13. 決別

「くそっ!」


 ヴァレハムは混乱していた。

 

 およそ人間とは思えない軌道を描くブラッドリーは、目にも留まらぬ速さでその間合いを詰める。

 咄嗟に剣を突き出し、やぶれかぶれの攻撃を繰り出す。

 が、お粗末な攻撃はとうに見切られていた。


「甘いな」


 飛翔していたブラッドリーは木の葉のように体を翻すと、ヴァレハムの側面に回り込む。

 捉えられない。

 そもそも視界にさえ、ブラッドリーを閉じ込められない。


 ヴァレハムは何とか平静を保ちつつ、視界の端へ消えたブラッドリーを追い、剣を振る。

 しかしそれが仇となり。

 

「甘いぞ、ヴァレハム!」


 突如、ヴァレハムの視界の下から飛び出してきたブラッドリーが、素早く斬りつけてきた。

 それも手首を。

 彼は的確にヴァレハムの籠手の隙間を狙い、その手首を斬る。


「く、クソッ」


 ヴァレハムが苦痛の声を漏らし後ずさると、地面に血の跡が。

 彼の手首からとくとくと血が滴っている。


 剣術における手法の一つ。

 相手の手首を斬りつけ、継戦能力を削ぐ。


 彼は見事ブラッドリーの術中に嵌り、手首から血を滴らせていた。


「お見事、です」


「世辞はいらない、全力で来いヴァレハム。俺が斬り殺してやる」


 ブラッドリーが再び跳躍する。

 今度こそヴァレハムは彼の行動を予測し、予め剣を構えておく。

 そしてその予想は的中し、見事思った通りの場所に飛んできた。


 ヴァレハムは剣を振り下ろす。

 それに抗い、ブラッドリーも剣を振り上げた。


 双方の剣が交わり、ギリギリと悲鳴を上げる。

 すかさず、ヴァレハムは足払いを繰り出した。

 

 が、その足は空を切る。


 もうそこにブラッドリーは居ない。

 彼は鍔迫り合いの先を読み、既に諦め飛翔していた。


 まるで蛙のようなすばしっこさに、ヴァレハムは苛立つ。

 そして、もどかしさのあまり今度はヴァレハムの方から攻撃を仕掛けようとして…………。


「何っ」


 ブラッドリーが揺れる。


 まるで稲穂のように、左右へ奥へゆらゆらと。

 そのせいで全く彼の軸が捉えられない。

 ヴァレハムは必死になって狙いを定め剣を振り下ろそうとするも、叶わない。


 と、彼はブラッドリーの攻撃に気が付く。


 しかし、遅かった。

 既にヴァレハムの腹部に食い込む寸前の刃が、彼には見えてしまった。


「うぐあああぁぁぁ…………!」


 ヴァレハムの悲鳴が轟く。

 ブラッドリーの剣は彼の胸当てと腰当ての隙間を潜り抜け、深く深く腹に刺さっていた。

 

「前も言っただろうが」


 ブラッドリーが冷め切った表情で吐き捨てる。


「お前は振り下ろしの動作が多すぎるって」


 剣が勢いよく引き抜かれ、大量の血しぶきが地面に飛び散った。

 ヴァレハムは痛みと動揺のあまり膝から崩れ落ち、自らの腹を触る。

 手には真っ赤な血がこびりつく。


「そ…………そう、でした」


 ヴァレハムは息も絶え絶えで返事をする。

 それは僅かに残された、ブラッドリーへの恩によるものだった。


 真っ赤な返り血に染まったブラッドリーは、片手剣を構えヴァレハムの前で立ち止まる。

 そしてその剣を――――ヴァレハムの首に当てた。


「言い残すことはあるか、ヴァレハム」


 ヴァレハムは頭をもたげる。

 その顔は死の恐怖に歪んでいない。

 むしろ何かをやり遂げた、満足げな顔だ。



「…………私はシーラ様が好きでした」



 彼は絞り出すようにそう零すと、ゆっくりと瞳を閉じる。

 ブラッドリーは何も言わない。

 ただ、無表情のまま目の前で跪くかつての部下の姿を眺めていた。


「あいつらは」


 ブラッドリーが口を開く。


「あいつらは一体何者なんだ。まるで、まるで人間のようだ」


 それはシーラの事。


 彼が魔王城で見た異形は、人間でも動物でもなく、形容しがたい形を成していた。

 がしかし、さっき見たあれは完全に人だ。

 もしかしたら異形は人間と似た存在なのでは、と彼は考え始めていた。


「厳密には、人ではないので…………しょう」


 ヴァレハムが漏らす。


「しかし間違いないのは、私がお会いした彼女達は…………皆人間と似た姿をしていました」


「シーラ以外の名前は?」


「存じ上げません。知って…………いるのは、シーラ様だけです」


 気が付くと、ヴァレハムは大粒の涙を地面に零していた。

 彼は腹から止めどなく流れ出る血を抑えながら、必死に言葉を紡ぐ。


「ただ私には…………彼女たちが皆何かを抱えている様に見えました」


「どういうことだ?」


「何と表現していいのか…………しかし、そう見えたのです」


 ヴァレハムは再び頭をもたげ、ブラッドリーの目を見据える。


「シーラ様もそうでした。彼女は…………ずっと温もりを求めていたのです。しかし、結局最後まで私は彼女に何もしてあげられませんでした」


 ブラッドリーはため息をつきたくなる気持ちを堪える。



 彼の恋慕は本物だ。



 しかし、恋してしまった相手が悪かった。

 それをブラッドリーは告げたかったが、人の恋路に口を出すのは気が引けた。

 たとえ、その恋に悪行が伴うとしても。

 たとえ相手が――――“異形”であろろうとも。


 恋愛は悪行さえも飾りつけ、それをあたかも望むものに変えてしまう。

 恋人となら、虐殺でさえ“楽しみ”の一つになってしまうのだ。


「…………ブラッドリー様」


「なんだ」


「最後に、お願いがあるのです」


 彼は涙ぐんでぽつりぽつりと話し出す。


「どうか。どうか彼女に、私の気持ちを伝えて欲しいのです」


「なぜ俺に頼む?」


「…………だって、シーラ様を殺すおつもりなのでしょう?」


 ブラッドリーは答えない。


「だから、お願いします。――――私が“愛していた”と」


 彼の咳に交じって、血飛沫が地面を赤く濡らす。

 

 やがて、沈黙が二人を包んだ。


 柔らかな風がブラッドリーの頬を撫でる。

 風にはほんのり、人間の焦げた不快な匂いが混じっていた。 

 その香りに釣られ、ブラッドリーは焼け焦げた村人たちが積みあがった山に視線を移す。

 そして彼は深いため息をついた。


 悟ったのだ。


 自分もまだまだ未熟なのだと。

 思い出や私情に多少なりとも縛られてしまうのだから。 

 かつて信頼を置いていた部下の豹変に、こうも落ち込んでしまうのだから。

 まだまだ、割り切れない。

 自分は優しすぎるのだ。



「…………ああ」



 最後に、彼はそっと頷く。

 それは遠回しに、シーラを殺すと言っているようなものだった。


 ヴァレハムはその返事を聞き、悲しそうに微笑んだ。

 だがそれも一瞬。


「ありがとうございます」


 ヴァレハムは首を垂れる。


 

 ブラッドリーはその首めがけて――――剣を振り下ろした。




$$$$$$




「ぶ、ブラッド!」


 ギルドの前、多くの通行人が行き交うそこに彼の姿はあった。


 服にはおぞましい程の返り血がこびりつき、顔の血痕はまるで乾いた大地のようにひび割れている。

 双眸は正面を見据えているが、呆然としていて焦点が合っていない。


 リリアはギルドの入り口から飛び出し、彼に駆け寄った。


「ちょ、ちょっと! 大丈夫なの!?」


「…………ああ、心配かけたな」


 彼はため息交じりに答えた。

 そう言ってリリアの肩にぽんと手を置くと、彼は慌ててそれを引っ込める。


「悪い、ちょっと血が付いたかも」


 ブラッドリーは心配気にリリアの肩を払う。


「そんなのいいから。それより、ケガとかしてない?」


「ああ。無事だよ…………体はな」


 ブラッドリーは乾いた笑いで答える。

 それで、リリアは彼に何かがあったことを察した。


 会話が途切れる。


 周りの喧騒に包まれ、二人の間には静寂が生まれていた。

 互いに目を合わせ。

 しかし言葉は交わさない。



――――すると突然、リリアがそっとブラッドリーを抱き寄せる。

 


 そして慈母のような優しさで、彼の背中を摩った。


 ブラッドリーは驚いて最初はその手を引き剥がそうと思ったが、妙な安心感に包まれその気も失せてしまう。


 不思議な気分だった。


 まるで緊張と苦しさとが、全て彼女に吸い込まれていくような。

 彼は形容し難い安心感に包まれていた。


「何のつもりだよ」


「なんのつもりって。こうすれば温かくなるって言ったの、あなたでしょ?」


 リリアの温かい吐息がブラッドリーの首をくすぐる。

 久しく他人の温もりを感じていなかった彼は、懐かしく思った。

 炎なんかの温かさとは違う、体の芯から感じる温もり。


 彼はリリアの背中に手を回す。

 そして、優しく力を籠めた。



「ああ、そうだな」



 ブラッドリーは口元を緩ませた。

 それを見て、リリアも微笑む。


「――――はいっ」


 突然リリアがブラッドリーから離れると、仕切り直すようにわざとらしく咳払いをする。


「ぬくぬくタイム終了。さ、これからどうするか決めなきゃ」


 間抜けのように両手を突き出して固まっていたブラッドリーも、恥ずかしそうに咳ばらいをした。

 なんだか感慨に浸っていたのが馬鹿の様だ。


「だな。とりあえずこの血まみれの服をどうにかしないことには、何も始まらないぞ」


「そうね。こんな恰好の人と一緒に街を歩くのは嫌だから」


「お前キツイな。少しは配慮ってものをさあ」


 リリアは両耳を塞ぐと「あー」と声を出し、ブラッドリーの不満をかき消した。

 その後ろを不満げなブラッドリーが続く。



 二人の背中に、微かな血の跡が残っていた。

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