第10話 日本デビュー 3
「なんだありゃ……中学生の出す飛距離じゃないだろ……」
「まるで全盛期の白石みたいな……いや、白石にはあれぐらいの息子がいたから、やっぱりそうじゃないのか?」
佐藤ほどはありふれていないが、そこまで珍しいわけでもないのが、白石という名字である。
愕然とする観衆は意識もせず、昇馬はベースを一周する。
ようやく興奮の湧きあがってきたチームメイトが迎え入れるが、真琴と聖子はひたすら呆れていた。
「なんやのん、あのパワー。父親みたいなバッティングやん」
「そういえば本気のスイングは見てなかったよね」
ピッチングの方は、確かに皆が見ていたのだが。
「まあええわ。そんじゃ追加点取りに行こうや」
びっくりしたままの審判は、次のバッターを促すことを忘れていた。
「凄い……」
打たれた新田は、強いショックを受けていた。
だがそれは自信をなくすとか、プライドを砕かれるとか、そういう類のものではない。
衝撃的な感動だ。
あんな打球は見たことがない。
「でも、俺も」
まだこの先に昇っていくことは出来る。
動揺しているはずの新田を、一気に打ち崩そうとした三橋シニア。
しかし新田はコントロールこそまだ微妙であるものの、腕を振り切ってボールをバットに当てさせない。
三番に入っていた聖子も三振で、そして四番の真琴。
女子選手が四番というのは違和感であるが、体格的には男子とそれほど差もない。
新田のストレートに、全く振り遅れることなく当てていった。
もっとも打球は平凡なライトフライに終わったが。
130km/hオーバーのストレートを、簡単に当てていく女子選手。
これもまた相手チームを驚かせたものである。
コントロールがまだ甘いというのは、むしろこの年齢では伸び代だ。
新田が中学から野球を始めたのは、スカウトたちもよく知っている。
始まりが他より遅れていても、全国レベルのシニアの二番手投手に、三年の春にはなっているのだ。
この最後の大会までと、そして高校での成長の仕方。
それによってはむしろエースの楠木より評価すべきかもしれない。
そして昇馬がマウンドに立つ。
真琴がキャッチャーをしていることを、驚く者がまた多い。
いや、改めて違和感をもって見つめると言うべきだろうか。
ちゃんとメンバー表ではキャッチャーとして四番に入っていたのだから。
左投げ左打ちのキャッチャー。
そもそも左投げのキャッチャーが少ないわけであるが、かつては日本人メジャーリーガーでもそんな選手はいた。
左打ちのバッターが増えている現在、左利きのキャッチャーのデメリットは、かなり減ってはいる。
もっとも過去のキャッチャーの蓄積した経験が、あまり受け継がれないということだけで、充分すぎるものかもしれないが。
「一番ピッチャーで、サウスポーか」
「サウスポーならそれだけで凄いことは凄いが」
そんなスカウトの目は、投球練習で大きく見開かれることになる。
軽く肩を作っていたキャッチボールとは違う、キャッチャーが座った状態でのピッチング。
ストレートが真琴のミットに収まり、衝撃は観衆たちの口を間抜けに大きく開かせることになった。
昇馬の球速を、チームメイトたちは知らない。
だがバッティングセンターのボールと比べて、140km/hは確実に出ていると考えている。
鶴橋や鬼塚が語らず、昇馬自身にも口止めしたため、真琴以外は知らない。
真琴は普通に、桜から教えてもらった。
昇馬のストレートのMAXは、150km/hオーバーである。
一度もスイングすら出来ず、一番バッターが三球三振で終わった。
ど真ん中とやや高めのストレートという、配球も何もないピッチングであった。
二番はなんとかスイングしたが、完全に振り遅れで当てることも出来ない。
そして三番は、全球スイングしたが、やはり全く当たらなかった。
三者連続三球三振。
「次から変化球も投げる?」
「そだな。全国レベルの相手なら、変化球もいるだろ」
浦西シニアは全国レベルのチームであるのだが。
ど真ん中の、少し高めと、少し内角。
その三つのコースだけで、完全に封じられた。
浦西シニアの上位打線は、高校は当然ながら、甲子園を目指すというレベルに入学予定。
ある程度声はかかっていて、既に決まっているという選手もいる。
それが絶望するほどの力の差である。
「ストレートだけじゃ通用しないって言わなかったっけ?」
新田の言葉に、浦西の監督はそっと視線を逸らす。
あれはちょっと例外である。
二回の浦西シニアの攻撃は、四番の佐々木から。
彼は浦西のエースではあるが、同時にピッチャーをしない時は、四番でもある。
高校野球までは、二刀流などごく普通。
どちらかと言うとバッティングの方が得意なぐらいだ。
佐々木のバットが、初めて昇馬のボールにバットを当てた。
球威に負けてファールゾーンに転がっていくが、それでも当たったことは当たったのだ。
(当ててくるか)
それぐらいはするか、と昇馬はうぬぼれることはない。
そして真琴は、変化球のサインを出した。
なんとかバットには当てた佐々木だが、まともにミート出来るとは思えなかった。
しかしこの球速は、もっと体験しておきたい。
三橋シニアは関東でも特に強豪とは言われないチームだ。
だがこのピッチャーと当たれば、ほとんどの打線は完封されてしまうだろう。
(タイミングを合わせて、もっと当てていく)
ボールを見てからでは、とても間に合わない。
ここまでゾーンにしか投げていないので、それを打っていけばいい。
いや、当たるぐらいと言えるか。
昇馬の足が上がり、その左腕がうなりをあげる。
タイミングを合わせて、佐々木のスイングは起動を始める。
集中してそのリリースポイントからコースを予想。
トップの位置からスイングが開始。
そしてボールが来ない。
(チェンジアップ!)
ぐるんと大きく回転し、そのまま尻餅をつく。
ミットにぽすんとボールは収まり、空振り三振で終わった。
アメリカには日本流のチェンジアップという球種は存在しない。
あちらではチェンジ・オブ・ペース、つまり直球と同じ手の振りで、球速の遅い球を投げることを、全般的にチェンジアップと呼ぶ。
つまりカーブやシンカーでも、チェンジアップと呼ばれたりはするのだ。
そしてスピードのあるシンカーであればツーシーム。
アメリカは現象だけで、そのボールを規定する。
昇馬のチェンジアップは、やや揺れてシンカー気味に落ちる。
このボールを見せられた浦西シニアの五番は、完全にまたストレートに対応できなくなっていた。
ツーアウトから昇馬は、二度首を振る。
投げたい球種は、つまりこれかと真琴はサインを出す。
その左腕から投じられたのは、ストレートに見えた。
少なくともバッターにはそう見えたのだが、手元で鋭く曲がった。
その打球は幸いにもファールになったが、フェアグラウンド内に入っていたら内野ゴロだ。
(ツーシーム? どういう速さだ?)
昇馬の球種は、この三つである。
ただチェンジアップもツーシームも利き腕側に曲がるため、左打者の外角に逃げるボールが欲しい。
このあたりが強いて言うなら、昇馬の課題と言えようが。
最後にストレートを投げて、インコースをスイングすることも出来ずに三振。
続くバッターはツーシームを引っ掛けて、ようやくボールを前に飛ばした。
「ほいほい」
聖子がゴロを処理して、スリーアウト。
二回もまだ、ヒットが出ていない。
敵も味方も観客も、あんぐりとするしかないピッチングである。
唯一キャッチャーとしてボールを何度も受けていた真琴と、真琴からある程度聞いていた聖子は、半笑いで済んでいるが。
特に高校からのスカウト組は、この試合後には絶対に、三橋の監督に挨拶をせねば、と心に決めていた。
「あのコーチ、元千葉の鬼塚選手じゃないか?」
「そういえばそうですね」
そんな会話が交わされたりもしていた。
「しかしどうして、こんな逸材が今まで出てこなかったんだ?」
「それは……中学生特有の問題じゃないですか?」
「……ああ、かなり背が高いな」
中高生の選手だと、成長痛などで激しい運動が出来ない、という者もいるのだ。
もちろん昇馬はそれとは全く別の問題だ。
そもそも日本にいなかったし、アメリカでも特に野球の強いチームで専念していたわけではないからだ。
試合はまさに、昇馬の一人舞台となった。
第二打席は高く上げすぎてセンターフライになったものの、第三打席はまたもホームラン。
三打数で二本のホームランを打っていた。
そして投げては、フォアボールとエラーが一つずつの16奪三振。
シニアは七回までしかないのに、16奪三振である。
日本とアメリカのストライクゾーンの違いなどで、戸惑うところはあった。
しかし結局は真ん中付近に集めても、ろくにバットに当てることも出来ない。
カットで粘るということすら出来ずに、Bチームとは言え全国レベルの浦西を圧倒した。
ただ浦西の新田も、昇馬以外には、二本のヒットしか許さなかったが。
彼の場合は途中で、コントロールが乱れることがあったが、それでも球威で多くの三振を奪った。
何も評価を下げてはいない。
昇馬が規格外だけであっただけである。
「こりゃあもう少ししたら、大変なことになるぞ~」
鶴橋はそう言ったが、大変になことになるのはすぐであった。
昭和の昔と違って、今では情報の拡散は、あっという間になっているのだから。
帰ろうとする三橋シニアの前に、スカウトたちが三人ほど並ぶ。
名刺を渡して、後日ご挨拶に、と言われるのは、かなり慣れている鶴橋である。
なるほどこれが有望なシニア選手への対応なのか、と昔はグレていたので特待生の話などはなかった鬼塚は感心していた。
関東大会までに何度か、練習試合は組んである。
その全てに昇馬が投げるわけではないが、打線には組み込まれる。
そして打撃だけでも、充分な話題になるだろう。
(父親は中学時代、完全に無名だったのにな)
ただ高卒でドラフト一位のプロ入りと、そこからは完全なエリートコースに乗った。
もちろん一人だけでは、どうにもならなかっただろうが。
昇馬は果たして、野球強豪校に行くのだろうか。
鬼塚はなんとなく、そんな未来は見たくないと思っていた。
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