第二章 で、俺が勇者になったってワケ

26. 危機

「――――逃げてください、“ティレシア”さんっ!」


 その一声で少女は目を覚ました。


 こげ茶のくせ毛に、青い瞳。

 幼げな顔立ちに特徴的になそばかすのある少女。


 その少女――――“ティレシア”は、ぬかるんだあぜ道に尻餅をついていた。


 路肩に転げ落ちた馬車。

 絶え間なく聞こえてくる、罵声と怒号。

 そして鉄のぶつかる鈍い音。


 鎧を纏った騎士たちが、黒いローブを纏う謎の集団に立ち向かっている。


 彼らは“教徒騎士団”。

 “ジェリスティ”教に属する彼らは大陸でも一二を争う精鋭中の精鋭。

 入団試験は世界的にも難しいとされ、その殆どが貴族階級の出であることでも有名だ。

 そんな彼らが何人も、雨でぬかるんだ泥に顔を埋め、ピクリとも動かない。



――――死んでいた。



 黒いローブの集団によって次から次へと、騎士たちは斬り伏せられていく。

 悲鳴を上げる間もなく。

 喉をかき掻き切られ、首を刎ねられ、胴を斬られて。


 彼女は躯のヘルムから覗く虚ろなそれと目が合ってしまった。

 くらい深淵から覗く一つのまなこ

 まるでそれが自分自身の非力を咎めているように見えてしまった。


「ひっ…………!」


 彼女は引きひきつるような声を上げ、後ずさる。

 けれど足が思うように動かない。

 ぬかるんだ泥が彼女のブーツを掴み、更に震える足がそれを拒む。

 

 不意に、さっき声を掛けてきた騎士が再びティレシアに叫んだ。


「早く、早く逃げてッ!」


 次の瞬間…………その騎士の頭が“飛んだ”。

 ふわり。弧を描き、頭は鮮血をまき散らしながら飛んでいく。

 残された首の断面が、更に血の雨を降らせる。


 ティレシアの本能が訴える。


 逃げろ――――逃げろ逃げろ逃げろ、と。


 彼女は一目散に駆け出した。

 どっちに向かって走っているかは分からない。

 ただ今は逃げなければ。

 あの黒いローブの集団から、少しでも遠くに。


 雨がものすごい勢いで後ろに流れていく。

 地面をたたく雨音が、まるで追手の足音のように聞こえて、彼女は耳を塞いだ。

 そして歯を食いしばる。

 これで恐怖が少しでも紛れてくれれば。

 そう願う。



――――不意に、何かにぶつかる。



 ティレシアは衝撃のあまりバランスを崩し、よろめく。

 暗転たる夜空と、降りしきる雨が彼女の視界を埋め尽くし。

 そして――――背中から地に落ちた。


「イタッ…………」


 あまりの痛さに彼女は声を漏らす。

 じんじんと痛む背中に、思わず涙を零した。


 駄目だ。


 今はこんなことしてる場合じゃない。

 逃げなければ。

 逃げなければ、殺される。


 ティレシアは痛みをこらえ、ぐっと体を起こそうとして。



――――“それ”と目が合った。



 目の前に突き出された真っ黒なローブから覗く、不気味に光る双眸。

 その手には血まみれの短剣が握られていた。

 恐らく、無念に散ったあの騎士たちの…………。


 ティレシアは恐怖に息を飲む。


 殺される。


 あの騎士の最後が頭を過る。

 自分も彼女のように、無残に斬り殺されてしまうのだと。


「や、やめてください――――」


 ティレシアは震える声で懇願する。

 しかし、黒いローブは聞き入れない。

 その手がぐうっと、彼女に伸びてきて…………



――――ぺしゃんこに“潰れた”。



 黒いローブの顔が、縦にぐしゃっと潰れる。

 そして…………その体は“吹っ飛ばされた”。


 まるで謎の力に引きずられるかの如く、男はティレシアの視界から消し飛ぶ。

 彼女は驚き、それを目で追う。


 吹き飛ばされたローブは木の幹に激突し、背中からずるりと滑り落ちて動かなくなってしまった。

 彼女は理解が追い付かず、目をぱちくりさせながら視線を戻す。


 そこには、さっきまでいなかった…………“二人組”がいた。

 ローブの集団でも騎士でもない、変わった二人組が。


「――――ちょっと“ブラッド”。油断しないでって言ったでしょ!?」


「油断すんなって言われても、ずっと気張ってるのも疲れんだよ」


 金色の撫で付け髪に、エメラルドグリーンの双眸。

 地味な膝丈のロングコートと、よれた白いシャツに赤いネクタイの青年。


 その横には、黒髪のパッツンから覗く碧眼に白く透き通った肌の美麗な女性が。

 彼女はステッキを携えていたが、それにそぐわない軽装も身に着けている。


 二人は言い争っていた。


「それが出来ないと後々困るんでしょーが!」


「あーうるさいうるさい! ちょっとくらいテキトーにやってもバチは当たんねえだろ!」


 どちらも口を尖らせ、一歩たりとも譲らない。

 がやがやと口喧嘩がヒートアップする中、ティレシアは新たな人影に気が付く。

 ローブを纏った人々がずらり、言い争う二人を取り囲んでいる。


 突然、その中の命知らずがブラッドリーに飛びかかった。


 大きく剣を振り上げ、彼の首めがけてそれを振り下ろす…………



「――――“マグネート”!」



 ブラッドリーが唱える。

 すると彼に襲い掛かっていたローブの剣が何かに弾かれたように、高々と宙に吹き飛ばされていく。


 他のローブたちはたじろぎ、一歩後ずさる。


 皆たった今目の前で起こった謎の魔法に狼狽えていた。


「…………とりあえず、私に謝るのはこの後ね」


「言っておくが、お前に謝る事なんてねーよ」


 ブラッドリーとリリアはコインのように背を合わせ、四方を取り囲むローブたちと相対する。

 

 ブラッドリーの剣の薙ぎが、リリアの水属性魔法が先手を打った。

 リリアの呪文で宙で氷の結晶が次々と集まって、大きな“つらら”を形作る。

 何本も、何本も。


 その隙に、ブラッドリーが時間を稼ぐため敵陣に斬り込む。


 無謀にも彼に挑んだローブたちは、彼の一薙ぎに沈んでいく。

 胴と足が無残に千切れ飛び、その後続が仲間の血を全身に浴びた。


 ブラッドリーは宙のつららに目をやると、飛びのいて再びリリアの背後につく。


「こっちは大丈夫だ。さっさとやっちまえ」


「りょーかい。あなた、つららに当たらないでよね」


「んなわけあるか」


 呆れてため息を吐くブラッドリー。その背中で、リリアは指揮棒タクトを振るうように、ステッキでつららを操る。

 

 次の瞬間、空から無数につららが降り注ぐ。

 鋭く透き通った巨大なつららが、我が物顔で雨と共に降り注いだ。


 ローブたちの頭に、肩に背中に。

 

 つららは無慈悲にも彼らの体を内側から引き裂く。

 体の体積を遥かに上回るそれらが入り込み、彼らは爆ぜるように散っていった。


 やがて、最後の躯が地面にどさっと倒れる。


 残されたのは無数の肉塊とおびただしい量の血。

 そしてブラッドリーとリリアと…………ティレシアの三人だけだ。


「あ、ああわわわわわわわ」


 ティレシアは足をガタガタと震わせ、怯えていた。

 ひと月前までただの農民だった彼女にとって、彼らの殺戮ショーはあまりに刺激が強すぎたのだ。


 彼女はごくりと息を飲む。


 目の前の殺戮者は敵なのか、味方なのか。

 敵の敵は必ずしも味方ではないということくらい、彼女でも分かっていた。


 リリアは顔に飛び散った返り血を手で拭うと、地面に払い捨てる。

 そして忌々し気に躯を見下ろした。


「やっぱり慣れないわね。人殺しって…………」


 彼女がそう呟くと、同じく返り血に染まったブラッドリーが振り返る。


「無理すんなよリリア。俺が全部やっても良いんだからな」


「いえ、いいの。私…………もうとっくに覚悟はできてるから」


 彼はリリアの物憂げな表情を心配そうに見つめていた。

 が、それに気が付いた彼女は心配かけまいと、すぐにいつもの可愛げのない表情に戻す。


「それより、この子…………どうするの?」


 ティレシアは一挙に視線が集まったのを感じる。

 彼女は慌てふためきながら、手を突き出しささやかな抵抗を行う。


「や、止めて。お願いですから、殺さないでください…………」


 怯える彼女をブラッドリーが笑った。


「おいおい。俺たちは取って食ったりなんかしねーよ」


「ええ。彼の言う通り。あなた、大丈夫?」


 リリアが屈みこむと、ティレシアに優しく話しかける。


「私は“リリア・オクセル”。あなた、襲われてたみたいだけど大丈夫?」


「え」


 ティレシアは何から話して良いか分からずあたふたしていると、リリアが優しく抱きしめた。

 

 人の体温。

 体の芯から伝わるその温もりで、彼女は冷静さを取り戻す。

 そして安堵した途端、安心感のあまり涙を零してしまう。


「ありがとう、ございました」


 ティレシアは涙ぐんだ声で感謝する。


「良いのよ。私たち、偶然通りかかっただけだから」


 二人は雨の中抱き合う。

 リリアは優しく彼女の背中を撫で、その金色の長髪に顔を埋めた。

 と、痺れを切らしたブラッドリーが二人の背後から声を掛ける。


「それより、君とこの騎士たちはなんだ? 一体君と彼らに何があった?」


 するとティレシアはそっとリリアの肩から顔を上げ、涙に潤んだ青い瞳で話す。





「私は――――“選ばれた”のです」

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