18. 邂逅

「どうなってる!」


 爆発音を聞きつけたクネル伯爵、リリア、ギエナそしてイヴリンの四人は屋敷の前の大通りに飛び出る。

 音のした方を見れと…………何本かの煙柱が立ち昇っていた。

 ギエナが背後に控えていた部下たちに怒鳴る。


「馬を連れてこい! 予備役も全員叩き起こせ!」


 部下は弾かれたように屋敷へ飛んでいく。

 クネル伯爵は目を凝らしながら、雲の底を煌々と照らし出す赤い火柱を見ていた。

 まさか。


「帝国の奴らか!?」


 クネル伯爵は困惑するも、家来たちに馬と武器を用意するよう指示を出す。

 皆戸惑い、ただ遠くで燃え盛る炎を眺めているだけ。

 その中で。

…………ただ一人、青ざめた顔のリリアが怯えながら前に歩み出る。


「たぶん“シーラ”です、お父様」


「なんだと?」


「実は…………」


 リリアは“ソラス村”で起こったことを全て打ち明ける。

 魔術ではない、謎の炎を司るシーラという女の事。

 そしてそれをブラッドリーと二人で追い払ったこと。


 クネル伯爵の顔が見る見るうちに青ざめていく。

 そしてとうとう、話が終わったと同時にリリアの両肩を鷲掴みにする。


「なぜそんな大事なことを言わなかったのだ!」


「ごめんなさい、お父様。本当にごめんなさい。言おうと思っていたのですが、こんなにも早く。ごめんなさい」


「第一お前には! …………いい、今は叱る時ではない。それより、あの炎がそのシーラとかいう女と関係してる可能性はあるのか?」


「断言はできないです。けれど、あんなことがあった後だから。それに彼女がここに来たとしても、何ら不思議ではありません」


 リリアはブラッドリーが彼女の部下を斬り殺したかもしれないことを思い出したのだ。

 おびただしい量の血を浴びて帰ってきた彼を見れば、誰でもそう思う。

 そしてその報復で…………彼女は戻ってきたのではないか。


「私にも詳しくは分かりません。もし、もしブラッドリーがこの場にいたなら」


 そのリリアの一言に、クネル伯爵は眉間に皺を寄せる。


「奴の名前を呼ぶのはやめるんだ。忘れなさい、リリア。彼はもう居ないんだ」


「けどっ!」


 リリアは一瞬、感情があふれ出しそうになったが何とか自制する。

 彼が居なくなってしまったという悲しさと、シーラに対する怒りを思い出し感情の堰が壊れてしまった。

 彼女は落ち着きを取り戻すと、再び顔を上げる。


「はい、お父様」


「それでいい。気持ちは分かるが、彼の事はもう忘れなさい。彼はもう行ってしまったのだから」


「はい…………おとう、さま」


 リリアの目から大粒の涙がひとつふたつ、次々に零れ落ちていく。

 それにクネル伯爵は取り乱した。

 しばらくして、彼はそっとかがむと娘の涙をすくい上げた。


「泣くんじゃない、リリア。また素敵な人と会える。きっとな」


「はい…………」


「それより今は」


 クネル伯爵はイヴリンに目をやる。

 彼女は静かに頷く。

 どうやらこの事態が、部下の報告で把握できたようだった。 


「どうだイヴリン殿」


「どうやら火災は“冒険者ギルド”のようです。中に人が残っている可能性もありますので、私も行こうかと」


「…………いや、待て。残念だが私は貴方を信用していない。だから私と一緒に、住民の避難を手伝ってもらう。リリアはギエナとここで待っていなさい」


 すると、リリアは首を振った。


「嫌ですお父様」


「なぜだ! なぜおまえは私の言うことを、いつもいつも…………」


「苦しんでいる人がいるかも知れないのに、指を咥えて待っているなんて、私にはできません!」


 リリアは杖を突き立てる。


「私はお父様の娘、リリア・オクセル。私が彼らを守らなくて、誰が守るんですか!」


「リリア…………」


 しばらくクネル伯爵は感慨深そうな顔でリリアを見つめていた。

 すると、彼は腹を決めたのかギエナに言いつける。


「ギエナ!」


「はい、お館様。ここに」


「リリアを連れ、ギルドを確認してくるんだ。命に代えてでも、娘を守れ」


「了解しました、我が主」


 ギエナは馬に飛び乗る。

 そしてクネル伯爵とイヴリンも、それぞれ自分の愛馬に跨った。

 リリアはギエナの手を借り、彼女の後ろに乗せてもらう。


 ふと、走り去ろうとしたクネル伯爵が振り返る。


「何かあったら逃げなさい」


 それだけ言うと、クネル伯爵と不満げなイヴリンは街の中に消えてゆく。

 残されたギエナとリリア。

 ギエナが振り返る。


「そろそろ行きますか、お嬢様」


「――――ええ、行くわよギエナ」


 ギエナは驚く。

 今の今までまだ子どもだと思っていたリリア。

 しかしその眼には、数日前には無かった“それ”が宿っている様に見えたのだ。

 気品と決意に満ちた鋭いまなざし。それはかつて、彼女がクネル伯爵に助けられた時に見たそれだった。


「お嬢様…………」


 ふと、ギエナは昔のクネル伯爵を思い出し、懐かしい気分になる。


「どうしたのギエナ?」


 柄にもなくボーっとしていたギエナを心配そうにリリアが見つめていた。

 我に返ったギエナは慌てて取り繕うように、手綱を波打たせる。

 そして二人は火の手が上がるギルドに向け、馬に乗って駆けていく。




 $$$$$$




 彼女は星を見ていた。


 崩れ落ちた屋根の隙間、そこから覗く満点の星空を彼女は眺めていた。

 綺麗だ。

 彼女はそう思った。けれど、これを“あの人”と一緒に見れないのがとても寂しく思えて。

 やがて満足し、彼女は空から視線を落とす。



――――そこは“地獄”だった。



 壁から天井まで火が這い上がり、周りには黒焦げの死体がくずおれ、積み重なっている。

 まるで野に咲く花のように、死後硬直のせいで彼らは胎児のように丸まっていた。


 彼女はその一つに視線を落とす。


 それは、自分の恋人を必死に守ろうと立ち向かった勇敢な冒険者。

 しかし彼も恋人も、他と同じく真っ黒く焦げた。

 彼女の手によって。


「…………この世は、残酷です」


 彼女はそう呟く。

 そしてここから立ち去ろうとして――――。


 一つの影が、ギルドのドアから飛び出そうとしていた。


 背丈に合わないとんがり帽子。

 見るからに魔法使い。だが、その背格好はどう見ても子どもだ。


 しかし彼女は厭わない。


 彼女は魔法陣を展開し、呪文を唱える。

 その子ども目掛けて炎を放とうとして。



「――――“ウィズ・レフ”!」



 子どもが振り返り、そう唱える。

 それは彼女――――シーラの目の前で燻っていた火の玉を、一瞬にして塵へと変貌させた。

 シーラは驚き目を見開く。


「あなた、あの時の」


 その子どもは、あの時村で自分と相対した…………。



「――――そう。サシャはサシャ」



 村でルーイに付き添っていた、背の小さな魔法使い――――サシャ。

 彼女は再びシーラの前に現れた。


「なぜここに?」


 シーラがそう尋ねると、サシャは毅然とした態度で答える。


「ぐうぜん。べつに、サシャは意図してない」


「そうですか…………これも何かの運命なのでしょうか」


 寂しげにシーラがほほ笑む。

 その表情には、前のような余裕は残っていなかった。

 勿論サシャがそれに気がつかないはずもなく、彼女はシーラのそれを問い詰める。


「前の男。いないけど、どこ?」


「彼、ですか」


 突然シーラの表情が曇る。

 思い出してしまったのだ。


 あの後、必死になって村に戻って、そこで彼女は彼と…………再会した。

 しかし彼はもう一言も喋らない。

 彼女が一番嫌いな、“冷たい”人間になってしまっていた。


 シーラは唇を噛み、俯く。

 そして震える声で尋ねた。


「誰が、彼を殺したのでしょうか」


 シーラは地面に転がる“ヴァレハム”と目が合ったような気がして、体を震わせながら目を瞑る。


「…………わからない。サシャ、あの後は分からない」


 サシャは警戒しつつも、意思の疎通を試みる。

 しかしいざとなれば逃げられるように、背後で杖を握りしめていた。


 ふと、シーラの語気が強まる。


「分かっているのです」


 彼女は顔を上げた。


「分かっているのです…………誰が、彼を殺したのかくらい」


 その口元には怒りの表情が浮かんでいる。

 サシャは言われずとも、それが誰を指しているのか分かった。


「彼を、どうするの?」


「さあ、どうしましょうか…………」


 シーラの表情が崩れ落ちる。


「どう“痛めつけて”あげましょうか。ああ、どんな悲鳴が聞けるのでしょうか! 考えるだけでゾクゾクします!」


 彼女の高らかな笑いが、燃え盛る炎に混じって木霊する。

 しかし、サシャは悲し気な表情を浮かべていた。



「――――ほんと、かわいそう」



 その一言で、シーラの興が一瞬にして冷める。

 彼女は噛みつくように語気を荒げた。


「何が! 私の何が可哀そうなんですかっ!」


 まるで吠えるように、そしてシーラは肩で息をしながら震える。

 彼女は怖かった。

 自分が本当に思っていることを、サシャに言い当てられてしまうのが。


「サシャでも、“分かる”。だれでも分かる」


 サシャは無表情のまま、無慈悲に告げる。





「――――そんなことしても、彼は戻ってこないのに」





 場が凍り付いたかの如く、静止していた。

 シーラもサシャも何も言わない。

 やがて奇妙な時間の後、シーラは顔を抑え、天を仰ぎ見る。

 そして。



「嘘つき! 違う違う違う違う違う違うッ…………!」



 叫んだ。

 喉が枯れ潰れそうなほど、叫ぶ。


 メキメキと音を立てて、彼女の“理性”という壁がひび割れていく。

 今までの思い出が、全て惨たらしい“トラウマ”へと置き換わっていく。


 その声は、天井を突き抜け夜の街に響き渡る。

 彼女の哀れな、そして誰に向けたものでもない悲しい叫びが木霊した。


 サシャは続ける。


「だから、意味ない。もう、やめたほうがいい」


 すると、叫んでいたシーラがふと大人しくなった。

 その不気味な様子に、サシャは息をのむ。


 彼女の脳内を“絶望”が埋め尽くす。

 そしてそれは“諦め”という地獄に、彼女を引きずり込む。

…………さらに諦めは“絶望”に。

 絶望は――――“狂気”に。



「――――アーハハハハハハハハハ!」



 シーラは笑いだす。

 腹の底から。

 声を出して。

 いままでに無いくらい。


 サシャはあまりの気迫に、背筋が凍り付く。


 人間の理性の枷が壊れた音。

 彼女はそれを初めて耳にした。

 そして、それをひどく後悔する。


「彼は、帰ってくるの!」


 シーラは叫ぶように繰り返す。


「再び、彼は私の前に現れるの! 彼が望むなら、喜んで自分に“火を灯す”! 彼が言うなら!」


 サシャはまるで人殺しが自分の本意ではないかの様なその言い草に、首を傾げる。

 もしかしたら、彼女は望んでいないのだろうか…………?


「本当にバカね! 前世であんなに、私はあんなに苦しんだのだから。現世はきっと、幸せになれる! 彼と一緒にッ!」


 シーラの顔が歪む。

 と、不意に彼女の顔に被さっていたローブがはらり、後ろに流れていく。



――――咄嗟に、サシャは悲鳴を堪える。



 だってその顔は…………。

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