31. 洞窟

 セフィエは目を覚ました。


 しかし、目隠しをされているせいで彼女は周囲の様子を伺うことが出来ない。

 ただ、ひんやりとした空気、そしてごつごつとした地面は感じる。

 なんだか…………洞窟に居るようだと彼女は思った。



――――突然、不意を突くように目隠しを外された。



 視界を取り戻した彼女は、落ち着いて周囲の状況を伺う。

 そこは彼女の思った通り“洞窟”だった。


 壁の窪みに灯された数本の蝋燭が、辛うじて空間を照らしている。

 それ以外の光源は見当たらない。

 どうやら本当に外と隔絶された“洞窟”のようだ。


 セフィエが立ち上がろうとして…………“がちゃり”。

 手首に巻きつく“鎖”が鈍い金属音を立てた。

 

「鎖…………」


 彼女の手足は頑丈な鎖でイスに巻き付けられており、身じろぎさえ出来ないくらいに縛られてしまっていた。


 不意に、思い出してしまう。

 納屋で自分のように縛られていた人たちの、苦悶の表情を。


 腹の底から湧き上がる悲鳴を、彼女は理性で抑えつけた。

 今こそ気丈に振舞わなければいけない。敵に捕らえられた今こそ、平静を保たなければ。


 気持ちとは裏腹に、額に玉のような汗を浮かべるセフィエ。

 彼女が鎖をなんとかして解こうと藻掻いていると…………いきなり、それと“目が合った”。


 丁度彼女の向かい側、暗くてよく見えないが、間違いなくそこにそれは居た。

 同じくイスに縛られ、猿ぐつわをさせられている女性が。


 セフィエは驚き、再び周囲に視線を走らせてから話しかける。


「ねえ、そこの貴方! 大丈夫?」


 猿ぐつわの女性はもごもごと喋った後、自分の声が届かない事を思い出し、代わりにこくりと頷いた。

 

「貴方もここに捕らえられているのかしら?」


 彼女は頷く。


「あなた、もしかして大きな納屋のある村に住んでない?」


 再び、彼女は頷く。

 そこでセフィエは一度言葉を切る。

 もし彼女が村の惨状を知らないままここに連れてこられたのだとしたら、これを伝えるのはあまりにも酷だと思ったからだ。

 一瞬顔を背けると、彼女は鎖に目をやる。


「待ってて、何とかして抜け出します。そしたらあなたのそれも解いてあげます」


 猿ぐつわの女性はこくり、頷いた。

 セフィエが鎖の綻びを探そうと覗き込んだところで…………



「――――無駄なことはよせ」



 突然、男の声がそう言った。

 

 セフィエが驚いて顔をあげると、そこにはどこからともなく現れたローブの男が。

 彼女はそのローブを見て感づいた。

 きっと、自分を攫った奴らの仲間だ。


「な、何のつもりかしらッ!」


 セフィエは声を荒げ、怒鳴るように叫ぶ。

 しかしローブの男がたじろぐどころか、何も言わずただそこに立っていた。

 と。

 不意に男が背中から大きな何かを取り出す。


 それは蝋燭の光をちらちらと反射し、淡いオレンジの光を放っていた。

 美しい曲線を描く“刃”に、セフィエの顔が映る。



「――――お、“斧”!?」



 セフィエはその斧と男とを見比べた。

 彼は一体何をするつもりなのだろうか。

 そう考えていると、彼女の脳裏を嫌な光景が過る。


 恐怖のあまり彼女は息を飲んだ。


 ここで狼狽えれば、相手の思うつぼ。何としてでも平静を保たなければ。


 セフィエは悲鳴を押し殺し、男を睨みつける。


「何が望みなの! 私をこんなところに捕らえて。それに、あなた達は一体誰なの!?」


 彼女の問いに、男は答えない。

 ローブの下から覗く口元は無表情のまま、男は沈黙を破る。


「――――“教会特殊任務執行部”のリーダーは誰だ?」


「え? 今なんと…………」


「“教会特殊任務執行部”のリーダーは誰だ?」


 男は繰り言のように、そう聞いてきた。

 しかしセフィエにはその意味が分からない。“教会特殊任務執行部”? 名前からすると自分と同じ教会に属する組織に聞こえるが。

 けれど彼女に心当たりは無かった。


 自分の知り得ないところで“秘密組織”が出来ていたとしても、何ら不思議ではない。

 もしも本当に実在するのだとしても、所謂いわゆる“明るい面”を担う彼女が知るよしも無かった。


「答えろ、“教会特殊任務執行部”のリーダーは誰だ?」


「知らないですわ、そんな組織。聞いたこともない」


「嘘を吐くな」


「嘘はつきません! 本当に知らないんですの」


 セフィエは息を整えようと、再び深くイスに腰を掛ける。

 男は斧片手に、ただ茫然と何も言わず彼女をじっと見つめていた。

 向かい側に座る猿ぐつわの女性は、話が読めないのか困った表情を浮かべている。


 口を噤んでいた男が、動き出す。

 そして彼は一歩踏み出して――――斧を大きく振り上げる。



…………ガツン。



 鈍い音。

 それは――――“腕が断ち切れる”音。


「んぐううぅぅぅううううう…………!」


 大量の鮮血が噴き出し、セフィエと床を真っ赤に染め上げる。

 猿ぐつわの女性が痛みに足をガクガクと震わせ、大きくのけぞった。

 痛々しい悲鳴が洞窟に木霊する。

 そして彼女の腕が…………床に転げ落ちた。


「ひ、ひっ――――!」


 やっと、セフィエは今起きたことを飲み込めた。

 そして彼女は引き攣るような悲鳴をあげる。

 彼女は自分を染め上げる真っ赤な返り血を見下ろし、呆然自失としていた。


 猿ぐつわの女性の虚ろな目が、セフィエを捉える。


「な、なんてことをしたのッ!」


 セフィエが弱々しいあからさまな虚勢に満ちた声でがなり立てた。

 しかし男は何も言わない。

 彼は答える代わりに、再び斧を振り上げた。


「“教会特殊任務執行部”のリーダーは誰だ?」


「知らないッ! 本当に知らないッ!!」


 ぶん、と斧が風を切る。

 セフィエは目を大きく見開いたまま、振り下ろされる斧をただ茫然と見ていることしかできなかった。

 

 再び――――鈍い音。


 大量の鮮血が再びあたりにまき散らされ、今度は男も真っ赤に染め上げる。

 猿ぐつわの女性は完全に理性を失い、びくびくと体を震わせたまま弛緩していた。


 セフィエの視界がぼやける。


 頭がくらくらしてきた。

 彼女は漠然とする意識の中、淀む痛々しい悲鳴が聞こえてくる。


「もう、もう…………やめて」


「“教会特殊任務執行部”のリーダーは誰だ?」


「知らないっ! 知らない知らないッ! 本当に知らないのッ!!」


 遂に彼女は泣きだす。

 恐怖、怒り、そのすべてがない交ぜになって、彼女に襲い掛かった。

 とめどなく涙が零れ落ちてくる。


「知らないの、止めて。もうやめて…………」


 彼女はだらんと、頭を落とす。

 どうしようもない。今の自分には、彼女を助けられない。


 何故こんなことになってしまったのだろう。


 弱き者を助けるために騎士団に入ったのに。

 だというのに、結果はこのザマ。

 全然、ダメだ。


 セフィエが絶望に打ちひしがれていると、男が再び口を開く。



「――――いかがなさいますか、“教祖様”。こいつは本当に何も知らないようですが」



 セフィエは驚いた。

 彼が発した“教祖様”という言葉。

 もしかして、ここに彼の上司が、この悪の集団の頭領が現れたというのだろうか。


 彼女はその憎むべき相手の顔を見ようと、頭をもたげて…………言葉を失った。



「…………ええ。これ以上は時間の無駄のようね」



 猿ぐつわの女性がそう言って、“笑った”。


 両腕を失った彼女はまるで何もなかったかのように、にやりと不敵な笑みを浮かべている。


 セフィエは混乱した。


 何故あんなことをされて笑っていられるのだろうか。

 それに、男に対して馴れ馴れしい口調で…………。


 次の瞬間、セフィエの疑問は全て霧散する。


 転がった二本の腕が、猿ぐつわが、“砂”のような粒になったかと思えば、風に乗ってどこかへ消えてしまった。

 セフィエは目を瞬かせ、目の前の光景を疑う。


「う…………そ」


 彼女は次いで言葉を失った。


 そんな彼女を嘲笑うかの如く、猿ぐつわの女性を演じていた“謎の人物”が、悠々とイスから立ち上がる。

 謎の人物――――仮面を纏った妖艶な雰囲気を漂わせるその“女性”は、パチン、指を鳴らした。

 すると、今度は床とセフィエを染めていた返り血が、すーっと煙になって消えていく。


「心配しないで。全て、あなたの悪い夢だから」


 妖艶な女性はにやりと口元に艶やかな笑みを浮かべる。


「じゃあ、後はあなたに任せる。でも痛めつけたりしちゃダメよ? ただ“消す”だけ。余計なことはしないで」


「はっ。仰せのままに」


 ローブの女性は入口の前に差し掛かると、振り返った。


「じゃあ、さようなら。可愛いお嬢さん」


 そう言い残して、彼女は立ち去る。


 取り残されたセフィエは混乱していた。

 何故あんな回りくどい事をしたのだろう?


 わざわざ幻術を使わなくとも、村から人を連れてきて実際にやればいいだけの話なのに。

 あれだけ納屋の村で“殺戮”をしておいて、それが出来ないということは流石に無いだろう。


 彼女は気が付く。

 もしかして、村で虐殺を行ったのは…………“彼らではない”?


 考えに耽る彼女の前に、男が立ちはだかる。

 そして彼は斧を振り上げて、相変わらず起伏の無い声で言った。


「悪く思うな。楽に死なせてやる」


 振り上げられた斧が、彼女の首を捉える。

 セフィエは歯を食いしばり、足をわなわなと震わせて、目を瞑った。

 

 


 


 

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