27. 夜

 雲一つ無い満月の夜。

 

 青白い月明りを自らに映す湖のほとり、その森の際でブラッドリーたちは火を囲んでいた。

 ぱちぱちと焚火から火の粉が散っては宙に消えていく。

 そして、湖の浅瀬に生えるあしの中を、無数の“蛍”が器用に飛んでいる。


 ブラッドリーたちは明るい内に、草木の剥げた小さな空間を使って“テント”を設営していた。


 そして日が暮れた今、そこでリリアが手慣れた手つきでフライパンを躍らせ、肉を焼いている。

 我慢できないブラッドリーはぶつぶつ文句を垂れながら、カツカツと食器をフォークで叩く。

 一方でティレシアは借りてきた猫のように大人しい。



「――――うるさいッ! 気が散るんだけど!」



 リリアは苛立ってブラッドリーに怒鳴りつける。

 すると彼はにへらと嘲るような笑みを浮かべた。


「わりぃーけど、お腹空いてると自分でも制御できなくなるんだ――――」


「知ってる? 死んだ人間って、もう喋れないの」


「…………悪かった」


 ブラッドリーは額に汗を浮かべて居直る。

 その様子を見て、やっとティレシアの固い表情が崩れた。


 リリアはそれ好機と言わんばかりに、ティレシアに話しかける。


「ねえティレシアさん。あなたお肉は食べられる?」


「はい! 私の居た村では月に一度のご馳走でした!」


「よかった。生憎パンとウィスキーとさっき獲ってきたお肉しか無いから。ごめんね」


「い、いえいえ。私お肉だーいすきです!」


 ブラッドリーが笑って彼女の肩をバンバンと叩く。


「ほらな、肉嫌いな奴なんていないだろ?」


「そうね。あなたの言う通り」


 昼間、野営地に向かう道中で二人はティレシアの好みについて話していた。

 生憎旅の途中ということもあって食材の品ぞろえが心もと無かったので、リリアはティレシアの口に合うものがあるかどうか心配していたのだ。

 そこで急遽、ブラッドリーが狩りへ出向くことに。


 彼の魔術と狩猟は相性が良く、ナイフを磁力によって加速させ、見事鹿を一撃で仕留めることができた。


 そのおかげで、今日は鹿肉のご馳走に。



「――――はい完成。ほら、二人ともお皿出して」



 ブラッドリーはおろかティレシアも口角から涎を垂らし、ひな鳥のように今か今かと親鳥からの餌を待ちわびている。

 それがおかしくて、リリアは笑いながら肉を配った。


 二人は早速に肉に食らいつく。


 ブラッドリーはパンを他所に肉へ食らいつき、ティレシアは肉を丁寧にナイフで切って、それをパンに乗せ口へ運ぶ。

 リリアは微笑ましそうに二人を見ながら、自分の皿にも装う。


 三人は各々パンと肉を頬張る。


 しばらくして三人とも料理を平らげると、ブラッドリーがそれを食器を集めた。

 そしてあとで川に持っていこうと、隅に重ねておいておく。

 今は…………洗い物よりもやらなければならないことがあった。


 ブラッドリーはひと段落ついて、ティレシアに話しかける。


「なあティレシア。聞いても良いか」


「え、はい! なんでもどうぞ! ええと、ぶ…………“ブレストン”さん?」


「ブラッドリーだ」


 彼が指摘するとティレシアは頬を紅く染めて誤魔化すように笑う。


「すみませんブラッドリーさん。それで、何を聞きたいのですか?」


「昼間の件だ。君とあの騎士と、ローブの奴ら。ただの騎士にも、盗賊にも見えない。一体君は…………何者なんだ?」


 ティレシアは答えようとして、言い淀む。

 彼女は何から話して良いか迷って、その姿を傍で食事を片付けるリリアが静観していた。

 しばらくしてから、ティレシアは覚悟を決めたかのように凛とした表情で、滔々と語りだす。


「私、ここから遠く離れた“ギデ村”というところに居たんです。そこではお母さんとお父さんと一緒に毎日畑を耕したり、ご飯を食べたり」


 ティレシアは癖で女神をくるくると手で弄りながら、少し表情を陰らせた。


「そんなある日、村の教会の神父さんに“君は選ばれた”って言われたんです」


「さっきも言ってたな。“選ばれた”って」


「はい…………最初は何のことだか分からなかったんですけど、どうやら私は“数百年に一度”の逸材だとか何とかで」


 そのワードに、リリアが耳をぴくりと動かす。


「ねえ、貴方の村は“ジェリスティ”教なの?」


「はい、そうです」


 “ジェリスティ”教。

 大陸人口の六割を信者に持ち、国教として定められることが多い歴史の長い信仰の一つ。

 組織化された教会は強大な権力を持っており、彼らの居る『ノルデア王国』の中に『キベリア教皇領』という独自の都市国家を持つほど。

 更に内部には厳格な階級制度が存在し、そのピラミッドの最上位に君臨するのが“教皇”だ。

 教皇は上層部から投票によって選出される。


 頭の上にはてなを浮かべるブラッドリーに、リリアが付け加えた。


「ジェリスティ教は一神教で、女神とそのもとで活躍した英雄を信仰してるの」


「ふーん。詳しいなお前…………」


 そう言いつつも、女神と聞かされてブラッドリーは頭の中にあの出来事を思い浮かべていた。

 自分が死んだ後、墓地であった女神を名乗る女性。

 あれは…………本当なのだろうか。


「うちのお父さんもそうなの。それで、“数百年に一度の逸材”って一体何が逸材なの?」


 ティレシアは苦々し気に俯く。


「さあ、それが私にも分からないんです。神父さんから“教皇領”に居る上位の方に会って話を聞けと言われただけで…………」


 するとブラッドリーとリリアが目を丸くする。


「偶然だな。俺たちも、教皇領に行くところだ」


「え、そうなんですか?」


「ああ。何だったらついでに連れて行ってやろうか。なあリリア?」


「私はもちろん賛成よ。教皇領からはまだ離れてるし、女の子一人だけで街道を歩かせるのは心配よ」


 ティレシアはあたふたと、リリアとブラッドリーを交互に見た。

 

「い、良いのでしょうか?」


「構わない。それに、俺もお前の素性が気になるしな。行って聞いてみたい」

 

 教皇領に辿り着けば、自分の役割が明らかになる。

 だというのに、ティレシアは浮かない表情だった。

 

「…………たぶん、教えてくれないと思います」


「なんでだよ?」


「神父さんに言われたんです。お父さんとお母さんには、このことを話すなって」


 リリアは眉をひそめる。


「それは不可解ね。なんで父親と母親にすら話しちゃダメだったのかしら」


「分かりません。でも、知られたくなかったって事だけは、私でも分かります」


 当人の父親と母親にさえ知られたくない事が、いい事のはずが無い。


 その裏に何があるのか。


 ティレシアは村を発つ前にも、それについて悩んでいた。

 自分に一体何があるのか。

 自分が一体何の役に立つというのか。


「不安でしたけど、神父様の助言なので…………お父さんとお母さんには仕事が見つかったと嘘を吐いてきました」


 ティレシアは嬉しそうな父と母の顔を思い出し、胸が苦しくなった。

 父と母はどんな気持ちで自分を送り出してくれたのだろうか。

 自分が罪悪感に苛まれている間、彼らは一体どんな気持ちで…………。


 ふと、ハンモックに寝転がっていたブラッドリーが口を切る。


「だったら、尚更行って確かめてみるべきじゃないのか?」


 彼はすとっと軽やかに着地すると、ティレシアの隣に座った。


「顔に“帰りたい”って書いてあるしな」


「え、嘘っ!」


 ティレシアが慌てて自分の顔を弄る。

 それを見てブラッドリーはハハと笑った。


「たとえ話だよ。書いてるわけねーだろ」


「な、なんだぁ」


「すまんすまん、まさか信じるとは思ってなかった」


「もー!」


 ぷくうっと頬を膨らませるティレシアの青い瞳が、ブラッドリーのエメラルドグリーンの瞳に映り込む。

 

 と。

 

 突然ブラッドリーの目に菱形の青白い光が浮かぶ。

 それは燦然と輝き、やがて離れていたリリアにも分かるほどに。


「ちょ、ちょっと何それ!」


 リリアが驚いて声をあげた。


「わ、分からん。なんだこれ…………」


「わ、わわわわ私のせいでしょうか。あわわわわ」


 困惑するブラッドリーの前で慌てふためき、バタバタと落ち着きを失くすティレシア。

 やがてその光は段々と暗くなっていき、再び元の黒目に戻った。


 リリアとティレシアが不安げに彼の目を覗き込む。


「ど、どうしよう。わ、私が何かしちゃったんでしょうか」


「それは違うと思うけど…………。さっきの集団が“呪術”でも使ったのかしら?」


「いや、それは無い。呪術は対象に“刻印”を刻む必要があるだろ?」


「そっか…………確かにそうね」


 ブラッドリーは恐る恐る自分の瞼に触れた。

 しかし変わったところは無く、柔らかな肌を感じるだけ。


 彼はそっと手を放すと、また普段の腑抜けた表情に戻った。


「ま、いっか! 別に何ともねーし」


「本当に大丈夫なの? 何だったら、引き返しても良いんだけど」


「いいよ。面倒だし、もし何かあったら教皇領に行けばいいだろ」


「…………それもそうね」


 張り詰めていた空気は夜風に乗って去ったのか、いつの間にか穏やかな夜が戻っていた。

 

 リリアは鞍に下げた寝袋とハンモックを下ろすと、寝床の準備を始める。


「そろそろ寝ましょ。ちなみに、さっき石灰で結界陣を書いておいたから」


「助かる。夜な夜なお姫様二人の警護はごめんだ…………」


 軽口をたたくブラッドリーの顔が、一瞬険しくなった。

 彼は自らの右手を見る。

 そこには――――“謎の刻印”が。


 彼はそれを隠すようにコートの袖を伸ばすと、大きなあくびをして寝床に向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る