19. 悦楽
「誰か! 誰かいるの!」
馬でギルドに乗り付けたリリアとギエナは、燃え盛る炎の中を突き進む。
リリアは水属性魔法で炎をかき消しながら。
ギエナは足元に転がる無残な死体の中で、生存者を探しながら。
二人は狼狽えることなく進んでいく。
しかし、不意にリリアの足が止まる。
「ギエナ、あれ見て!」
「あれは…………」
メインホールのど真ん中で、ローブ姿の女性と相対する子どものような人影を見つけた。
――――シーラとサシャだ。
二人は魔法による激しい応酬を繰り広げていた。
シーラは皮膚を焦がさんばかりの灼熱を。
サシャは滝のような水の奔流で。
炎が水とぶつかっては、激しい水蒸気をあげる。
しかしどうやらサシャにはあまり余裕が無さそうだ。その必死に歯を食いしばる彼女の顔が、それをありありと語っている。
が、反対にシーラは“笑っていた”。
正気を疑うほどに。
リリアは息を詰まらせる。
彼女はフードを取り去らったシーラの顔を見てしまった。
彼女の顔は…………見るに堪えない傷が残っている。
焼け爛れた上半分は筋線維が表層に出てきて、眼球がひとりでにぎょろぎょろと蠢いている。
しかし口元とその周りだけは、綺麗な肌が残されていた。
ギエナもその無残な姿に絶句した。
「あれが…………彼女の素顔」
衝撃のあまり立ち尽くしていたリリアはハッと我に返ると、すぐさまサシャの援護に入る。
サシャの背後から彼女自身も水属性魔法を展開し、炎がサシャを飲み込まないよう食い止めた。
「――――あの時、サシャを助けてくれた」
サシャが驚いて振り返る。
「そう。リリアよ。自己紹介はまた後で!」
リリアはさらに威力を強める。
が、恐ろしいことに、全くと言っていいほど状況が好転していない。
シーラは明らかに強くなっている。
「貴方、あの村に居た」
突然シーラがリリアに話しかける。
「“あの男”と一緒だった…………そうでしょう?」
「ええ、そうよ。あの男と一緒にあなたを退けた女よ!」
リリアが気丈に答えるも、シーラは意に介さない。
それどころか、さっきにも増して奇妙な笑みを浮かべている。
「いいこと、思いついた」
ふと、シーラが攻撃を辞めた。
サシャもリリアも何事かと驚き、二人とも一度矛を収める。
再びシーラがにやりと笑う。
と、彼女から再び肌を焦がさんばかりの炎が、二人に向かって伸びる。
しかしそれはまるで殺すどころか、二人を“捉えよう”としている様に見えた。
ギエナもそれに気が付き、飛び出す。
「お嬢様!」
ギエナはリリアとサシャを押しのける。
と同時に、炎のとぐろがギエナを閉じ込めた。
「ギエナ!」
リリアが慌てて駆け寄ろうとするも、あまりの熱さに近づけない。
サシャもリリアも魔法を発動しようとしていると、中からギエナの声が。
「お嬢様! その女の子を連れて逃げてください!」
「何言ってるの! あなたを置いていけるわけないでしょ!」
「私は大丈夫です。だからどうか、その女の子を逃がしてください」
「だめよ!」
「お嬢様、今がチャンスなのです。私がこうして気を引いている間が。だからどうか、連れて行ってください」
リリアは村で感じたような葛藤と焦燥感を覚えた。
そしてシーラとギエナとを見比べるよう見る。
最後、彼女はサシャの手を掴んだ。
「素直に言うこと聞いてあげるの、これが最後だから!」
彼女はそう言い残すと、サシャを連れギルドの正門から飛び出していく。
それを聞いていたギエナは、自分のピンチにも関わらずホッとしていた。
これでクネル伯爵との約束を果たせる。
やっとあの時の恩返しができるのだ、と。
「――――さあどうした! 殺せるなら殺してみろ!」
ギエナは剣を構え、シーラに向かって叫ぶ。
彼女は死ぬ覚悟を決めた。
リリアを守り、ここで死ねるなら本望。
だが、シーラの返事は意外なものだった。
「殺さないわ」
「…………なんだと」
「だから、殺さないって言ってるの」
ふと、炎の勢いが弱まる。
そしてその壁の向こうからシーラが現れた。
彼女は不気味な笑みを浮かべ、蕩けそうな表情でギエナを見つめている。
シーラは頬に手を当てた。
「あの女にしようと思ったけど。まあ、あなたも彼女の仲間みたいだから、いいわ」
「何だと!」
ギエナがそう言いかけた途端、彼女は手足に激しい痛みを感じる。
それはどんどんと強くなり、やがて耐えられない程にまで。
「うぐぅ!」
彼女は我慢できず、声を漏らす。
何事かと思い籠手を外す…………と、そこには酷い“火傷”の跡が。
いつの間に火傷したのか、彼女の手は真っ赤に腫れていた。
「あら。やっと気が付いた?」
彼女の鉄の籠手とブーツが壁の熱をそのまま伝え、皮膚を焼いたのだ。
シーラは炎の壁を取り払い、口角を吊り上げながら一歩、また一歩と倒れるギエナに近づく。
「ほら、これでもう動けないでしょう?」
「な、何のつもりだ!」
体をよじって立とうとしたギエナを、再び激痛が襲う。
彼女は声にもならぬ声を上げ、再び床に倒れた。
それをシーラが嘲る。
「無理しないでね。そんな火傷を負っては、もう逃げることもままならないんだから」
ギエナは射貫くような鋭い視線をシーラに向ける。
そして敵を目の前にして手も足も出ない屈辱に、彼女は唇を噛む。
そんなみじめなギエナの様子を、シーラはうっとりと眺めている。
「私をどうしようってんだ! 殺すならさっさと殺せ!」
ギエナが破れかぶれになって叫ぶと、シーラは突然倒れる彼女の上に跨った。
「だからさっきも言ったでしょう?」
シーラの顔が歪む。
「簡単には――――“死なせない”って」
耳障りなシーラの笑い声に、ギエナは顔を歪める。
ふと、何かがギエナの口に突っ込まれる。
それはシーラが床から拾った誰かの衣服の切れ端。
「静かにしててね」
シーラはそう言うと、地面から短剣を拾い上げる。
そして――――
ギエナのくぐもった悲鳴が、ギルドに轟く。
彼女の左腕にシーラの短剣が突き立てられ、そこから真っ赤な鮮血が溢れ出す。
ギエナは痛みのあまり、目を大きく見開き、涙をボロボロと流し叫ぶ。
が、猿ぐつわのせいで上手く叫べない。
シーラが笑った。
悪魔のように。
「これよ! この絶望に満ちた顔と、悲鳴。これを聞いている時だけ、私は生を実感できるの!」
更にぐりぐりと、短剣でギエナの腕を抉った。
ギエナの足が痛みのあまり、反射的にビクビクと激しく震える。
「んぐうううう! ぐううううぅぅぅぅ…………!」
血が噴き出る。
「あはは。あは。痛い? 痛いでしょ?」
ギエナは静かな絶叫と共に、痛みのあまり身体を跳ねさせる。
その度に真っ赤な鮮血がぷしっと噴き出た。
ジタバタと腕や足を動かすも、逃げることは叶わない。
「アーハハハ! 私だけ苦しむなんて許せない! あなたも、苦しむの。そして私を楽しませて」
シーラが、激しくナイフを抜き刺しする。
その度に血が噴き出て、ギエナは悶えながらうめくような悲鳴を上げた。
抑えつけられた彼女の足が、痛みにビクビクと跳ねる。
シーラは腕を振り上げるたびに、迫り来る快感に体を震わせていた。
もっと。
もっと、気持ちよくなりたい。
自分だけじゃない。
不幸なのは自分だけじゃないという実感を、彼女は更に欲する。
やがてシーラは壊れた蓄音機のように笑いながら、ナイフを引き抜く。
ギエナはその鋭い痛みに再び悶え、悲鳴を上げる。
彼女はもうとっくに限界を迎えていた。
とめどなく彼女を襲う痛みが、彼女の精神を蝕む。
彼女は虚ろな目で、天井を見つめていた。
突然、シーラがギエナの手を掴み上げる。
そして笑顔で顔を歪ませながら、ギエナの指を二本握った。
これから何をされるか悟ったギエナが、必死に首を振って懇願する。
が、シーラはそれを楽しむように――――思いっきり反対に捻った。
「んんぐうウウゥゥゥゥッ…………!」
ぼきっと鈍い音がして、指が反対に折れ曲がる。
ギエナは痛みに悶絶し、大きく目を見開いて手足を痙攣させ、喘ぐように息をする。
彼女のズボンから染み出た体液が、小さな水たまりをつくった。
「イーヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!」
それをシーラはケタケタと笑いながら鑑賞していた。
彼女は更に快感を求め、今度は今とは反対側の腕――――ギエナの左腕にそれをかざす。
「安心してェ。まだあと三本も残ってるんだから。私のために、苦しんで」
シーラは顔を手で押さえながら、天を仰ぐようにケタケタと笑う。
そしてギエナは目に涙を浮かべながら、必死に首を振る。
彼女は虚ろな目で、自分の腕に掲げられた血まみれの短剣を睨んでいた。
「いくね? もっともーっといい悲鳴を上げて頂戴」
「んぐぐぐぐ! むぐぐううう!」
ギエナがジタバタと手足を動かす。
何とか逃れようと。
しかし、上手く体が動かない。
彼女は絶望に満ちた目で、振り下ろされる短剣を見ていた。
――――ガキィンッ!
激しい火花を散らし、シーラの短剣が吹っ飛ぶ。
衝撃のあまり彼女は床に尻餅をつく。
痛む右手を摩りながら、シーラは振り返った。
「だ、誰!」
そこに立っていたのは――――
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