第11話 孤高の少年
昇馬の父である大介は、高校野球の大スターであり、レジェンドでもある。
その甲子園での通算ホームラン記録は、いまだに破られる兆しが見えない。
NPB時代もMLB時代も、とてつもない記録を残している。
だがそんな父も、また母方の似たような実績を持つ伯父も、昇馬のこの場合の参考にはならなかった。
つまり、どの高校を選ぶか、という問題である。
スポーツ特待生という制度は、当たり前のようにアメリカにもある。
ただ日本の場合、野球だけはその中でも特別だ。
ユースなどがあるサッカーも、ある程度は特待生というものはある。
しかし野球に関しては本当に特別なんだな、と昇馬は実感していた。
先日の浦西シニアとの練習試合の後、三橋シニアの練習グラウンドには、ポツポツとスカウトらしき人間の姿が見えるようになってきた。
この時代、どうしても情報は拡散していくものだ。
また対戦した浦西シニアの指導陣からも、懇意にしている高校に、情報は流れていた。
やがてその筋の人間だけではなく、普通に誰もが知るようになっていくのだろう。
それ自体は仕方のないものであるが、昇馬を普通の有望な中学生と思っていると、とんでもないことになる。
「え、今日も練習出てないの?」
「山の方に行ってるらしいです」
「いやコーチ、そんなのでいいの?」
「う~ん……なんと言うか……」
わざわざ昇馬を見に、県外からもスカウトが三橋シニアのグラウンドにやってくる。
だが練習日だからといって、昇馬がちゃんと練習に来るとは限らないのだ。
日本人としては信じられないことだが、このあたりはむしろ精神構造が直史に似ているのか。
あるいは単純に、大介の単純化する精神や、母親の影響を受けていると言ってもいい。
「日本の管理野球でやらせると、問題起こすだけだと思いますよ?」
高校時代から散々に問題児扱いされた、鬼塚がそう言うのである。
ファッション的に反抗していた自分と違い、昇馬は権力や権威への反抗を行っているわけではない。
自分の中に他にも大事なことがあって、場合によってはそちらを優先しているだけなのだ。
なお、今日の予定は畑の周辺の山に入り、害獣対策の罠の設置の手伝いをするそうだ。
昇馬は自分自身の時間の使い方を、自分自身で決めている。
ただ、チームとしてこの日は来てほしいと言っておけば、出来るだけ優先的に予定は決める。
しかし害獣対策は農家の生活に直結していることだ。
本来の猟期ではないが、害獣対策なら話は別。
その場合は罠の設置などが可能なのだ。
野球がなくても人は死なない。
だが食べ物がなくなれば人は死ぬ。
食べ物を買うための金がなくなっても、人は死ぬ。
ならば収入を得るために、野球よりも害獣対策をするのは、昇馬にとって当たり前のことだ。
「私立の強豪なんて、それこそ野球漬けでしょ? あいつにはそういうのは合わないというか、集団行動は出来ませんよ」
むしろ個人競技をした方がいいのではないか。
実際に昇馬は、他のスポーツも色々としているのだ。
子供の可能性を伸ばしてやることは、親としての義務である。
などとは全く思わないのが、昇馬の両親であった。
両親と言っても白石家には、三人の親がいるのだが。
若年の頃から昇馬は、主に母から体の使い方を学んでいた。
母親も二人いるが、自由自在に体を操るのが桜であり、不自由な体を上手く操るのが椿と、役割は違ったものだが。
「将来的に色んな選択肢を取れるようにね」
二人の母はそう言って、色々なことを教えてくれたものだ。
その中には物騒なアメリカの中ですら、さらに物騒な技術もあったものだが。
野球は自分にとって、趣味の一つでしかない。
将来はそれで食べて行こうとは、特に思ってもいない。
メジャーリーガーの生活というものを、昇馬は身近で見てきた。
あんなペースで人生を過ごすというのは、生き急いでいるようにも見えたのだ。
父は楽しそうに野球をしていたが。
昇馬はアメリカにおいても、いくつかのスポーツで天才と呼ばれていた。
子供の頃などは体操やダンスをしていて、そちらでも才能があると言われた。
ただ体操に関しては、身長が伸び始めた時点で、もう無理だと言われた。
通常のスポーツであれば、体格というのは体重制のない競技なら、有利に働く。
だが競馬や競艇、それに体操選手などは、小さくあることが才能なのだ。
両親の身長からして、昇馬はそれほど伸びないのではと思われたものだ。
だが父方は祖父母共に、それなりに身長が高い。
ちなみに身長を伸ばさないための練習というか、過酷なトレーニングもある。
睡眠時間をあまり摂らず、特に成長ホルモンが出る時間帯は寝ずに、食事をして筋肉を鍛えまくるのだ。
鍛えた筋肉によって、骨の成長を阻害する。
そこまでやってもなお、身長が伸びる人間は普通に伸びる。
将来には何をしたいのか。
昇馬はそんなことを言われても、まだ分からないとしか言いようがない。
ただアメリカと日本を行き来する生活の中で、色々なところに行きたいなとは思っている。
漠然とではあるが、アメリカのあちこちを巡りたいかな、と思ってはいたのだ。
自分の人生を、そんなに早く決めてしまう必要もないだろう。
今はとりあえず、母の実家の裏手の山を、攻略するのが一番の目的だ。
自然の中では、最後には自分自身を守るのは自分しかいない。
日本では散々批判というか、馬鹿にされているアメリカの銃所持問題。
極端に言えばアメリカでは、普通に自衛のために銃が必要なのである。
アメリカでも都市部のアッパー層の人間は、どうも理解していない人間もいたりする。
だがそういう人間は、自分を守る他の手段を、最初からもっと持っているのだ。
日本人ばかりではなく、アメリカ人も平和ボケした人間は多い。
大自然の中にいれば、必ず武器が必要になる。
そして鍛えられた男と違って、老人や女子供にとって、とても大切なのが銃火器なのだ。
安全に相手を無力化させる武器、などというのもないではない。
ただ完全な無力化が殺傷することであれば、結局は同じことだと昇馬は思うのだ。
「拳銃とライフルはやっぱりほしいかなあ」
手に入れてあげようか、と言っていた母であるが、リスクの大きさも教えてもらった。
その結果現在の装備となっている。
腰には大振りのナイフを差して、手には鉈を持っている。
近隣には猪以外にも野生の生物がいるが、基本的にはそれほど危険なものはいない。
ただごく普通に、自然の中には人間を殺す要素が色々とある。
このあたりに住む野生の獣で、人間にとって危険なのは猪ぐらい、と思う者もいるかもしれない。
だが昇馬の経験上、危険な生物は攻撃力と防御力に優れたものではなく、毒などを持った生物だ。
片手には鉈を持った昇馬は、細い枝を手にしてやや前方に向けている。
山道においては、蜘蛛の巣に引っかかることがあるのだ。それを防ぐためのものだ。
そして鉈を使って、藪などを切り進んでいく。
昔はこの山も、もっと手を入れていたという。
だが日本の里山がちゃんと整理されていたのは、せいぜいが昭和までのこと。
問題になったのは不動産バブルが弾けて、山が管理されなくなってからだという。
昇馬からすると、日本の大自然はまだ、管理されている方だと思う。
それこそ北海道にまで行っても、アメリカの広さにはかなわない。
昔ケンタッキーのサラブレッド牧場に、連れて行ってもらったことがある。
広大な牧場の中で、馬たちが生活していた。
その馬を狙って、普通に野生の獣たちも存在する。
それに対抗するために、銃は必要であったのだ。
さすがに日本においては、銃を持つことで捕まるデメリットの方が大きい。
なので昇馬は、自前で弓を作っていた。
もちろん弓で狩猟をするのは、完全に違法である。
ただ捕まってもそれほど困ったことにはならないな、と思っているあたり、フリーダム過ぎる人間だ。
結局今日は収穫もなく、家に戻ってきた昇馬である。
するとそこに真琴がいた。
「あれ? なんでいんの?」
「あんたがグラウンドに来ないから、わざわざ来たんでしょうに」
ぷんぷんと怒っているが、山の中では携帯の電源を切っている昇馬である。
「ほら、ピッチングの練習するから!」
実のところ、真琴のキャッチングの練習という側面の方が強いのだが。
昇馬の母方の実家には、伯父が使っていたというお手製のマウンドがある。
ここから壁に向かって毎日投げて、伯父は殿堂入りの投手となったのだ。
MLBで殿堂入りが確実視されている父が、どうしても勝ちきれなかったのが伯父だ。
昇馬の知るアメリカの練習からすると、狂ったようなメニューなのだが。
「けどあんた、どうして一人で山に入るの? 危ないでしょ?」
「う~ん……確かに危ないけど、だからこそ入るというか」
昇馬は頭の中で内容をまとめてから、改めて日本語に直す。
「俺ってさ、親が金持ちでしかも名声もあって、金とか伝手とかでいくらでも楽が出来るだろ? そういう時に自分一人の力を忘れないため、自然の中で一人になるんだ」
なにやら真面目な話なので、真琴も変に茶化そうとはしなかった。
人間の社会には、様々な形の力がある。
暴力、権力、財力、そしてそもそも人間を人間たらしめる、組織力。
その中では人間の価値は、なんらかの組織と紐づいて語られるのが当然となる。
だが大自然の中で一人でいると、結局は自分の身を守るのは自分になってしまう。
これが本当の自己責任というものだ。
もちろんそんな生存の技術を学ぶのも、自分が恵まれていたからであったが。
昇馬はちょっと違うな、と真琴は思う。
子供の頃は普通に、一緒に遊んでいたものであるが。
体格の成長だけではなく、精神的にも強靭になっている。
しかし本質は変わっていないとも思うのだ。
「とりあえずスパイクになって、ちょっと投げてよ」
「了解だ」
サウスポー用のミットをして、昇馬にボールを投げさせる。
真琴の中学三年生の夏は、もうそこまで迫ってきていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます