第32話 アンニュイ

 神崎司朗は現在の高校野球におけるスーパースターである。

 どこか欧州的な彫りの深さがある顔立ちに、女性に対する紳士的な態度と、友人に対する気さくさ。

 そして去年の夏に証明した圧倒的な実力。

 春のセンバツも決めるところで決めて、さらに評価を上げた。

 ピッチャーとしての才能もかなり高いが、やはりその打力が一番であろう。

 また守備力に肩、走力も全国トップクラス。

 一番低いピッチャーとしての実力でさえ、下手な代表校のエース以上。


 そんな司朗は少し、アンニュイになっていた。

 甲子園には妹たちが祖母に連れられてきていたが、母の姿はスタンドにはなかった。

 移動の負担などを考えて、念のために今回は体調を優先した。

 ママの応援が見えなかったために、ホームランも一本しか打てなかった。

「17歳年下の、妹か弟か」

 思わず呟いたが、そこからため息が漏れる。


 司朗は自分がマザコン気味であることを自覚していた。

 父親が不在であることが多い家庭であった、というのも関係しているだろう。

 それに父は、どちらかというと友達のような距離で司朗に接してくる。

 嫌いな訳ではないし、野球選手としては尊敬もするのだが、どうにも子供っぽいところがある。

 だが今回の弟妹が出来るという騒動は、そういうレベルではなかった。

 確かに高齢出産も多くなっている今、母ぐらいの年齢で出産するするというのは珍しくないのだろう。

 誕生日が遅いので、ぎりぎり30代ではあるし。


 ただ、ちょっと下の妹たちの時には感じなかった、この感情。

 両親がセックスして生まれたのが自分である。

 当たり前のことなのだが、それに現実感があると、なんだかもやもやとした気分になる。

「分からないでもないけどさ」

 そんな精神状態で、あの数字を残したのか、と宿泊先のホテルでは司朗のメンタルが話題にもなる。


 このままならば夏の大会も、かなり期待できる。

「司朗の母親、美人だからなあ」

「PTAの合唱でピアノ伴奏やってくれたらしいぞ」

「その写真あるぞ、これこれ」

「うお! 女優みてえな人だな」

「イギリスとのクォーターだっけ?」

「え、じゃあ神崎もヨーロッパ系の血が入ってるのか」

「ただどうも、本当の親子じゃないのかとかどうとかいう話も」

「何? なんで?」

「待て待て。そういう確定しているかどうか分からないことは、あんまり広めるな」

 キャプテンが止めるが、ある程度の話が広がるのは仕方がない。




 センバツを制覇した帝都一は、ブロック予選を免除され、都大会本戦からの出場となる。

 東東京ではここのところ、覇権を手にしている帝都一。

 だが西東京は、群雄割拠とまでは言わないが、ある程度の戦力が散らばっている。

「関東大会には出たいな。神奈川からは強いの出てくるだろうし」

「そういや上杉ジュニアがいるんだったか。一年で145km/h出るんだろ」

「シニアではあんまり強いところに入ってなかったよな」

「神奈川は横浜シニアが一強だけど、去年は全国に行けなかったんだったか」

「一年、横浜シニア誰かいただろ」

 そう言われて立ち上がるのは、横浜シニア出身の檜山である。


 あの試合は、もう悪夢としか思えなかった。

「白石ジュニアのいたチームに負けました」

「ちょっと話題になってたよな。左右両投げとかって」

「150km/hオーバーはちょっと計測がおかしいと思うけど」

 高校野球の選手たちにとっては、シニアとは既に過去に通過した過去であり、高校野球とのレベル差は明らかだ。

 もちろん強豪シニアからは、高校に入っても即戦力というピッチャーが入ってきたりもする。


 ただ昇馬の噂については、あまりに荒唐無稽すぎる。

 両手投げの投手というのは、一応MLBのマイナーでは登録されたらしい。

 そのために新たなルールが作られ、日本のルールもそれに準拠して改正された。

 しかし球数制限自体はそのままである。

 なので昇馬は基本的に、疲れるまでは左で投げて、疲れてからは右で投げる、などということになるのか。


 そんなはずはない。

 ピッチャーもやっている司朗は、ピッチングは肩肘に負担がかかるのも確かだが、全体的に体力を使う作業だと知っている。

 プレートを蹴る足や、揺らぎない体幹など、全身の力を使っているのだ。

 それでも故障する箇所は、肩肘が多いのは確かであろうが。




 家に帰れば父がいる。

 去年までは年に三ヶ月ほどの、冬の出来事であった。

 もうちょっと前であれば、むしろあまり家にいない父とは、一緒に遊んでいたものだ。

 シーズン中でない父は、家族との時間にリラックスしていた。

 だが高校生になった司朗にとっては、逆に反抗期になったと言えるだろうか。


 単純にいい年をして、ラブラブな両親に違和感がある。

 そんなメンタルの状態でありながら、帝都一は春季大会を勝ち抜いていっているのだが。

 千葉と違って東京は、ブロック大会の予選からして開始が早い。

 センバツ優勝の帝都一は、そこは免除されているが。

 そして都大会本戦も、既にかなり進行している。


 白富東がこれから一回戦というタイミングで、既に準々決勝。

 夏のシードは取っているが、東京の場合は春と秋の都大会は、東西の東京をまとめて試合が行われる。

 なので夏には対戦しない、強豪の西東京のチームと公式戦で戦える。

 実際にこの準々決勝も、甲子園レベルのチームと対決している。

 それでも七回コールドという勢いで、帝都一はリードしている。


(何してんだよ、父さん)

 味方側のベンチのスタンドでは、応援団が応援している。

 その中には保護者の集まりもあり、恵美理はその中にいる。

 そしてバックネット裏、記者やただ単純に高校野球好きのおっさんが集まる中、サングラスをしたおっさんがいる。

 見る人が気づけば、すぐに武史と気づくであろう。

 もっとも恵美理と一緒にいないだけ、まだ気を遣っているのか。


(あ~、気が散る!)

 そんな司朗の本日の成績は、五打数三安打の三打点。

 投げては2イニングを無失点であった。

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