第12話 もう一つの血脈
各都道府県を並べてみれば、甲子園の優勝回数では、大阪が圧倒的なトップを誇る。
愛知がそれに続き、東京は三番手。
その東京の中でも、七回の全国制覇を誇っているのが、東東京に存在する帝都一である。
名門大学の付属校の一つであるこの帝都一に、今年は事件が起こっていた。
そう言うと大袈裟かもしれないが、春の関東大会が終わって早々に、入学したばかりの一年生が一人、ベンチ入りメンバーの一軍に混じっているのだ。
部員数が100名を超えてくると、監督も一人では管理しきれない。
だが帝都一はコーチや、二軍監督などがいて、目が届かないところをフォローしている。
「しかし、よく打ちますねえ」
「蛙の子は蛙、といったところですか」
「夏にはもう使いますか?」
「早めに決めておかないと、やっかみもひどいでしょうし」
そういったコーチ陣の声を聞きながら、監督の大田仁は、難しい顔をしている。
帝都一における監督の役割は、OB会や父母会との折衝は含まれない。
そういったことは全て部長やOB会長、父母会長が話し合っているが、監督はそういった声をグラウンドには持ち込まない。
長期政権であり、複数回の全国制覇を成し遂げた松平から、受け継いで既に二度の全国制覇を達成。
春か夏のどちらかで、ほとんど甲子園出場を果たすという、激戦区東東京の王者であるのが、帝都一である。
名門でありながら、旧態然とした空気はない。
松平から大田へと、改革の空気は常に受け継がれている。
大田監督の見つめるのは、かつて同じチームで後輩だった男の息子である。
もちろんそんな関係だけで、特待生として取ったわけではない。
むしろ大田の方からこそ、その保護者に話をもちかけたのだ。
全国制覇のために、この力がほしいと。
(パワーでも技術でもなく、なんで打ってるんだ? 反射か?)
マシーンのボールに対しては、上手くミートをしていくだけだ。
だがフリーでピッチャー相手に打たせると、狙ったような打球を放つ。
(不思議な感じだなあ)
バッティングセンスの塊のような少年だ。
そしてピッチャーとしても、名門帝都一で、二番手ぐらいの実力を既に持っている。
選手としては、二度の甲子園を制覇した。
春と夏、三年次に連覇した大田である。
だが監督としては、自分が選手として所属していた、あのチームを上回るチームを作ったことがない。
それでも全国制覇を二度しているので、間違いのない名将である。
これは純粋に監督としての技量もあるが、それ以上に人間関係のしがらみが少ないからである。
帝都一の選手の進学先に選ばれやすい、東京六大学リーグの帝都大学。
そこを卒業している大田だが、高校時代は帝都系列の高校ではなかった。
自分の地元の千葉の学校で、それまで甲子園になど無縁であったチームを、甲子園に出場させ、そして全国制覇も果たしたのだ。
立志伝中の人間、とすら呼ばれることもある。
そんな大田の見る夢は、高校野球の監督としては当然のような、純粋なものである。
おれのつくったさいきょうのちーむ、で甲子園を優勝すること。
これまで指揮官として13回も甲子園出場を果たしているが、狙って優勝できたことは一度もない。
何かしらの幸運や、相手の不運があって、そこを突いてのものである。
自分が現役の時に味わったような、あの絶対的な確信。
もちろん手持ちの戦力でもって、どうにか勝つのも高校野球だ。
しかし今年こそは、そんな確信をもって、あの舞台に挑むことが出来るかもしれない。
(練習試合、結果を出してもらわないとな)
東北からやってくる仙台育成に加えて、近隣の西東京から数チーム。
合同合宿をやって練習試合をするのだが、そのうちの一つに大田は一年生を先発させることにしていた。
「シロちゃん、先発で五番ってすごいな」
入学式からこっち、仲良くしてくる同級生と、今度の練習試合について話す。
「まあ、早めに結果を出さないと、うるさい人間もいるだろうしな」
クールに決める物言いに、嫉妬や羨望、それに崇拝の念までもが入り混じる。
「俺はこっちのベースボールに慣れてないから、どうしても浮くだろうし」
「中学の途中からこっちだっけ? やっぱ違うんだ?」
「指導者の質が……ひどい。技術論以前の問題の指導で、いくつもチームを変えることになったしな」
それでも結果的には、両親の伝手をたどって、神奈川県のチームに入ったのだが。
あそこは指導者は良かったが、チームはそれほど強くなかった。
だが勝つために他のチームに入ろうとも思わなかった。
高校に関しては、それほど迷わなかったのが幸いである。
父の高校時代の先輩である、大田監督直々に、帝都一へと誘いを受けたのだ。
なお特待生と思われているが、実は入学試験もちゃんと受けているし、野球特待生ではないのは秘密だ。
「アメリカと日本だと、やっぱ違うもん?」
「うちの監督は立派だけど、ほとんどのチームは頭のおかしな指導者しかいないように見える。あ、これは常識が違うという意味で」
もちろん日本の野球が、全ての面において、アメリカに劣るというわけではない。
ただその違いに、自分はついていけないというだけなのだ。
入学式以前から、一年生の多くは既に野球部に参加していた。
やる気のある生徒であれば、むしろそれが当然といったものだ。
その中で入学式後、後れて入ってきた一年生は、体格にも恵まれていたが、それよりも圧倒的な実力を持っていた。
ピッチングをやらせれば、軽々としたフォームから150km/h近いストレートに、コントロールされた各種変化球を持つ。
そして特に秀逸なのは、そのバッティングセンスだ。
普段は遠慮するかのように、外野の間を上手く打ち分けていく。
だがその気になった一打は、フェンスを越えてネットの上まで飛んでいく。
同学年の特待生や、そうでなくても推薦を受けて入学した生徒たちを、容易に抜き去っていく圧倒的なセンス。
ただトレーニングに関しては、一年生のくせに既に、外部で行う許可を取ってたりと特別扱いだ。
それに対する、特に上級生からの視線は厳しい。
もっともそれに関しては、一度問題が起こって、上級生のみが練習参加禁止の処分を食らっている。
それからはもう、特別扱いなのだということは周知されていた。
特別扱いされるからには、それに相応しい力も見せ付けなくてはいけないだろう。
それはこの練習試合が、いい機会となるのだ。
宮城県の仙台育成は、甲子園常連の強豪である。
神宮大会の優勝経験などもあり、東北勢初の甲子園優勝を果たしたチームでもある。
「今日の試合、帝都一の先発、一年じゃん」
「舐められてんなあ。神埼ってどこの出身だ?」
「別に珍しい名字じゃないけど、一年、誰か聞いたことあるやついるか?」
この遠征には、仙台育成も数人の一年生が同行している。
当然ながら中学時代に、シニアか軟式で結果を残した選手である。
その中には関東出身の選手もいる。
ただ、シニアの全日本大会にも、または中学の軟式にも、名前を聞いたことがある者はいなかった。
「ピッチャーで五番ってのは、期待値一番高いってことだよな?」
「そういうパターンも多いだろうけど、逆に鼻をぽっきり折ってもらいたいってのもあるんじゃねえか?」
そちらの方なら分からないでもない。
中学時代にシニアや軟式で、どれだけ鍛えたといっても、それは中学生に合わせた鍛え方だ。
高校生になると、一年と三年の間には、絶大なフィジカルの差が存在する。
そもそも高校生の段階でも、まだ強い負荷のトレーニングはしない選手もいるのだ。
仙台育成は入部してすぐ、選手全員のレントゲンを撮影し、この一年間の身長の伸びなども調べる。
そしてそれぞれによって、トレーニングのメニューは全く違うものになるのだ。
宮城県と言うよりは、東北でトップ5に入る仙台育成。
ブルペンでウォーミングアップをする帝都一の一年生のボールを、なんだかんだ言いながらその目に焼き付ける。
「……速ええな」
「そうだよな?」
楽に投げているように見えて、ボールが白い線に見える長さが凄まじい。
「しかもサウスポーか……」
「球速測っておくのかな?」
「うちの監督が測らないわけないっしょ」
その通りである。
仙台育成のコーチ陣は、普通に球速も測っている。
もっとも帝都一のグラウンドの表示板は、普通に球速が出るタイプになっている。
だが測るのは、単純な初速だけではない。
トラックマンを使うのは、帝都一ではごく普通に行われていることである。
一回の表、仙台育成の一番打者は、バッターボックスからピッチャーを見上げる。
(でかいな。185cmぐらいはあるか?)
さすがにまだ、筋肉の塊とまではいかない。
一年生らしい細さはあるが、それでも立ち姿に貫禄がある。
(全国制覇を目指すなら、一年のうちに叩いておく!)
しかし投げられたボールは、空気を振動させながら、キャッチャーのミットに入った。
思わず球速表示を見れば、そこには驚くべき数字が映っていた。
(150!? 一年だぞ? マジか!?)
近年高速化している高校野球であっても、そうそう出てくるスピードではない。
仙台育成の選手たちは、瞬時に分析モードに入って、ピッチャーのフォームをじっくりと眺める。
150km/hが三球続けて三振。
ストレートだけで三振を取ったが、コースは上手く投げ分けていた。
試合自体は8-4で帝都一が勝利した。
脅威の一年生ピッチャーは、六回までをヒット一本に抑え、10奪三振と脅威のパフォーマンス。
打つほうは打つほうで三打数三安打のホームラン一本と、むしろ打つほうに才能があるのでは、などとも思わせたものだ。
球速はもちろんだが、アウトローを出し入れしつつ、インハイのきついところもにも投げ込む。
まるで技巧派のようなコントロールであったが、変化球はカーブしかなかった。
だがそれで、三振を10個も奪ったのだ。
ただ仙台育成ともなれば、そんなスーパー一年生相手であっても、打ちのめされていることはない。
帰りのバスの中では、既に攻略法を話し合っている。
「変化球がカーブだけなら、緩急はそれほどでもないのか」
「けどストレートのコントロールが問題だろ。胸元えぐられてからじゃ対応出来ないぞ」
「インハイとアウトロー以外のコントロールは、けっこうアバウトじゃなかったか?」
「アバウトでも打てなきゃ同じだろ」
六回までにわずか一本、上手く内野の間を抜いたヒットだけであった。
そして10個も三振があっては、甘く考えることは出来ない。
あれがまだ一年生なのだ。
そして同じく一年生ながら、この遠征に同行している者もいる。
「なんだ? やっぱ知り合いなのか?」
難しい顔をしている下級生に、三年生から声がかかる。
「いや、神奈川のチームで見たことがあるような気がしたんですけど、名前が違うんで……」
「ああ、親が離婚したとかか」
「それで神奈川から東京に引っ越したとか?」
「帝都一なら神奈川から引っ張ってきてもおかしくないだろ」
「神奈川なら神奈川にそのまま進学というのもあるかな」
だがどちらにしろ、顔を憶えているというぐらいでも、全国に名の知れたシニアにでもいたなら、監督たちは知っていたはずだ。
よく分からないところから現れた、とびっきりの才能。
しかもまだまだ未完成の、細い筋肉の肉体。
あるいは今年の夏に早くも、甲子園で対決することになるかもしれない。
「フルネームは神埼司朗か。聞いたことあるか?」
「少なくとも一個下の神奈川に、そんなのいなかったと思うから、やっぱり名前が変わったのかもな」
別に世の中、親の離婚や再婚以外でも、名字が変わることはある。
ただそんなことはどうでもよく、重要なのはとんでもない一年生が帝都一にいるということ。
六回までを投げたが、別にスタミナ切れをしていたわけでもなかったと思う。
間違いなく戦力となり、帝都一を甲子園に導く主力の一人となるだろう。
仙台育成の選手たちにとって、甲子園は夢ではなく現実的な目標。
そしてさらにその先を考えれば、安易に他の地区だと思うわけにもいかないのであった。
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