第27話 渦の中心

 横浜シニアの選手たちの中には、野球を辞めたくなった者もいた。

 当たり前だ。あれはもう、災害のような逃げられない存在である。

 とにかく打つのも投げるのも、中学生のレベルはおろか、アマチュアのレベルでないとさえ言える。

 もう高校を卒業したら、そのままMLBに行ってしまえばいいんじゃないかな、というレベルである。


 試合後に整列して握手をした後、横浜シニアの選手数人は、それでも昇馬に声をかける。

 昇馬はマイペースな人間ではあるが、別に他人を拒絶するような雰囲気は持ってないのだ。

「なあ、高校ってどこ行くかもう決めてるの?」

 同じ学年であれば下手をすると、こいつのせいで三年間甲子園に行けない可能性すらある。

 気にするのは当然のことであるし、あるいは今からでも進学先は変えなければいけないかもしれない。

 逆にこいつと同じチームになれば、最低でも一度は甲子園に行けるだろう。

 多くの才能と切磋琢磨しあう横浜シニアの選手の中でも、それぐらいに昇馬は別格であった。


 昇馬としては別に、これは隠すようなことでもない。

「白富東に行く予定だけど」

「え?」

「ん?」

「あれ?」

 どこかで見たか聞いたぞ、その名前。

「あの、昔甲子園春夏四連覇した」

「そうそう、親父の母校」

 伝説のチームではある。

 そもそも数年間の間に、何人のメジャーリーガーを輩出したことか。

 ただこの数年は、県内の強豪、という程度のレベルに落ち着いている。

 なんでそんなところに、というのが野球ガチ勢の思考であろう。


 昇馬は甲子園というか、高校野球を理解していない。

 もちろんこれまでに何度も帰国しているので、ある程度の知識はある。

 だが日本にいるのは冬の間だけであるし、この数年はそれもなかった。

 だからアメリカ基準で考えると、大きな大会は大学以降になるのだ。


 もちろんアメリカのハイスクールでも、国際大会のためにメンバーが集められたりすることはある。

 だが広大なアメリカ大陸においては、全国規模の大会となると、カレッジ以降の話になるのだ。

 ハイスクールの時点でドラフト指名される選手もいないではないが、おおよそはカレッジの途中で指名され、大学を中退してまずはマイナー契約するというのが一般的だ。

 そのため昇馬の感覚では、高校野球はまだ、楽しむためのものであるのだ。

 そして大学にしても、まだ野球でその生活を埋め尽くすということなどはない。


 こういった昇馬の常識を、横浜シニア選手たちは知らない。

「甲子園、行くの難しくないか?」

「ああ、俺この間までアメリカにいたから、甲子園とかよく分からないんだ」

 これは本当のことではある。


 これだけの才能を持っていて、甲子園への執着が全くない。

 それどころか野球に対する執着さえも、あまり持っていないのかもしれない。

 実際にそれはそうで、昇馬の考えはかなりアメリカナイズされており、無理に甲子園を目指すことはないし、また将来もそう決めているわけではない。

 野球に限らずスポーツの世界にさえ、進むかどうかも考えていないのだ。


 こいつは間違いなく怪物である。

 怪物と呼ぶに相応しく、敵になるのか味方になるのかも分からない。

 ただ純粋に、天災にさえ近いと思えるような、圧倒的な力のみがそこにある。

 それを横浜シニアの選手たちは、感じていたのであった。




 優勝候補であった横浜シニアが、関東大会で消えてしまった。

 この段階での敗退は、敗者復活戦にさえ進むことが出来ず、夏になる前に最後の試合が終わってしまったことになる。

 そしてこの試合を見ていた高校のスカウトたちは、例外なく大きく動くことになる。

 横浜シニアをパーフェクトに抑えるピッチャーなど、全国を見ても他に一人もいるわけがない。

 父親譲りのバッティングと、伯父譲りのピッチング。

 そんなとんてもない怪物が、まだ進路を決定していないのだ。


 もちろん昇馬は、普通に白富東に進学するつもりである。

 周囲がいくら騒いでも、本人にはあまり思い入れはない。

 ただ両親がよく、甲子園の話はしているので、行けるものなら行ってもいいかな、というぐらいに思ってはいるが。

 考えてみれば今年の夏は、日本にいるのだから、テレビで見るなり現地に行くなり、観戦は出来るであろう。

 父も関西にいるのであるし。


 大変になるのは、チームの監督である鶴橋や、コーチの鬼塚である。

 ただ今の時点では、まだ関東大会の途中であるため、あまりしつこい接触はしてこない。

 それでもこの横浜シニアとの一戦以来、一週間もしない間に、100校以上の学校から、特待生の誘いが来たのであるが。

「う~ん……」

「悩むことなんでねえだろうがよ~」

 鬼塚に対して、鶴橋は気楽そうに言う。

「わざわざ地元を離れてまで、野球のために学校行くなんてないって」

 中学の教育課程を終えている昇馬は、こうやって平日に、ロッカールームに隣接した小さな事務室に顔を出している。


 鬼塚の悩みは、いや、これは悩みとは言えないのかもしれないが、昇馬の進路を考えてのものだ。

 自分の場合はどこからも声がかからなかった。正確には声がかかっても途中で立ち消えた。

「悩むことなんてないけどね」

 本日は保護者として、椿も一緒に来ている。




 噂には聞いていたが、怪物と言われていた怪物は、より詳しく言うなら大怪獣であった。

 全国各地の強豪校は、それはもう凄い勢いで、昇馬の獲得に乗り出している。

 この素質を手に入れれば、一気に甲子園への道は開ける。

 逆に他のチームに行けば、巨大な障害になることは間違いない。


 ただ、椿が一番分かっていることだが、昇馬は野球に対してまだ、そんなに執着心を持っていない。

 私立の強豪などに行っても、体力的にどうとかではなく、精神的についていかないだろう。

 ついていけないのではなく、ついていかないのだ。

 現在も強豪私立は、野球漬けの毎日を、選手に送らせている。

 昇馬にとって野球は、エンジョイするものであって青春全てを賭けるようなものではない。

 それが他の者から見れば、余計に腹立たしいのかもしれないが。


 この騒動は、三橋シニアが全国大会出場を決めた後、よりいっそう加速する。

 全国大会は、集中して行われるが、それまでに少しの時間があるのだ。

 そしておそらく、三橋シニアは全国制覇までは出来ない。

 なぜなら球数制限というものがあるからだ。


 週末に行われていた地区予選と違い、全国大会は連日で試合が行われる。

 エースクラスが二人いないと、優勝は出来ないのだ。

 真琴も充分に全国クラスのピッチングは出来るが、それでもトップクラスと比べれば落ちる。

 おそらく準決勝までが、進めてもいいところだろう。

 二人以外のピッチャーでは、とても勝ち進めないことは分かる。相手のピッチャーが全て昇馬と対決してくれるなら、また話は変わってくるだろうが。


 全国大会が終われば、どうしても昇馬を欲しいと言ってくるチームが、必ずあると思う。

 そこまではどうでもいいのだが、昇馬が毎日野球の練習などするであろうか。

 しない。それは断言できる椿である。

 あれだけの素質を持ちながら、などとは思わない。

 結局モチベーションが高くなければ、人間は大成しない。

 また昇馬を野球ガチ勢に混ぜるのは、危険であろうと椿は分かっている。




 大介と桜にも相談したが、意見は同じであった。

 特に大介には、はっきりと分かっている。

 昇馬は野球好きであるが、野球馬鹿ではない。

 負けず嫌いという要素はあまりなく、自然の前には人間は無力だ、という達観がある。

 いまだに上下関係のある日本の野球界に入ってしまったら、むしろ害悪になるだろう。

 もちろんその素質が傑出しているのは認める。

 だが昇馬には、同年代にはライバルがいない。


 チームとして負けたとしても、昇馬自身は負けないだろう。 

 上杉に似たようなところはあるが、昇馬は誰かに見上げられる孤高の存在ではなく、人間社会から遠ざかった孤独を好む。

 表面的には全く似ていないが、直史に似ているところがあるのでは、とツインズなどは思っている。

 大介としてはここから、わずかな怪我一つで、選手生命は失われると分かっているため、野球はほどほどでいいだろう、と考えている。

 もちろん将来、プロの道を志望してもいい。

 まだ可能性は、いくらでもあるのだから。

 昇馬はようやく今年、15歳になる。


 甲子園の権威が巨大すぎるという問題。

 昇馬にそれは通用しない。

 外国人であっても、日本の高校野球、甲子園という舞台が特別だと、知っている人間は少なくない。

 だが昇馬はそんなもの、なんとも思っていないのだ。

 どこでやろうが、野球は野球。

 プロでないならば、どれだけ楽しめるかが重要であろう。


 


 この夏の全国大会、三橋シニアは創立以来最高となる、全国大会のベスト4まで勝ち進んだ。

 しかしそこで、ピッチャーの枚数が切れてしまった。

 だがそこに至るまで、昇馬は48イニングを投げて無失点。

 パーフェクトこそもう達成しなかったものの、二度のノーヒットノーランをそのキャリアに追加。

 各地の強豪校は、昇馬の抱える精神的な問題を理解しながらも、その獲得に全力を尽くすことになる。

 そしてそこで、またしても事件は起こる。

 文化の違いと言うよりは、昇馬が昇馬であるがゆえに、起こった出来事と言えるであろう。

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