第28話 殆ど経験ゼロ故に

普段は食べることがない、美味しい料理を食べることが出来た。

それは素直に嬉しかった。

嬉しかったが……男気に押されてしまったとはいえ、特別な関係を持つ相手に……生徒に約六千円もの食事を奢らせてしまった。


勇夢がこの日の為に貯めていたお金なので、勇夢としては別に痛い出費という認識はない。

千沙都が美味しそうにビュッフェの料理を食べてくれて、心の底から良かったと思っている。


しかし、千沙都は生徒に水族館の入場料も入れて一万円近く奢られているという状況に、少々焦りを感じていた。


(ど、どこかで返さなければ……しかし、どうすれば良い?)


千沙都は勇夢に対し、どうにかして約一万二千円分の何かを返さなければと思い始めた。


勇夢は千沙都に対してそういった感情を持ってもらい、自分のことを今よりも強く考えてほしい……なんて考えは一ミリもない。


千沙都は大人の女性なので、デート中の食事の場はあぁいった場所、料理の方が良いかと思い、今回の場所を選んだ。

決して他意はなかったが……千沙都が勝手に考えを加速させ、やや勇夢にとって良い方向に流れていた。


ホテルのビュッフェから出て、少し悩ましい表情をしていた千沙都だが、水族館に再入場してからは……直ぐにまだ見ていなかった生物たちに夢中。

悩ましい表情はあっさりと消えていた。


そんな千沙都の表情を見て、本当に可愛いなと思った勇夢はもう一度……こっそりと素の笑顔が出ている千沙都を写真に収めた。


それから時間は過ぎ、二人が丁度水族館の生物を全て見終えたぐらいのタイミングで、ショーの時間が近づいてきた。


二人はなるべく水が掛からない位置の席に座り、ショーが始まるまで待った。


「……」


「……」


椅子に座ってから、二人の空気はやや重い状態になってしまった。


(こ、こういう時どうすれば……もう、色々と話しちゃったからな)


千沙都と待ち合わせしてから、以前のデートから積もった話は殆ど話してしまった。

当たり前だが、異性……特別な関係である相手なので、桃馬たちと話す様な内容の会話は出来ない。


(空気が重いな……何か、放した方が良いのか?)


竜弥と一緒にデートしている時には、一度もこんな空気にはならない。

いつも竜弥の方から話題を振ってくれ、千沙都もそれに答える。

千沙都からも聞きたい事があるので、基本的に会話が途切れることはない。


それに、黙って何かを待つという時間も……竜弥と一緒であれば、空気が重苦しくなることは今まで一度もなかった。


二人がこの空気をどうすれば良いのか悩んでいると、イルカたちによるショーが始まった。


勇夢と千沙都は先程まで重苦しかった空気は一旦置いておき、直ぐにスマホを取り出して撮影を始めた。


イルカのジャンプなどに驚きながらも、スマホでの撮影は一切止めない。

子供の頃はショーを見てもただただ凄いという感想しか浮かばなかった。


ただ……その頃からある程度大きくなり、また違った見え方を感じた。

そしてチラッと隣に視線を向けると、また素の笑顔が漏れている千沙都がいた。


(……この笑顔、リアルで見たら何人の男子生徒がキュン死するか)


クールな笑みではなく、無邪気さが含まれた笑顔。

その表情は、まさに必殺だった。


それだけで強いギャップを感じさせられる。


また一枚、千沙都の素の笑顔を取りたい衝動が起きたが、さすがにバレそうだと思い、今回は断念。

素直にイルカのショーを見るのに集中。


ショーはニ十分程度で終わり、他のエリアもある程度見た二人はサラッと水族館内を見納めし、水族館から出た。


(はぁ~~、本当に楽しかった。良い写真も一杯取れたし、最高のデートだ)


今回のデートでも千沙都とのツーショットを撮れ、非常に満足。

写真の笑顔は、水槽の中の生物に夢中になっている時の千沙都とは違うが、それでも満足したことに変わりはない。


是非ともツーショット写真をスマホの待ち受けにしたいところだが、それは自分の首を……千沙都の首を絞めることになるので、諦めざるをえない。


そしてイルカのショーが終わり、水族館から出てきた千沙都は……楽しい時間から覚め、少し前まで悩んでいたことを思い出した。


(つ、次のデートは私が誘うべきか? いや、そうした方が良いはず……だが、どう誘えば良い)


生徒に約一万円も奢られた。

であれば、この場で一万円を渡す?


それは一つの手かもしれないが、勇夢が素直に受け取るとは思えなかった。


「それじゃ、今日は本当に楽しかったです。また、予定が合えば遊びに行きましょう」


「う、うむ。そうだな。また予定が合った時、何処かに行こう」


一緒の電車には乗らず、少し時間をずらしてから乗車。

少しでも学校の生徒、教師などの関係者にバレない為の策なので、前回と同様に忘れず実行。


勇夢は元々ここまでしか予定しておらず、この後千沙都が何かを奢って差をゼロにする機会は……少なくとも今日はなかった。


お互いに家に到着した後、勇夢は前回と同じく超笑顔。

今日のことを何度も思い返しながら、ニヤニヤと……少し気持ち悪い笑みを浮かべていたが、本人は気付いていない。


そして千沙都だが……恋人ではない男との一件に、少々頭を悩ませていた。

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