの惹かれるものがある。

「ダービーで乗りたいなあ」

「GⅠ騎乗資格、もう到達してたっけ?」

「勝ったよ~。女っていうだけで、色々と大変だったけどさ」

 もっとも女性騎手がGⅠに騎乗するなど、ほとんど前例もないのだが。


 道楽で買ってくれる金持ちは、日本ではどんどんと減っている。

 それでもまだ、成立しているのは日本の農林水産省の天下りのポストという側面もある。

 どうかこの馬も、中央競馬で走れますように。

 馬産を行う人々の願いは、いつの時代も変わらないのだ。

 

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