30. 残酷
「…………ひどい、見ていられないですわ」
セフィエは顔を
背中を切り刻まれた村人が、村の入り口で力尽きていた。
本来、旅人や村人を迎えるのであろう手の込んだ木のアーチには、全裸の死体が吊り下がっている。
体中には切り刻んだり、千切られた痛々しい跡が残っていた。
人為的。
それらは明らかに、人の手によって行われたものだ。
「セフィエ様。…………いかがなさいますか?」
部下である騎士の一人が、声を震わせながら尋ねた。
セフィエは振り返る。
「生存者を探すのです。誰か、誰か生き残っている村人を」
彼女はそう言って唇を噛んだ。
部下たちも普段からは想像も出来ない程ざわめきだし、皆口々に言い合う。
そう。みんな分かっていたのだ。
この村に…………恐らく生存者はいないであろうことは。
しかしセフィエはその考えを振り切るように、馬から飛び降り、部下を引き連れ村に入る。
道端に転がる無残な死体をちらちらと横目で見ながら、彼女は目を背けたくなる気持ちを何とか抑えた。
自分はもう民間人ではない。
自分は…………“教徒騎士団”なのだから。
彼女は目立つ大きな納屋の前までくると、剣を振って部下に指示を出す。
すると何人かの部下が彼女の元から離れ、手分けして住宅を探し始めた。
セフィエとその部下たちは、目の前に立ちはだかる納屋を見上げる。
ただの木造の納屋なのに、それは何故か大きく見えた。
「入りますか?」
部下がそう尋ねると、セフィエは静かに頷く。
それを確認した部下は意味もなく頷き返すと、がらがらと建付けの悪い納屋の引き戸を開けた。
「…………うっ」
刹那、鼻を刺す臭いが風に乗って吹き出てきた。
鉄の、血の匂い。それに汗や糞尿、何かが腐った匂いが混ざり、納屋からは想像を絶する匂いが漂っていた。
セフィエたちはその酷い匂いに思わず鼻を塞ぐ。
と、部下の一人が突然ヘルムを脱ぎ、納屋の前で胃の中身をひっくり返す。
皆それを青ざめた顔で見ていた。
これから、自分もこうなるのだろう。中を見たら、彼のようになるのだろうと思って。
セフィエは覚悟を決める。
彼女は先陣を切って納屋の中に足を踏み入れた。
中は薄暗く、開けた扉と隙間から差し込んでくる陽光だけが、彼女の進路を照らす。
ぐちゃり。彼女は何かを踏んでしまい、靴底を確かめる。
そこには色々な色の混じった、不快な色の粘り気のある液体が張り付いていた。
セフィエは吐き気を堪える。
そのままぐっと腹の中に押し戻し、口に手を当てながら先を進む。
と。
彼女は納屋の奥、何かが並んでいるのに気が付いた。
それらは等間隔で並んでいて、まるでイスのように見える。
がしかし、暗くてよく見えなかった。
「…………あれを確かめましょう」
「はい」
セフィエは部下を引き連れ、そのイスのようなものに近づく。
そして、彼女は知ってしまった。
等間隔に並んでいたのはイスだ。
しかしそこには“人”が座っていた。というより、座らされていた。
彼らは後ろで手を縛られ、全員――――座ったまま死んでいた。
しかもある人は眼球をくり抜かれ、ある人は身体を真一文字に斬られている。
またある人は手足の指が無くなっており、頭部が無いものもあった。
歯が無い。
耳が無い。
無い、無い無い無い無い無い無い。
皆、内容は
部下の一人が、その惨い死体に近づき、それを
触ったり口腔の中を覗いたり、傷跡を弄ったり。
しばらく体中を
「…………これらの傷は、恐らく“生前”につけられたものです」
「つまり、生きている時に?」
「はい。死後に付けられた傷ならば、化膿はしませんから…………」
そう言いかけて、部下は口元を抑え納屋の外に駆け出す。
それから彼の苦し気な嗚咽と呻き声が中に響いてきた。
セフィエは今度こそ言葉を失う。
彼女はイスから目を背けようとして…………新たな“それ”を見つけてしまった。
それは藁のブロックが積まれた影。
丁度長方形の空間が出来ている場所。
そこに並んでいる…………女性の死体を目の当たりにした。
セフィエはそっと近寄る。
地面にこれまた等間隔に並べられたタオルの上で、全裸の女性たちが息絶えていた。
イスの彼らより死に方は穏やかだったが、何をされたかは火を見るよりも明らかだ。
「最悪」
セフィエはそう呟くと、目じりから流れ出る涙を指ですくう。
なんで彼らがこんな惨い仕打ちを受けなければいけないのだろう。
なんで彼らが、悪魔の標的にされてしまうのだろう。
彼女は叫ぶ。
「なんで、なんで彼らがこんな目に合わなければいけないのでしょう!?」
そして拳を固く握って、近くの柱に叩きつけた。
じん、と痛みが伝わってくる。それから遅れてじわりじわりと、鈍い痛みが体に染み渡っていく。
一部始終を見ていた部下が叫ぶ。
「せ、セフィエ様! 血が…………!」
彼女は歯を食いしばっていた。
こんな痛み、彼らが感じたものに比べればかすり傷にも満たない。
彼らの負った…………“悪意”による傷に比べれば。
「…………絶対に」
俯いたままセフィエが漏らす。
「絶対に、許しませんッ」
彼女は頭をもたげると、大手を振って納屋の出口に向かう。
その気迫に部下たちが慌てて道を開けた。
さっきとは違い、彼女の顔は険しい。それは…………弱き者への仕打ちに対する怒り。
神に仕える身として、そこは一切妥協を許せない彼女の“境界線”だった。
今度はそれを…………超えてしまったのだ。
納屋から出たセフィエは、部下の様子を伺った。
皆せわしなく家の中に入っては出たり、入っては出たりしている。それもそのはず、中は匂いがきつく長い出来ないからだ。
ふと、部下の一人が彼女に駆け寄ってきた。
「――――せ、セフィエ様! 生存者が居ました!」
「何ですって!?」
セフィエは弾かれたように飛び出し、その部下の元へと駆け寄る。
そこには彼女の部下とその隣で自らの体を抱きかかえるローブの女性の姿が。
部下は敬礼をし、ローブの女性を前に出す。
「どうやら森に隠れて難を逃れたらしく、私がそれを発見しました」
「ご苦労様。…………あなた、大丈夫?」
セフィエがそう聞くと、ローブの女性は震えながらこくこくと頷く。
「そう、よかった。それより、あなた以外に生存者はいないの?」
セフィエが続けて尋ねると、今度は部下が答えた。
「セフィエ様それが…………どうやらいるそうです」
「何ですって!?」
「この女性によると、森の奥にある洞窟に二人で隠れているそうで…………」
部下が言い切る前に、セフィエは剣を抜いていた。
「ぐずぐずしていられませんッ! 早く行くわよ!」
「は、ハイッ! では自分とあっちで待たせてある二人で行きましょう!」
「ええ、そうして! 早く!」
セフィエと部下三人、そしてローブの女性はすぐさま森に入った。
村の傍とはいえ、まだ木こりも手を付けていないのか、森の中は鬱蒼としている。
突き出した木の幹を飛び越し、小枝を切って彼女たちは道なき道を進む。
途中、セフィエがぜえぜえと肩で息をしながら聞く。
「ねえ、本当にこっちで合ってるのかしら?」
部下が振り返って首を傾げる。
「さあ…………この女性の言うことを信じる他ありません」
「そうですわね。…………一応、警戒はしておいて頂戴」
「了解しました」
セフィエはちらとローブの女性に視線をやった。
一見すると怪しい素振りは見られない。あの体の震えは、演技ではないだろう。
彼女はどんどんと深くなる森に、ごくりと息を飲む。
仲間がいるとは言え、こんなに鬱蒼とした森ではどうしても“不意打ち”を意識してしまう。
「――――え」
不意に、セフィエはぎゅっと抱き寄せられる。
しかしそれは善意の抱擁では無かった。
たくましい腕が二本、セフィエの胴体をぎりりと抱き固め、彼女は動きを封じられる。
と、彼女の口元に布が。
セフィエは悟った。
…………これは“罠”だ。
自分と部下をおびき出し、始末するための。
だとすると犯人は一人しかいない。彼女はその人物に射貫くような視線を向けようとして…………さらに気が付いた。
「…………これでよろしいですか、教祖様」
さっきセフィエの前にローブの女を連れてきた部下は、声のトーンを変えローブの女に話しかけている。
すると、ローブの女は脳裏にこびり付くような笑い声を漏らす。
「――――ええ、上出来よ。よくやった」
セフィエは無慈悲な真実を突き付けられ、怒りのあまり叫ぼうとして…………視界が霞んでいるのに気が付く。
それに、なんだか体が鉛のように重くなっている。
彼女は口元に宛がわれた布を思い出し、思いっきり藻掻く。
その白い布は彼女の唾液だけではなく、何かが“染みて”いた。
恐らく何かしらの“薬剤”が。
「むぐううううう!」
セフィエは信じていた部下の腕の中で、必死にもがく。
全て罠だった。すべてが。
部下もローブの女もみんな。
全部が、自分をおびき出すための罠だったのだ。
「さあ、さっさと眠って頂戴」
ローブの女の口元がにやりと歪む。
「あなたには…………まだ仕事が残っているんだから」
セフィエはまどろむ意識に抗おうとする。
が、無慈悲にも染み込まされた薬剤は、彼女を深い眠りの底へと誘う。
まるで足を引っ張って、地獄の底に引き込むかの如く。
意識が途切れる寸前に、彼女は納屋の光景を思い出してしまった。
自分も。
自分も、これからあんなことをされてしまうのだろうか。
辱められ、痛めつけられ。
恐怖で身体を震わせる前に…………彼女は意識を失った。
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