28. 記憶の隅に
「――――襲撃を受けただと!?」
老人は半ば怒号のような声をあげた。
白く長い髭を結わえ、真っ白な下地を縁取るように赤い線が刺繍された“祭服”を纏うその老人は、呆れたように額に手を当てると、絢爛な椅子にもたれかかる。
その傍で一人の女が、むずと腕を組み苦々しい表情で立っていた。
稲穂より眩しい黄金の髪に、すっと通った鼻梁に鋭い輪郭。
目立つ白金の鎧に身を包み、格好にそぐわぬ無骨な剣を差している。
男は深いため息を吐くと、自ずと口を開いた。
「…………はい。申し訳ございません“クルツ教皇”様。ボクの指揮下で無かったとはいえ、前任の責任はボクが取ります」
そう言い、後ろ手を組んで窓際に歩く彼の後ろ姿を見て、老人は更に深いため息を吐く。
「いいんだ、“クインストン”君。私も前任のミスで君を怒るつもりは毛頭ない。しかし、これからは君が“教徒騎士団団長”の席を継ぎ、この始末をつける事になるんだ。そのことを、心配している」
老人――――“クルツ教皇”は吐いたため息をかき消そうと、机の香に火をつけた。
稀少で高価な香は、樹皮とは思えないほど甘ったるい匂いを漂わせ、場の空気を濁す。
それをクルツ教皇はじっくり堪能していた。
しかし鎧の男――――“クインストン”はその煙たさに鼻を鳴らす。
そして煙で燻されてしまう前に部屋を出ようと、大きな扉に手をかける。
と、彼はそこで振り返った。
「ご安心を。全ては、このボクが片づけます」
「…………ああ、その言葉を信じよう。頼りにしているよ」
「あり難き幸せ。ではボクは、早速この件に着手しますので。失礼します」
クインストンは一礼すると部屋を後にする。
彼が退室したことを確認してから、クルツ教皇は姿勢を崩し、だらしなくイスにもたれかかった。
山積みだった問題がさらに山積みに。
いつまで経っても崩れないその山に、彼は辟易していた。
「参ったな…………」
彼がそう呟くと、大きなカーテンの陰からにゅっと何かが姿を現す。
その小さな姿はとことこと歩き、彼の三歩手前で立ち止まった。
大きな採光窓から差し込む光が、その姿をあらわにする。
茶色の頭髪にくりっと大きな紫の瞳。
子ども程の背丈だというのに、胸には似つかわしくない大きな双璧をぶら下げていた。
彼女は口を切る。
「――――教皇様。ただいま戻りました」
その声に、彼は顔をあげた。
「“エジィ”か。ご苦労、首尾はどうだね? 順調か?」
少女――――エジィは真顔のまま機械的に返答する。
「“否定”。以前からの報告すべき進捗は、存在しません。広義における進捗だと仮定して、ですが」
「そうか、ご苦労だった。これからも調査を続けてくれ」
「“肯定”。ご期待に沿えるよう、最善を尽くします」
「ああ、そうしてくれ。無理はするんじゃないぞ」
「“肯定”」
彼女はクインストンがしたように一礼すると、扉ではなくカーテンの陰に消えていった。
それを見届けると、クルツ伯爵は顎に手を当てて今ある山積みの問題を思い浮かべる。
「…………“鍵の出現”に“反教義派の鎮圧”、か。女神様はどれだけ我々に試練を課す御つもりなのだろうか」
彼はぼやくと、またも額に手を当てた。
“ジェリスティ教”の夜明けは、まだまだ遠い…………。
$$$$$$
「ふー、すっきりした」
用を足し帰途に就くブラッドリーはベルトを締めながら満足げな表情を浮かべる。
真夜中の森で、彼は月明りだけを頼りに道なき道を戻っていた。
そして野営地近くの湖に差し掛かったところで――――彼はそれに気が付く。
湖のほとりで屈む“人影”に。
あまりに遠すぎて恰好までは分からないが、それが人間のシルエットであることは分かった。
しかしこんな街はずれの湖に、しかもこんな夜深に人が居るなんて、怪しい以外の何ものでもない。
彼は息を殺し、手にナイフを握る。
そろりそろりと気配を消し、その人影の背後に忍び寄る。
どうやら人影は気が付いていないようだ。
彼は目と鼻の先まで距離を詰めたところで、ナイフをその人影に突き付けた。
「――――おい、こんなところで何してる」
ピリリと張り詰めた空気の中、ブラッドリーとは相反して人影は緩慢な動きで振り返った。
その正体を目の当たりにした彼は――――思わず、ナイフを手から落としてしまう。
彼は一歩後ずさる。
そして、彼はおずおずと口を開いた。
「お、お前は…………」
彼がその正体を口にしようとして言葉に詰まる。
しかし謎の人物自身がそれを継いだ。
「――――お久しぶりです。“ブラッドリー・ミュラー”」
無数の蛍が乱舞し、二人は彼らの青白い光に包まれる。
揺れ
「なぜ俺の前に姿を現した」
「…………深い理由は無いです。けれど強いて言うなら、あなたの中に強い“信仰”が生まれたからです」
「“信仰”だと?」
「はい。何かを信仰するという“行為”に宿る、いわば“力”の様なもの。それがあなたの中に芽生えたから、こうして私は再びあなたの前に姿を現せるようになったのです」
彼女はその力が無い、つまり信じなければその者の前に姿を現すことはできないし、啓示を授けることも出来ないのだと続ける。
それを聞いていたブラッドリーに、当然の疑問が思い浮かんだ。
「待て、俺が一体いつお前を信じた?」
「…………本当に心当たりが無いのですか?」
「何が言いたい。もったいぶらずに言ってくれよ」
ブラッドリーは不服そうな表情を浮かべると、手持ち無沙汰に石を湖に投げる。
ぽちゃん、と遠くで飛沫をあげて石が沈む。
それを横でボーっと眺めていた女神がふと口を開いた。
「今日あなたが偶然助けたあの女性。“ティレシア”が原因でしょう」
「なんだって」
ブラッドリーは驚き頭をもたげる。
「ティレシアが? 彼女が俺に何をした?」
「確信には至っていませんが…………彼女が内に秘めたる“信仰”が、あなたに伝播したのです」
「秘めたる信仰ってなんだよ。しかも、信仰って伝播すんのかよ」
彼がそう尋ねると女神は少し困った様子で提げていた鞄を肩にかける。
そして答えあぐねた末、独りでに語りだす。
「女神である私が答えるのは、本来控えるべきなのですが…………あなたは特別です」
「そりゃどうも。俺に惚れたって素直に言えばいいのに」
彼の軽口を女神は無視し、話を続ける。
「人間の“思想”は、力を持ちます。なぜなら、それは『態度』、『言動』、『行動』に影響を及ぼすからです」
非科学的な信仰の話が来るのだと思って身構えていたブラッドリーは、肩透かしを喰ったような気分になった。
意外にも生々しい話のようだ。
「子どもは親を真似るものです。それと同じく、人間は憧れる対象を真似ようとします。元来、人間というのは本質的に物事を真似るようにできているのです。だからこそ、信仰は伝播するのです。…………ですが、例外もあります」
「例外?」
「はい。――――それが“あなた”なのです」
ブラッドリーは腑抜けた表情で自分を指さす。
「え? 俺?」
「そうです。あなたです」
「いや、俺って言われても…………まぁ、確かに魔王軍参謀っていう肩書はあるが」
すると鈍感すぎる彼に呆れ、女神は力なく首を振った。
「まだ分からないのですか」
「ったく、分かんねーよ。一体俺の何が特別だって言うんだ」
ブラッドリーは子どもみたいに不貞腐れ、水辺に座ると膝を抱え遠くに視線を投げる。
その隣に女神が再び屈んだ。
「…………あなたは、唯一天に昇った私と出会った人間なのですよ」
そう言われ、ブラッドリーは
確かにそうだ。
今まで当たり前だと思っていたが、確かに言われてみればそうだ。
「確かに、そうかもな」
「そうなのです。私が“神格化”された後、私の姿を目にしたのはあなたが初めてなのですよ」
女神は小石を掴み上げると、彼に倣い湖に向かって大きく振りかぶって、投げる。
「…………おお、結構飛ぶな」
ブラッドリーが感心した様子で飛んだ石を眺めていると、突然それは光る砂に姿を変え、今度は“光る蝶”に姿を変えた。
蝶の群れは羽ばたきながら、月の浮かぶ夜空に飛んでいく。
彼はパチパチと手を叩いた。
「ヒュー、凄いね。今度パーティーやる時、絶対に招待するよ」
「…………そうですか」
遂に女神は折れて、ブラッドリーの軽口を軽くいなすように。
女神は手袋の砂をぱんぱんと払い、再び前で手を組んだ。
「さっきも言った通り、あなたは特別なのです。私の姿を認識し、存在を“確信”した初めての人間。だからこそ、あなたには“信仰”さえも超越した“記憶”という確固たるものが存在するのです」
つまり、実際に目にすることで存在を“知った”からこそ、妄信的な信仰に似たものが心に芽生えたのだと、彼女は付け加えた。
そして、信仰の対象を目の当たりにする人間は、後にも先にもブラッドリーだけだろうとも。
当の本人は興味なさげに「そーなのか」と一言返すと、黙ってしまう。
彼からの返事が無さそうなので、女神は更に続けた。
「あなたのその信仰を、ティレシアが増幅させたのでしょう」
「きたきた、やっとティレシアが出てきたな。そんで、ティレシアは一体何者なんだ?」
話の核心急くブラッドリーに、女神は顔を合わせられない。
彼女は不安げな声で答える。
「…………まだ、確信が無いのです。なので今は伝えられません」
「予想も聞けないのか?」
「はい。確信した事以外は話せません。往々にして“神”とはそういうものでしょう?」
彼女のまるで自分がそうではないというような言い草に、ブラッドリーは首を傾げた。
けれど、すぐにどうでも良くなってその疑問を振り払う。
「かもな。…………じゃあ、お前が彼女の正体について確信した時、やっと聞けるってわけか」
「はい」
「分かったよ。今聞けないのはもどかしいが、辛抱強く待ってやるよ」
ブラッドリーはそう言うと、砂利の上に寝そべって星空を眺める。
そして眉間に皺を寄せ、訝し気な表情で女神を睨む。
「なあ」
「…………なんでしょうか」
「お前、女神なんだろ?」
「そうです」
「じゃあなんでティレシアの正体に確信が無いんだ? それになぜ魔王様を自分の手で殺さない? 神ってのは、そういうことが出来る存在じゃないのか?」
彼の質問を最後に、会話がぷつりと途切れる。
そして奇妙な静寂が二人を包み、ただ虫と川の音だけが残された。
女神は答えあぐねていた。
これに答えるということは、自分の全て。つまり世界の“真理”について彼に教えるようなもの。
しかし、今の彼にその資格は無い。
だからこそ黙っているべきなのだろうが…………
「なぜなら私は…………」
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