第??章 悪魔は微笑む

??. とある“悪魔”のエピローグ



「あ…………」



 暗い牢獄で、彼女は目を覚ます。


 どうやら長い長い夢を見ていたようだ。

 とてもリアルで、生々しくて、けれど間違いなく“生”を実感させてくれる夢を。


 そして…………それから何かを“教わった”気がする。

 が、彼女の頭からそこだけがぽっかりと抜け落ちてしまい、上手く思い出せない。


 彼女は痛む頭を抑えようとして――――手に繋がれた“鎖”に気が付く。


 縛られていた。

 手首に手かせがかけられ、それから壁まで鎖が伸びている。


 それで…………彼女は思い出した。

 全てを。


 そしてこれはたぶん、自分が死ぬ“一日前”の光景。

 間違いない。これはしっかりと覚えている。

 これから自分は侵略してきた軍の兵士に引きずり出され、辱められ、そして拷問の末に殺されるのだ。


 熱くて、苦しくて、悲しくて、悔しくて泣きたくて。


 そんな中、彼女の前に“あの方”が現れた。

 あの方は言った、「私と契約すれば、お前を生かしてやる」と。

 更に力を与えてくれるとも。


 彼女は迷いなく頷いた。


 あの時は、復讐したい一心だった。

 いや…………違う。そんな綺麗な事じゃない。



――――“他の人がずるかった”。



 自分たちは幸せを享受して、他は見て見ぬふり。

 そんな他の人たちが憎くて憎くて…………不幸にしてやりたかった。


 だからこそ彼女は契約によって蘇ったのだ。

 けれど。

 そこの世界は寒くて仕方が無かった。

 身の底から感じる寒さに、ずっとうなされていたのだ。


 そこで、彼女はその時殺した人を燃やして暖をとってみた。

 すると不思議と体がポカポカしてきて、笑いもこみ上げてきたのだ。

 だからこそ彼女は確信した。

 こうすれば、温かくなると。


 それから“魔王軍”の男――――ヴァレハムを取り込み、各地を巡った。

 彼女は色々な所を巡ったのを思い出す。そして旅を重ねるうちに、ヴァレハムに対する印象がどんどんと変わっていったことも。





 彼女――――“シーラ”の瞳から、涙が零れ落ちる。





 結局、彼女は契約を遂行できなかった。

 “勇者”を名乗るあの人物の契約を遂行できなかったのだ。

 だからこそ、彼女は戻された。この忌々しい世界に。


 今になって、彼女は気が付いた。

 あれはこの世界じゃない。まったく別の、近いが決して交わることの無い世界なのだと。


 彼女が逡巡していると、ふと視界の隅のそれが目に留まる。

 ハエやウジ虫が集る全裸の女性の死体。

 彼女はその死体を知っていた。

 なぜなら、この戦争に負けるまで一緒に教会で働いていた、修道士の一人なのだから。


「“クレア”…………」


 シーラは悲し気な声を漏らす。


 地面で朽ち果てた彼女はシーラよりも早く兵士の目に留まり、“玩具おもちゃ”となってしまった。

 自分もやがてそうなる。

 クレアのように、自分も苦しんで死ぬのだ。


 犯され。


 顔を焼かれ。


 面白半分に目を潰され、手を斬られて。


 シーラは掠れた笑い声を漏らす。



「――――あ、あはは。あはははははははは!」



 この世界はやっぱり無慈悲だ。

 “彼”の様なヒーローは、私の世界には居ない。

 悪人が弱者を弄び、無邪気で、そして残酷な遊びを思いつく限り試す。


 それは甘美で、楽しかろう。


 人間はもとより、優しさを孕んで出来ていないのだから。

 皆、血を求めている。

 死を求めている。

 だから、誰も助けてくれない。


 シーラは口を閉じる。

 そして、全てから目を背けるためにそっと蹲ろうとして――――





――――突如、轟音と共に砂埃が巻き上がる。





 シーラは驚きのあまり後ろに飛びのき、壁にぴったりと張り付く。

 なんだ。一体、何が起こったのだ。


 だんだんと砂埃が段々晴れていく。

 風に流され、ハエと共にそれは鉄格子の外へと流れ出ていった。

 そしてそれらが全て取り払われると…………



「――――ヴォエェェーッゲホ、ゲホッ、オゲェッホ…………さ、最悪だ。せっかくのスーツが台無しだよ全く…………」



 砂の幕から現れたのは…………“少年”。


 雪のように透き通った真っ白な髪に、マットなスーツジャケット。

 それに赤色の蝶ネクタイを付けていた。


 シーラはおずおずと声を掛ける。


「だ、誰?」


 すると、その少年はシーラに気が付き、歯を見せて笑う。


「あ、僕? 僕は“クラウス”、よろしくね! ええっと、君は…………」


「わ、私は…………シーラ・フェルディナント」


「シーラ! 素敵な名前だね。シーちゃんとかどう? あはは!」


 そう言って少年は顔を綻ばせる。


 シーラは彼の捉えどころの無い性格に、思わず苦笑する。

 それと共に、彼女は胸の隅につかっかる物を感じていた。


 この感じ。


 この喋り方に、雰囲気。

 自分は間違いなく、彼とどこかで会った気がする…………。


 そして、遂に彼女は思い出した。





「――――“ブラッドリー・ミュラー”」





 彼の名を思い出し、彼女はふっと湧いた胸の痛みを手で抑える。

 そうだ。彼だ。

 この少年は、彼に似ている。

 向こうの世界で自分を殺した…………彼に。


 と、クラウスは一瞬驚いた表情を浮かべると、今度は大きく口を開けて笑う。


「え? 君、もしかして“ブラッド”と知り合い?」


「ぶ、“ブラッド”?」


「うん、ブラッド。あ、“ブラッドリー”の事ね。君、彼に会ったんでしょ?」


「…………え、ええ」


「どうだった? 意外とハンサムだったでしょ?」


 この状況で悠々と世間話をたしなむ彼に、シーラは遅れを取っていた。

 何故そんなにも余裕なのか。


 少年はぱんぱんと手の砂埃を払うと、顔をしかめた。


「けど困ったなぁ。生き延びたのは良いんだけど…………まさか“別の世界”に飛ばされるなんて」


 シーラはその聞き覚えのあるフレーズに、慌てて口を挟む。


「“別の世界”って、どういうこと?」


「ん? そのままの意味だよ。僕、元々は別の世界に居たんだけど、色々ヤバくなって一回逃げてきたんだよね」


「別の世界って…………あなた、一体何者…………?」


 シーラの訝し気な顔を前に、クラウスは朗らかな笑みを浮かべて答えた。





「僕は“クラウス・セリ・シュトラウス”。まあ大抵の人は僕を――――“魔王”って呼ぶけどね」





 シーラは驚き目を見開く。


 魔王。


 まさか、彼が勇者の言っていた魔王だと言うのか。

 けれど魔王は殺されたはず。

 なのにどうしてここに…………。


 すると、突然クラウスがぱちんと指を鳴らす。

 それに呼応するようにシーラの手かせが震えだすと、ぱきん、音を立てて割れた。


 彼女は驚き、両手を突き出しじっと見つめる。


「て、手錠が…………!」


「僕が外したんだよ。だって、こんな薄暗くて気味の悪いとこ嫌じゃない? まあ、好きだって言うなら止めないんだけどさ」


 そう言って頭を掻くクラウスを傍目に、シーラは震えていた。

 クラウスは不安そうにその顔を覗き込む。


「え、大丈夫? 僕もう行くんだけど、君も来る? …………あれ、ねえほんとに大丈夫?」


 嘘。


 こんなの嘘だ。

 たった、たった指を鳴らしただけで、いとも簡単に手錠を砕くなんて。


 いや違う。これはただの手錠なんかじゃない。

 私を死に、苦痛に、悲しみに縛り付ける“運命”という名の手錠だった。 

 しかし、もうそれは無い。


 これから待ち受ける苦痛、悲しみのすべてが…………たったこれだけで、全て消えてしまった。

 死ぬ運命も、待ち受ける苦しみも、屈辱も。

 すべてが一瞬にして――――無に帰った。



「あ、あ…………」



 シーラはボロボロと涙を零す。


「嘘、こんなの、嘘。嘘」


 彼女は信じられないと言った様子で、顔を覆い泣きじゃくる。

 と、その体をクラウスがギュッと抱きしめた。


「ね、ねえ! 泣くのはここを出てからにしようよ」


「…………は、はいっ!」


 彼女は、この一瞬ですべてを思い出し、そして“振り切った”。

 

 死ぬ間際に悟った自らの過ち。

 本来すべきだったこと。


 そして――――自分が欲していた“温もり”の正体。


 更に…………これから自分が何をするのか。何をしたいのか。


「本当に、本当にありがとうございますっ! 私は、私は…………」


「どういたしまして。けど、今は無理に話さなくていいよ。考えが纏まったら、またゆっくり話して」


「わ、分かりました」


 彼女は嬉しさのあまり立ち上がる。


 そして、胸に誓う。


 この奇跡を決して無駄にしない。

…………いや、これは奇跡じゃない。彼が、魔王が自ら進んで自分を助けてくれたのだ。

 それはつまり、生涯忠を尽くすべき相手が現れたということ。

 これから自分がやらなければならない事が、明らかになったのだ。


 クラウスは肩を抱いていた。


「ね、ねえ。寒いから早く行こうよ。勿論、君も来るよね?」


「はい! …………仰せのままに、“魔王様”」


 シーラの言葉に、クラウスは微笑んだ。


「その呼び方、良いねぇ。まあでもクラウスでもいいよ!」


「はい、クラウス様。私に、生涯を捧げさせてください」


「おぉ、そんなに恩を感じてくれてるの? それは嬉しいけど…………」


 クラウスは言葉を切ると、笑顔を浮かべる。そして真剣な口調で尋ねた。



「――――ここからはもう“引き返せない”よ。それでも、来る?」



 シーラは迷うことなく、力強く頷いた。


 すると、その勢いでシーラのフードが外れる。


 その下から――――彼女の美しい顔が現れた。

 傷一つ無い、人形のように美しい顔。

 青い双眸に凛とした眉毛。絹のように透き通った金色の長髪。





「ええ、覚悟はできています。もう、“引き返しません”」





 彼女の双眸は“燃えて”いた。

 これからの明るい未来に、そして魔王への“忠誠”に。


 ふと、彼女は牢獄を振り返ると、鉄格子の窓に視線を向ける。

 そして、呟くように語りかけた。



「――――ありがとう、“ブラッドリー・ミュラー”」



 彼女はクラウスの後を追いかけるように、牢獄を出て行った。

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