12. 裏切り
「…………え?」
シーラがぽかんと口を開けていると、ヴァレハムは隙を見てブラッドリーとの間に入り込む。
そして剣を構え、シーラを庇う。
「どうか、お逃げください」
「何を言っているのですか? 貴方を置いて逃げるなど…………」
「無理です、シーラ様」
そう言って振り返るヴァレハムの顔が、静かに状況を物語っていた。
シーラも表情に気が付かないわけがなく、ひどく動揺している。
「私の術を以てしても、ということですか?」
「そうです…………無礼を承知で申し上げますが、無理です」
「そんなの。あり得ません、嘘よ」
シーラは魔法陣を展開し、炎の大蛇を作り出す。
まるで虚空から炎の粒を集めるように、段々と宙の魔法陣にそれらが集まって、大きな形をつくる。
ブラッドリーは彼女が呪文を唱えている隙に、魔術を発動した。
「“マグネート”!」
ブラッドリーがそう唱えると、倒れていた女剣士と弓使いの体がピクリ、と不気味に震えた。
もちろん二人とも気絶している。
がしかし、まるで息を吹き返したかの如く、体がひとりでに動き出す。
次の瞬間。
倒れていた二人が、まるで見えない糸に引かれるかの如く、ものすごい速さで土を抉りながらブラッドリーたちの足元に転がってきた。
女剣士も弓使いも、鉄の鎧を身に纏っていた。
だからこそブラッドリーは自らの術によって、二人を手繰り寄せることができたのだ。
シーラとヴァレハムが、それが罠だと気が付いた時には、もう手遅れ。
人質だった二人は赤子の手をひねるように易々と奪取されてしまい、一方的な蹂躙も今となっては純粋な力の均衡と化した。
形勢は逆転し、盤面が再びゼロに還る。
「大丈夫か!」
ルーイとサシャはそれぞれ女剣士と弓使いに駆け寄り、ルーイは応急処置を。そしてサシャは回復魔法を使う。
どうやら二人とも辛うじて生きているようだった。
「よかった、よかったよ…………」
サシャがずびずびと鼻を鳴らしながら、安堵の声を漏らす。
「…………さーてと。これでお前らのアドバンテージが無くなったわけだ。どうする? ヴァレハム少佐と、シーラ姫…………?」
ブラッドリーが不敵な笑みを浮かべる。
それが癪に障ったのか、シーラは魔法陣の構築を急く。
そして完成した魔法陣は突然巨大化したかと思えば収縮し、まるで竜のようにうねる炎を生み出す。
「――――ブラッド、逃げてっ!」
回復魔法を使っているサシャの代わりに、リリアが魔法障壁を召喚する。
魔術に長けた彼女の障壁は安定した光を放つ。
これならば魔法が容易くすり抜けることは無いだろう。
――――しかし、予想に反し壁はいとも簡単に突破されてしまった。
リリアは驚き狼狽えるも、再び壁を召喚しようとして。
「待て」
ブラッドリーがそれを制した。
「なんでっ。早く、早く急がないと!」
そう言っている間にも、炎は着実にその距離を縮める。
獲物を捉えた蛇の如く、その勢いは留まるところを知らない。
リリアはブラッドリーにとびかかり、一緒に回避しようと考えたその時…………彼女は彼の横顔を見た。
彼女は一度、その表情を見たことがあった。
あの薄暗く狭い地下牢から助け出されたとき。
絶体絶命の状況で、彼が浮かべたあの無邪気な笑み。
心の底から“理不尽”を楽しんでいるその表情。
「――――“マグネート・ヴォンディア”」
彼はウェストポーチから取り出したナイフを宙に投げ、そう唱えた。
するとナイフはいびつな挙動を伴って、その切っ先をシーラに向ける。
まるで、ナイフに命が宿ったかのように。
シーラは巨大な炎越しに、そのナイフの煌めきを捉えた。
が、それは次の瞬間に消え去る。
――――そして、何かが“爆ぜる”音が轟く。
耳をつんざくほどの轟音は一瞬で、それが何なのかは誰も分からない。
…………ただ一人を除いて。
「――――う、嘘よ」
シーラは驚嘆したまま固まり、宙を眺めていた。
無い。
ついさっきまであったはずの巨大な炎の竜巻が――――跡形もなく消えていた。
ブラッドリーは慌てふためくシーラを見て、あざ笑う。
「はは、驚いたか? 残念だけどお前の訳わからん手品は殺させてもらったよ」
「こ、殺す? 一体どうやって!」
ヴァレハムがそっとシーラを呼び、背後を指さす。
それに釣られ、シーラは彼の指さす方を向く。
大きなクレーターがあった。
そして中央に…………ブラッドリーの投げたナイフが刺さっている。
ナイフは音の壁を易々と突き破り、その勢いをもって炎を散らしたのだ。
「ナイフで、シーラ様の術を打ち消したのです」
ヴァレハムは淡々と説明すると、やがて剣を構えたままブラッドリーに詰め寄る。
そしてシーラに振り返った。
「逃げてください。どうか、お願いですから」
「でも、でもあなたはどうなるんですか!」
「…………私の最後のお願い、どうか聞いて下さい」
シーラとヴァレハムはしばらくの間見つめ合う。
やがて、シーラはそのヴァレハムの賢明な訴えに折れた。
そして隙を見て彼女は魔法陣を展開する。
一瞬、不安そうな表情でヴァレハムに振り返るも、すぐに穴の向こうへ消え去ってしまった。
衝動的に追いかけようとしたリリアが、ルーイに止められる。
「チッ、転移魔法か」
ブラッドリーは舌打ちする。
転移魔法は非常に高度な魔法で、世界でも使える魔術師は限られてくるのだ。
そんな魔法をいとも容易く使えるとなると、相当手強い相手だろうことは容易に予想できた。
「リリア、ルーイ! …………じゃなくて、アルケーンか。二人ともその女剣士と弓使いを運んで逃げろ!」
ブラッドリーはそう叫ぶと、地面に落ちていた女剣士の剣を拾い上げる。
リリアは女剣士を担ぎながら、心配そうにブラッドリーを見つめた。
「一緒に戦いたいけど、仕方ないわね。お願いだから死なないでよ、ブラッド」
ブラッドリーは微笑む。
「心配すんな。こんなとこで野垂れ死ぬわけねーだろ」
「…………それもそうね」
何か言いたげなルーイを無理やり連れ、リリアたちは村を後にする。
そして残されたのは、ブラッドリーとヴァレハムの二人だけ。
元魔王軍同士、腹を割って話せる貴重な時間になるはずだった。しかし出会いは最悪。
かつての上官と、寝返った下士官。
これ程に最悪なシナリオは、未だかつて無い。
「ブラッドリー様、生きておられたのですね」
「まあな。色々大変だったけど」
奇妙な沈黙が場を支配する。
双方にらみ合ったまま、世辞の一言も言わない。
世間話も、恒例な天気の話題も。
ふとブラッドリーが口火を切る。
「あいつ、例の“異形”だよな。お前、どうしてあんな奴に寝返ったんだ」
彼らしい、単刀直入で無遠慮な質問。
ヴァレハムはそれを少し懐かしいと感じると同時に、心苦しく思った。
「…………ウサギが蛇に捕食されるとき」
ヴァレハムは滔々と語りだす。
「ウサギが蛇に捕食される時、どんな感情を抱くかご存じですか?」
ブラッドリーは話の意図を汲み取った。
しかし、出かけた言葉を飲み込んで話を促す。
「さあな」
「私は昔、それが恐怖だと思っていました。がしかし、違った」
ヴァレハムが力ない笑みを浮かべる。
「――――“快感”、です。弱者が圧倒的強者に捕食されるとき、弱者は快感を覚えるのです。それが恐怖を誤魔化すためか、生存本能を犯されて湧き出る快感かは知りませんが」
ブラッドリーは真剣な面持ちで耳を傾けていた。
「魔王様が亡くなり、ブラッドリー様含め参謀の方々が亡くなられたと聞いた後、例の異形たちに出会いました」
彼の表情に影が差す。
「あの“シーラ様”も、そのお一人です」
ブラッドリーは「やはりな」と思いつつも、魔王城で見た姿と乖離していたことに違和感を覚えた。
しかし今はそれを聞くときではない。
さっきの二人のやり取り。
あんなのを見せられては、誰でも“関係”を疑うだろう。
彼は率直に聞いた。
「…………お前、あのシーラってやつに惚れたのか?」
ヴァレハムは答えない。
もごもごと何かを言おうと唇がうごめいているが、言葉が出ない。
彼は俯き、纏まらない言葉を紡ぐ。
「…………え、ええ。一方的に、ですが」
やがて言葉が絞り出される。
「私は彼女と戦って、負けた。完敗でした。名将としての栄誉もプライドも、何もかも踏みにじられるような大敗。そして私は焼かれそうになって…………“快感”を覚えてしまったのです」
かつて名将と謳われた彼のみじめな話を聞くのは、ブラッドリーにとって辛いものがあった。
部下として信頼を置いていた、屈強な男の吐露。
それは生々しく、残酷だ。
「生物的な本能でしょうか。絶対に敵わない強者に服従する、あの快楽。私は悟ったのです」
ヴァレハムが頭をもたげる。
「彼女こそが、真の主なのだと」
その顔は満足げに微笑んでいた。
しかし、ブラッドリーは突然腹を抱えて俯く。
…………そして、いきなり笑いだした。
「あーははハハハハハ!」
「な、何がおかしいのでしょうか?」
「いやおかしいだろ。強者? あいつが?」
ブラッドリーは不敵な笑みを浮かべ、剣を構える。
「んなわけねーだろバカ野郎。あれはどう見てもただの“クソ変態根暗女”だろうが」
「シーラ様を侮辱しないでください…………!」
「――――そしてお前も救いようのない“バカ”だ」
ブラッドリーは
ヴァレハムは眉間にしわを寄せた。
しかし、ブラッドリーに反論することはない。
「なんで俺がお前を殺すことにしたか、分かるかヴァレハム少佐」
ブラッドリーは真顔で問いかける。
しばらくヴァレハムは逡巡すると、ぼそりと呟くように答えた。
「裏切ったから、でしょうか」
「ちげーよ」
ヴァレハムは驚く。
てっきり寝返ったことに憤慨していると思っていたからだ。
ブラッドリーは今度こそ本当に失望したのか、その顔から感情を消す。
「――――“止めなかった”からだよ」
「え?」
「あいつの傍にいたのに、何故止めなかった」
「っ、それは…………」
「いいかヴァレハム。虐殺に陣営も大義もクソも無い。あるのは、明確な悪意と善意の欠けた人間たちだけだ」
ヴァレハムは言われて気が付いた。
そうだ。
確かに、違和感を覚えていたはずなのに、シーラを止めることは決してなかった。
以前だったら戸惑うことなく止めていただろうに。
それもこれも全て、彼がシーラに対して抱いていた感情に“邪魔”されてしまっていたのだ。
“愛”という名の、いびつな目隠しで。
ブラッドリーはヴァレハムを睨みつける。
「お前はもう、ヴァレハムじゃないんだよ」
ブラッドリーは吐き捨てた。
「…………シーラの“人形”だ。お前はもう、俺みたいに一度死んでるんだよ」
彼はそう言い切る前に――――ヴァレハムめがけて跳躍する。
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