29. 秘密



「なぜなら私は…………」



 女神は言いかけて、言葉に詰まった。

 黒い喪服の端を指で弄りながら言葉を探す。

 当たり障りのない、しかし核心を突くような、そんな言葉を。

 

 けれどそんなものは無かった。

 人々から神と崇められる彼女の正体は、どんな言葉に変えようともこの世を揺るがしかねないのだ。

 まず、その覚悟をしなければならない。


 口を固く結んだ女神の横で、ブラッドリーは再び石投げに耽っていた。

 放物線を描く小石が、一回、二回、三回。水面を跳ね、遠くで沈んだ。


 それをただボーっと見届けていたブラッドリーが、突然女神に向き直る。

 

「…………悪かったよ」


「え?」


「俺が聞いたから悩んでんだろ? 無理に言わなくていい。お前にとってそれが辛い事なら尚更な」


「辛い? そんなことはありません」


 一瞬、ブラッドリーは黒いレースの裏に隠れた彼女の顔をちらと見た。

 そして鼻で笑う。


「そーか? この世界は嫌な事ばっかりだろうが。お前がそうしたのかは知らんが、誰しも何かを背負ってる」


「ええ…………そうかもしれません」


「それは俺もそうだし――――“お前も”、なんじゃねーのか?」


 彼はそう言って、砂利の上に寝そべる。

 女神はただ口をぽかんと開けたまま、そんな彼を見つめていた。


 自分が思っている以上に…………この男は“聡明”だ。

 そして思っている以上に、この男は“善意”に満ち溢れている。


 自分の一端とはいえ、この一瞬で見抜いてしまうとは。

 いや、ただのたとえ話で、自分が深読みしすぎてしまっている可能性もあるが…………。


 けれど兎に角、彼女は驚いていた。


「だから無理ならそう言ってくれ。俺も、悪かった。無遠慮にずけずけと聞いちまって」


「…………いえ、良いのです」


 女神はそっと黒いベールを強く引っ張る。

 そして彼女は月を見上げと、口を開いた。



「少し、後悔しているのです」



 彼女の言葉で、ブラッドリーはそっちに顔を向け、見上げる。


「何が?」


「あなたに…………過酷なお願いをしてしまった事です」


「クハハハ。何を今更謝る必要があんだよ?」


 ブラッドリーは彼女の真顔に反して笑う。


「確かに最初、俺は反対してたけど…………“シーラ”を見て気が変わったんだ」


 彼はのそっと起き上がると、湖面に描かれた揺らぐ月を見る。


「あんな奴らがのさばる世界を、もし魔王様がご覧になったらと思うと…………胸が張り裂けそうだ」

 

 女神は答えない。

 口も挟まず、静かに耳を傾けていた。


「お前が俺にチャンスを与えてくれたのは感謝してる。が、俺は決してお前の指示では動いてない。全部は魔王様の意思、そして…………」


 彼はとある人物の名前を出そうとして、慌ててそれを飲み込む。

 その代わりに当たり障りのない言葉を続ける。


「とにかく、俺はやり遂げる。たとえどんな困難が立ちはだかろうと、“打ち砕いて”見せる。お前の期待に…………もしかしたら、沿えるかもな」


 にっと力ない笑みを女神に向けた。

 すると女神はさっきよりも落ち着いた表情で「そうですか」と、一言だけ答える。


 しばらく二人が星を眺めていると、ふとブラッドリーが口を開く。

 その顔はいつになく真剣だった。


「…………なあ、お前はもちろん分かってるよな?」


「なにが、でしょうか」


「俺たちはもう――――“引き返せない”って事」


 女神はしばらく口をつぐんだ。

 まるで答えあぐねているかのように。


 奇妙な間が空いた後、女神は静かに頷いた。


 ブラッドリーはそれを見届けると、再び星空に視線を戻す。


「まあ、なんだ。俺とお前は腐れ縁みたいなもんだってことだから、あんまマジになるなよ?」


「分かっています。あなたこそ、私に頼り過ぎないよう…………」


「おいおい、頼むからちょっとくらい協力してくれよ」


「ふふ、然るべき時にはもちろん」


 女神は言い終わってハッとする。



 今自分は…………“笑っていた”?



 ブラッドリーもふんと鼻で笑い、不敵な笑みを浮かべる。


「頼んだぜ、“相棒”」


 彼は立ち上がるとコートをたなびかせながら、女神に背を向けた。


「もう行くのですか?」


「ああ。さすがにそろそろ寝ないと、明日に響きそうなんでな」


 彼は手をひらひらと翻しながら立ち去る。

 その背中を、彼女はただ見つめていた。



…………不意に、ブラッドリーが顔だけ振り返る。



「あ、そうだ。そんなムスッとしてないで、たまには笑えよ? 笑ってる方が可愛いんだからさ」


 彼はそれだけ言い残すと、再び歩き出す。


 女神は彼の軽口にぽかんと口を開けていたが、やがて彼の言葉を飲み込み、顔を綻ばせた。




 $$$$$$ 




「疲れたぁ、もう休ませてくれぇ…………」


「仕方ないでしょ。二頭しかいないんだから」


 馬に乗ったリリアの後ろを、ティレシアの乗った馬の手綱を引くブラッドリーが続く。

 二頭しかいなかったので残念ながら彼は徒歩だ。

 

 馬上からティレシアが申し訳なさそうにブラッドリーを見下ろす。


「あ、あのあの。私歩いても全然大丈夫なんで!」


「いーよ。お前が歩くと、俺がリリアに怒られるからな」

 

 彼は本心を隠そうと、そっぽを向く。


 大量の荷物が無ければ二人で乗れるだろうに、とブラッドリーは思った。

 それと同時に、リリアの着替えを捨てたらどれだけ軽くなるかを妄想する。

 間違いなくもう二人は乗れそうだが…………


 ふと、リリアが馬を止めた。


「――――ねえ、待って。誰か来るみたい」


 林の奥へ延びる街道から、さざ波のような蹄の音が響いてくる。

 それは段々と激しくなり、やがてその波頭が林の陰から姿を現す。


 先頭を白馬に乗った“騎士”が。

 その後ろをぞろぞろと部下らしき兵士が続いている。

 彼らは目立つ白金の鎧を太陽にぎらつかせ、堂々と馬に揺られ道を進んでいた。


 その鎧だけで、彼らがただの兵士でないことはすぐに分かる。


 ブラッドリーが眉を顰めた。


「おい、あれって昨日見た…………」


「は、はい! 同じだと思います」


 ティレシアが答える。

 白金のチェストプレートに菱形の彫刻が施し、所々に金の柄が入っている。

 それはティレシアを護送していた騎士たちのものと全く同じだ。



「――――そこの者ども、名を名乗りなさい!」



 不意に、先陣を切って歩いていた騎士が声を上げる。

 驚くことに…………女性だった。


 金色で艶のあるカールの髪形に、不愛想な釣り目。

 そして、丸い輪郭が彼女にまだ幼さを残していた。


 彼女は悠々と自慢の白馬の上でふんぞり返り、ブラッドリーたちに近寄る。

 

「ちょっと! あなた達なぜ馬から降りないのかしら? 私を誰だと思ってるの?」


 馬上の彼女は目を吊り上げ、リリアとティレシアを睨みつけた。

 が、その眼中にブラッドリーは居ない。

 どうやら御者か何かと勘違いしているようだ。


 その騎士の尊大な態度に、ブラッドリーが眉をぴくりと動かす。


「おいおいお嬢さん。まずは自分から名乗るのがマナーってもんじゃねえか? 初めての人には“はじめまして!”だろ?」


 騎士の態度に、からかいたくなったブラッドリーはニヤリと口角を吊り上げた。

 すると、カールの女性は顔を真っ赤にする。


「な、なんて無礼なッ! あなた、私を教徒騎士団“セフィエ・ヒュンゲス”と知っての発言かしら!?」


「ええっ、そんなまさかッ! あの有名なセフィエ・ヒュンゲスか!」


「ふ、ふん。そうよ! やっと気が付いたのね。ならば、早く無礼を詫びなさい庶民。今なら許してあげます」


「…………って知らねーよバーカ。ちょっとおんぶしたくらいで調子に乗ってんじゃねーよ」


 ブラッドリーがけらけらと笑うと、騎士の顔は烈火のごとく赤に染まる。

 そして…………“噴火”した。

 

 彼女は我を忘れて腰の剣を引き抜き、叫んだ。


「殺す! この無礼な小汚い愚民が! 殺してやるッ!」


「おわーわわわ、やばいやばい! リリアなんとかしてくれー!」


 逃げ惑う彼は、情けなくリリアに助けを乞う。

 駆け回る二人を見て、リリアは大きなため息を吐き額に手を当てる。


 リリアはやむを得ず、騎士を止めるため二人の間に割って入った。


「待って! ちょっと待って!」


「な、何よ邪魔しないで頂戴! この男を今すぐ殺すのッ!」


「彼の無礼は、私が代わりにお詫びします! だから、どうか剣を収めて…………」


 リリアの必死の説得により、セフィエはぜえはあと肩で息をしながら、正気を取り戻した。

 そして彼女は渋々剣を鞘に戻す。


 ブラッドリーも肩で息をしながら、リリアの元に戻ってきた。


「ハア、はあ…………それで」


 不意にセフィエがリリアに話しかける。


「あなたはこの無礼な男の何なのかしら?」


「私は…………なんというか、旅の仲間です。それと申し遅れましたが、私は“リリア・オクセル”と申します」


「リリア・オクセル…………」


 セフィエはリリアの名前を反芻しながら、顎に手を当て何かを思い出そうとしていた。

 どこかで聞いた名だ。

 しかしそれはリリアでは無かったような…………。

 

 しばらくして、セフィエは思い出しポンと手を叩く。


「もしかして! あの“クネル・オクセル”の娘かしら」


「え、ええそうですけど」


 すると、突然セフィエの態度ががらりと変わった。

 さっきまでの尊大な態度は何処へやら、今度はまるで旧友のような口ぶりだ。


「クネル伯爵のお噂はかねがね。もちろん、私も高貴な身としてその英雄っぷりはそれはもう! よく知っていますの!」


「そ、そう。それはどうも」


 熱量の差にやられたのか、リリアは少し困った表情で答える。


 その傍で、クネル伯爵がそんなに凄い人だったという事実を今更知ったブラッドリーが、自分の行動を顧みて罪悪感に押しつぶされていた。


 相変わらず馴れ馴れしいセフィエは、お構いなしに話を続ける。


「これから教皇領に行かれるんですの?」


「ええ、ちょっと用事があって。ついでに食料も調達しようかと」


「まあ、それは良かった! もしよろしければ、向こうでお茶でもどうでしょう?」


「い、行けたら行きます」


 それは行かないと同義だぞ、とブラッドリーは口を挟みたくなって我慢した。

 

「…………あらいけない。もっとお話ししたいのは山々なのですが、私これからパトロールがありますの」


「そうですか。またお会いした時続きを。それではどうかお気をつけて」


「ええ。あなたこそ。最近は“悪魔”が出るので、くれぐれも油断しないよう」


 リリアはその不可解なワードに首を傾げる。


「“悪魔”、ですか?」


「ええ。…………話すのも憚られるのだけれど、最近教皇領の外郭に位置する村で“虐殺”が頻発しているのです」


 その言葉に、リリアのみならずブラッドリーとティレシアも反応した。


「ぎゃ、虐殺?」


「そうですの。それも、ただ殺すのではなく…………」


 言いかけて、セフィエは眉をしかめる。

 そして今考えていたことを振り払うように、馬の手綱をぐっと引き寄せた。


「何でもありませんわ。それでは、私は先を急ぐので。ごきげんようリリアさん」


「ご、ごきげんよう」


 セフィエは一瞬ブラッドリーを鬼の形相で睨みつけると、再び幅を利かせながら部下を率いて進軍していった。


 ブラッドリーは険しい顔で去りゆく隊列を見送っている。

 そしてぼそり、呟く。

 

「…………おかしい」


 独り言で済ませるつもりだったが、思わずリリアに聞かれてしまう。

 

「どうしたのブラッド?」


「え? いや…………さっきの騎士、何人かブーツに“泥”がついてたなーって」


「そう? 私は気が付かなかった」


 素っ気ないリリアに対して、ブラッドリーの表情は晴れない。

 彼は顎に手を当てると、地面を睨む。



「…………今日はうんざりするほど“晴れてる”ってのに」









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