第2話 いとこ同士・前編

「え、親父日本に戻るの!?」

 白石昇馬がそれを聞かされたのは、14歳の冬のこと。

 ハイスクールに入れば、本格的にどのスポーツを専門にするか、決める必要があるかな、と思っていた時期である。

 公立ではなく、おそらく私立に行くことになる。

 アメリカの教育は、高校の段階でかなりの格差があり、主に公立と私立でとの格差があるのだ。


「そうよ。だからあんたたちは学校の関係もあるし、今年中に椿と一緒に先に戻っていてね」

「え~、俺だけこっちに残りたい」

 昇馬の言葉を予想していたのか、桜はふうとため息をつく。

「誰の世話になるの?」

「え、そりゃあタケ伯父さんとか、ケイティさんとか」

「タケはともかくケイティのとこだと、息子の童貞がやばいのよ」

「芸能界への偏見」

「音楽業界ね」

 戯れるような会話であるが、昇馬としても未成年が、確かにああいった業界の人の世話になるのは難しいかな、とは思う。

「それにあんた、甲子園には行ってみたいって言ってたでしょ」

「そりゃ言ってたけど……そのためにこのタイミングで先に?」

 アメリカから日本に移住して高校に通う場合、タイミングが悪いと就学の期間によって、二年の夏までしか試合に出られなかったりする。

 以前に調べたので、確かに三年間野球をするなら、このタイミングがいいのだろう。

 中学三年の春のタイミングで、一年間は日本の中学で過ごす。

 なおこういった経歴であっても、進学に問題はないと、桜は調べてあった。


 わざわざそのために、先に日本に戻すということなのか。

「そっか~、まあ親父もまだまだ打てるだろうけど、ほぼ全盛期で引退ってのもかっこいいかな」

「引退はしないわよ?」

「へ?」

 日本に戻るのに、引退しない?

「NPBの球団に入るから」

「へ? はあ?」

「それで多分大阪に住むから、私たちは千葉の方に住むからね」

「え? ええ? 今さらなんでNPBに?」

 昇馬の思考にも、NPBよりMLBが上というものはある。

 そして確かにこの数年を見ても、おおよそそれは間違っていない。

「つーか野球やるならまだMLBで出来るだろ? ホームラン記録も更新出来そうだし、まだまだ現役で通用するじゃん」

 そういう昇馬にとっては、少しだけ望みがあるのだ。

 もしも自分がプロの世界に入ったら、実戦で父親と勝負してみたいと。

 練習で投げてみてもポンポンと、当たり前のように打たれる。

 だがあと三年もすれば、差は縮まっているはずだ。

 その差の縮まりというのは昇馬の成長もだが、それ以上に大介の衰えも隠れようがないはずだが。


 日米通算の世界ギネスレコードは、完全に更新した。

 キャリアの中盤ではライバルらしき存在も出てきたが、すぐに成績を落として行った。

 大介が異常なのだ。

 40歳手前の年齢で60本を打てる。そんなバッターは二度と生まれてくるはずがない。

 アベレージスラッガー。

 大介を評した、大介だけの代名詞である。


 桜もそのあたり、昇馬の気持ちも分かっている。

 本人にもその気を隠すつもりがないのだし。

「お父さんがNPBで復帰したら、ぎりぎり間に合うかもしれないわよ?」

「へ? 何が?」

「だからあんたが高卒でプロ入りしたら、同じ舞台に立てるっていうこと」

「それは……けど、なんで? そりゃいずれは日本に帰るって言ってたけど、あ、MLBの現役10年続けたからか?」

 野球殿堂の資格を得た。

 だが大介は、そんなことにこだわる人間ではない。

「説明がめんどくさい」

 桜はぶん投げた。

 面倒でもあるし、まだ誰かの耳に入るのもまずい。

「でもまあ、やりのこしたことがあるのよ」

「日本でのホームラン記録更新とか? いくら親父でもそれは難しいんじゃねえの? それに日米通算記録はとっくに超えてるんだし」


 色々と事情はあるのだ。

 ただそれを全て説明すると、物語に悪者が発生する。

 それは誰も望むことではない。もちろん桜も。

 子供たちに知らせるようなことではないだろう。

 それでも気付きそうな聡い子が、何人かはいるが。


 昇馬が気付いたのは、それとは別のことであった。

「日本ってことは伊里野とも一緒に住むのか?」

「ん~ん。伊里野は恵美理のとこで英才教育のまんま。あたしらは千葉の実家の広いほうの家を借りるから」

「なんか……変だな? シロちゃんとかは東京だよな?」

「まあ曾祖母ちゃんも具合が悪いし、最後の孝行と思って一緒に暮らしましょ」

「ああ、そうか……」


 昇馬は父方の祖父母とは、あまり会う機会がない。

 それは父の大介が早くから親元を離れたことや、血のつながらない姉妹を持ったこととも関係する。

 なんだか変な話だな、と昇馬は思う。

「久しぶりに真琴ちゃんとかと会えるわよ」

「ああ、マコかあ」

 この二年ほど昇馬は、年末年始とアメリカやオーストラリアで過ごしていたため、日本に帰っていない。

 色々と親の脛をかじって、面白いことをやらせてもらっている。

 ただ従姉のことはもちろん憶えている。

 女であるが女ではない、母にもにたゴリラ的存在。

 それが真琴であった。

 もちろん嫌い合っているとかではなく、悪戯仲間的な同志である。

「そういえばさすがに、もう俺の方が、でかくなってるかな?」

 そもそも小学校時代はおおよそ、どんなスポーツでも真琴にはかなわなかった。

 だいたいの競技において天才と言われていたので、男女の体力差の出にくい小学生の頃は、むしろ発育の早い女子の方が有利であったりもした。

 だが久しぶりに会うとなれば、楽しみであったりもする。

「どんな感じになってんのかな」

 このネット時代にその恩恵をあまり受けていない、大自然の中でサバイバルをする変わり者。

 そんな昇馬が日本に戻るのは、これより一ヶ月ほど後のことである。




 佐藤真琴は、自分の両親に興味がある。

 面白い人たちだ、と怪獣マコドンの異名で呼ばれた少女は、両親こそまさに怪獣だと思うのだ。

 仲のいい夫婦でありがたいな、とも思う。

 基本的には亭主関白っぽいが、母の身を気遣うことには、とても繊細な父。

 真琴が変に反抗期に入らなかったのも、この両親のおかげだとは思う。


 ただ二人とも、怖い人だとも思う。

 別に暴力を振るうとか、人格を否定してくるとか、そういう分かりやすいものではない。

 しかし二人は、とにかく強いのだ。

 強さにも色々なものがあって、たとえば暴力であるなら、真琴はもう母には勝てるだろう。

 だがその暴力は、真琴を破滅させるものだ。


 二人の強さというのは、なんなのかと考えてみたことはある。

 だが結局は分からなくて、一度だけ叱られた記憶がある父に、しどろもどろながら尋ねてみた。

 直史は、分かりやすく答えた。

「社会的な強さだ。お父さんたちは弁護士で、警察にも政治家にも、他に資産家にもたくさんの味方がいる。だから強く見える」

「強く見えるってことは、強いのとは違うの?」

「強いことは強いが、本当に分かりやすい強さは桜みたいな人間を言うからな」

 直史の双子の妹である、桜と椿。

 椿は若い頃の事件で、いまだに走ったりすることは難しい。

 だが桜のほうは、本当に暴力的な面で、いまだにものすごく強い。


 真琴にとっては世界で二番目のスーパースターである大介は、双子をそのまま実質的な妻とした。

 ちょっと中学生の真琴にとっては、子供の頃はともかく今になると、年頃の潔癖症が嫌悪感を抱く。

 だが叔母たちはとても幸せそうで、その子供たちも全く区別なく愛されているように見える。

「しょーちゃん帰ってくるんだってね」

「ああ、お母さんから聞いたのか?」

「ううん、曾祖母ちゃんから。おっきな家だから丁度いいって」

 直史一家は現在、千葉の中でも千葉市の近くに住んでいる。

 だが直史はいずれ実家に戻るつもりであるし、その時にはマンションも手放すだろうとは言っている。


 父である直史は、自分がいずれ死ぬことを、普通に口にする。

 ただそこに悲壮感を感じないことを、いつも不思議に思う。

「しょーちゃんだけここんとこ帰ってきたなかったよね?」

「アメリカでキャンプにハマったって言ってたからな」

 真琴と昇馬はほんの小さい頃だが、一時期家族のように過ごしていた。

 直史がアメリカから戻ってきても、正月には大介も日本に戻ってきて、昇馬も一緒であったのだ。


 弟に近い感じはするが、それよりは悪友に近い。

 それが帰って来る。

 ただ父の実家の方であると、自分一人で行くのは大変だが。

「しょーちゃんまだ野球やってるかな?」

「やってるって聞いたぞ。あとバスケも」

「あ~、タケ叔父さんの影響かあ」

 それだけではないのだが。

「しょーちゃんの身長じゃ、ポイントガードかシューティングガードしか出来ないね」

 今はあまり、そういう区分けをしていないのがNBAなのだが。


 佐藤真琴と白石昇馬。

 第二世代の騒動の中心にいる、少年と少女。

 その再会はもう遠くない。

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