第20話 先制攻撃
鬼塚が高校時代に言われたのは、短期決戦は先攻が有利、ということであった。
なのでこの試合も、先攻を取って満足している。
だが高校時代、最後の夏の監督をしていた秦野は、重要なのは先攻ではなく、先制攻撃をすることだ、と言っていた。
攻撃というのは、バッティングにおいてのみ成すわけではない。
不思議に聞こえるかもしれないが、後攻で先に守備をすることが、攻撃になるということもあるのだ。
単純に言えば、スーパーエースがいれば、後攻でも有利に展開する。
なぜなら先に圧倒的なピッチングを見せておけば、後から投げるピッチャーに対して、点を取られてはいけないというプレッシャーを与えることが出来る。
心理的に有利に立てば、アマチュアの野球は勝てる。
特に一発勝負のトーナメントなら、それは顕著である。
(多分、横浜シニアにも昇馬以上の選手はいない)
鬼塚は贔屓目ではなく、そう考えている。
全国まで探せば、匹敵するかもしれない中学生は、一人か二人はいるかもしれない。
だが横浜シニアの中には、そんな化物はいないのは確かだ。
(昇馬はもう高校野球のトップクラスどころか、プロでもそれなりに通用する)
だがおそらく、二年目に少し捕まり、そこから一年ほどは低迷するかもしれないが。
プロの世界は年間143試合。
先発のピッチャーが投げるのは、おおよそ25試合といったところ。
今の昇馬の球種やコンビネーションでは、一年あれば丸裸にされる。
もっとも今もまだ、昇馬は成長の途中であるのだが。
ならばこの、初めての横浜シニアとの対決。
昇馬は一人で投げれば、完封できる可能性は高いと思う。
そして横浜シニアはここで負ければ、敗者復活戦にも進めない。
つまり全日本でもう一度戦わずに済むというわけだ。
シニアの試合で、しかもまだ関東大会であるが、スカウトらしき人物があちこちに見える。
おおよそは完全に春まで無名であった昇馬を、見に来ている私立であろう。
ただこの時期、本当の強豪私立というのは、特待生枠は既に決めている。
実質特待生である推薦枠も、ほぼ決めているというのがほとんどだ。
しかし春の噂あたりから、特待生や推薦を、わざわざ空けて待っている学校もあるはずだ。
あとは明らかに、外国人であるスカウトも来ている。
おそらくMLBが、既に目をつけているということなのか。
昇馬はアメリカにおいては、それほど大きな大会には出ていない。
それでも知っている人間は知っているということだろう。
高校のスカウトは大量に、鬼塚の元にも来ている。
だが半分ほどは、昇馬の練習などへの態度を見て、引っ張ることを諦めた。
なぜなら昇馬は、集団の秩序を乱すからだ。
野球はチームスポーツで、高校野球は監督がチームの秩序を重要視する。
そんな中に昇馬が混ざれば、問題が起こることは間違いない。
しかしそれでも単純に能力だけを見て、スカウトしたがる学校は多いだろう。
鬼塚はその点、さるプロの有能スカウトから、昇馬は規律のきつい学校に進ませてはいけない、などとは言われている。
その昇馬がバッターボックスに入る一回の表。
先攻の三橋シニアは、一番がピッチャーの昇馬である。
これまでの普通程度の実力が相手では、昇馬も一番に打たさないことは多かった。
だが横浜シニアのピッチャーからは、他にまともに打てるバッターは真琴ぐらいか。
ならば昇馬には長打を狙ってもらう。
一人で一点という、作戦とも言えない作戦を、鬼塚は考えたのだ。
そして妖怪鶴橋も、この作戦には賛同している。
地力があり、チーム全体の力で言うなら、横浜シニアが勝つのが妥当だ。
しかし野球というのは、強いところと強いところ、全てでぶつかりあって勝つわけではない。
相手の強いところとは勝負せず、こちらの強いところだけで戦う。
一発勝負ならば、そして昇馬の強さがあれば、それも可能だ。
(ただ、この第一打席の意味は大きい)
左のバッターボックスに入った昇馬に対して、横浜シニアの先発矢口は、まず第一球を投げてくる。
サウスポーから投げられた、アウトローにコントロールされたストレート。
目一杯のこのコースに対して、昇馬は軽くスイングしてバットを合わせた。
事前に研究してあるのだ。
もしも初球がスライダーであれば、それは見逃したボールの軌道を確認する。
だがそれ以外であれば、初球から狙っていく。
普通なら難しいアウトローのストレートであったが、昇馬の腕は長い。
クロスファイヤーの軌道であり、角度はしっかりとついていた。
しかし事前の研究から、これは打てる球だと分かっていた。
横浜シニアの情報であれば、おおよそのものが手に入る。
強いチームというのは、それだけデータを集められているのだ。
それでも勝つのが強いところなのだが、弱い方はわずかな突破口に、リソースを大きく割くことが出来る。
打球は外角であったが、昇馬の腕力はしっかりとボールを引っ張って打ったつもりであった。
その弾道はほぼセンター方向であり、追いかけようとしていたセンターが、途中で足を止めた。
バックスクリーンの得点表記がされているバックボード。
その上に着弾する、とんでもない飛距離のホームラン。
初球攻撃が成功し、まずはこれで一点。
表の意味の先制攻撃は、まず100点の結果を出したのであった。
バックネット裏で見ていたスカウトたちは、唖然とした顔をした者が多い。
試合の初球であり、アウトローにコントロールされたボールだと、見ているほうからでも分かったのだ。
「134km/h出てましたよ」
「うちは132km/hですね」
この年齢のピッチャーのスピードを判断するのは、実のところあまり意味がない。
それでも一つの目安になるのは、確かにスピードなのである。
二番手のサウスポーが、135km/h近くを投げる。
これは普通に、同年代の日本代表レベルと言ってもいい。
実際に矢口は特待生で、既に進学が決まっているピッチャーだ。
「狙い打ちかな」
初球のアウトロー。なかなか普通は手が出ない。
しかし狙い球を絞っていたなら、打つだけは打つことが出来るだろう。
ただ打つということと、それをスタンドまで放り込むということは、全く意味が違う。
しかもバックスクリーンを越えるかというボールは、結局場外まで飛び出ていった。
ただのホームランではなく、その飛距離がとんでもない。
「矢口の評価は下がらない」
「そうだな。そもそも白石の息子なんだから、バッティングも良くて当たり前だし」
「打率も五割は打っていて、ホームランも打ってるんだよな」
「ただそれは、これまでとは相手のピッチャーのレベルが違うわけで」
ピッチャー昇馬を見に来たスカウトたちであるが、まず見せられたのはバッティングであった。
この飛距離を出すのは、マグレでは通じないだろう。
圧倒的なフィジカルを、まずは見せ付けられた。
これでますます、選手としての価値は上がっていく。
高校野球までは、四番でピッチャーというのは強豪校でもあるのだ。
ただこの試合においては、一番ピッチャーという特殊な打順であるが。
(まあ、まともに横浜の大沢や矢口を打てるのが一人しかいないなら、一番にそれを置くというのは分からないでもないな)
この時期、高校生の様子を見るために、プロのスカウトは忙しい時期である。
それなのに一人、中学生の試合を見に来た鉄也であった。
積んでいるエンジンが化物ということは、既に知っていた。
アスリートとしての能力が、野球の上手い下手を超越した部分で存在する。
(ただピッチャーとして、どこまで横浜を抑えることが出来るやら)
おそらく二打席目からは、スライダーを存分に使ってくるだろう。
それに対する打撃がどうなるかで、この試合の行方は変わっていくであろう。
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