第24話 絶望

 誰かどうにかしれくれ。

 それが横浜シニアの、監督やコーチまで含めた、全員の意見であったろう。

 二巡目に入った横浜シニアは、出塁率の高い一番の檜山が、またもあっさりと三振を奪われた。

 さほど左右の角度をつけていないサウスポーなのだが、それでも左打者には打てないらしい。

(ゾーンにばかり投げている。チェンジアップに絞れば打てるのかもしれないが……)

 島田はそれでも、初球からスイングのサインを出す。


 このピッチャーから残り4イニングで三点を取る。

 それが難しいことは、充分に分かりきっている。

 試合は負けだ。それはいい。

 重要なのはその後のことだ。


 今のスタメンは多くが三年で、既に進学先が決まっている。

 この試合の結果を見ても、それが覆されることはないだろう。

 ただ選手たち自身は、どう思うのだろうか。

 高校進学からの甲子園、だけを考えているメンバーはむしろ少数だ。

 今時はシニアの段階でも、さらにその先を考えている人間は少なくない。

 主力となる選手たちは、プロをある程度視野に入れている。

 そんな選手たちが、プライドとかそういういらないものではなく、野球に立脚した自我を破壊されようとしている。


 まさか、とは思う。

 まさかとは思うのだが、このまま誰も打てなかったとしたら。

 それは監督である自分にとってさえトラウマだ。

 現役でこれから、地方大会や甲子園で戦わなければいけない選手たちには、どれほどの傷跡を残すか。


 そう思っていた。

 そこで二番、三船の初球。

 ようやくこの試合で初めて、昇馬のボールにバットが当たった。

 しかもそれは前に飛び、内野への小フライとなる。

 わずかに前進した聖子がキャッチするが、それでも味方ベンチからは、安堵のため息が聞こえた。

 その同じ音は、自分の口からも漏れていた島田である。




 やっと当たったか、というのが昇馬の正直なところであった。 

 当初の予定では、一応日本一のチームであるらしい横浜シニア相手には、全力を出すつもりであった。

 だがここまででまだ、使っている手の内は半分まで。

 もっとも出来ることなら、隠しておいてもいいだろうとは思っていた。

 それに少しは前に飛ばしてくれた方が、球数も少なくなるだろう。


 内野や外野に飛んで、ある程度は野手を動かしてくれてもいい。

(全力を出すのはちょっとまずいしな)

 主にボールを受ける、真琴の腕が。

 この試合でしばらくは終わるならばいいが、まだトーナメントの途中なのだ。


 三番バッターの甲斐は、初球を見逃したものの、二球目はファールが後ろに飛んでいった。

 さすがに二巡目と言おうか、ただストレートをここで二球続けている。

 チェンジアップあたりを投げればいいかな、と昇馬は考えたりもする。

 だが真琴の出すサインは、ツーシームである。


 昇馬としては別に文句はない。

 そして投げられたツーシームは、内角に決まる。

 スイングをせーの、というタイミングでしていた甲斐は、そのまま空振り。

 ようやく連続三振記録は途切れたが、初球を打ってくれたおかげで、投げる球数自体は減らすことになった。

「次は四番かあ」

 この回に三打席目が回ってくる昇馬としては、バッティングの方も考えないといけない。

 二打席連続でホームランを打った自分に、普通に勝負してくるとは思わないが。

「次はどっちで打つの?」

「右に交代したし、普通に左でいいだろ」

 真琴との会話を見ていると、奪三振が途切れた昇馬に、気負いらしいものは全く感じられない。

 鬼塚の目から見ると昇馬は、この試合をほどよい運動程度に思っているのではないか。


 シニア時代の上杉が、こういうものであったと聞いたことがある。

 もっともキャッチャーが全力投球を捕れなかったので、実際はそこそこ打たれていたらしいが。

 それを考えると、いくら慣れているとはいえ、真琴がここまでキャッチング出来ていることが、むしろ驚くべきことではないか。




 あっさりとツーアウトになり、そして昇馬の第三打席。

 念のためにエルボーガードなども付けた昇馬が、左打席に入る。

 マウンド上の大沢としては、さすがに緊張はする。

 右でも左でも、矢口からホームランを打っている、スイッチスラッガー。

(化物……)

 大沢の年代からすると、昇馬の父である白石大介は、MLBの大スターというイメージが強い。

 もちろんNPB時代の映像もたくさん残っているが、それでも身近な存在とは言いにくい。


 それでもいくらでも、データとしては存在する。

 プロ入り以来全ての年で、50本以上のホームランを打っている化物。

 NPBでは最高で、二試合に一本の割合で、ホームランを打っていたのだ。

 球速だけでピッチャーとしての脅威が強調されていたが、むしろ本質は強打者ではないのか。

 そう考えればさすがに、初球から勝負していくことは出来ない。


 アウトローに大きめに外す、つもりであった。

 いやそこそこ大きくは外したのだ。

 しかし左打席の昇馬は、右打席に比べれば、かなり小器用なのである。

 倒れこみながらも、腰の回転だけでバットを振る。

 外角のボール球を、バットの先端近くで打つ。

 その打球はライナー性ながら、スタンドに突き刺さった。

 ただしレフト側の、ポールのほんの少し外に。


(なあ!?)

 なんであんな体勢から、あそこまでボールが鋭く飛ぶのか。

 飛ばした昇馬としては、金属バットなら飛ぶだろう、と思うしかないのであるが。

 父と違い、昇馬にはそこまで、バッティングの才能はない。




 マトモに勝負すれば打たれるのを感じる。

 だがそれでも、島田は申告敬遠などはしない。

 ここで打たれたとしても、それはそれでいい経験になる。

 同年代で、これからも同じ舞台で戦っていかなければいけないのだ。 

 ならば挫折するなら、早い時期にそれを体験していた方がいい。


 内角にしっかりと投げ込むのだ。

 長い腕から、あそこまで外のボールは打てるのだから。

 ならば遠心力がかからない、内角のボールで勝負する。

 強く腕を振って、内に投げろ。


 キャッチャー三船は島田からの指示通り、内角にミットを構える。

 大沢は引きつりながらも、ここで勝負を避けない選択をする。

(際どいところ、いっそのことぶつけるぐらいに、強く腕を振る!)

 そして投げられたボールは、想像以上に力が入っていて、完全な内角のボール球であった。


 昇馬はそれを避けようとしたが、上手く避けきれない。

 ならば上手く、右腕のエルボーガードで弾く。

 そう思ったのだが、力の入った大沢のボールは、ナチュラルにわずかながらシュートした。

 エルボーガードにかすったため、そのボールの軌道はわずかに変わる。

 そして昇馬の利き腕、左の肘に激突した。


 硬球のボールである。それがプロテクターのない利き腕に。

 さすがの昇馬もバットを落として、その場にうずくまった。

 審判からは当然ながら、テイクワンベース。

 そして大沢は、自分が相手のピッチャー相手に、そんな危険なボールを投げたことに、今更ながら気がついたのであった。


 昇馬は治療のためベンチに戻り、臨時代走が出る。

 その治療のための時間を確保すべく、聖子はあえて打つ気は見せない。

 コントロールを乱した大沢は、フルカウントからようやく、聖子を内野フライに打ち取ることに成功。

 だがその顔色は、蒼白なままであった。

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