第4話 いとこ同士・後編
真琴と同じシニアチームに入りたいと言うと、桜はあっさりと頷いた。
「まあ、あたしがいない時はお祖父ちゃんかお祖母ちゃんに任せればいいしね」
お祖父ちゃんお祖母ちゃんとは、昇馬から見たものであり、桜にとっては両親だ。
既に定年退職しており、今では小規模化した農地を、自分たちではわずかに耕している。
残りの農地は農業法人化して社員も雇っているが、実際のところは利益はさほど出ない。
だが土地を有効には活用しているのだ。
あれよあれよという間に、昇馬は三橋シニアに参加することになったのである。
「大介さんの息子……だけどでかいな」
コーチである鬼塚の身長は、188cmある。
それよりほんのわずかに小さいのだから、185cmほどであろうか。
ちなみに、まだ成長期は止まっていないらしい。
「美少女がいる!」
そして聖子を見つけた昇馬は、予想通りのリアクションをしていた。
昇馬の後頭部にチョップを入れて、真琴が代わりに紹介を始める。
「私の従弟の昇馬。普通にしょーちゃんって呼んであげて」
「いやもう、この年齢でしょーちゃんなのか?」
「じゃあ、うちがしょーやん呼んだろか?」
そうふざけたように聖子は言うが、彼女の好みは昇馬のようなタイプではない。
体育会系は好みではないのだ。ならなんでこんな汗臭い男どもと一緒にいるのだ、という話になるが。
鬼塚は呆れつつもグラブを持った昇馬を観察する。
身長は高いし、筋肉もそれなりについている。
サウスポーというのが心強い。
「ポジションはピッチャーなのか?」
「あと外野もやってます。他になり手がいない時はファーストも」
なるほど、サウスポーがやるポジションである。通りでグラブが大きいものだ。ファースト兼用なのだろう。
さっそく測ってみるか、という話にもなる。
硬球を握らせた昇馬は、日米のボールの違いに戸惑っていたりはしない。
実は現在のアメリカにおいては、アマチュアでは日本のボールが標準となっている。
成長期のピッチャーに負担をかけないよう、グリップのかかりやすいボールを使っているのだ。
ブルペンでは一応、鬼塚が座ってみる。
この体格なら140km/hほど出てもおかしくはない。
念のためとプロテクターも装着しておく。
安全に気をつけるのは、指導者としての務めである。
スピードガンを用意した鶴橋が、それを測定する。
スピードだけを重視するわけではないが、身体能力を見るのに一番分かりやすいのが、やはり球速である。
パワーと瞬発力、その両方が出なければ、球速にはつながらない。
だが軽いキャッチボールを見ていても、期待できそうな投げ方はしていた。
マウンドに立つ昇馬は、セットポジションから投げる。
今時ワインドアップなどはほとんどしないものであるが、昇馬はとにかく父から、フォームは最初に大きく作って、そこから出来るだけ小さくしていく、という教えを受けていた。
アメリカでは現役メジャーリーガーでも、普通に子供には教える。
日本が潔癖すぎるのだ。そのくせビジネスとは密接に結びついている。
高校野球の前に、シニアの大会で日本一を目指してみてもいい。
そう考えながら昇馬は、おりゃとストレート投げ込んだ。
ミットが破裂するような音がした。
NPBの一軍で、長くスタメンを務めてきた鬼塚でも、キャッチャーではなかったのでこんなボールを受けたことはない。
いや、記憶をたどれば高校時代にも、キャッチャーの控え候補として、少しは受けたことがあるが。
(既に球速だけなら、超高校級じゃないか?)
興奮を抑えきれない鬼塚であるが、鶴橋はスピードガンの結果を言ってこない。
あるいは測りそこなったのかもしれないが。
しばらく投げさせてみたが、明らかに140km/hは超えている。
中学三年生の春でこれか。
鬼塚は大介とツインズの遺伝子の結びつきに驚愕した。
「よし、じゃあ準備運動完了!」
そう昇馬が言ったので、鬼塚はミットを構える手をしっかりと固定する。
(まだ上があるのか?)
そう思っていた鬼塚のミットに、確かに明らかにスピードの違うボールが突き刺さる。
コントロールがいい。ミットを動かすとおおよそ、その位置に投げてくることが出来る。
アウトローとインロー、そして高め。
ひょっとして150km/h超えてないか?とまで思えてくる。
10球ほど投げて、ものすごいドヤ顔をするでもなく、平然としている昇馬。
「あんた、なんでこんなすごい球投げられるの?」
真琴が呆れたように言ったが、昇馬は首を振る。
「まだまだだよ。親父に投げたらほとんど全部ホームランにされるし」
いや、それは相手が悪い。
「桜に投げても打たれるしさ」
それも相手が悪い。
ただ、これは中学生ではまず打てるバッターはいないだろう。
ときめいている鬼塚に対して、鶴橋は冷静であった。
「で、誰がキャッチャーするんだ? こんな球捕れないだろ」
「あ……」
主人公のボールがすごすぎて、キャッチャーが捕れないというのは、巨人の星からの伝統である。
正捕手がチワワのようにぷるぷると震えていた。
「じゃあ、私がやろうか」
そう言って進み出たのは真琴であった。
もちろん左利き用のキャッチャーミットなどないが、普段から内野を守る時は右でスローイングしているので、なんとかキャッチャーも出来なくはないだろう。
本来の真琴は右利きなのだ。
「捕れるのか?」
かなり心配する鬼塚であるが、真琴は自信ありげに頷く。
「お父さんのボールと同じくらいだと思うし」
いや、それも比較対象にしてはいけないものだと思うのだが。
女に俺の球が捕れるのか、などとは昇馬は絶対に言わない。
なぜなら昇馬のキャッチボールをしてくれるのは、父以外には母。
そして母はごく普通に、昇馬の全力のボールでも捕ってしまうからだ。
え、これぐらい普通ですよね、という環境で育てられた昇馬は、間違いなく主人公体質であった。
超人の父親と、超人の母親を持つ昇馬。
妹たちはまだ普通なのだが、それは自分よりも小さいのだから仕方がない。
すでに自分の方が頭一つは大きくなっていても、護身術などを教えてもらえば、簡単に母親に投げ飛ばされるのが白石家。
普通に地域のチームではすごいすごいと言われていようと、絶対に鼻が伸びたりしないのは、そのあたりが理由である。
真琴が父のボールをキャッチするというのは、昇馬にとってもごく普通のことに思えた。
常識が壊れている人間は、本当に危険なものである。
「キャッチャーのプロテクターって可愛くないなあ。臭いし」
「マコ、しばっちょが臭い言われて泣いてるで~」
「汗臭いのは事実でしょうが」
調整して装着し、真琴はキャッチャーの位置に座る。
捕るだけなら出来るはずだ。ただ本格的にキャッチャーもするなら、左利き用のミットが必要かもしれないが。
内野と同じく、右で投げてもいいものか。
真琴の左投げは、ピッチャーに特化したサイドスローであるのだし。
真琴は今でも、休日には父にキャッチャーをしてもらうことがある。
ピッチャーであった父は、キャッチングに関しても、理論を持っている。中学時代にはキャッチャーもしていたのだ。
今でも健康のために、と普通に真琴と一緒に走ったりしているが、おそらく体力は現役時代と、それほど変わっていないのではないか。
肘の故障で引退したと言うが、試しに全力で投げてもらえば、今の昇馬と同じぐらいのスピードは出ていたと思う。
怪我というのは方便で、本当はまだまだ投げられたのでは、と今の真琴なら感じる。
準備を整えた真琴に、昇馬はそのフォームから、力強くボールを投げた。
本当に大丈夫かと周囲が見守る中、しっかりとキャッチ。
だがさすがに少し、その衝撃に手が痺れていた。
「捕れることは捕れるけど、左手が痺れてダメになる!」
真琴はピッチャーなのだ。昇馬のストレートを取っていては、重要な左手の感覚がダメになる。
「左利き用のミット、買ってもらわないと」
だが、キャッチャーをやるという選択は、彼女の中に残り続ける。
左利き用のミットなど、普通のスポーツ用品店では置いていない。
むしろどこに行けば、そんなものが普通に置いてあるというのか。
特注とまでは言わないが、在庫がある店は少ないだろう。
MLBで左利きの坂本がキャッチャーとして成功してから、日本でも左利きのキャッチャーもありだな、という空気は作られた。
だが今でもほとんど、キャッチャーは右利きだ。
なぜなら誰も、教えられる人間がいなかったから。
キャッチャーをやると言われて、直史は驚いた。
そして昇馬のボールを左手でキャッチしていたら、ピッチャーとしての手の使い方が出来なくなるとも言われた。
ならば左利き用のミットで、キャッチャーをやるしかないだろう。
だが誰が左利き用の指導をしてくれるというのだ?
父が考え込む様子を、真琴はどきどきしながら見守っていた。
基本的に子供のすることには、制限を設けない父である。
挑戦できる環境にあるなら、挑戦すべきなのが人間だ。
そういった挑戦が出来ない人間が、すぐ身近にはいるのだから。
普通のキャッチャーの指導であれば、それこそ鶴橋がしてくれるだろうし、鬼塚の縁からいくらでも辿っていけるだろう。
だが左利きのキャッチャーなど、世界中を見てもほとんどいないはずなのだ。
「それこそ坂本さんに教えてもらえばいいんじゃないの?」
そう解決策を次げたのは、弟の明史であった。
最近は部屋にこもっていることが多いが、一時期ほどひどくはない。
父との間で何かを話していたが、それがどういう内容なのか、真琴は聞かされていない。
ただ生まれつき激しい運動が出来ないこの弟のことを、真琴は守らなければいけないと思っている。
もっとも明史は明史で、世話の焼ける姉だと思っているのだが。
「にーちゃ、あそぶ?」
まだ小さい弟が、母の腕の中で舌っ足らずに声を出す。
明史は透徹した顔で、寂しそうに笑った。
「そうだね、僕の分までね」
下の弟が絡むと、空気が少し変になる。
真琴としては両親と明史、そして赤ん坊の間で、何かが起きているのは分かる。
だが両親はそれを隠そうとしているし、そして真琴も知りたくはない。
部屋に戻った真琴は、ずるりとドアに背を預ける。
そしてそのまま、ぺたりと床に腰を下ろした。
「大丈夫、私は大丈夫、大丈夫だから」
父も母も弟たちも大好きで、けれど急に、本当に突然に、発作的に。
「死にたい」
口にすれば、それがどれだけ陳腐なことか分かる。
笑みがこぼれて、真琴は立ち上がった。
いつかはきっと状況は良くなるし、頼るべき人はたくさんいる。
自分は絶望するには、まだまだあまりにも環境に恵まれている。
「まずはミットを」
佐藤真琴14歳。
15歳になるまで、あと一月ばかりの春の話である。
×××
次話「美少女と野生児」
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