第26話 暴力の渦

 残り3イニング三点差。

 バッターは四番からであるので、一人でもランナーが出れば、あと一打席さらに回ってくることになる。

 横浜シニアの九鬼は、間違いなく世代トップクラスのバッターだ。

 そのスイングは三橋シニアのバッターに比べれば、スイングスピードがまず圧倒的に違う。

 ただ昇馬としては、自分自身とは比較するのが難しい。

 もしも自分自身が、ピッチャーとバッターとして戦えば、勝つのはおおよそピッチャーの自分である。

 そのあたりを基準にして、九鬼の実力はどの程度と見積もるべきか。


 投球練習は終わった。

 左肘の痺れは収まってきたが、まだ違和感は残っている。

 ここから一球でも投げれば、同じバッター相手にはもう投げる手を変えることは出来ない。

 そんなルールが存在するのだが、昇馬はアメリカで遊ぶ場合、交互に投げる手を変えてくる母親と対決したりもした。

 球速はともかく他の部分では、桜のピッチングは今日の相手よりも優れている。

 なので比較的、打つのも楽ではあったのだが。


 バッターボックスからこちらを見つめる九鬼。

 真琴は何もサインを出さず、ただミットを構えるのみ。

(そんじゃやりますか)

 プレートに足を置いた昇馬は、大きく振りかぶった。

 ワインドアップ投法である。


 現在においてワインドアップで投げるピッチャーは、一割以下と言われている。

 パワーの伝達系を詳細に分析していけば、セットポジションで充分という結論は出ている。

 そもそもランナーがいれば、セットポジションから投げざるをえない。

 ならば普段からセットポジションで投げておくべきだ、という理屈にもなる。


 だがワインドアップにも、優れた点がないわけではない。

 モーションを大きくすることで、各メカニックの動きを自分で確認するのだ。

 そして大きく振りかぶった昇馬は、体を大きく捻る。

 背番号がバッターに見えるようなフォームから、投げられたボール。

 それはほぼど真ん中に投げられて、そしてバッター九鬼はスイングすることも忘れていた。




 ボールをキャッチした右手が痺れる。

 真琴は痛みを我慢しながらも、昇馬に対して返球する。

 右で投げても球威の衰えはほとんどない。

 むしろ狙っても打てないという意味では、左以上のストレートと言える。

 しかしキャッチャーはたまったものではない。


 ストレートしかないのだ。

 計測したとき、MAX154km/hだったストレートが、ほんの少し動くのだ。

 ムービング系と言うには、ほとんど動かないときもある。

 なので逆に、しっかりとキャッチしないと指がえぐられる。

(けれどこれなら!)

 高めのボール球を空振り三振し、九鬼の二打席目が終わった。


 荒れ球というには、かなりゾーン内には入っている。

 ほぼど真ん中を狙ってなげれば、ほどよく散ってくれるものだ。

 そして左がピッチャーとしてのピッチングだとすれば、右は野生そのままのもの。

 ピッチャーと言うよりは、槍投げをするような感覚で、ストライクばかりを投げていく。


 二球目のストレート、そして三球目のストレートと、九鬼は空振り。

 これで二打席連続の三振である。

 一打席目とは全く意味が違う。

 利き腕ではないのに、打てないボール。

 140以上は絶対に出ている。150出ているとは思いたくない。


 表情が強張った九鬼がベンチに戻ってくる。

 これに対して何か、声をかけてやることが出来ない。

 横浜シニア側のベンチは、小さな囁きと沈黙の二つに分かれている。

(トルネード……)

 現代においては、さほどの意味もないと言われている個性的なフォーム。

 だが特徴的なフォームというのは、それだけで標準から外れる。

 標準から外れたボールというのは、確かに打ちにくいものなのだ。


 続く五番はボテボテの内野ゴロを打ち、六番は空振り。

 ボール自体の球質は、確かに左の方がいい。

 だが荒ぶる魅力というものが、この右には備わっていた。




 これで残り2イニング。

 だがベンチに戻ってきた昇馬は、少し疲れた様子を見せていた。

 左ならば普通に、完投できるのが昇馬の体力であるが、さすがに右で投げるというのは、精神的に疲労する。

 なのでベンチ前では、またも左でのキャッチボールを開始する。


 大丈夫なのか、と鬼塚はもちろん心配である。

 それを確かめているのが今なのであるが。

 肘の痺れはなくなってきていた。

 凡退して戻ってきた真琴に、ピッチング練習を開始する昇馬。

 その状態は、見る限り回復しているようであった。


 鬼塚としても鶴橋としても、ここは難しい場面である。

 二人の価値観からすれば、本来なら真琴に交代するか、それでなければ右で投げさせ続けるべきであろう。

 まだ未来のある選手には、万全の注意をするべきだ。

 それは分かっているのだが。

「うし、なんとかいけるわ」

 昇馬自身が、そんなことを軽く言ってしまうのである。


 そう、昇馬は別に、この試合に思いいれもない。

 チームメイトたちにも愛着はなく、アマチュアの試合で負けることを恥とも思わない。

 ある程度は負けず嫌いではあるようだが、それよりは楽しむことを重視する。

 なので彼がいけると言うなら、本当にいけるのだろう。

「コントロールが狂ったり、一人でもヒットを打たれたら、そこで交代させるぞ」

「まあ、あと六人だしいけるでしょ」

 昇馬はそう言った。

 だが、あと六人で終わらせてしまえば、パーフェクトになるのである。




 結局この日の昇馬のピッチング内容は、打者21人に対して投球数70球、奪三振16個、無安打、無四球、ついでに無失策。

 つまりパーフェクト達成であった。

 試合を見ていた名門高校のスカウトたちは、目の色を変えることになる。

 ただのパーフェクトではなく、この奪三振能力の高さ。

 さらに言うならサウスポーであるのに、右で投げても三振を奪えるという能力。


 スイッチバッターではなく、スイッチピッチャー。

 しかも投げるだけではなく、打つ方でも軽がるとホームランを打つ。

 どんな名門校に行ったとしても、一年の夏からいきなり、ピッチャーで四番を打てるような逸材。

 これに目をつけないというのは、スカウトとして失格である。

 もっとも鶴橋も鬼塚も、昇馬の進路について、何もアドバイスをすることなどなかったのだが。


 大会はまだまだ続いていく。

 だがこの横浜シニアとの試合が、昇馬という存在を知らしめる、最大の舞台となったのであった。

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