25. 終幕
屋敷の高い鉄柵に掴みかかるその人物。
ブラッドリーはそいつの前に来ると、挨拶代わりに口角を吊り上げて笑う。
「また会ったな――――“イヴリン”」
その人物――――イヴリンは細い鉄柵の向こうで、相変わらず虚飾じみた笑顔を浮かべた。
「あらあら、こんにちは。奇遇ね」
「ふ、ふはは。屋敷の前で覗きを働いて偶然とは、中々にツラの皮が厚いなお前は」
ブラッドリーが嘲るとイヴリンは余裕の表情で返す。
「そうかしら。冬はひび割れちゃって大変なのよ?」
「そりゃあ血も涙も無さそうだからな」
互いに皮肉の応酬を繰り返し、話は全く前進しない。
やがて痺れを切らしたイヴリンがふっとその顔から感情を消した。
「――――私は絶対あなたを捕まえて見せる」
ブラッドリーはけらけらと大きく口を開けて笑う。
「じゃあしてみろよ。今出来るだろ?」
彼がおどけて見せると、イヴリンは鉄柵から手を放し一歩後ずさる。
「今はしない。…………けど、また近いうちに。準備が整ったら、ね」
「そーかよ。俺はいつでも歓迎だぜ? エールの一杯二杯なら奢ってやるよ――――手向け花の代わりに、な」
イヴリンは顔を手で覆い、腹の底から笑う。
その大人しそうな容姿からは想像もできないような下品な笑い方で、彼女は人目もはばからず笑った。
「アーハハハハハ。面白い、本当にあなたは面白い」
いつの間にやって来た彼女の御者らしき馬車が、すぐそこに停まっている。
彼女はそれにひょいと乗り込むと再びブラッドリーに向き直った。
「またいつか会いましょうね。ハンサムさん」
「ああ、また会おう…………クソストーカー女」
最後、ナイフの代わりに彼女の投げキッスが飛んできた。
それを彼は拳の中に閉じ込める。
そしてその手を緩め、風に乗せ飛んでいく様を想像しながら眺めていた。
風に乗って、飛んでいく。
彼の不安と罪悪感と心残りが。
全てがこの短い間に、飛んで消えていった。
しかし未だに世界を託されたという実感はわかない。
ただ、世の“理不尽”を見て見ぬふりをしたくない。
その一心だけは、間違いなかった。
「――――ブラッドリー様」
再び彼に来訪者が。
それは…………“ルーイ”と彼のパーティーの仲間だった。
「おお、ルー…………“アルケーン”!」
「お元気そうで何よりです」
ブラッドリーは彼の頭をわしゃわしゃと掻き回す。
すると彼は恥ずかしそうに頬を赤らめ、うつむいた。
「ちょ、ちょっと…………」
「あはは。照れんなって」
と、ブラッドリーの手がピシャリと叩かれる。
「いてっ」と声を上げ、彼は手を抑えた。
犯人は…………背丈に合わないとんがり帽子の少女だ。
「――――またあったな、銅バッジのおとこ」
「おいサシャちゃん。ちょっとは加減ってものをさぁ」
そう言ってブラッドリーが困ったように頭を掻くと、後ろに居た女剣士と弓使いが笑う。
サシャはぴょんと跳ねて、ルーイの腕にしがみついた。
「ルーイが、かわいそう」
「さ、サシャ。僕は大丈夫だよ。全然嫌じゃないから」
ルーイの顔をまじまじと見つめるサシャ。
やがて本当に彼が嫌がっていないと分かった彼女は、その手を放した。
ブラッドリーとルーイは神妙な面持ちで見つめ合う。
すると、彼のパーティーの一人である弓使いはそれを察して、ルーイとブラッドリーを残し去って行った。
残された二人。
先にブラッドリーが口火を切った。
「…………どうだ、あのパーティーは」
「パーティー、ですか? そうですね…………」
彼は口元を綻ばせた。
「楽しいです。勿論、ブラッドリー様に仕えていた時も楽しかったですが、それと同じくらいでしょうか」
「そーか。そりゃ良かったな」
「ええ」
ルーイは滔々と続ける。
「僕はいつも人を騙してばかりでしたから。こうして何の裏も無く人と接することができる日が来るとは、夢にも思いませんでした」
「…………おまえ根は優しいからな」
ブラッドリーは笑う。
「それで、もう旅立たれるのですか?」
「ああ。今日中に出る」
「でしたら、私もお供します」
ルーイは胸に手を当て最敬礼の姿勢をつくる。
しかし、彼の誠意にもかかわらず、ブラッドリーは首を横に振った。
「いや、お前は来なくていい」
「なぜですか!? もしかして、私は足手纏いでしょうか…………」
「ちげーよ」
ブラッドリーは頭の後ろで腕を組み、ぐうっと背伸びする。
「なあ、前も言っただろ? お前少しは本音も言えって」
「本音とは…………これが私の本音です」
彼の忠誠心にブラッドリーは感心する。
が、そこに垣間見える迷いを見つけて、彼は少し寂しさを感じた。
もう彼も変わってしまったのだ。
ブラッドリーは寂しそうに続ける。
「俺には分かるんだよ。それに、お前はもう俺に対する恩を返しきった」
「し、しかし」
「おーっと。それ以上言うな、ルーイ」
ブラッドリーは顎で彼の背後をしゃくる。
彼が振り返ると、そこには彼の仲間たちが。
みんな手を振って彼を呼んでいる。
「…………お前の新しい居場所だろ?」
ルーイは唇を噛み、わなわなと震えだす。
目に滲んだ涙がブラッドリーに見えないよう俯く。
「しかし私は魔王軍の士官で…………私はその忠を尽くさねば」
「――――黙れ」
ブラッドリーは厳しい口調で、しかし表情を綻ばせながら。
「ルーイ。本日をもって、お前を“全ての任務から除外する”。そして、お前を――――魔王軍から“追放”する」
ルーイは驚き顔を上げる。
その表情は涙を堪えていたからか歪んでいた。
「ぶ、ブラッドリー様っ!!」
「ほら、これでもうお前を縛るもんはねーだろ?」
ルーイは再び、ゆっくりと振り向く。
お腹を減らし不機嫌になったのか、サシャがピョンピョンと飛び跳ねながらこちらに手を振っている。
そしてそれを女剣士がなだめていた。
――――どういう訳か、それは大乱闘を引き起こす。
ルーイはその様子を眺めていた。
自分を慕い、信じてくれる仲間たちを。
これは任務ではない。
誰も殺さなくていいし、誰も騙さなくていい。
みんな笑って過ごせる。
そしてその中に、自分も居て…………。
ルーイは…………涙を零す。
「行ってこいよ。あの大乱闘を仲裁できんのは、お前だけだろ?」
「ブラッドリー様…………」
「心配すんな。お前は自分の生きたいように生きて、好きなことをしていいんだ。もう、“騙し合い”は要らない」
ブラッドリーはふんと鼻で笑うと、不敵な笑みを浮かべ、むずと腕を組む。
そして得意げに。
「じゃあな、“アルケーン”。今度は手土産を持って会いに来てやるよ」
ルーイはごしごしと涙を拭う。
「ええ、さようなら…………“ブラッドリーさん”」
彼はすべてを、迷いも戸惑いも振り捨てるように、サシャたちの方へ向かって駆け出す。
その笑顔は澄みきっていた。
ブラッドリーは彼のその顔を見て、自嘲気味に笑う。
「クソ…………俺も遂にとち狂ったか」
そして彼はポケットに手を突っ込むと、暴れまわるリリアたちの元に歩んでいく。
その足取りは一歩、また一歩と。
地を踏みしめるように、今までの思い出を振り返るように。
しかし彼は振り向くことなく歩く。
今日は雲一つ無い晴天。
…………これから暑くなりそうだ。
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