第7話 音の華

 少女は二つのケースを背負う。

 一つはヴァイオリン、そしてもう一つはエレキギター。

 一つは師匠がいて、もう一つは独学。

 だがその独学のはずのエレキギターも、他の人物に教えこまれているのだが。

「他のジャンルにまで手が伸びるのは、血筋かしら」

 困ったような顔でそう言った師匠は、彼女にとってもう一人の母親のようなものだ。

 すると彼女には、四人の母親がいることになるが。


 本当はもう少し後に教えるつもりだった、と義母たちは言った。

 生まれた時から育てられ、区別なく可愛がられていたため、血がつながっていないと言われても、あまりショックは受けなかったものだ。

「私たちの親友だったから」

 実母は結婚せず、実父にも知らせていなかったため、そのまま引き取ってくれたらしい。

 そもそも義母の娘と同日に生まれたため、ずっと似てない双子だと思っていたのだ。


 長じるにつけ、音楽への興味を抱き始めて、母たちはそれを推奨した。

 そして先生を紹介してくれたわけであるが、成長してからはそれがどれだけ贅沢な人選か、驚いたものである。

 その中で、自分の本当の母親のことがちらちらと見えてきた。

 なので10歳になった頃には、自分と同じ名前を持つ、実母のことを教えてもらったのだ。


 全世界の音楽史上に残り、いまだにその音楽が流れ続ける天才。

 伊里野という名前は漢字こそ違うが、その母と同じ音である。

 そして日本に帰ってきた今は、両親の元を離れて、師匠の家に住み込みで世話になっている。

「中学生になったらさ、バンド組もうよ」

 そう言うのは師匠の娘であり、自分にとってもほとんど姉妹に近いような関係の親友である玲。

「バンドって、玲がキーボード弾いて、私がギター?」

「カノなら他の楽器でもすぐ扱えるようになるでしょ」

「それは否定しないけど」

 一番得意なのはピアノであるし、次はヴァイオリンだ。

 玲はあんな立派な師匠の娘なのに、ロックバンドが好きという不肖の娘である。

 まあこの年頃の女の子は、母親には反発したがるものだろうか。


 それに師匠は別に、クラシック一辺倒と言う人でもない。

 ポップスを編曲した合唱の、伴奏などを務めたりもするのだ。

「バンド組むなら、あとはベースとドラムが欲しいかな。ベースは私がやってもいいけど」

 なんとなくギターよりは簡単そうだし、と全世界のベーシストを敵に回しそうなことを言ってしまう。


 ただ、絶対に必要なポジションは、もう一つあるではないか。

「誰が歌うの?」

 ボーカルはなんだかんだ言っても、やはりバンドの華である。

 それに歌が上手くないといけないのは当然だ。

「りっちゃん上手くなかった?」

「里紗かあ」

 双子の姉妹の名前を言われて、確かにまあルックスも歌唱力も、及第点かなとは考える。

 本当は歌うだけなら、自分が一番上手いと分かっている。

 だが彼女には、致命的な欠点があった。

 普通の人間は、けっこう簡単にこなしてしまうことが、彼女には出来ない。

 それは楽器を演奏しながら、同時に歌うということである。


 実母は出来ていたし、周囲の人間もほとんどは出来ている。

 ギターを弾きながら歌ったり、ピアノの弾き語りをしたりと、それは普通に人間が持っている能力だ。

 だがよりにもよってどうして、彼女にその能力が欠落しているのか。

 不思議なものだと、周囲の人間も思っている。

 ただあえて説明するなら、集中力が一つのものに向かいすぎているからであろう。

 何か一つのきっかけで、出来るようになってもおかしくないのだが。


 それはそれとして、メンバー集めである。

 身内だけで集めるのは、やはり限界があるのか。

 母の知り合いなどを当たったら、楽器をやっている同年代の女の子も、けっこういるような気はする。

 ただドラムであると、男の方が圧倒的に多い気もするが。

「女の子だけで?」

「男の子入れるのやじゃない?」

「玲が嫌ならやめておくけど」

 そんなことを話していると、師匠である恵美理がやってきた。

 防音室に二人が集まっていて、少し驚いたような顔もしたが。

「ママ、私たち中学生になったらバンドやろうと思うんだけど」

「バンド? ロックバンド?」

 美麗な容姿できょとんとする恵美理は、もう40歳にもなろうというのに、その美貌から華やかさは失われていない。

 少女の頃は大人びているというか、老けているとも言われたものだが、逆にそれからほとんど変わっていない。

「そうそう。それでドラムやってる女の子とか、ベースやってる女の子とか、ママなら知らないかなって」

 あるいはその知り合いまで伝手を伸ばせば、いくらでもいそうではある。


 恵美理としては、最初に確認しておくべきことがあった。

「それは、プロを目指すの? それとも単に楽しむためだけ?」

「楽しんじゃダメなの?」

 かぶせるように逆に質問するのは、恵美理の言葉に対する反発でもある。

「そういうわけではなく、本気でやるならポジションを考えないと」

 師匠の視線に晒されて、彼女はなんとなく言いたいことが分かった。

「本気でやるつもりなら、花音がキーボードをやって、玲は他の楽器をやりなさい。それこそドラムを一から習ってもいいでしょうし」

 つまり彼女と玲の間には、圧倒的な演奏の優劣があるのだ。


 実の娘に対して、過酷な言い方かもしれない。

 だが実力を考えても、また芸能界の話題性を考えても、成功するためにはそれが必要なのだ。

 あのイリヤの血を引くからには、ピアノを弾かなければいけない。

 それが伊里野・花音(カノン)・白石にとっての宿命のようなものだ。


 玲は傷ついた表情をしたが、恵美理もそこは厳しくせざるをえない。

 もしも自分がメンバーを手配するとしたら、その将来にまで影響を与えることになる。

 仲良しグループではいけないのだ。

「それが嫌なら、メンバーは自分たちで探しなさい」

 むしろそちらの方が、二人の成長になるかもしれない。




 玲はクラシックの道からは、離れてしまった。

 ピアノや楽器の演奏、つまり音楽自体はまだ好きでいるらしい。

 花音に関しては、その才能がどう伸びていくか、恵美理としては心配している。


 彼女の才能は、イリヤとはまた違った方向性を持っている。

 だが間違いなく、天才の部類ではある。

 だが歌うことと演奏すること、その二つを同時に出来ないのは、明らかな弱点だ。

 母親の全盛期の歌声は、片方の肺を取る前の14歳までのものしか残っていない。

 今の花音の声は、その声に似ている。


 イリヤは手術以降も、歌ってはいる。

 だが明らかに体力は落ちて、吹奏楽器は使えなくなった。

 そして歌にしても、主旋律の声量は足りていない。

 そういった失われたものを、花音は持っているのだ。


 自分には、花音の才能を、世に出す責任がある。

 恵美理はもう数年前から、そういうように考えている。

 クラシックなのか、それともポップスなのか、そういうジャンルはどうでもいい。

 だがどんなジャンルであっても、彼女の音楽には変わりはない。


 イリヤの残した、膨大な未発表曲。

 それは多くが、ケイティが歌うことになった。

 ただケイティの声質ではなく、イリヤ自身が歌いそうな、そういう曲もある。

 花音の声は、イリヤに瓜二つだ。

 まるで自分の娘のために、彼女はその曲を用意していたかのように。


 そしてそんなものが残っているということは、やはりイリヤはクラシックからは離れていたのだ。

 つまり花音も、クラシックのジャンルからは離れていくことになる。

(普通の音楽教室に通わせて、そこでメンバーを見つけた方がいいかしら)

 自分が導くべきこと、逆に自分が導くべきでないこと。

 恵美理はそのあたりの見極めを、注意深く行わなければいけない。

 イリヤの残した花が咲くのは、あと少し後のことである。

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