22. 決着

 ドスッという鈍い音がしたかと思えば、彼女の腹から血が噴き出していた。

 シーラは驚き目を大きく見開いて、唖然とした表情でゆっくりと視線を下に落とす。

 そこで、彼女は自分の腹に刺さっていた――――“ナイフ”を見つけた。



「う…………そ」



 シーラはそう呟き、床に膝から崩れ落ちる。

 床の上にボタボタと血が滴り、小さな血だまりをつくっていた。

 リリアも驚き、ステッキを下ろす。


「ぶ、ブラッド。一体何をしたの!?」


 ブラッドリーは両手をポケットに突っこんだまま、無表情でシーラを見つめていた。

 その横顔に少しゾッとして、リリアはもう一度声を掛けるのを躊躇う。

 しばらくして、彼は空虚な目で答える。


「ナイフだよ。ナイフを誘導して、彼女の背中から刺したんだ」


「でも…………あの女の言ってたことが本当なら、ナイフは一直線にしか飛ばないんじゃないの!? だって魔法陣の紙は焼かれて…………」


 ブラッドリーは鼻で笑う。


「いや、まだ残ってた。…………最初撒いたとき“カツン”って音がして、バレたかなーってヒヤヒヤしてたけど、案外気づかれないもんだな」


 そう言って彼は、遠くの壁を指さす。

 リリアはその指さす方を目を凝らして見てみると。


「…………なんか、違う」


 一つ、黒焦げになった紙の中にきらりと不思議な光を放つものが。


「紙の中に一部“鉄製”のやつも混ぜていおいた。きっと炎やら何やらで焼き払われるだろうって思ってたからな」


「でも、いつそんなの準備したの?」


 リリアがそう尋ねると、彼はバッグの中に手を突っ込み中を漁りだす。

 そしてそこからいくつか謎の“柄”を取り出し、床にばらばらと落とした。


「ナイフの刃を引っこ抜いて使ったんだ。だから、分解してないナイフはあの投げたやつ一本だけしか残ってなかった」


 だからこそ、彼は最初に一本で仕留めると宣言したのだ。

 なぜならそれで仕留められなければ、後が無いから。


「あの火力だと溶けるかなって思ってたが…………壁とか遠いところだと、意外に無事なんだな。溶けてたらヤバかった」


 一見すごく緻密な計画に見えて、少し抜けたところがあるのが彼らしいなとリリアは思った。

 リリアは感嘆しつつ…………地面に倒れ呻くシーラに冷たい視線を向ける。


 二人は並んで歩きながら、シーラへと近づいていく。

 しかしシーラはそれに反応することも無く、蹲ったままだ。


「――――悪いけど、ギエナの復讐をさせて。このまま死なせるのは…………気分じゃないの」


 リリアの顔に影がかかる。

 相当怒っているのだろうとブラッドリーは思った。

 煮えたぎるような怒りが彼女の理性を奪い去り、人間がもつ“残虐性”を蘇らせてしまっているとも。


 だからこそ、彼はすっと手で彼女の進路を塞ぐ。


「悪いが、ダメだ」


「なんでよ」


「だって俺が仕留めたんだ。俺が先だろ?」


 リリアはしばらく考え込むと、確かにそうだと不服そうな顔で頷く。

 そんな彼女の肩を通り過ぎ、彼は蹲るシーラの傍で屈む。

 彼はしばらく苦しむ彼女の様子を、悲し気に見ていた。


 と、彼は突然シーラを抱き上げる。


 そして仰向けのまま彼女を支えた。

 シーラはううと苦しそうに呻きながら、顔を歪ませている。


「…………おい、シーラ」


 ブラッドリーが話しかけると、シーラの不気味な瞳がぎょろり、と彼の瞳を捉える。

 そして、彼女は蚊の鳴くような声を漏らす。


「何ですか…………殺すなら、さっさと殺して。辱めるなら、早く終わらせて」


「俺はそんなことしねーよ…………“後者”はな」


 シーラが憂鬱そうに顔を背ける。


「何が、望みですか」


「…………“二つ”。まず一つ、お前に伝言がある」


 彼女は驚き、再び視線をブラッドリーに戻す。

 言い淀みながらも、彼はぎこちなく託された伝言を彼女に伝える。



「――――ヴァレハムが、“愛していた”と伝えてくれと」



 シーラの眉が引き攣ったかと思えば、彼女はボロボロと大粒の涙を零していた。

 彼女は痛みと悲しみで震える声で、呟く。


「直接、それを…………聞きたかったのに」


 そう呟いてから、まるで堰を切ったようにとめどなく涙が流れてくる。

 あまりの痛々しさにブラッドリーもリリアも一瞬目を背けた。


 シーラは静かに泣いていた。


 ギルドのホールに、彼女のすすり泣く声が溶けていく。

 ブラッドリーはそっと彼女の腕を強く握る。


「…………最後に一つ」


 彼はそう言いかけ、間髪入れずシーラの身体を強く抱きしめた。

 その行動にリリアは驚き唖然とする。

 無論シーラも驚き、口をあんぐりと開けていた。 

 


――――が、次の瞬間。シーラはその真の意味を理解する。



 ブラッドリーは抱きしめながらまるで赤子をあやすように。


「どうだ。こうすると――――“温かくて”、落ち着くだろ?」


 シーラは彼の胸に顔を埋め、くぐもった嗚咽を漏らす。

 そして震える手を何とか彼の背中に回し、強く強く抱きしめた。


 敵であることも忘れ、彼女はその感覚を強く強く噛みしめる。


「ええ…………温かいです。本当に温かい…………」


 彼女の目から、涙が零れ落ちた。

 

「こんな…………単純なことだったなんて」


 彼女は自ら求めていたものを、遂に手に入れたのだ。

 それも、仇敵である“ブラッドリー”から。


 涙が、ブラッドリーのシャツを濡らす。


「もっと早く…………知りたかった。“取り返しのつかなくなる”前に…………」


 リリアは真剣に耳を傾け、二人を見ていた。


 その表情から怒りは消えたが、今度は何処か悲し気な表情だ。

 彼女の中でシーラに対する印象が、たった今変わり始めている。

 ギエナや村への行いに対する怒りが消え、沸き起こる様々な感情の中で、彼女は葛藤していた。


 それはブラッドリーも同じ。


 しかし彼は、それを表に出さない。

 せめて。せめて死にゆく人には――――“最後は笑顔”で。


「大丈夫だ。もう寒くない、もう…………寒くないから」


 深い静寂が訪れた。


 青白い月明りが、穴の開いた天井から差し込んでくる。

 それは、まるで舞台装置の如くブラッドリーとシーラを照らす。

 二人とも目をつむり、静かにその時を待っていた。





 シーラの手が、するりとブラッドリーの背中から滑り落ちる。





 気が付いたブラッドリーは顔を上げ、まぶたを開く。

 痛々しい傷跡の残った彼女の顔。しかし、その表情は穏やかだった。


 彼は俯く。


 そしてそっと彼女を床の上に下ろすと、彼女のフードを引っ張り、顔に掛けてやった。



「――――死んだの?」



 リリアは腕を組み、抑揚のない声でそう聞いた。

 彼はそれに頷く。


「ああ。死んだよ」


 彼はゆっくりと立ち上がる。


 月明かりに照らされ、安らかに眠るシーラがそこに横たわっている。

 リリアはコツコツとヒールを鳴らしながら、シーラの傍に来た。

 そして彼女は屈むと、まじまじとシーラを見つめる。


「…………ギエナの復讐か?」


 ブラッドリーはポケットに手を突っ込みながら、ぶっきらぼうに聞く。

 彼はこれから彼女が死んだシーラに“怒りをぶつける”のだと思っていた。


 止めようか迷っていた。


 けど、仲間を傷つけられた彼女には、その資格があるように思えた。

 それに彼女の惨い行いを鑑みれば。


――――しかし、リリアは首を振る。


「“死”は尊重しなきゃ。たとえどれだけ残虐な人間でも、しの尊厳だけは踏みにじれない」


 彼女はそっとシーラの両手を掴み、胸の上で組ませてやった。


 ブラッドリーは驚く。


 彼女は…………自分が思っているよりもずっと聡明で、そして冷静だ。

 彼はまたも感心させられ、思わず笑みをこぼす。


「だな。お前の言う通りだ」


 リリアがシーラの手を組み終え、すっと立ち上がる。

 そしてブラッドリーに向き直った。


「…………けど、よく気づいたわね。彼女の欲しいもの」


 ブラッドリーはポケットに手を突っ込み、気だるそうに答える。


「偶然だよ。お前との鍛錬の夜を思い出して、もしかするとって思ってな」


「そ。まあ、まだ気持ちの整理がつかないけど…………彼女が答えを見つけられて良かったって、今なら思えるかも」


 彼女はステッキのスリングを肩にかけ、外れたジャケットのボタンを留める。

 ボタンを留めながら、リリアは零す。



「…………それにしてもあなた、“優し過ぎる”んじゃない?」



 突然の核心を突く彼女の言葉に、ブラッドリーは驚いて視線を向けた。

 

「魔王軍の参謀なんでしょ? …………あのイヴリンとかいう人の話を鵜呑みにするなら」


 しばらくブラッドリーは言葉に詰まる。

 やがて、苦々し気に漏らした。


「ああ。そうだ。俺は、魔王軍参謀だ」


「やっぱりそうなんだ」


 ボタンを留めたリリアが、真剣な眼差しで彼の顔を見据えている。

 彼は居心地悪そうに、彼女の次の言葉を待っていた。


「でも」


 リリアは微笑む。


「あなた、魔王軍にしてはやっぱり“優し過ぎる”んじゃない?」


「…………かもな」


 彼は不貞腐れた表情で、渋々頷いた。


「昔は仲間からずーっと言われてたよ。まさかお前にも言われるとは」


 リリアがクスクスと笑う。


…………しばらく二人は沈黙する。

 なんと声を掛けていいか分からなかったわけではない。

 この静寂を、この余韻を二人は噛みしめていた。


 ふと、ブラッドリーが口を開く。


「ごめんな、リリア」


「え?」


 突然柄にもなく謝罪の言葉を口にする彼に、リリアは驚いた。


「今まで…………お前を騙して」


 彼は悲しそうな表情を浮かべる。


「俺は、迷ってたんだ。何もかもが無くなって、信頼してた部下が敵になって。そいつを…………殺さなきゃいけなくて。それにシーラみたいな訳の分からないヤツらに狙われて…………」


 リリアはそれに、静かに耳を傾けていた。


「けど」


 ブラッドリーは突然、今までに無いほど必死な表情で正面から彼女の目を見つめる。


「お前と過ごした時間は、楽しかった。それは本当だ」


「…………私も楽しかったけど。ねえ、あなた一体何を言おうとしてるの?」


 リリアは嫌な予感がして、彼を問いただす。

 すると彼は力なく笑った。





「――――じゃあな、リリア」

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