23. 別れと出会い

「――――ねえ、待ってよッ!」



 無言で立ち去るその背中に、リリアは吠える。


「街を出るなら…………私も、私も連れてって!」


「ダメだ、リリア」


 ブラッドリーは悲しそうに振り返ると、ぼそり、呟くように告げる。

 そして真の思いを悟られまいと、彼は再び歩き出す。

 リリアの顔を見ないように。


「なんで、なんでダメなの?」


 ブラッドリーは何も答えない。


「私が居ると、足手纏いだから?」


 彼は答えず、ただリリアに見えぬよう唇を噛む。


「戦いだって、色々魔法のアドバイスだって出来るし、調合も…………」


「違うんだ、リリア」


 遂にブラッドリーは振り返る。

 その顔にはやるせない、そして悲壮に満ちた表情が浮かんでいた。

 リリア彼の顔を見て、次の言葉をそっと閉じ込める。


「俺は…………お前と一緒に居ちゃいけないんだ」


「どうして!?」


「…………俺が“魔王軍元参謀”だからだよ」


 彼はどうしようか分からなくなって、二の句が告げなくなって、思わず顔を背ける。

 

「“シーラ”。彼女は間違いなく、俺と、そして魔王軍と深く関係してる」


「なんでよ。突然、どこからともなく現れた冷徹な殺人鬼ってだけでしょ? なんであなたと関係があるって言いきれ…………」


 リリアはそう言いかけて、彼女の傍に居た男の事を思い出す。


「そっか…………あの“ヴァレハム”って男、あなたの部下だって」


「ああ、そうだ。だからだ」


「でも! でも偶然会っただけかもしれないでしょ!」


 必死に糸口を探すリリアを見て、彼は再び苛まれる。

 何が彼女をここまで駆り立てているのだろうか。

 なぜそんなにも、自分と一緒に居たがるのだろうか。

 ブラッドリーは理解できなかった。


 彼女の…………“秘めた”思いまでは。


「リリア、聞いてくれ」


「っ、何よ!」


 彼は深く深呼吸をすると、ポケットに手を突っ込んだまま、真剣な表情で彼女に打ち明けた。



「――――“俺は殺された”んだ、リリア」



 時が止まる。


 リリアは呆然と固まったまま微動だにせず、彼女の頭もまた思考を止めていた。


 何が?


 “殺された”?


 けどたった今、彼はここに居て自分と話している。

 彼女はひどく戸惑い、思いがけず険しい表情を浮かべた。


「どういう、こと」


「…………そのままの意味だ。俺は一度殺されたんだ――――“シーラ”の仲間に」


 彼女の頭は更にかき乱される。

 シーラに仲間が居る。そして、ソイツにブラッドリーが殺された。

 しかし今ここでこうして、自分と会話している。


「おかしいッ。じゃあなんで今こうして私と会話できてるのよ!」


「それは…………」


 ブラッドリーは女神と出会い、告げられたことを全て彼女に打ち明けた。

 まだ世の中が知りもしない魔王軍が滅んだ話から、勇者が悪に身を堕とした話まで。

 彼はすべてを打ち明ける。



「――――だから、お前を危険に晒すわけにはいかないんだ。分かってくれリリア」



 全てを聞き届けたリリアは唇を噛む。


「…………凄い話ね。あなた、小説家にでもなれるんじゃない?」


「おいおい、褒めてんのか貶してんのか」


 彼女はむずと腕を組み、凛とした表情でブラッドリーを見つめている。


「…………冗談はさておき、どうやらあなたが“魔王軍参謀”ってのは本当みたいね」


「ああそうだ」


「けど、魔王軍が滅んであなたが女神に生き返らされて、勇者が魔王の代わりに? あまりに突拍子も無さ過ぎて、理解が追い付かないんだけど…………」


 ブラッドリーはピクリと片眉を吊り上げた。


「なあ待て。もしかして俺の話を信じる前提か?」


「前提も何も、疑うつもりなんて毛頭ないんだけど。それに、前信じてるって言わなかったっけ?」

 

 彼は例の夜を思い出し、確かにそうだったと思い返す。

 リリアは腕を組んだまま真剣な表情で滔々とうとうと語る。


「あなたを疑いなんてしない。もうそんな間柄じゃないと思うんだけど?」


 彼女の返事を待ちわびるその視線に、ブラッドリーは思わず顔を背ける。

 確かに彼女の言う通り、二人の間柄がもうただの知人でないことはブラッドリーも思い始めていた。

 ただそれが口に出来なかっただけで、考えてみれば今までずっと彼女と行動を共にしてきた。


 共に戦って、共に支え合った。

 それは二人とも最初から疑っていない。


「だから、お願い。私も連れて行って。私が危険だって言うなら、あなたの傍に居た方が安全なんじゃないの?」


 確かに、とブラッドリーは一瞬思った。

 自分が街を離れている間に…………なんて、想像したくないがどんなヤツが敵になるか分からない内は油断大敵だ。

 

「それに、私殆ど街の外に出たことが無いの。だから社会学習も兼ねて、ね? どう?」


 彼は苦々しい表情を浮かべながら「ううむ」と唸り、腕をむずと組んで考え込む。


 リリアは自分のダメ押しが上手くいったのを心の中で喜ぶ。

 しかし、結局建前ばかりで本音を口に出せなかったことを後悔する。



 本当は、違うのに。



 彼女は心の隅から湧き上がる“情熱”を、そっと閉じ込めた。

 今はそれを伝える時じゃない。

 まだまだ、もっと彼について――――本当の彼について知っていかないと。


「…………まあ」


 彼は遂にその重い口を開いた。


「分かった。いいだろう。けど、ルールがある」


「ありがとう。で、ルールって?」


 ブラッドリーはまず、ぴんと人差し指をたてる。


「まず一つ。できる限り俺の指示に従ってくれ。縛るつもりはないが、念のためだ」


「わかった。それでまだある?」


 続いて彼は中指を立てた。


「二つ目。自分の命を優先しろ。万が一ヤバくなったら、逃げろ。俺を助けようなんて思うな」


「ねえ待って! そんなの見捨てられる訳…………」


「これが守れないんだったら、悪いが俺一人で行く」


 リリアは言いかけた言葉を飲み込んだ。

 今は仕方がない。

 彼について行くためだ。たとえ反論があっても、今は我慢しなければ。


「ええ、わかった」


 彼女は渋々首を縦に振った。


「よし。ルールはこれだけだ。ちゃんと守ってくれよ?」


 お菓子を約束された子どものように、彼女はうんうんと頷く。


「何か言いたいことはあるか?」


「うん。たーっくさん」


「おいおい、マジかよ…………」


 彼女は困り果てたブラッドリーの表情を見てクスッと笑う。


「今はいいけど、その代わり旅の途中に聞かせてよ?」


「ああ、いいぜ。良い暇つぶしになりそうだ」


 これからの旅に思いを馳せるリリアを、ブラッドリーは心配そうに見つめていた。

 と、そこに通った声が響き渡る。





「――――リリア! リリアどこにいるんだ!!」





 それはクネル伯爵だった。


 彼は走って来たのかぜえぜえと肩で息をしながら、鬼の形相であたりを見回している。

 それに見かねたリリアがため息を吐いてから手を振った。


「こっちに居ますよ、お父様」


「リリアッ!」


 彼女の声を聞くなりクネル伯爵は飛んでくる。

 そして横に居るブラッドリーには目もくれず、我が子に抱き着いた。

 ぎゅうぎゅうと力のこもった抱擁に、リリアは息苦しそうに父親を押しのける。


「ああ、よかったリリア。お前が無事でよかった」


「だ、大丈夫です。それより、く、苦しいです!」


 娘の言葉で我に返ったクネル伯爵は申し訳なさそうに腕を解いた。


「悪い、リリア。お前の事が心配だったんだ、許せ」


「ええ大丈夫ですよお父様」


 親子水入らずな光景を傍で静観していたブラッドリーに、突然視線が集まった。

 クネル伯爵と彼の視線が重なる。

 ブラッドリーは気まずそうに口を結んだ。


「…………どうも」


「ああ、あなたでしたか。ご無事で何よりです」


 意外にもクネル伯爵は敬語だった。

 それが更にブラッドリーの罪悪感を掘り返す。


「では、俺はこれで…………」


「――――待ってください、ブラッドリーさん」


 立ち去ろうとした彼を、クネル伯爵は引き留める。


「ギエナを。私の部下を助けていただいて、本当にありがとうございました」


 ブラッドリーは驚いて振り返った。


 なぜ非難の言葉が飛んでこないのだろうか。

 彼は…………騙した自分に怒っているんじゃないのか。


「俺には…………今となっては、その感謝を受け取る資格はありません、伯爵」


 ブラッドリーはポケットに手を突っ込んだまま、力なく笑う。


「だからどうか、感謝はリリアに。彼女が駆けつけてくれたから、俺は助かったんです」


 そう言って彼はリリアに視線を投げた。

 するとリリアは頬を赤らめ、俯いてぱっつんの前髪にその双眸を隠す。

 と、クネル伯爵は白い歯を見せ笑う。


「ははは。それは良かったです。私の自慢の娘なので」


「ええ、本当に。彼女は勇敢です…………」


 気まずい空気が流れる。

 ブラッドリーもクネル伯爵でさえ、口を堅く結んで次の言葉を永遠と練っていた。

 何を話せばいいのか。

 二人とも屋敷での一件を、お互いに引きずっていると思い込んでいたのだ。


 それに気が付いたリリアが口を切る。


「そう言えば、お父様。私、旅に出ることにしました」


「――――何だと!?」


 突然、クネル伯爵の顔がタコのように真っ赤に染まり、頭から蒸気が湧き上がる。


「ダメだ! 外は危険だと何度も言っているのを忘れたか! ブラッドリー殿に影響されたのか知らないが、お前はだめだ!」


「いえ、お父様。私ひとりじゃないですよ」


「…………なんだと?」


 するとリリアはボーっと呆けていたブラッドリーの腕をいきなり手繰り寄せた。

 彼は慌てふためきながらも、自分の腕に抱き着くリリアを見下ろしている。


「彼について行くんです。お父様が誇れる跡継ぎになるための、社会勉強の一環として」


「ブラッドリー殿が…………?」


 クネル伯爵の険しい目が、リリアとブラッドリーとを見比べる。

 ブラッドリーはそのあまりの目力にごくりと唾を飲む。

 今にも、そのへの字に曲がった口からブラッドリーの恐れているワードが飛び出そうで…………





「そうか、それなら構わない!!」





 ブラッドリーは驚いて目をパッチリと開ける。

 そしてクネル伯爵は大きく口を開けて笑った。


「ははは。よろしいんですかブラッドリー殿? 私の娘が同行しても」


「え? あ、ええ全然。全然だいじょーぶですよ。勿論伯爵の反対が無ければ、ですが…………」


「反対? そんなものありません! あなたと一緒なら、親である私もどれだけ心強いか」


 クネル伯爵はにっと口角を上げる。


「娘に旅をさせる機会を与えて下さって、非常に嬉しいですぞ。良かったなリリア」


「…………では、旅の許可を?」


「ああ。世界を見てこい。それはきっと、お前にとって貴重な体験になるぞ」


「ありがとうございます! お父様!」


 なんだかうまい具合に事を進められてしまったなーと、ブラッドリーは苦笑いを浮かべた。

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