第8話 日本デビュー 1

「あいつかよ」

「あの白石選手の息子だろ」

「つーか真琴の従弟なんだよな」

「よりにもよって三年になってからかよ」

「誰がレギュラーから落ちるんだろな」

「そんなに凄かったのか?」

「ああ、お前は休んでたよな。マジでおかしかった。バッセンの140km/hのボールよりは絶対に速かったと思う」

「マジかあ……」


 新学期になり、シニアの大会としては、六月の大会に向けて最後の追い込みが行われる。

 そんなところに、新しい三年生が加入する。

 それもベンチ入りどころか、即レギュラークラスで。


 ずるい、とは思わないでもない。

 三年間と言うか、正確には二年間であるが、ずっと続けていた選手が、外されるということ。

 別に人格に問題があるわけでもなく、単純に外国帰りだから、これまでどのチームにも所属していなかったというだけだ。

「そんなに凄いなら、どうして鷺北に行かなかったんだろ?」

「こっちの方が近いからだってさ」

「……」

 マジである。


 帰国してすぐに、グラウンドに姿を見せていた。

 だがその後の二回ほどの練習日に、参加していなかった。

 このあたりの強豪なら、鷺北の方が有名なので、そちらに行ったのかと思ったものだ。

「なあ真琴、どうして練習に来てなかったんだ?」

「あ~……」

 丸々二年、一緒にやってきたチームメイトである。

 不満を見せるのも無理はないかとは思う。

 だがつまるところは単なる嫉妬だ。

 昇馬は完全に、合理的にしか物事を考えていない。

 そして野球については、最優先にしているわけでもない。

 ある意味父親とは違い、野球に対してビジネスライクだ。

 アメリカの野球文化としては、スタンダードな思考である。


 下手に誤魔化しても、意味はないだろう。

 なのである程度、正確な情報も伝えておく。

「せっかくピッチングさせても、捕れるキャッチャーがいなかったから」

 そう言って真琴は、左専用のキャッチャーミットを取り出した。

 ここしばらく、部活もある程度休んで、昇馬に合わせたスケジュールを送っていた。

 それだけやっているのに、昇馬は毎日投げるのでもなく、野山を駆け巡る日もあったりしたのだが。


 真琴のセンスはチーム随一だと、誰もが認めるだろう。

 だが鬼塚などはそれでも、無茶なことだと思っている。

 あの日、昇馬が投げたのは数球。

 肩を作る程度の、ほんのわずかな球数であった。

 しかしその中で、最も遅かったボールが148km/h。

 甲子園に出るチームのエースであっても、なかなかそれほどのスピードはない。


 どうやったらキャッチできるのか。

 右手でのスローイングも出来る真琴としては、いっそのこと左でキャッチしたらとも思ったが、それだとピッチャーをやる時に、左手に影響が残りすぎる。

 とても中学生に、まともに捕れる球ではない。

 そう思った真琴に対して、見本を見せてくれたのは桜であった。


 肉体の柔らかさを使った、ボールの勢いを吸収するキャッチング。

 だがそれでも、完全なものではない。

「本当なら前でしっかりと抑えて、審判を騙していかないとね」

 高度なフレーミング技術について、桜は話していた。

 東京六大学リーグまでは、男子に混じっても充分に主戦力として通用した彼女である。

 フィジカルならそろそろ、勝てるのではないかと思っていた真琴だ。

 しかしこの叔母は、まだまだ手の内を晒していない。

 晒すまでもないということだろうか。




 本日は埼玉からやってきたチームとの対戦となる。

 あちらは第一戦を鷺北とやって、第二戦を三橋と対戦する。

 練習試合だが、これが昇馬の日本デビュー戦。

 リトルシニアにはおおよそ、一人や二人はガチの野球強豪校に進むという選手が所属する。

 学校の練習では満足できず、より高度で効率のいいトレーニングなども行う。

 そもそも学習の一環の部活動と、習い事であるシニアでは、意識からして違うのだ。


 最近では多くの、甲子園に行きたいと思う選手は、中学時代からリトルシニアに入ることが多い。

 もっとも軟式、つまり部活の野球から、しっかり出てくる才能というのもある。

 本日の対戦相手、埼玉の浦西シニアは、全国にも出場する強豪。

 ただシニアは学校と違ってチームの絶対数が少ないため、割と強豪とでも試合を組めたりする。


 舞台は鷺北のグラウンドであり、このグラウンドは普段は草野球などにも貸し出しをしている。

 三橋シニアは鷺北よりは格下とされることが多く、実際に設備なども鷺北が優れている。

 プロ野球にも選手を輩出しているし、関東の名門に進む選手も多い。

 だがそんな舞台に、三橋の選手たちは乗り込んだ。

 監督同士は顔見知りなので、普通に挨拶などが行われる。

 この時、格上のはずの鷺北シニアの監督の方が、腰は低い。

 三橋シニアの監督である鶴橋は、このあたりの少年野球の長老でもあるのだ。

 高校時代に育てた選手の中から、片手では数えられない数のプロの選手を輩出してきた。

 90歳にもなるこの年齢で、まだ頭の回転は鈍っていない。


 鷺北と浦西との試合。

 どちらも全国常連だけあって、特に守備が鍛えられている。

「優勝するにはどれぐらい勝たないといけないんだ?」

 昇馬の言葉に、冷たい視線を返す真琴である。

「関東大会で予選があって、そこの上位チームが全国」

「あ、そこでは優勝しなくていいんだ?」

「今なら最低二回勝って、敗者復活戦にも勝てば、全国に出られる。全国大会は五回勝てば優勝」

「思ったより楽そうだな」

 物事を知らない昇馬に、真琴はしっかりと説明する。

「五回勝てば優勝だけど、毎日試合して五連続だからね。イニングは七回までしかないけど」

「ん~? 俺は平気だけど、五日も連続で試合で投げてたら、ピッチャーは疲れないか?」

「連投制限もあるし、イニング制限もあるから。だからエース以外でも、どうにか勝たないと優勝は出来ないの」

 ほうほう、と昇馬は頷いた。


 アメリカでも若年での投球制限は普通にある。

 そもそもピッチャーの球数制限は、アメリカから発生したのだ。

 野球についての技術やシステムは、ほぼ全てがアメリカから日本に伝わる。

 祖父母の若い頃には、OPSなどという指標はなかったとも聞く。


 昇馬にはだいたい分かってきた。

 三橋シニアはさほど強いチームではない。

 その理由と言うべきか、あるいは強くないからこそ、全国クラスのピッチャーなど二人も揃わない。

 ただこれは他のチームも同じで、ピッチャーの継投こそが肝なのだと言う。

 昇馬もMLBの試合を見ていれば、五回か六回ぐらいで、ピッチャーが交代するのを見ている。

 アメリカのアマチュアでもそれは同じで、だからピッチャーをしない日は、バッターとして外野に入っているのだが。

 ファーストでもいいのだが、強肩を無駄にしないためにも。




 言わば、一軍同士の鷺北と浦西の試合。

 三橋シニアの選手たちは、ネット裏に用意されている座席で、試合を見ている。

「それで、全国レベルの選手ってのはいるのか?」

「そら知らんやろな。うちが説明したるわ」

 でかい昇馬は視線の邪魔なので、後ろのベンチに座っている。

 隣には真琴が座っていて、真琴を挟んだ位置に聖子が座っている。

「今日は当たらんけど、鷺北はしょっちゅう練習試合してるんよ。1番がエースの楠木。あいつが投げへんかったら、うちとの勝敗は五分五分ぐらいやね」

「ああ、サウスポーか」

「球速は120km/hぐらいかな? 変化球はスライダー系を微妙に変化させて、内外に上手く投げ分けるんよ」

「スライダーだけ?」

「あとはチェンジアップ投げるかな。こいつは神奈川の横浜学一が狙ってる」

「ん? もう進学先が決まってるのか?」

「だいたいシニアで実績を残す選手は、三年の夏前におおよそ進学先決まってるんよ。早いもんは二年の夏には話が来てるんやけど……」

 聖子の視線を受けながらも、昇馬は全く意図が分からない。

(こんなんがいきなり出てきたら、全国の学校が全部見直しにかかるんちゃうか)

 昇馬の球速は、発表されていない。

 スピードガンでちゃんと計測するのは、それなりに難しいものであるのだ。

 だがそれでも、聖子は体感でおおよそ分かっている。

 おそらく150km/h前後。とても中学生が投げる球ではない。


 日本人離れとか、そういうレベルではない。

 アメリカ人であっても、そうそういないのではないか。

 そもそも生まれつきの遺伝子が、強力すぎる。

 そういう怪物を、聖子はもう一人知っている。


 間違いなく素材としては、鷺北にも浦西にもいないレベルだ。

 だが野球というのは競技である。

 技術や戦術によって、勝敗を決めるものだ。

「鷺北は他にも何人か、推薦でほぼ決まりっていうのいるけどな。バッティングの中心はカズなんよ。二年の西和真」

「一個下か」

 この年頃の選手というのは、年齢によるフィジカル差が大きい。

 その中で二年生が打線の中心というのは、かなり珍しいことではないだろうかと昇馬も思う。


 鷺北と浦西の試合が始まる。

 真琴と聖子の解説を聞きながら、昇馬はゆったりと試合を見物していた。

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