24. 夜明け
一夜明けたヴィガードの街は、いつもよりしんと静まり返っていた。
皆ギルドでの事件を知り、店や娼館が一日営業を自粛することにしたからだ。
もちろん、街を賑わせていた冒険者の多くが、シーラの毒牙にかかってしまったことも少なからず影響していた。
民衆から犯人をリンチにしろという声が上がったが、クネル伯爵がなんとかそれを
クネル伯爵の筋書きでは、シーラが駆け付けた騎士によって殺され、遺体は残っていないということになっている。
一応はそれで落ち着いたみたいだが、以前のような賑わいが戻るのは当分先になりそうだった。
ブラッドリーとリリアはあの夜シーラを近郊の丘に埋葬し、墓標を立てた。
名は記さない。
彼女は、無名の者として生涯を終えたのだ。
その翌日、クネル伯爵の屋敷で目を覚ましたブラッドリーはひとり階段を降りる。
と、包帯でグルグル巻きになった腕を抱えるギエナと不意に出会った。
「どーも、ギエナさん」
「…………ああ」
前のようにぎこちない挨拶が返ってくる。
相変わらずだなとブラッドリーは少しうんざりしたが、顔には出さない。
彼は素っ気なく彼女とすれ違う。
「なあ」
不意に、ギエナが声を掛ける。
ブラッドリーは振り返った。
「なんだ?」
「その…………」
彼女は唇を噛み、少しうつむく。
やがて決心がついて顔を上げた。
「君をイヴリンに報告したのは、私だ」
そう言い切ってギエナはどんな言葉が飛んでくるかと、身構える。
しかし、代わりにブラッドリーの笑い声が聞こえた。
「あはは、知ってたよ。まあイヴリンとのやり取りを見てて、あんただろうなーって思ってた」
「そうか…………本当にすまなかった」
彼女は申し訳なさそうに目を逸らす。
「別に気にしてねーよ。それより、腕の傷は?」
「え? ああ、問題ない。お館様が私なんかのために大金を費やしてくださったお陰で、なんとか腕を失わずに済んだ」
彼女はぎこちない笑みを浮かべ、続ける。
「それに、君が私を助けてくれたから」
「俺が? …………あんなの助けたに入んねーよ」
ブラッドリーはぶんぶんと手を振った。
「お前が感謝すべきはリリアだ。あんたが彼女の何者でも無かったら、俺は助けて無かっただろーよ」
と言うと、なぜかギエナが笑う。
彼は何かおかしなことを言っただろうかと首を傾げると、彼女は目を細めた。
「それは嘘だな」
「な、なんでだよ」
ギエナは真剣な表情で、しかし口元を綻ばせる。
「今なら分かる。その禍々しい気配の裏に…………君の“勇気”が隠れているのを」
ブラッドリーが疑われたあの日と全く同じセリフ。
しかし、今日の言葉の意味は以前とは違う。
その言葉は…………彼女が真に彼を“理解”した証だった。
「君は根っからの聖人だ。きっと、誰であっても勇敢に立ち向かっていただろう」
「そうか?」
なんだか恥ずかしくなってブラッドリーは言葉を濁す。
その様子がおかしくって、ギエナも白い歯を見せた。
「もう旅立つのか?」
「ああ。今日中にはここを出るつもりだ」
「そうか…………なあ、」
不意にギエナが言葉を継ぐ。
「もう、戻ってこないのか?」
そう言って、彼女は眉尻を下げる。
それにブラッドリーは首を振った。
「いや、たぶんまた戻ってくる。それも遠くない内に」
それを聞いた彼女の顔がぱあっと晴れる。
ブラッドリーはそのあからさまな変化に、少し嬉しくなった。
「戻ったら旅の話でも聞かせてくれ」
「もちろん。きっとな」
「あと…………寂しくなったら、いつでも戻って来い。ここはもうお前の居場所だ。お館様も快く迎えてくれる」
「はは、ありがてーな。ホームシックでわんわん泣く前に戻って来るよ」
ブラッドリーとギエナは笑い合った。
その最中、一人のメイドが玄関から入って来て、ブラッドリーの名を呼んだ。
「ブラッドリー様、準備が整いました」
「――――りょーかい! 今すぐ行く!」
彼はポーチの肩掛けを直すと、再びギエナに振り返る。
「じゃあな。今度こそお別れだ」
「ああ、気を付けて。それと、お嬢様をよろしく頼む」
不意にギエナの顔が近づいたかと思うと、彼の頬に唇が触れた。
突然のことに彼はどぎまぎして、自分の頬を触って確かめる。
「これは私からの餞別だ」
「おい、餞別ってお前…………」
「さらばだ、ブラッドリー・ミュラー。また会おう」
ブラッドリーは気を取り直すと、軽く手を振って彼女に背を向けた。
そして階段を降りる。
その背中を眺めていたギエナは、そっと聞こえぬように呟いた。
「今度は…………唇だな」
彼女の微笑みは、閉じる扉の奥に消えていった。
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玄関前には、立派な二頭の馬が用意されていた。
一頭はリリアのもので、もう片方がブラッドリーのものだ。
彼は自分の馬に馬用鞄をかけると、中身を確認する。
そこに、彼は背後から声を掛けられた。
「あの!」
振り返ると、そこには見覚えのある二人の女性が。
二人とも鎧を着てなかったせいでブラッドリーは一瞬気が付かなかったが、やがて思い出す。
「おお、お前らあの塔に居たおっぱい大きい女と、小さい女!」
「コラッ! 小さいって言うなッ!」
背の低い女性――――あの日の弓使いがピョンピョンと跳ねて抗議する。
それを横に居る、あの時の女剣士がなだめた。
やっと落ち着いた二人は、共にブラッドリーに向き直る。
「あの時は、本当にありがとうございました。しばらく療養でお礼に来れなかったことを、どうかお許しください」
「いいよ別に。…………ちょっと触っちゃったし」
ブラッドリーはぼそり、呟く。
彼は女剣士を運ぶとき無意識にその豊満な胸を触ってしまったのだ。
それを思い出して、彼は頬を赤く染めた。
「…………もしかして胸の話ですか?」
なぜか女剣士が艶のある声で尋ねてくる。
そして更に、二人の間をじりじりと詰めてきた。
彼女はそっとブラッドリーの手を持ち上げると、艶めかしい声で言う。
「あの、もしよかったら――――好きなだけ触ってください」
「え…………マジ!?」
「はい。私の、命の恩人ですから。それくらいはお安い御用です」
そう言う割には、頬は赤く息も荒い。
どうやら命の恩人というだけでは無さそうだった。
ブラッドリーも息を荒くして彼女の胸を凝視している。
ゆっくりとその谷間に手を伸ばしたところで…………
「――――おい」
リリアの手刀がブラッドリーの天頂に炸裂した。
彼はヒリヒリ痛む頭を摩りながら、慌てて振り返る。
「リリア! 今良いところだったのに…………」
「良いところ? ぜーんぜん良くない。ダメよ人前でそんな事したら」
すると女剣士がくすくすと笑う。
「あらリリア、もしかして嫉妬?」
「し、嫉妬!? ち、違うッ、何バカな事言ってんの殺すッ!」
柄にもなくリリアはとち狂い、逃げ回る女剣士を追い掛け回す。
それを背後から楽しそうに弓使いが追いかける。
ブラッドリーはそれを温かい目で見守っていた。
と。
その視界の端に、思いもよらぬ人影を見つける。
「…………あいつは」
ブラッドリーは眉をひそめ、その正体を確認するために歩き出す。
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