32. 到着


「悪く思うな。楽に死なせてやる」


 セフィエに、大きな斧が振り下ろされる。


 彼女は歯をがちがちと鳴らし、迫り来る恐怖を堪えようと踏ん張った。

 が、敵わない。

 自分の意思とは裏腹に、体液がズボンに染みをつくる。

 彼女は恐怖のあまり…………目を瞑った。





「――――うわー、すげージメジメすんなここ…………」





 不意に、腑抜けた男の声が聞こえてくる。

 それは明らかに斧を振りかざす男のではなかった。

 では一体だれが…………。


 斧を振りかざしていた男は一度手を止め、驚いて振り返る。

 そこには――――“青年”が立っていた。


 金色の撫でつけ髪に、地味なコートと赤いネクタイ。


「だ、誰だ」


 男は叫ぶ。が、セフィエは驚いて目を見開く。


「貴方は、あの時リリアと一緒に居た…………!」


 ブラッドリーはニヤリ、口元を歪めた。


「ああ、そーだよ。…………しっかし、あんたらお熱いねえ。こんな洞窟で“拘束プレイ”なんて。中々雰囲気凝ってるんじゃない?」


 自分の軽口でケタケタ笑うブラッドリー。

 しかし彼のそれに一切構わず、男は彼目掛けてその大きな斧を振り下ろす。


 ブラッドリーは斧の刃を見上げながら、鼻で笑う。


「慌てるなよ…………まだ俺の話が終わってねえだろーが」


 突然、男の手から斧がすり抜ける。

 ブラッドリーが手を振り上げると、斧が木の葉のように吹き飛ぶ。

 そして男の頬をかすめ、壁にガツンと突き刺さった。


 驚きたじろぐ男を前に、ブラッドリーは飄々とした様子でさらに腕を振り上げる。


「それとも、お前には“拳”で語った方が早いかなッ!」


 大きく腕を振って、彼の拳が――――男の顔にめり込んだ。


「う、ぐがっ」


「――――伝われッ!」


 男は悲鳴をあげる。

 するとあり得ないこれもまたあり得ない勢いで、男は壁に吹き飛ばされた。

 激しく背中を打ち付けたその男は、衝撃で気を失う。


 ブラッドリーは右拳をぶんぶんと振って、何とか痛みを誤魔化す。


「いてー。やっぱこれ使うと痛えな」


 彼が拳を開くと、そこには小ぶりな“鉄球”が。

 魔術をこの鉄球に使ったことにより、さっきのパンチは恐ろしい程の力を得ていたのだ。

 それこそ、人間の頭蓋とうがいなど易々と砕いてしまいそうな力を。


「“マグネート”」


 ブラッドリーは手を摩りながら、呪文を唱える。

 するとセフィエを縛っていた鎖が音を立てて割れ、するすると地面に落ちた。


「あ、貴方一体…………」


 セフィエは口をぽかんと開けたまま、鋭い目つきでブラッドリーを睨みつける。

 すると、彼はいつもの如くおどけて見せた。


「おいおい、俺の正体なんてどうでもいいだろ? 今はここを無事に出るのが先決だ。な?」


「え、ええ」


 彼女は疑問と不安とを腹の中に押し込み、椅子から立ち上がる。

 するとつーっと内またを冷たい何かが垂れていく。

…………そういえば、漏らしてしまったのだ。


 ブラッドリーが振り返ると、くすりと笑う。


「お前“ちーちー”漏らしちゃったのか?」


「う、うるさいですッ! 貴方は黙って前を向きなさい!」


「あハハハ。…………悪かったよ」


 彼はにやにやと口元で笑いながら、拗ねるセフィエを連れて小さな洞穴を出る。

 しかしそこはまだ薄暗く、どうやらまだ先まで洞窟が続いているようだ。

 

 二人はその薄暗く狭い通路を、ブラッドリーの持つ蝋燭の灯だけで進んでいく。


「…………ねえ、一体どうやってここが分かったのかしら?」


 セフィエは底冷えする洞窟の冷気に身を震わせながら、そう聞いた。

 彼女の前で火を灯すブラッドリーが頭だけで振り返り、素っ気なく答える。


「“靴”だよ」


「靴? 一体どうして靴がここへ貴方を導くのかしら?」


「さっき、お前とすれ違っただろ? あの例の小道で」


「ええ」


「その時にお前の部下の何人か…………多分三、四人だったかな? そいつらのブーツが“泥”で汚れてたんだよ」


「泥で…………?」


 セフィエはそれを聞いて、何となく彼が抱いた疑問について理解した。

 恐らく、彼は今自分が抱いた疑問と同じものを、あの時に感じたのだろう。


 ブラッドリーは左右に分かれる道を見定めながら続ける。


「他の奴らのブーツは綺麗だったし、あの日はカラカラに晴れてた。つまり、ブーツが汚れたのは別の日。かつ、汚れが落ちない数日以内。…………その条件で、雨が降ってたのは昨日くらいだ。だから、不思議に思ってあいつらの後をつけたんだよ」


「そうでしたか…………けど、泥が付いてるなんて別に珍しいことでは無いと思うのだけれど」


「まあな。それだけだったら、確かにそうだ。けど…………」


 ティレシアの隊列が襲われた話をしようとして、彼は口をつぐむ。

 この話は今するべきではない。


 ブラッドリーはセフィエを信じ切ってはいなかった。

 だからこそ彼女には何かしらの裏、策略が潜んでいると考えていたのだ。

 今は明け透けに話すべきではない。


「まあ、色々あったんだよ」


 彼は言葉を濁す。

 すると、セフィエは顔をしかめた。


 日光が差し込んでくる。

 どうやら、そうこうしている内に出口へたどり着いたらしい。


 セフィエは眩しさに手で顔に日陰をつくって、外に一歩踏み出す。

 そしてその背後にブラッドリーが続いた。


「…………よかった、外に出られたようです」


「ああ、だな。少しは感謝しろよ? お前散々コケにしてたけど、助けてやったのは俺なんだから」


 そう言ってブラッドリーは口元に不敵な笑みを浮かべる。

 セフィエも、確かに未だに怒りというか、彼への軽蔑は少し残っていたが、こうして助けてもらったことの重大さは分かっていた。

 だからこそ、彼女は柄にもなく素直に例を言う。


「か、感謝します…………」


「いいって事よ。――――それより」


 ブラッドリーは、突然身構える。

 何事かと驚きあたりを見回すセフィエの顔が、一気に険しくなった。


「まさか…………待ち伏せ!」


「らしいな。俺たちが逃げ出すことを予想してたんだろうな」


 二人を、いつの間にかローブを纏った集団が取り囲んでいた。

 

 彼らは各々手に武器を持ち、およそ友好的とは思えない雰囲気を放っている。


 ブラッドリーは笑う。


「おいおい、俺たち大歓迎だぜ! 見ろよ、セフィエ」


「あ、貴方。今はそんな軽口を叩いている場合ではないでしょう!」


 セフィエは剣を抜こうと腰に手を伸ばして…………それが無いことに気が付いた。

 きっと、攫われたときに武器を奪われてしまったのだ。


 彼女は唇を噛む。


 最悪だ。

 向こうは複数人。

 とてもじゃないが二人、しかもそのうちの一人が丸腰で相手の出来る人数じゃない。

 その倍は優に居るだろう。


「に、逃げますの?」


 セフィエは眉を下げ、ブラッドリーに視線をやる。

 しかし、彼の横顔を見て、彼女は答えを聞く前にそれを察した。


「バカ言え…………逃げるだと?」


 ブラッドリーは不敵な笑みを浮かべる。


「こんなの俺一人でも相手出来る」


 彼は腰から、その歪な剣を引き抜く。

 それはギュイーンと得意げな音を立て、獲物を今か今かと待ちわびる。


 セフィエは咄嗟に、一歩踏み出す彼の腕をつかんだ。


「ま、待ちなさい! 無茶よ!」


「何がだよ」


「こ、こんな人数。勝てるわけが無いでしょう!?」


 おろおろと不安げなセフィエに、ブラッドリーは額に手を当てた。


「おいおい、大丈夫だって。だからすこし黙ってろ」


「けれど!」


「――――だ、ま、れ。頼むから」


 セフィエは渋々口を噤むと、一歩後ずさる。

 それに満足したブラッドリーは笑う。


「そうだ、それでいい」


 彼は剣を構えなおすと、周りを囲むローブの男たちを見回した。

 

 ざっと15人。

 どう考えても――――負ける確率は“ゼロ”。


 ギュラギュラと音を立てる剣を地面にだらんと垂らし、彼は余裕の表情を浮かべる。


「どうした? かかって来いよ。もしかしてお前ら寝てる? おーい、起きろ~。敵が目の前にいるぞ~」


 パンパンと手を打ち鳴らして挑発すると…………集団の後ろから、思いもよらぬ人物が顔をのぞかせた。


「――――ふふ、面白い人ね」


 出てきたのは、またもやローブ姿。

 しかし醸す雰囲気は他のとは違い、どこか妖艶で、得も言われぬ“暗さ”を帯びていた。


 ブラッドリーもそのひと際目立つ人物――――ローブ姿の女性に気が付く。


「これはこれは。もしかしてあんたが“ローブ愛好会”の会長さん?」


 彼が嘲ると、ローブの女性は狼狽えることなく飄々と返す。


「ローブ愛好会。…………ではありませんが、“リーダー”なのは当たりですよ?」


 そう言って軽口を笑って返す女性。

 突然、セフィエが声をあげる。


「――――あ、貴方!」


「え、お前あいつと知り合いなのか?」


 セフィエはきっと女性を睨みつけた。


「ええ。私を攫った女」


 すると、ローブの女性が笑う。


「覚えててくれて嬉しい! けどダメじゃない、勝手に外に出ちゃ…………」


 彼女はニタリ、フードの下に奇妙な笑みを浮かべながら、足元に魔法陣を召喚する。

 ブラッドリーも負けじと不敵な笑みを浮かべ、剣を構えた。



「下がってろよセフィエ。どうやらタダでは返してくれねえみたいだからな」


 



 


 

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