第29話 スカウト

 賢明なスカウトであれば、昇馬を獲得することのリスクは、既に理解している。

 そのスペックは間違いなく世代最強のものであるし、投打にとんでもないフィジカルを持っている。

 中学生であれば身長は既に高くても、まだ筋肉はついていないことが多いのだが、昇馬は既にその筋肉も自然な形でついているような気がする。

 チームに合致するか、というのが重要な選定の基準であるはずだ。

 だがその才能の煌きに、魅了されてしまう人間というのはいるものだ。

 そしてそこに悲劇と言うか、喜劇が発生する。


 昇馬は今、多くの日を害獣狩りをして過ごしている。

 シニアのチームは全国大会の終了で、もう引退ということになっている。

 その引退のパーティーのようなものは行ったが、昇馬は最後の数ヶ月に加入しただけの存在である。

 だが三橋シニアの選手たちにとっては、輝ける青春であった。

 あるいは高校では野球部には入らないという少年にとっては、これが最後の舞台で良かった、とまで言える。


 昇馬のような人間が、本当のスーパースターと言えるのだ。

 自分の未来に、野球で夢を見るのは諦める。

 ただ楽しむ野球が、あってもいいではないか。

 もっとも昇馬その人が、一番楽しんでいたような気もするが。


 甲子園、という単語が頭の中に浮かぶ。

 高校球児にとっては、永遠の憧れであるだろう。

 白富東の今の戦力では苦しいかもしれないが、昇馬が入ることによって下級生にタレントがそろえば、また全国制覇に届くのでは。

 それに選手層の薄い状況なら、ベンチ入り出来るかもしれない。

 勉強が出来る選手たちは、元々偏差値の高い白富東を、現実的な進学先として考えるようになった。


 そんな中で、昇馬に来客がある。

 高校のスカウトは普通、鬼塚や鶴橋のところで止められて、日中から山の中に入っている昇馬にはなかなか会うことすら出来ない。

 鬼塚は現在、シニアのコーチの引継ぎで忙しいということもあった。

 昇馬を見ていて分かったのは、良くも悪くも特別扱いしなければ、昇馬という戦力はチームの中では活かせない。

 高校野球の監督になる。

 またシニアとは違った、大変なステージに突入するのだと、分かっていた。


 直史と大介が、それぞれの仕事で忙しい今、二人の子供を預かるということは、とても重要なことだ。

 そのための体制作りをしていたため、直接昇馬を訪れるスカウトまでは、手が回らないというのはあった。

 そもそもの話をするなら、別に昇馬に話をするだけなら、悪いことでもないはずなのだ。

 実際に会って話してみれば、これは高校野球では許容できないと、分かってくれるだろう。

 そう鬼塚が考えたのは、自分もまた白富東以外では、受け入れられなかったであろうことが分かっているから。

 ただスカウトというのは、本当に才能に目が眩むものなのだ。

 そこを甘く見ていた、というのはあるだろう。




 今日も元気に鹿を棍棒で叩き殺していた昇馬は、それをかついで沢にまで降りていた。

 さっさと冷却しなければ、匂いがついて肉の味が落ちてしまう。

 実際のところは、わざと野性味をを残すという場合もあるのだが、それはそういう専門店で使うものである。

 法に則った処理施設で処理しない昇馬としては、この鹿は知り合いに配るか食肉以外の用途に回すしかない。 

 せっかくなのだから食べてやりたいと思うのが、命を奪う昇馬としての感性である。


 そんな昇馬なので、近づいてくる気配には気づいていた。

「驚いたな。ここでもう解体するのか」

 川に張り出した太い枝に鹿を吊るし、内臓を抜いてしまって川につける。

 その作業中に中年の男はやってきた。

「しかも随分と手馴れている」

 昇馬に向けて言われているのは分かるが、肉の処理が先である。

 そしてその男は、昇馬の作業が終わるのを待っていた。


 鹿を川の中に安置し、昇馬は上がる。

「このままにしておくのかい?」

「少し冷やしてから持って帰るから、その間ぐらいは話を聞こうと思って」

 そう言うと男は、嬉しそうに笑った。

「分かってると思うけど、私は高校のスカウトでね」

「俺はどこの強豪に行っても浮くから、公立で我慢しろってのが親とか伯父さんの言い分なんだけど」

「けれど君は、直接目にしたわけじゃないだろう?」

「それもそうだけど、別にどうでもいいことだし」


 昇馬の高校野球に対する感覚は、アメリカ人が大学のカレッジスポーツに向けるものと似ている。

 あちらは高校までは、全米レベルの大会というのはなかなかないものなのだ。

「一度見てみたくはないかね? 日本の高校野球、最高レベルの環境というのを」

 アメリカのカレッジベースボールに比べればたいしたことないのであるが、それをそのまま言ってしまわないあたりの優しさが昇馬にはあった。

「そういえばおっちゃんの学校ってどこなの?」

 それすらも聞いていなかったことに、今さら気づいた昇馬であった。




 名刺を受け取った昇馬は、こういう場合には母親に相談することにしている。

 正確には母親ではないのだが、自分を産んだ人ではなくても、桜のことは母親であると思っている。

「つーわけで名刺なんてもらったんだけど」

「ふ~ん、日本の高校野球は昇馬には合わないと思うけどね」

 桜としてもそれは間違いないな、と確信している。


 昇馬は何度もそう言われるが、実際にそれを見る機会などは、マンガの世界ぐらいしかない。

 シニアのチームにしても、三橋シニアはかなりゆるいチームだと言われていたのだ。

 アメリカでも野球はしていた昇馬だが、シニアチームは似たような感覚であったと思う。

 それが高校野球になると、変わるというわけか。

「白富東なら大丈夫なのに?」

「あそこは変わってるから」

 変えた人間の一人である桜の言葉だが、昇馬としては比較ぐらいはしてみるべきでは、と思うのだ。


 西東京の、かなり山側にある、新興の強豪である興和高校。

 それが昇馬に渡された、コーチの名刺であった。

 コーチであると言いながら、実際にはスカウトが主な担当でもあるのだとか。

 条件としては何も聞いていないが、場所からして入学すれば、当然寮に入るなり一人暮らしということになるだろう。

 昇馬としては一人暮らしでも、別に問題はないと思っている。

 ただここではまだ、興味が湧いただけであるのだ。


 昇馬には何が合わないかというのは、桜は詳しく説明しようとしない。

 そもそも合う部分がないとさえ言えるであろうからだ。

 その点では白富東なら、自由に行動することも出来るだろう。

 他にもいいチームはあるのかもしれないが、それでも根本的に昇馬には合わないはずだ。

「気になるなら見てくれば? あんたならちゃんと断れるだろうし」

「それはそうだけど、行くなら電車を使うんだよな」

 日本の電車事情には、正直げんなりとしている昇馬である。

 ラッシュがどうとかではなく、単純に構造が複雑すぎて分かりにくい。

「誰かに頼んで一緒に行ってもらったら?」

 その誰かに自分がなるつもりはない桜であった。

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