トイ・ボックス
バブル
追跡
サービス終了、って文字列だけで、おれの背筋は凍った。ゲーマーにとって、これだけ恐ろしい言葉はないだろ?
まあ、終わるのは、別にゲームではなかったんだけどな。
HOLLってSNSはパッとしなくて、それはコラボしているゲームもそうだし、いかんせん名前が微妙だ。広間のhallと穴のholeをかけたんだろうが、広間はともかくSNSに穴ってなんだよ? バックドアか? それでも、おれは結構気に入っていた。
――何が、って言われてもな。面子かな。いや、そんなもんだろ。「クラスが好き」って言ったら、教室がどうとかじゃなくて、クラスメートが好きってことだろ。それと一緒だ。
おれがHOLLを始めたのは中二のときだった。タブレットを買ってもらって、色々アプリを漁ってたら辿り着いたんだ。きっかけは、覚えてないけど。
おれは下の名前をそのままアカウント名にした。どうも空気が違うと気づいて、別の名前に変えたけど。「針」って名前だ――そうだ、分かってきたな。きっかけは覚えてない。
はじめは「中学生集まれ!」だの「夜更かしさん大集合♪」だの、大所帯なグループに入っていた。けど、そこにはすでに内輪の空気みたいなものがあって、もちろん歓迎はされるんだが、二,三回発言して結局ついていけなくなった。だから、俺は自分でグループを作ったんだ。「おもちゃ箱」ってやつを。
とりあえず、グループのアイコンを設定してみた。当時放映してたアニメで、おれがハマってたやつに。あー、思い出した。それの主人公の下の名前が「ハリ」で、そいつのいるグループが「トイ・ボックス」っていったんだ。
「おもちゃ箱」に最初に入ってきたのは、「よすみ」ってやつだった。年上っぽかったけど結構話が上手くて、中坊の俺ともすぐ打ち解けた。後から聞いた話だけど、塾で講師をしているらしい。なるほど、ガキと話すのが上手いわけだ。
次に「オイディプス」ってやつが来た。一人称が我が輩で、物言いがいちいち仰々しかった。思うとあれは、恐らくおれと同じくらいの小僧が、寒いネタやっていたんだと思う。最初は面白かったけど、おれはすぐ飽きたし、オイディプスもすぐ来なくなった。
HOLLはグループを作ると、それが一定期間「新着グループ」ってとこに表示される。よすみやオイディプスもそこから来たのだろう。その新着ブーストがなくなると、ありふれた雑談グループなんて見向きもされない。ああ、このまま廃れるな、って思ったよ。
けど、そうじゃなかった。でも今は関係ないんだ。実際、しばらく俺とよすみのふたりしかいなかったし。
おれとよすみだけで一週間くらいは会話していた。
学校終わった 15:32 針
お疲れ様。部活は? 15:40 よすみ
テスト期間だよ 15:40 針
ああ、そっか。ちゃんと勉強してるの? 15:44 よすみ
んー 15:45 針
やってないでしょ 15:45 よすみ
やってるよ、ちょっと 15:45 針
ちょっとじゃ駄目 15:46 よすみ
よすみの敬語はもう抜けていて、思えば先生と生徒のような距離感だった。けど、おれは友達と思っていたから、ウザさは感じなかった。
テストいつまで? 16:02 よすみ
明日 16:05 針
そっか。じゃあ終わるまで頑張りなよ 16:09 よすみ
ゲームしたい 16:10 針
終わってから 16:27 よすみ
ケチ 16:28 針
おれがそう送ってから、少し返信がなかった。いつもは一〇分あれば来るのに。怒らせたかな、ってビクビクしてたよ。でもそれも訊けないで、代わりにおれは数学のワークをやっていた。謝るよりそっちの方がよっぽど良いと思ったからだ。
なんのゲームやるの? 21:55 よすみ
夜になって返信が来た。おれは安心して、答えた。
CARTUNE 22:00 針
CARTUNEはスマホでできるけど、同級生でやってるやつはいなかった。少なくとも、おれの知る限りは。
テスト終わったらやろうよ 22:02 よすみ
意外な答えだった。おれは即答した。もちろん、やると。
◆
「ボイチャつけたよ。聞こえる?」
「聞こえてるよ」
よすみの声はスピーカー越しでもよく聞こえた。少し高めの声で、おれのクラスの学級委員の女子によく似ていた。
「フレンド申請送ったよ」
「ねえこれ、本名じゃない?」
よすみに言われて、しまった、と思った。針、なんてのはHOLLのために作った名前だ。
「針、にしときなね」よすみは笑いながら言った。よすみは、しっかり「よすみ」って名前だった。
CARTUNEは車を操縦しながら銃撃戦を行うゲームで、プレー人数によって少しだけやり方が変わる。ひとりでやるなら運転と射撃を同時にしなくてはいけない。正直ひとりでやるのは、嫌いだった。見なきゃいけないところが多いし、大抵は泥仕合みたいになって終わる。でもずっとひとりでやってたよ。一〇回負けてイラついたって、一回勝てば吹き飛ぶから。
よすみとの初試合は、結構白熱した。よすみが
真っ赤なFR-Sとギリギリの攻防をして、おれがすれ違いざまにポルシェ959を相手にぶつけた。視界がブレまくって、多分よすみもそうなっていただろう。そんな中で銃声が一発。近接用のサブマシンガンじゃなく、スナイパーライフルの音だった。相手の運転手が撃ち抜かれていた。
そのときのよすみは、めちゃくちゃ輝いて見えた。
◆
ある日、「おもちゃ箱」に新しいメンバーが入った。HOLLを始めて一ヶ月くらいだ。正直、毎日CARTUNEをやっていたせいでHOLLのことは半分忘れかけていた。
新参の名前は「ゴスペル」といった。モノクロの、アフロのボクサーをアイコンにしていて、一度も会ったことがないけど、ゴスペルはいつもその顔でイメージされるんだ。
アイコン誰? 18:44 よすみ
よすみが訊いた。
サルバドル・サンチェスだよ 18:45 ゴスペル
ゴスペルが答えて、その話題は発展しなかった。
その少しあとに、「にゃな」ってやつも仲間になった。けど、HOLLで親しくなったわけじゃないんだ。えっと、そうだな、順番に話すよ。
HOLLはグループの過去の会話も見れて、そこで、CARTUNEの話もしていた。それを見たゴスペルが言ったんだ。
おれもやってるよ 20:12 ゴスペル
そんな人口多いゲームだったなんて…… 20:12 針
ゴスペルさんもやります? 20:13 よすみ
やろうか 20:17 ゴスペル
ゴスペルのアカウントを見て驚いた。よすみはおれと同じくらいのレベルだったが、ゴスペルは100を超えていた。一年やったおれで、60だ。
三人でやるモードはないから、勝手にひとり補充される。ゴスペルは少し嫌がったが、このゲームで欠員ほど不利なものはない。結局ひとりでマッチングしてるやつを追加して、パーティが組まれた。そう、そいつがにゃなだよ。
「あ、こんにちは。よろしくお願いします」
にゃなの声は、大人しそうな女子、って感じだった。
「よろしくね」
「よろしくお願いしますー」
「よろ」
三人が各々に挨拶した。
四人でやると勝手がだいぶ違う。運転手はそのまま、射撃手はひとり増える。そして、
ゴスペルは射撃手としての成績が群を抜いていた。よすみは未だに運転手が苦手だ。にゃなはレベルこそ低いものの役職ごとの差が少なくて、どれでも任せられそうな気がした。
おれは追跡者を選んだ。追跡者は一番狙われやすくて、さっさと退場することも少なくない。ただでさえアウェーのにゃながそうなったら、余計寂しいだろ。おれはそんな気遣いができることに、自分で驚いた。
そして気づいたんだ。これは、よすみがいつもおれにしてくれることだった。
◆
おれは、追跡者の役割を全うできたと思う。メインカーが引っ張ってくれるだけと思いきや、細かい動きは自分で行わなくてはいけなかった。そして射撃もするのだから、かなり疲れた。けど、ひとりで鬱々とプレーしていた時代が、おれを助けてくれた。終盤戦でおれは撃破されたけど、引き換えに敵の射撃手をひとり持って行った。
ゴスペルはとにかく弾を当てたし、よすみはトドメの一撃を決めた。にゃなは、しくじりも多かったけど、派手なドリフトで危機から逃げ切った。
つまり、それぞれが役割を果たしたんだ。おれは英語の授業でやたら出てくる、excitingの意味が分かった気がしたよ。
試合後、おれたち三人にフレンド申請がきた。そして、そのままにゃなはチームに加わった。これで、「おもちゃ箱」の初期メンバーが揃った。
おれたちはチームになった。HOLL でも話したし、一緒にゲームもした。うん、そうだな。一番幸せだったと思うよ。
◆
一年経って、おれは三年生になった。時間に「流れ」って単語をくっつけたやつは偉大だよ。おれは流されるまま、嫌でも受験生にならなきゃいけなかった。
おれはゲームに没頭しようとした。ゴスペルは歓迎した。にゃなは傍観して、よすみは制止した。このときから、ちょっとだけおれはよすみを「友達」ではなく「大人」として見るようになった。
あるとき、HOLL上でメッセージが来た。「おもちゃ箱」ではなく、個人チャットだった。
今から一戦だけできる? 20:00 よすみ
狙ったようにキリの良い時刻だった。おれは答えた。
いける。 20:01 針
◆
おれたちの一戦は、数ランク上の相手に呆気なく潰された。けど、おれはよすみとの連携が衰えていなくて満足していた。おれとよすみのいるルームで、よすみはいつまでも「退出」も「準備完了」もせずにいた。
「ねえ、行きたい高校ないの?」
「……説教するために呼んだの」
「ううん、遊びたかった。小言抜きで」
嘘くさい、けど、おれの中の満足感がそれを信じさせた。
「行けそうなとこに行く。やりたいことねえから」
「なら、とりあえず良いところに行っときなよ」
「そのモチベが上がんない」
「そっか」
よすみは言葉を切った。
「私が教えるって言ったら、どうする?」
◆
これを機におれたちは、「生徒」と「教師」になった。よすみの教え方は上手かった。けど、今考えると、おれが分からないことを素直に「分からない」と言えたから、上手くいったんだと思う。
受験については言うことはないよ。おれは志望校のランクをひとつ上げて、そこに合格した。うん、よすみのおかげだ。間違いない。
CARTUNEは年末にアンインストールしていた。けど、ゴスペルとにゃなの様子はよすみから聞いていた。新しくプレーするようになったやつもいるらしいが、居場所を奪われる、なんて心配はなかった。よすみがいたから。
高校生になって、おれはバイトを始めた。遊ぶ金ほしさっていうのもあったけど、頭にあったのはよすみ、ゴスペル、にゃなのことだった。おれが戻ったときにいたのは結局その三人だったんだ。
ゴスペルとおれは関東、にゃなは九州、よすみは名古屋に住んでいた。仲良くなって一年も経てば、当然会おうって話になる。開催地は未定だったけど、おれは名古屋になるだろうと思った。にゃなはおれのひとつ上で、同じ高校生に日本を横断させるのは気が引けた。交通費と宿泊費を計算して、金がちょうど貯まった頃。
あのクソみたいなウイルスが蔓延した。
最初のステイホームは、半ばイベントみたいなものだった。学校がないのは嬉しかったし、何よりほかの三人と時間が合わせやすくなった。よすみは大学生、ゴスペルは大学院生。多分このときが、一番プレーしていたな。
けど、オフ会は中止になった。しばらく会えなさそうだな、って雰囲気が定着した。
――え、ああ、あの騒動か。それは長くなるから触れないよ。まあ、こんなことを言うのもなんだけど、当事者の声以外はあまり信用しないでほしいな。
うん、お前も知ってるだろ。おれたちは、チームは徐々にバラバラになっていった。まずゴスペルが辞めて、にゃなはあまり来なくなった。「おもちゃ箱」は賑わっていたけど、騒動を境に荒らしがよく現れるようになった。おれはアプリを開く気が失せ始めていた。
「おもちゃ箱」は終わった。こうしてみるとずいぶん呆気ないな。
◆
おれは物持ちが良いってよく言われるんだ。けど、多分そうじゃない。ものを大切にするんじゃなくて、未練がましいだけなんだ。
HOLLのアプリはアンインストールしていなかった。開きはしなかったけど、おれのまだ短い人生の、三割くらいは占めていたから。久々に通知が来たと思ったら、サービス終了のお知らせだった。確かにHOLLは、全盛期と比べるとかなり衰えていた。前はグループを作っても、五分あればさらに新しいグループの波にさらわれた。今は、「新着」の欄に五時間前のグループが載っている。
にゃなのアカウントは消えていた。ゴスペルはTwitterで繋がっていたから連絡を取れた。よすみは、ちょうど一年前の発言以降動きが見られなかった。
他の「おもちゃ箱」の面々は、騒ぎつつも、まあ、仕方ないなという意見が大半だった。おれは唯一残った初期メンバーだった――ゴスペルは騒動のせいで顔を出せなかった――から、なんとなく締めの言葉を言った。サービス終了は一ヶ月後だったけど、実際はそれよりも早く朽ちるだろうと思った。この騒ぎさえ、殺風景と化したHOLLにとっては祭りのように感じられた。
おれは、毎日HOLLを開いた。そして、毎回よすみの姿を見つけられず、アプリを閉じた。
◆
あと半月。
おれはよすみのアカウントページを開いた。名前の下に、IDがふってある。アカウント作成の際に作るものだ。「fourcorners44」。おれはそれを、検索エンジンに打ち込んだ。
何も出ない。
頭に@をつけて、Twitterで検索する。
何も出ない。
今連絡を取って、何かが戻るわけではなかった。けど、よすみのコメントについた「1年前」の文字は受け入れたくなかった。
おれは頭をフル回転させた。「よすみ」はきっと、統一して使ってるはずだ。HOLLもCARTUNEも同じ名前だった。
よすみとの、最初の試合を思い出した。よすみが決めた、最後の一撃。試合はクリップしてあるから、詳細が見れる。ライフルはM82だった。おれはよすみの一撃が、彼女の心にも残っていることを信じた。
――あんな一撃を決めたら、俺だったらスナイパーライフルを手放せなくなる。
M82があるゲームを片っ端から探して、複数の端末でそれぞれインストールした。そして、「よすみ」というユーザーを検索する……
CARTUNEと同じ会社が作っている、TPSだった。
よすみ:fourcorners44。
突然ごめん。針だけど、よすみだよね? 22:34 よすみ
返事を待つうち、おれは寝ていた。起きるとスマホの充電が切れていた。朝四時。充電器を差し込み、電源が入るのを待つ。新聞配達の足音、近所の爺さんが雨戸を開ける音、ウグイスの鳴き声。朝の気配が膨張して、おれの部屋まで来ていた。
通知のところに、メッセージがあった。
ネトストじゃん 23:56 よすみ
トイ・ボックス バブル @bubbleandbubble
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