第21話 攻撃的ピッチング

 一回の表、三橋シニアは昇馬のホームランで先制。

 だが二番の聖子は内野ゴロに倒れ、三番の真琴の打席である。

 ここまで三人連続で、左のバッターが並んでいる。

 そして難しいコースをカットする真琴に対して、本日初めてのスライダーが投げられた。

(当たる!?)

 腰を引いたが、大きく曲がったスライダーはゾーンの中でキャッチされる。

 見逃し三振でツーアウトである。


 見事なフロントドアのスライダーである。

 ちょっとこれまで、試合で対戦したことはない。

「打てないか?」

「そうでもないですけど、難しいことは確かです」

 このあたり真琴もやはり、負けん気が強い。


 当たると思ったコースから、確実に曲げてきた。

 だがこのボールは真琴にとって、そこそこ見慣れたものではある。打てなかったが。

「左バッターはストレート狙いが基本になると思います」

「ただコントロールも良さそうだなあ」

 聖子も内角いっぱいのストレートを打って、完全に詰まらせられていた。


 あのスライダーを打つならば、小手先の技術だけでは不充分だろう。

 自分だったらベース寄りに立って、少しでも投げにくくしていくな、と考える鬼塚である。

 しかし三橋シニアのバッターの中で、あのボールを相手にそんなことが出来そうなのは、ごく一部しかいない。

(真琴と聖子なら、さすがに相手も投げにくいかもしれないけど)

 女にぶつけたら男の恥である、という感覚ぐらいはあると思う。


 色々と考えていたが、一回の表は昇馬のホームラン一本でおしまい。

 それでも充分な先制打とは言えるであろう。

「さて」

 マウンドに登った昇馬は、構える真琴のミットに向かって、軽くストレートを投げ込む。

 そして最後にツーシームを一球。

「なんとかなりそうか」

 今日の調子はほどほどであるらしい。




 横浜シニアの一番バッター檜山は、俊足巧打の一番である。

 監督からの信頼も厚い先頭バッターであるが、さすがにこの試合は指令を出されていた。

(人間の投げる150km/hか)

 マシーンで一応、スピードだけには慣れてきている。

 またタイミングの問題などもあるが、ピッチャーにマウンドの少し前から投げさせたりもいている。

 単純に速いだけなら、当てるぐらいは簡単なのだ。

 それが打てないというのは、やはりピッチャーの特徴が、人によって変わるからだ。


 その特徴を、少しでも早く把握しなければいけない。

 なので初球からしっかり、そのスピードに慣れなければいけない。

(と、相手は思っているだろうから)

(なるほどね)

 初球、スローボールをど真ん中に投げられて、檜山は動けなかった。

 魂の入っていない球であったが、さすがに審判のコールはストライク。

 初球は見逃すとは思っていても、本気でこんなことをやるとは。

 ベンチの鬼塚も呆れている。

「どっちの意見かは知らないが、怖いものなしだな」

「まあよ~、今のボールは打たれても、ホームランにはならないだろうからよ~」

 鶴橋は完全に、バッテリーのこれを楽しんでいる。


 緩急と言うよりは、心理的な空白を狙った。

 真琴のサインに対して、平然と頷いて投げるのが昇馬である。

 ただここからは、本気で投げなければいけない。

 現代の主流である、セットポジションからのピッチングフォーム。

 初球のストレートは見てくるだろうと、バッテリーは分かっている。


 軽々と力の入っていない、武史のようなサウスポーからのピッチング。

 リリースした瞬間に、檜山はボールの軌道を判断する。

(低い――)

 と思ったボールが、視界から消えた。

 その一瞬の後に、ミットに収まる大きな音が聞こえていた。

 コールはストライク。

 檜山が見た捕球位置は、むしろ高めのコースであった。




 一度もスイングすることが出来ず、檜山は見逃し三振。

 顔面蒼白になりながらも、次の三船に最低限のことは伝える。

「左打席からは消えて見えた」

「マジかよ」

 マジである。


 ベンチに戻った檜山は、何も出来ずに三振したことを、そのままに報告する。

 横浜シニアの監督島田は、衝撃的なことを聞きながらも、理屈だけはなんとか理解しないでもない。

「おそらく、スピン軸が地面とほぼ平行で、スピン量もずば抜けてるんだ」

 バッターが球種やコースを判断する、ピッチトンネルのある距離。

 そこから後のボールというのは、基本的にはあまり見えていないのだ。

 このピッチトンネルの場所は、当然ながらスピードがあればあるほど、ピッチャーに近いところに存在する。

 マシーンの平均的なスピン量のボールなら、150km/hでも当てていける。

 だがスピン量の異常な、つまりホップするように見える変化球であるストレートなら、消えて見えるということもあるのだ。


 理屈の上ではそうなる。

 だがそんな理屈で、ボールを投げることが出来るのか。

「とりあえず三船にも、見ていってもらうしかないか」

 シニアという舞台であるならば、これまでに見てきた中で、最高のストレートであることは間違いない。

 ならば分析の上手い三船に、ボールの特徴を捉えさせる。


 キャッチャーでもある三船に対して、果たしてどんなボールを投げてくるのか。

 初球スローボールという雑な組み立ては、真琴はしない。

 右打者からはまだ、サウスポーは少しは見やすい。

 だがその初球のストレートは、確かに低い軌道から、ぐんと伸びてキャッチャーのミットに収まった。

(ホップしてるようにしか見えないんだが……) 

 選球眼では檜山よりも、上回っているという自負がある三船である。

 しかし確かにこれは、低いと思ったボールが、ほぼど真ん中に投げ込まれていた。


 地を這うようなストレートというのを、本当に初めて見た。

(何km/h出てんだ、これ)

 少なくとも自軍のエースよりも、えげつないストレートであることは間違いない。

(次は少し振ってみるか)

 そう思ったところへ、投げられたボールはチェンジアップ。

 体が泳ぎかけて、スイングを止めておく。

 当てたとしてもこれは、ヒットになるような打球にはならない。

 ゾーンの中に入るチェンジアップで、これでツーストライク。

 緩急によってまたも、二球で追い込まれてしまった。


 追い込まれたのだから、振るしかない。

 しかしまだ、変化球を見ていないのだ。

(ボール球でも、スイングが止まらないんじゃ)

 そんな心配は杞憂に終わり、ど真ん中に入るかと思ったボールは、バットをトップに入れたところで、既にミットに収まっていた。

 高めいっぱいのストレートで、見逃し三振。

 確かにこれは、格が違うと思い知らされるボールであった。




 横浜シニア三番の甲斐は、チームナンバーワンの打率を誇る。

 また三振が一番少ないバッターでもあった。

 しかしそんな彼に対し、島田はまず当ててみろ、と伝言させる。

 左のバッターボックスに入った島田は、サウスポーに対しても打率はほぼ変化はない。

 それに左打者にとって逃げていくタイプの変化球を、昇馬は持っていないのだ。


 まずは一つ、当ててみる。

 だがやはり初球は、そのストレートの軌道を確かめたい。

(とか思ってるんだろうなあ)

 真琴の要求に従い、昇馬の投げたボールはインハイいっぱい。

 ゾーンに入っているボールなのに、甲斐は上体を反らして避けてしまった。


 ボールのスピードが速すぎる。

 そしてボールの軌道もおかしすぎる。

 明らかにこれは、ホップしているように見えるのだ。

(こんなボール、マシーンじゃ再現できてないぞ)

 二球目のアウトローいっぱいの球にも、甲斐はスイング出来なかった。


 これでツーナッシング。

 せめてボールの軌道を、バットに合わせることは出来ないか。

(でも変化球が投げられたら)

 ストレートを待っていたら、あのチェンジアップに間違いなく空振りする。

 そう考える甲斐に対して、昇馬は軽く投げてきた。


 リリースした瞬間から、ミットへ到達する時間はほんのわずか。

 だがこのタイミングはいったい、どうして生まれてしまうのだろうか。

 わずかにチェンジアップのことが、頭の中にあったからか。

 スイングする前に、ボールはミットに収まってストライクスリー。

 これにて三者連続三球三振である。




 横浜シニアの受けた衝撃は、確かに巨大であった。

 ホームランを打たれたのも、その飛距離に驚かされたが、これはそれ以上であったかもしれない。

 一番から三番までが、三球三振している。

 だが恐れるべきは、そのポイントではない。

 三人の打者が一度も、スイングすらしていないのだ。


 確かにあのチェンジアップとなるスローボールなどは、当てるだけなら当てられただろう。

 それでも意識の外にあったので、凡退したことは推測できる。

 ただ現実として、バットを振ることも出来なかった、という事実が残る。

 振ろうとしたら既に、ミットの中に収まっていた。

 この理屈がどうにも分からない。


 島田はナインのケツを叩いて、守備に送り出す。

 次のこちらの攻撃までに、ピッチャーの攻略の糸口を見出さないといけない。

(しかしいったい、どれだけスピードが出てるんだ? いや、単純に速いだけなら、当てるぐらいは出来るはずなんだが)

 単純にパワーピッチャーと言うのとも違う、得体の知れないピッチング。

 何人もの才能のある選手を見てきたが、こんな三振のとり方をするピッチャーとなると、あのピッチャーぐらいしか思い浮かばない。

(白石大介の息子ということは、佐藤武史の甥でもあるわけか)

 高校一年生の夏、甲子園で150km/hオーバーを連発し、三振を奪いまくっていた。

 テレビで見ていたのだが、あれが一番近いのではないだろうか。


 おそらく球速は、確かに150km/hほども出ているのだろう。

 だがこのピッチングの本質は、そこにはない。

(この試合中に、どうにか打てるか?)

 横浜シニアというチームを率いて、絶望的な気持ちになってしまう。

 そんな初めての体験を、島田はしていたのであった。

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