第22話 当たらないボール
将来プロで食っていくことを考えれば、どの時点から始めなければいけないか。
これはもちろん、人による、としか言いようがない。
やはり甲子園で活躍すれば、高卒プロ入り、あるいは野球名門大学や社会人への進路が開ける。
ただ今の主流は、やはりシニアの時点で名門を選ぶ、ということだろう。
シニアにとて名刺となるのは、野球名門校への進学実績と、プロ野球選手の輩出実績。
重要なところはシニアの監督は、基本的には進学のための実績作りとして勝利を求めるのであって、勝利を最優先にはしない。
アマチュアの中でも、そのあたりの優先順位ははっきりしているのだ。
そして二回の表、三者凡退で二回の裏がやってくる。
(早いな)
鬼塚はこの試合が、随分とハイペースであることに気づいている。
昇馬はストライクで三球三振ばかりであるし、対する矢口も早いカウントで昇馬以外は凡退させた。
昇馬に次ぐ打率を誇る真琴と聖子が、矢口相手だと機能しないのが痛い。
だが今はとにかく、一点を守るのだ。
この回、横浜シニアの先頭は、四番の九鬼から。
これまた高校は特待生で、地元の強豪校への進学が決まっている。
シニアのピッチャーのスピードと、中学生の筋力でありながら、普通にスタンドに放り込む怪物と言われている。
(だけどまあ、事故でも起こらない限り、問題はないか)
気になるのは、サウスポーに対してもそれなりに対応出来る、右バッターというところだが。
昇馬はベンチにいる間に、自然と水分補給などは行っていた。
汗すらかかず、というわけではない。スタミナがないわけではないが、日本のこの時期の暑さには慣れていないのだ。
もしも昇馬に弱点があるとすれば、その環境の問題ぐらいであろう。
日本の夏の湿度は、この時期でも既に相当のものであるのだ。
世代屈指のスラッガーに対しても、特に昇馬にはプレッシャーなどかかったりはしない。
むしろ相手の方が、緊張感を表情に出している。
ここまで三者三振どころか、一度もバットを振れていないのだ。
その異常性には、さすがに気づいている。
打てるものなら初球から振っていく。
そういう強い気持ちは持っているが、基本的には初球は見ていこう。
キャッチャーをやっている真琴としては、そんな心理もちゃんと分かっている。
(まあ初球はど真ん中で)
ここまで全然振ってこない相手に、昇馬は文句もなく頷いた。
バッターの九鬼は、低いと感じた。
だがミットに収まったのはど真ん中であり、コールも当然ながらストライク。
(伸びてるっていうか、完全にホップしてないか?)
もちろん目の錯覚である。
そして確かにボールのホップ成分も多いが、それだけが理由ではない。
二球目、真琴のサインにそのまま昇馬は頷く。
ど真ん中のコースに見えたボールを、ようやく九鬼はスイングする。
だが打席の手前で、ボールは消えたように見えた。
ミットに収まった音は、高めに入ったもの。
一応キャッチャーからは、ちゃんとボールは見えているのだ。
それよりも真琴は、違うところで感心していた。
(ちゃんとスイング出来るんだ)
そう、横浜シニアのバッターがスイングしたのは、これがこの試合では始めてであった。
バットにボールは当たらなかったが、それでも打ちに行こうという姿勢は見えた。
完全に高めに、スイングは離れていたが。
三橋シニアの打線陣で、最初から昇馬のボールを振っていけたのは、本当に少なかった。
しかもこれは試合で、一応は組み立てもしっかりとしている。
いや、横浜シニア相手に、圧倒している昇馬の方が異常なのか。
真琴はここで、初見の球種を要求する。
投げられたボールは、どうにか目で追える。
バットを出してまずはミートと考えた九鬼であったが、ボールはやはり消えた。
その軌道がわずかに、残像のように残っていた。
(シュート? いや、ツーシームか?)
どちらにしろ、全くバットが届かなかったのは間違いない。
三球三振で、横浜シニアの四番を打ち取った。
この時期、プロのスカウトは最後の夏に向けて準備をする、高校生の様子を見るのに忙しい。
だがそれでも、時間を作って見に来るような、熱心なスカウトもいる。
「大田さん」
声をかけられた鉄也は、そこに他球団の商売敵の姿を発見した。
「田口か……」
大阪ライガースの若手ながら、それなりに実績を残しているスカウト。
「バックネット裏にいないのは、珍しいですね」
「あっちは何球団来てるんだ?」
「僕らの他に六球団ですね」
「それはあの三人も含めてか?」
鉄也の視線の先には、逆側のスタンドで試合を見ている、確かに関係者らしい姿があった。
「あれ、高校じゃないんですか?」
「何人かはそうだが、三人はMLBだぞ」
その鉄也の言葉に、田口の表情が固まった。
「MLBが、中学生にですか?」
「そういう時代っていうか、それだけの素材なんだよ」
まったくもって、競争相手が多すぎる。
ただMLBのドラフトについては、日本球界との話し合いが、何度も行われてはいるのだが。
「それで、何の用だ?」
「いや、いつもはバックネット裏で見てるのに、今日はどうしてかなって」
「選手を見るなら、いろんな角度から見ないといけないだろ」
そうは言うが鉄也は、何も機材を持ってきていない。
「ガンで測ってましたけど、最速152km/h出てましたよ」
「まあそれぐらいは出るだろうが、単純にスピードの問題じゃねえだろ」
そう言っている視線の先で、またも三振に打ち取られる。
鉄也は散々怪物と言われるピッチャーを見てきたが、中でもこの得体の知れなさは、上杉にも匹敵するのでは、と思わされる。
今更この程度ならば、見るまでもない。
味方のエラーか事故の一発がなければ、この試合は1-0で勝てるだろう。
「でも横浜シニアの選手って、150km/hなだけなら打ちますよね?」
六番も三振して、この回もランナーなし。
「大田さん、怖いことに気づいてしまったんですが」
「ああん?」
「ここまで全部、三球三振ですよね?」
「それどころか一度もバットにボールが当たってないぞ」
チェンジアップを除けば、変化球を投げたのすら、おそらくあの四番への一球だけである。
「今の時点でプロに来ても、それなりに通用するんじゃ……」
そう言いかけて、鉄也は思い出す。
そしてスマートフォンを取り出し、確認を始めた。
「どうしたんです?」
「うるせー」
確かに同じ仕事ではあるが、球団が違う以上は明確に敵である。
そんな相手に対して、鉄也が情報をぽろぽろ流してやる必要はない。
確認して安心したと言うか、こんな確認をしなければいけないのかと驚いたと言おうか。
(MLBは中学生はドラフト対象じゃないんだな)
過去にNPBは、中学生をドラフトで獲得したことがある。
もっともそれは、結果的に失敗であったと言うしかないが。
三回の表は、ツーアウトからでも昇馬の二打席目が回ってくる。
第一打席は見事にアウトローを打たれたが、三年後のドラフトに入ろうと思うなら、矢口はここでしっかりと勝負をしなければいけない。
今の時点ではまだ、未完成であるのだ。
もっともその成長途中であるというのは、昇馬にも当てはまることなのだが。
NPBのスカウトとしての鉄也は、中学生の段階で昇馬を指名するというのも、考慮に入れるべきか、と考えたりする。
ただせっかくプロアマ協定とは別のところで、中学生の昇馬とは話せるのだ。
(だけどこいつ、中学校はアメリカでもう卒業してるんだよな? NPBドラフトの対象になるのか?)
鉄也の心配は杞憂であるのだが、彼はまだそれを知らない。
そしてグラウンドにおいては、初球で矢口のスライダーにのけぞってしまった昇馬が、右打席に移動していた。
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