10. 地獄。誰も助けてくれない

「まだ、足りない」


 ローブを纏った人影は、女性の声で発語する。


 その一言一句を、人影の前に立つ子どもとその母親が聞かされていた。

 彼女たちは恐怖のあまり震え、子どもはわんわんと母親の足元に泣きついている。


「まだ、足りない」


「…………や、やめて、この子だけはどうか」


 せめて子どもだけは助けようと、母親はわが子を庇う。

 まるで自分と相手とを遮るように、ローブの人影は手を突き出す。

 するとその手の先に不思議な魔法陣が現れる。

 青白く発行する、幾何学的な模様。



――――突然、母親と子どもから火の手があがる。



 どこからともなく上がった炎は、彼女たちをたちまち飲み込んでしまう。

 この世のものとは思えない断末魔が部屋中に響く。

 それもやがて途切れた。

 炎によって喉が焼かれ、声が出せなくなったのだ。


 皮膚は蝋のように焼けただれ、ぷすぷすと鈍い音を立てる。 

 直ぐに燃え尽きた子どもは筋肉の硬直により、まるで赤子のように蹲っていた。


「そう、この暖かさ。この温もり」


 ローブの人影は満足げに手をかざす。

 その手のひらに熱を受けながら、恍惚としていた。



「――――“シーラ”様、少しよろしいでしょうか」



 人肉と髪の焦げる不快な匂いが充満する家屋に、一人の男が入ってくる。

 男は無精ひげを生やし、重厚な鎧を身に纏っていた。


 見てくれはどこかの兵士に見えるが、にしては纏うオーラが違いすぎる。

 邪悪かつ、凶暴なオーラ。


「なんでしょうか?」


 ローブの人影――――“シーラ”は嬉しそうに振り返る。

 そして、燃え盛る炎を背に歩み寄ってきた。

 その姿を見て、得も言われぬ恐怖に男は背筋を震わせる。


「そ、それが。どうやら街から冒険者や騎士団がこちらに来ているようです。そろそろ、撤退した方がよろしいかと」


「あら、そうなのね。…………分かりました。惜しいけれど、そろそろ終わりにしましょう」


 ふと、シーラは名残惜しそうに振り返る。


「何人か連れて帰ってください。しばらくは、それらで暖をとりましょう」


「…………はい」


 男は息を呑む。

 その場に残された丸焦げの死体を眺めながら、不安げな表情を浮かべる。


「何をしているのですか? 早く行きますよ」


「え、はい」


 シーラと男は家屋から出た。 

 すると、シーラがぶるると身を震わせる。


「寒い。寒い…………今日は、寒いですね」


 男は奇妙な面持ちで彼女の様子を見ていた。

 今日は春で一番暖かい日。

 下手すれば、汗でもかきそうなくらいに暖かい。


「そうですね」


 けれど男は本音を言わない。

 言えば、彼女を深く傷つけてしまうと思ったから。


 二人は燃え尽きた遺骸を踏みつけながら、村の出口を目指して歩く。

 ここに二人を止められる者は、もう誰も残っていない。

 皆、黒焦げにされたか真っ二つに斬られてしまった。

 物言わぬ真に従順な人間だけが残されている。


「これからどうしますか?」


 男は何食わぬ顔でそう聞いた。


「そうですね…………そろそろ騒ぎになる頃でしょう。ですから、場所を変えてまた暖をとらなければなりませんね」


「騎士団と自警団の連中はしつこく追ってくるかと」


「…………もちろん、彼らでも暖をとるのですよ?」


 笑顔でそう言ってのけるシーラを見て、男はぞくりと背筋を震わせる。

 かつて彼の仕えていた人物に対して抱いた畏怖。

 それとよく似ていた。



「――――あれは?」



 シーラが突然立ち止まり、村の入り口を指さす。

 そこにあったのは四人の人影。

 女三人とその先頭に立つ一人の青年。


「誰だ」


 シーラの傍に仕えていた男は剣を引き抜く。

 通りすがりの旅人、というわけでは無さそうだった。



「――――これをやったのは、お前らか?」



 先頭に立つ青年が忌々し気に周囲の惨状を見まわしながら、震える声で尋ねた。

 それにシーラは微笑んで答える。


「そうですよ? それで、どうされましたか?」


 あけすけに自分がやったことを打ち明ける彼女に、青年も男も驚いて目を見開く。

 そしてその顔に浮かぶ不気味な笑顔に、みな背筋を震わせる。


「良いんですか、シーラ様」


「ええ。あの四人組、今日はあれを持ち帰って暖をとりましょう」


 男はしばらく返事を躊躇うも、やがて静かに頷いた。


「シーラ様のためなら。それで、私は何を?」


「あなたはあの青年の背後にいる二人の女を相手しなさい。私は、あの青年と青い髪の少女を仕留めます」


「分かりました」



 $$$$$



 ルーイは剣を握る右手に、更に力を籠める。

 そうでもしないと、目の前に現れたあの奇妙な女性の不気味な雰囲気に気圧されてしまいそうだったからだ。


「“アルケーン”、どうするの?」


 サシャが不安そうな表情でそう聞く。


「ここで仕留める。こんなことをしておいて、野放しに出来るわけが無い」


 ルーイの背後にいた重装の女剣士と弓使いは頷く。

 彼のパーティーには誰一人、この残虐非道な行為を見逃せる人はいなかった。


 四人は一斉に戦闘態勢に入る。

 各々武器を構え、双方の間合いを測った。


 すると、二人組が突然歩き出す。

 そして間をどんどん詰めるように、四人に近づいてきた。


「来るぞ、気を付けろ!」


 女剣士が前に出て、身構える。

 その背後でサシャと弓使いが援護の体制を整えた。

 援護射撃の中、女剣士とルーイで決着をつける作戦だ。



「――――“ソヴィア・ラ・フィーネ”」



 突然、シーラが呪文を詠唱する。

 と、彼女の目前に魔法陣が浮かび上がり、蛇のように長い炎が伸びてきた。


「下がれッ!」


 女剣士が大盾を構える。

 炎が盾とぶつかり、水が弾けるように炎は四方へと散っていく。

 ぎりぎりと歯を食いしばって、容赦なく迫りくる炎を女剣士が必死で抑える。


「行くぞ!」


 ルーイが合図を出す。

 盾の後ろに控えていた三人が、一斉に飛び出した。


 弓使いが矢を放ち、まず二人組の動きをけん制しようとして…………



「――――遅いな」



 いつの間にか目前まで迫っていた二人組の一人である男の拳が、弓使いの腹に食い込む。


「ぐ、ぐはあっ…………」


 そのまま弓使いは地面に崩れ落ち、気を失ってしまう。

 

 サシャが驚いて声を上げる。


「あ、アルケーン! ミリャが、ミリャがやられた!」


「ダメだサシャ! 今は呪文に集中しろ!」


 ルーイも弓使いがやられてしまった事は知っていたが、今は二人組の場所を把握することが大事だ。

 気を取られたら、間違いなく全員死ぬ。


「あら、こんにちは」


 ローブの女は再び呪文を唱える。

 と、サシャとルーイを取り囲むように巨大な炎の壁がそびえ立つ。


 完全なる不意打ち。


 ルーイはいち早くそれに気が付いたが、それより早く壁が彼を阻む。

 逃げ遅れた二人は、完全に閉じ込められてしまった。


「アルケーン! 大丈夫か!」


 盾を構えていた女剣士が二人を助け出そうと、炎に入ろうとして…………


「逃がさん」


 彼女の背後に迫る男が、思いっきり剣を振り下ろす。


「後ろだ! 防ぐんだ!」


 ルーイが叫ぶと、女剣士はハッとして振り返り、すんでのところでその攻撃を防ぐ。

 重なり合った剣がギリギリと悲鳴を上げた。

 苛烈な鍔迫つばぜり合いが繰り広げられるも、女剣士は少し苦しそうだ。


 二人は剣と視線を交差させる。


「ほう、お前は中々剣術に長けているようだな」


「うるせえ!」


 男が感心している隙に、女剣士は怒り任せに男の足を払う。

 が、彼はひょいとそれを飛んで躱してしまった。

 彼の重装備からは想像できない、有り得ないほど軽快な動き。

 呆気にとられた女剣士を、男の足蹴りが襲う。


 女剣士の顔面に男の膝当てがめり込み、鼻から血を出して地面に倒れる。

 衝撃のあまり、彼女は気を失ってしまった。


「しかし………駆け引きはまだまだのようだ」


 男が女剣士を踏んで気絶しているかを確かめながら、そう呟く。


「お見事です。流石、私が見込んだだけはありますね」


 シーラは男の元に歩み寄り、彼を褒めたたえる。

 それを彼はすこし恥ずかしそうに喜んでいた。


「ありがたき幸せ。それで、この二人はどうするのですか?」


 男は炎の壁に囲まれた二人を顎で指す。


 ルーイとサシャは、シーラたちを睨みつける。

 今にも飛び出して二人を斬り殺してやりたい気分だったが、それは叶わない。


 外で女剣士と弓使いが倒れているからだ。


 万一気絶した二人を人質に取られたら、手も足も出なくなるどころか、殺されてしまうかもしれない。




「この二人は…………そうですね、持って帰りましょう」

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