天才たち
第33話 敗北の糧
「負けた、という貴重な経験を積めたのは幸運だったな」
敗北して帰京後のミーティングで、監督のジンはまずそう言った。
「ほんの一部を除いて、随分と暗い顔をしているが」
俺が打たれたわけじゃないし、と開き直っているピッチャーや、わずかに攻略の可能性を見出しているバッター。
しかし常勝とまで言われた帝都一が、ここまで封殺されたのは経験がない。
だがここは負けてもいい試合であったのだ。
そもそも都大会で優勝したのだから、夏はシードをしっかり取っている。
その夏のシードこそが、本当の目的であるのだ。
東東京はチーム数こそ神奈川や大阪より少ないが、それなりに強いチームが多い地区ではある。
この10年近くは、特に夏は帝都一が強いが、それでも敗北することは珍しくない。
それだけ強く育てたのだが、勝ちに慣れてしまったら、逆境を超える力を失ってしまうのか。
あるいはより強いと思えるチーム相手には、勝てないと判断してしまうのか。
相手よりも優った部分があれば、その一点を集中して攻撃し、勝利をもぎ取っていく。
高校野球というのは本来、そういう泥臭いものなのだ。
白富東より、帝都一が明らかに大きく上回っている点。
「分かるか?」
そもそも化物が一人いるだけで、あとはアルトが帝都一のレギュラークラスかなというぐらいだ。
キャッチャーを女子がやっていることなどからも、選手の層が薄いことは間違いないはずだ。
「……削る?」
キャプテン諸星の言葉に、ジンは頷いた。
「うちだけじゃなく、甲子園では全てのチームが、そう考えてくるだろうな」
関東大会四試合に、全て昇馬は登板している。
そしてそのうちの三試合が、完投しているのだ。特に準決勝と決勝は、連戦でありながら完投だ。
普通ならこの時期の試合は、そこまでエースに無理はさせない。ましてや一年生のピッチャーなのだ。
だが早大付属、桜印、帝都一と全国制覇を目指せるレベルの戦力を揃えたチームには、エースを完投させたのだ。
試合後のインタビューでも、ケロリとしたところを見せていたが、あれすらも演技であったとしたら。
(まあ、あれは演技ではないと思うけど)
それでも夏の大会は、夏の甲子園は昇馬への負担が増えるだろう。
千葉県の大会は、七試合勝って甲子園に進める。
コールドがあるといっても、およそ二週間の間に七試合。
そこから10日弱ほどの期間はあるが、運が悪ければ六試合を行わなければいけない。
これも期間は、二週間ちょっとなる。
ただし甲子園には、コールドがない。
どこでリリーフを使うかは、かなり監督の判断が重要となる。
鬼塚は去年まで、地元のシニアチームでコーチをしていた。
その経歴などからすれば、またプロのユニフォームを着ることも可能であったろうに、アマチュアの舞台に戻っている。
それはアマチュアこそが、プロを盛り上げるために必要な土台だと、分かっているからであろう。
ただ監督としての経験と、試合の勘所を見極めること。
選手としてはともかく、指揮官としては負ける気のないジンであった。
基本的には寮もあるが、通いの生徒もいる帝都一。
司朗は家が近いため、通いの人間である。
もっとも案外電車でも時間がかかるので、すぐさま練習の出来る寮の方がいいのでは、と思ったこともある。
「ナオも大介も、普通に通いで日本一になったからな」
ジンはそう言って、司朗を寮の中に入れていない。
寮の中に入れるのは、メリットが多いように思えるが、司朗の場合はデメリットを憂慮した。
それはあまりにも隔絶した才能は、周囲の嫉妬を集めるというものである。
一年の夏から、完全に帝都一の四番であった司朗。
つまらない嫉妬など、自分のチームには無縁と思いたいジンであったが、楽観主義のキャッチャーというのは少ない。
司朗は人格的にも安定した人間であるが、その人格を育んだ環境から、あまり遠ざけたくはなかった。
それに司朗の場合は、実家にいれば武史がいる。
去年はまだアメリカにいたが、今年からはNPBに戻ってきた。
いくらプロアマ規定があるといっても、家内での会話までも盗聴できるわけではない。
もっとも武史の場合は、感覚的であるために、あまり指導という点では期待していない。
しかし武史は、能力的に言えばほとんど、昇馬の上位互換であるのだ。
「二打席目はともかく、三打席目はどうして打てなかったんだ?」
純粋に疑問といった感じで、武史は敗北を受け入れている息子に問いかける。
「コントロールを考えない、完全にパワーに偏ったストレートだったんだよ」
「そうかあ。でも慣れたら打てるとは思うけどな。プロまで来れば160km/hオーバーがそこそこいるのが、今のNPBだし」
その中でも最強の化物が、のん気にそんなことを言っている。
ただマシンで160km/hを打っても、人間の投げたボールは打てないものだ。
最新のマシンであれば、ある程度はそこさえも再現してくれるのだが。
ただ昇馬の場合は、かなりストレートにも幅があるのだ。
「じゃあ次に俺が暇になる日でも、どっかで打ってみるか?」
「いや、プロアマ協定があるでしょ」
「そんなもん、普通に冬には気にしてなかっただろ」
とても法律家の弟とは思えない台詞である。
ただアメリカでは、別に何も問題にならないことではあったのだ。
「さすがにまだしょーちゃんより、俺の方が上だと思うぞ。それに俺もローテの合間だから、本気で投げられる球数は少ないし」
そもそも直史が、真琴を通して昇馬にアドバイスをしているのは明らかだ。
司朗攻略法は、そうでもないと分からないはずだ。
生真面目な司朗は迷ったが、夏の大会まではもう短い。
東京から勝ち上がったとして、甲子園の序盤で白富東と当たった場合、まだ体力万全の昇馬と当たって、果たして勝てるのか。
ジンは色々と作戦を考えていたようだが、結局司朗には大きな役割が求められるだろう。
「万一にも、見られたら困るだろ?」
「こっからなら、SBC神奈川を貸切にすればいいだろ」
MLBでたっぷり稼いできた武史は、金を使うことにも躊躇がなかった。
かくして怪物バッターは、さらなる高みへと昇っていくのである。
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