第36話 兄と妹
司朗がその秘密を知らされたのは中学生の時で、どうにか秘密を守れるだろうと叔母たちに判断された年齢になったからだ。
万が一の間違いがあってもまずい、とツインズは思ったのだろう。
恵美理が花音を弟子のような形で引き取って、養育し始めてからしばらく。
この秘密を知っているのは本当に少しだけだと、桜か椿かは判別がつかなかったが、花音の養親である二人は、司朗に教えたのである。
もう少し年齢を重ねれば、本人にも教えないといけないな、と言っていた。
現時点では本人さえも知らない、その秘密。
それは花音の出世の秘密のことである。
花音の本当の母親が、イリヤという稀世のミュージシャンであることは、割と早い段階で家族は知っていた。
花音の生まれる直前に死亡し、花音はその亡くなった母体から取り出されたのだと。
壮絶な話であるが、彼女はその後、白石家に引き取られる。
同じ年に生まれた子供たちがいたため、育てるのも一緒でいいだろうという、アバウトな考えだった、というのは表向きの話。
実際はイリヤは、あの双子の他にはアメリカのディーヴァであるケイトリー・コートナーにも、万一の時の養育を頼んでいた。
まさか自分が、あんな死に方をするとは思っていなかっただろうが。
そしてより子供の傍にいられるということで、白石家に託されたわけだ。
そのあたりのことは、別に秘密ではない。
精子提供によって授かった子供である、ということも説明されていた。
だが父親が誰かというのは分からず、おそらくアジア系なのではと思われてはいたが、イリヤも日本の血が少し入っているため、そのあたりは分からなかった。
それでもツインズと、ケイティには伝えられていたのだ。
また、直史や瑞希も後に知らされた。
なぜ司朗がそれを知らされたかというと、問題が発生してはいけないからだ。
花音は長らく、直史の精子提供を受けて生まれたのは、という噂もあった。
これに関してはありえないな、と直史は完全に否定する。
精子提供をしたこともないし、彼はごく一時期を除いて、遺伝子を奪われるようなミスもしていない。
どこからか精子を採取する機会も窃盗する機会もなかったのである。
ここでなぜ司朗が知らなければいけないか、という話になってくる。
それは同じ屋根の下で、義理の従兄妹で赤の他人と生活すると、勘違いしてはまずいからである。
一緒に暮らしていて、万が一間違いが起こったら。
花音は司朗と血がつながっている。
これは父親である武史も、その妻である恵美理も知らず、また想像だにしていなかったであろう。
イリヤは本当は、直史の遺伝子がほしかったのだ。
だが本人に拒否されたし、違法な手段で採取することも不可能であった。
だからその代理として、直史の身近な血縁者を狙った。
そして生まれたのが花音である。
なぜ司朗と花音に、これを教えておかなければいけないのかは、言われてみれば分かることである。
兄と妹で、間違いがあっては困るからだ。
実際にどういう手段を使ったのかは、イリヤは知らなかった。
ツインズも知らされなかったが、自分たちのや司朗の遺伝子情報と比較して、確証は得られていたわけである。
聞かされた時の司朗は、確かに衝撃を受けた。
だが戸惑いの方が大きかったであろう。
そこはイリヤの執念の方が恐ろしい。
ただ司朗と花音の関係は、事実を知らされてもさほど変わらなかった。
妹のような存在であることは、ずっと変わらなかったからだ。
家の防音室で、花音はトランペットを磨いていた。
だいたいどんな楽器でも、すぐに上手くなってしまう花音であるが、トランペットは比較的苦手な楽器である。
だからこそちゃんと練習して、本番の応援では失敗しないようにするのだ。
まだ中学生の花音であるが、その音楽的な才能は、司朗もよく分かっている。
しかし母の恵美理は、簡単にコンクールに出そうなどとしたりはしない。
一番上手いピアノなどは、技術的なことだけを言うなら、まさに小学生の時代からヨーロッパのコンクールで一番になっていた恵美理が、同年代の自分よりもずっと上手いと言う。
恵美理は司朗にも少しピアノを教えたが、本人は他にヴァイオリンが専門である。
サックスやトランペットは真似事だけと言いながら、普通に上手く吹いたりする。
ジャズミュージシャンと合わせる時のために、ベースやドラムもある程度は学んだから、というのが言い分だ。
だが母の知り合いに言わせれば、恵美理もまた天才であったのだ。
そんな恵美理が表舞台には立たず、今のように指導者の立場になったのは、幼少期にイリヤの圧倒的な演奏を聴かされたからだという。
それこそ一時期は完全に音楽から遠ざかったほどの、圧倒的な挫折。
花音の才能というのは、そのイリヤに近いものがある。
彼女が表舞台に立ってしまうと、折れる才能がたくさんある、と判断したのだ。
そこで折れたらそれまで、とは自分も折れてしまっただけに、割り切れなかったのだろう。
「しろちゃん、何か用?」
明日の都大会決勝には、帝都一の大応援団もやってくるが、花音もそれに混じる予定である。
熱中症などには気をつけてほしいな、とは思っている。
「カノ、俺としょーちゃんが甲子園で対決したら、どっちを応援する?」
「う……それは……応援団が少なくて可哀想になると思うから、しょーちゃんかな」
なるほど、そういう理由で選ぶのか、と司朗は少し笑った。
花音は音楽の神様に愛されている。
司朗の下の妹である玲は、高校に入ったら花音と一緒にバンドをやるんだ、などと言っている。
上の妹の沙羅は、普通にピアノとヴァイオリンをメインで音楽の道を目指しているのだが、玲はイリヤの音楽に魅了されてしまった。
いわゆるポピュラーミュージックで、恵美理もそれを止めようとはしていない。
クラシックの家系に生まれながらも、一度その世界で、望してしまったからというのはあるだろう。
花音の才能というのは、イリヤの持っていた才能を、再構成するものである。
元々イリヤはクラシック畑の人間で、そこからポピュラーミュージックへと活動の場所を移した。
彼女ほど極端でなくても、元はクラシックをベースとしながらも、そこから他のジャンルに行っている人間は、欧米では当たり前のようにいるのだ。
花音はクラシックをベースに、日本のいわゆるJ-POPを聞いてから、欧米のジャズやブルースにEDMと興味を移していている。
他の人間の才能を、破壊してしまわないようにと、恵美理が止めていた花音。
だがそれを発散させないことで、彼女のインプットは膨大になってきている。
むしろ爆発する時期を遅らせることで、よりその爆発は大きくなるのではないか。
だが一つ恵美理が気にしているのは、相変わらず彼女が楽器演奏と歌唱を同時に出来ないということ。
別にイリヤには、そんな欠点はなかったのだ。
(ピアノとヴァイオリンは教えたけど、ギターもドラムもトランペットもサックスも、どうしてこんなに器用に……)
器用と言うよりは、万能と言ったほうがいいかもしれないレベルだ。
ただ彼女は、現物の楽器はともかく、打ち込みなどの適性は全くないらしい。
天は二物も三物も与える。
それでいて花音は、欠落した部分を持つ天才であった。
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