17. 急展開
「出ていけ」
クネル伯爵の一声に、皆の視線が集う。
不服なのか、イヴリンは今にも噛みつきそうだ。
案の定、彼女は数分と経たず我慢の限界を迎え、口を開いた。
「クネル伯爵? …………何を仰ってのるか理解されていますか? こいつは魔王軍参謀なんですよ?」
「そうだな。だからなんだ? いいか、ここは私の敷地だ、私の領地だ。私の言葉に従うのは当然ではないかイヴリン殿?」
クネル伯爵の言い分は
しかし、周りの反応はあまり良くない。
やはり誰しも敵の正体を知っておいてみすみす逃すというのは、素直に頷ける事では無いのだ。
しかし、クネル伯爵は周りの空気など意に介さず、自らの主張を決して曲げない。
「いいか、私の気が変わる前に出ていけ! イヴリン殿、あなたもだ」
「――――待ってください、お館様!」
ギエナが声を上げた。
「良いんですか! この、この悪魔を野放しにして! 私は許せません!」
「よせ、ギエナ」
「しかし! …………」
「口を閉じろと言ったんだ! ギエナ!」
普段からは想像もできないクネル伯爵の怒号に、彼女は言葉を失う。
「私が普段から言っていることを忘れたか? 恩を忘れるなと。あれほど言っただろう!」
「失礼しました…………」
「彼が魔王軍の人間だから彼の勇敢な行動が無かったことになるのか? ならん! 彼は魔王軍だとかいう以前に、私の大事な娘を救ってくれた命の恩人だ!」
イヴリンはその一部始終を苦々し気に見届けていた。
しかし遂に、彼女はクネル伯爵に警告する。
「クネル伯爵。お気持ちは十分承知ですが、それは王国への“反逆行為”と見なされる場合が」
イヴリンは毅然とした態度で、あくまで自分の立場を譲らない。
けれどそれはクネル伯爵も同じだった。
「黙れ! お前に私の気持ちなど分かるものか! 大切な人を一度失った辛さが、分かるか!」
クネル伯爵は激怒していた。
それこそ、リリアもギエナですらも声を掛けられないほどに。
彼は堰を切ったように、怒りを吐露する。
「王への不敬? 一向に構わん。こんなことで反逆と見なすようなら、そいつは私にとって王ではない」
「――――お、お父様! やめてください!」
歯に衣着せぬ物言いに、慌ててリリアが口を挟む。
「まて、リリア…………分かったか、お前たち。私の気が変わる前に、ここを去れ」
ブラッドリーもイヴリンも面喰い、一瞬両者は顔を見合わせる。
するとブラッドリーはくるりと振り返り、皆に背を向けて歩き出す。
「ちょ、ちょっと!」
慌ててイヴリンが引き留めようとするも、彼は手をひらひらと翻しながら、彼女を目にとめようともしない。
ふと、彼が振り返る。
そして彼の視線が、クネル伯爵と重なった。
「…………今までお世話になりました」
一言彼がそう言っても、悲しいことにクネル伯爵は黙ったままだ。
しかし、その表情にはいくばかりかの悲しみが浮かんでいる。
イヴリンはクネル伯爵を見て不機嫌そうに舌打ちすると、再びブラッドリーの背中に向き直った。
「失礼ですがクネル伯爵。私は王国の命令を、果たさせてもらいます!」
彼女は胸ポケットから小さな笛を取り出し、それを思いっきり吹く。
すると、まるで光に集まってくる虫のように、どこからともなく制服を纏った男女がぞろぞろと玄関ホールに集まってきた。
皆軽装を纏い、腰にはメイスが携えられている。
「さあ」
イヴリンは嘲る。
「この状況で逃げられる…………?」
彼女の部下に取り囲まれ、退路を断たれたブラッドリー。
しかし、彼の表情に浮かぶ“余裕”は、こんな時でも決して崩れない。
むしろ、それを“楽しんでいる”かのようだった。
「――――開くと光が消えて、閉じると光が点くものってなーんだ」
イヴリンは顔を顰める。
なぜこんな状況でそんなおかしなことが言えるのか。
今までに“消した”対象の中で、こんな奴は今まで一度も見たことが無い。
しかしそんな彼女とは違い、リリアは思い出していた。
これは前にも聞いた。
そう、村に行った時、あのシーラという女性の前で同じようなことを言っていた。
これもそれと同じなのだろうか?
だとしたら、きっと彼なりに策があるのだろうと、リリアは口元を綻ばせる。
「どう? 分かった? まあちょっと難しいけどな」
「私が答える義理は無いと思うんだけれど」
「そう? でも答えた方がいいと思うなァ」
「なぜ!」
ブラッドリーはにやりと笑う。
「だってそうしないと、君の経歴に泥を塗ることになるから」
そう言われ、イヴリンはその過剰な肩書への執着心から、不覚にもなぞなぞの答えを考えてしまった。
しばらくブラッドリーを睨みながら、頭の中でグルグルと思考を巡らせる。
と、不意に彼女の眼が大きく見開かれる。
「――――か、“カーテン”っ!」
彼女は慌てて玄関の大きな採光窓を見た。
すると、そこから降り注ぐ大きな二枚の布が――――。
「急いでそいつを取り押さえて! 早く!」
彼女は取り乱しながら、まるで
がしかし、時すでに遅し。
「じゃあな!」
カーテンが見事彼らの頭を覆ってしまい、それをどかそうとモタモタしている内に、ブラッドリーは玄関から飛び出ていた。
正面庭園に出てきたブラッドリーは、わき目も振らず走り出す。
後ろから、横から。待ち伏せていたであろうイヴリンの部下たちが、虫のように湧いてくる。
彼は振り返る度、その数に肝を冷やしながらも、街の大通りを目指して走った。
そうこうしている内に、彼は巨大な“鉄柵”にぶち当たる。
彼は磁力を使い、その鉄柵を易々と飛び越えた。
そして石畳の小道に降り立った彼の前には、ボロボロの馬車とみすぼらしい御者が。
ふと、ブラッドリーに気が付いたのか、御者はくたびれた帽子をとって会釈した。
「――――こんばんは、“ブラッドリー様”」
帽子の下から現れた、その格好に似つかわしくない端麗な顔立ちに、ブラッドリーはあっと声を上げた。
「ルーイ! お前なんでこんなところに!」
それは御者に変装したルーイだった。
ブラッドリーは何故彼がここに居たのか気になったが、何よりもまず追手を撒くことにした。
彼はルーイを急かして、馬車を走らせる。
追手が来ないよう街の裏通りなんかも経由しながら、馬車は屋敷から離れていく。
やがて喧騒は遠ざかっていき、最後に完全なる静寂が訪れた。
「…………ふう、やばかった」
ほっと胸をなでおろすと、ブラッドリーは馬車の座席にリラックスするように深く腰掛けた。
「それよりルーイ。お前よく俺が追われてるって分かったな」
ルーイは手綱を操りながら、ちらと彼に視線を向ける。
「いえ、追われているのは分かりませんでした」
「何だと? じゃあなんで馬車なんか」
ルーイは振り返って背後を確認すると、再び前を向いた。
「情報が入ったんです。僕が構築した情報網の、今回は城壁の門番からのタレコミでした」
「門番を買収してたのか」
「はい。それで、彼らから“王国の勅令書”を持った集団が来たという通報があったんです」
「勅令書? なんだそりゃ」
「その名の通り、王が直々に書いた書類です。それで彼らが持っていたそれの内容が、どうやら“如何なる敷地への侵入も許可する”だったらしくて」
だから念のためブラッドリー様にこのことを伝えようとしたら、偶然あの場に居合わせたんですとルーイは付け加える。
「にしても、お前の報告からするとどうやら入念に準備してたみたいだな。…………もうとっくに正体がバレてたって訳か」
「僕もそう思います。しかし、となるとかつての戦場でブラッドリー様を見て生きて帰った人間が居るということでしょうか?」
「…………話を聞いたところ、素性はともかく俺の能力の一端までバレてるからもっとヤバいだろうな。…………知らない内に、俺の戦いをコソコソ観察していたヤツが居たんだろ」
最前線で戦う兵士や後衛の魔術師とて、ブラッドリーを目にすることはあるとしても、まじまじと観察する暇などあるわけが無い。
激しく分泌されるアドレナリンに鼓舞されながら、半ば半狂乱で武器を振るうのだから。
そう考えると、正確に情報を収集できていることから、蚊帳の外で見ていた人間が居たと考える方が自然だ。
ルーイもそれに納得したのか、何も言わずに馬を走らせていた。
昼とは打って変わって、人の居なくなった街を二人を乗せた馬車が走り抜ける。
ブラッドリーはその静けさに緊張を綻ばせ、手すりに両足を乗せた。
道路の傍に立ち並ぶ家々の隙間から覗く星空を、彼は眺めている。
――――突如、“爆発音”が街中に轟く。
ルーイは驚いて手綱を思いっきり引っ張り、馬を止めた。
かなり大きい。
音からして遠いのだろうが、それでも二人が飛び上がるくらいには十分大きかった。
「聞こえたか」
ブラッドリーは神経を尖らせ、周りを注意深く伺っている。
「ええ」
ルーイも同じく、周りの様子を確認していた。
そして二人は周りでは何の変化もない事を確認すると、少しだけ緊張の糸を解く。
「さっきの音。まるで何かが爆発したような…………」
「ああ、俺もそう聞こえた。向こうから聞こえたよな? あっちには何があるんだっけ?」
「あっちは北で、大通りと商店街と…………あとは“冒険者ギルド”があります」
ブラッドリーの脳裏を嫌な憶測が過る。
しかし、それはルーイも同じだった。
「ブラッドリー様、どうしますか?」
冒険者ギルド。
その響きに、ルーイは酷く怯えていた。
ブラッドリーはそれに気が付いて、出かけた言葉を慌てて飲み込む。
「…………確認しよう。俺も少し気になる」
それを聞いたルーイは安堵した様子で手綱を大きく振るうと、馬車をくるりと回転させ、来た道をすごい勢いで走らせ始める。
「ブラッドリー様」
「なんだ?」
「ほんとによろしいんですか?」
「何がだよ。戻るのはヤバイぞって話か?」
「はい…………追手を撒くならこのまま逃げた方が賢明かと」
ブラッドリーは鼻で笑う。
「少しは自分の本音も言えよ、ルーイ」
「本音、ですか? 僕はいつ何時だってブラッドリー様の事を第一に」
「――――ギルドに誰か残ってんのか?」
ルーイは目を丸くする。
「なぜ、それを?」
「ばーか。顔にそう書いてあるんだよ」
ブラッドリーがそう言って笑っても、ルーイは険しい顔のまま。
その表情から、彼もこの事態が思っているよりも深刻だということに気が付く。
普段様々な性格を演じ切って見せ、ある時には人を切り捨てる選択肢も厭わない彼がここまで動揺しているのを、ブラッドリーは初めて見た。
彼は今やっと、ルーイに新しい“居場所”が出来たことに気が付いたのだ。
ブラッドリーはウェストポーチの中身と、装備の点検を始める。
もしこの騒ぎが――――想像しうる“最悪”だった時のために。
「誰が残ってる」
「…………“サシャ”が。あの帽子の少女ですが、まだ帰ってないかもしれないんです」
「他は?」
「他のみんなは、今日は休んでいるので」
しばらくして彼はポーチから刻印の施された一本のナイフを取り出し、それを月にかざす。
「杞憂だと良いんだが」
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