09. 危機
丈に合わないつばの広いとんがり帽子を被った少女は、慌てた様子で部屋に入ってくる。
そして…………どうやらルーイのことを“アルケーン”と呼んでいるらしい。
恐らく偽名だろう。
ブラッドリーはニヤニヤと気味の悪い笑みをルーイに向けると、彼は困ったような表情で返す。
「どうしたんだいサシャ。できれば入って来ないでって僕は言ったはずだけど」
「ごめんねリーダー。でも緊急事態。サシャ、それ伝えに来たの」
青髪の少女はサシャ。
ルーイ、もといアルケーンの率いる最上位のダイヤモンド・パーティーに属している。
その見かけによらず、強力な魔法を放つ天才魔術師。
名を知らないのはここでもブラッドリーくらいだ。
「その男は?」
サシャは訝し気な視線をブラッドリーに投げる。
するとルーイは慌てて紹介した。
「彼は…………」
「“ブラッドリー・ミュラー”だ。よろしく」
ルーイが本名を言おうか迷っていたところに、ブラッドリーがすかさずフォローを入れる。
「そう」
しかし彼女はそこまで関心のない様子。
「サシャ、銅ランクの人に用はない。弱い人は嫌い。だって、強い人を妬んで、蹴落とすから」
彼女は鬼気迫る表情でそう言ってのけた。
恐らくそういう経験をしてきたのだろうと、ブラッドリーは思う。
「サシャ、やめなさい」
ルーイは眉間に皺を寄せ、彼女を叱りつける。
「けどリーダー。彼は銅ランク。私たちが相手する価値はない。なんで一緒に?」
彼はしばらく迷った後、こう取り繕って見せた。
「彼は恩師だ。僕が幼い頃に世話をしてくれた恩師だよ。それで、ちょっと話をしてたんだ」
「恩師…………」
ルーイの釈明で少しはブラッドリーを見る目も変わったが、いまだに軽蔑の色が滲んでいた。
「だからそんなことは言わないでくれ。僕の大切な恩師なんだ」
「サシャ、自分の目で確かめるまで信じられない。リーダーの事は世界一信頼してるけど、彼は信用ならない。だって銅だもん――――」
「はは、そうだよな。銅だから俺は弱いよな。素晴らしい! 正解だよお嬢さん」
ブラッドリーは突然嘲る。
サシャもルーイも驚き、口をつぐむ。
「けど本当にそうか? 考えてもみろ。もし俺が相手を油断させるために銅バッジをつけてるとしたら」
不気味な笑みを浮かべながら、ブラッドリーがサシャに迫る。
その異常な威圧感に思わず彼女は後ずさる。
「人を殺すのが堪らなく好きで、こうしてバッジで相手を油断させて…………弄ぶ。楽しい、本当に楽しいぞ。人間の悲鳴は心の乾きを満たしてくれる」
ブラッドリーの笑顔が奇妙に歪む。
怖い。
今まで感じたことの無い恐怖に、サシャは総毛立つ。
表面では何とか強がろうと、平静を装うと頑張っている。
が、膝がガクガクと震え今にも崩れ落ちそうだった。
「お前も、俺の心を満たしてくれるんだろうな?」
「…………ブラッドリー様、どうかご勘弁を」
ルーイがさっと手を差し出し、静かに首を振った。
サシャは今にも泣きだしそうだった。
ブラッドリーは一歩後ずさると、また今までの腑抜けた表情に戻る。
「こんなバッジいくらでも細工できる。いいか、真に相手の能力を測るのは――――不可能だ、サシャちゃん」
サシャはただぽかんと口を開けたまま、恐怖の余韻の中必死に彼の言葉をくみ取ろうしていた。
「銅だから勝てる、ダイヤモンドだから強いじゃない。常に己の全力を出さなきゃ、死ぬ」
彼女はすっとルーイの後ろに隠れてしまう。
が、ルーイは感心した様子でサシャの頭を撫でていた。
「申し訳ありません。彼女、少々繊細で」
「…………俺も悪かったよ。完全に余計なお世話だったな。けど、戦いに身を置くならそれだけは覚えてくれ」
地面に転がる亡骸と再会、なんて俺もルーイも望まないからな。
と、ブラッドリーは心の中で呟く。
ルーイは他人に対して酷く冷淡で、命令とあらば騙し切り捨てることができるのだが、一度でも仲間になるとその真逆。
だからこそルーイがサシャの亡骸と対面する、なんてことはあってほしくないのだ。
「それでサシャ。緊急事態って何だい?」
「…………街外れのソラス村で襲撃があったの」
「なるほど。他のみんなは?」
「もう集まって外で待ってるよ」
「分かった。僕たちも行こう」
ルーイはサシャの頭をわしゃわしゃと撫でてから、ブラッドリーに向き直って胸に手を当てる。
これは魔王軍での古典的な敬礼だ。
彼は敬礼に微笑み返す。そしてルーイは部屋を出て行った。
「さて、俺もそろそろ――――」
ソファから立ち上がり部屋を出ようとしたところで、ルーイたちと入違って入ってきた人影が。
黒髪のパッツンから覗く、鋭い目つき。
リリアだ。
「いた。ちょっと、突然ふらふらどこかに行かないで」
「すまん。ちょいと古い仲の奴とバッタリ会って、ここで話してたんだよ」
ブラッドリーはそう言って苦笑いする。
一方でリリアはぐるーっと部屋を、物珍しそうな目で観察していた。
「話には聞いてたけど…………ゲストルームってこんなに豪華なのね」
「らしいな。俺は今日初めて見た。ってか、お前も貴族の端くれだろ? こんな待遇、言えばしてもらえるんじゃねーの?」
「端くれって何よ、端くれって。確かに言えばしてくれるかもしれないけど、私そういうのが嫌いだから、わざわざ偽名まで使ってるの」
「え? まさかさっき偽名を使ってた理由って」
「そ。ここ“オクセル領”領主の一人娘だってバレたら、どんな待遇を受けさせられるか分からないでしょ?」
ブラッドリーは偽名を使っている理由に驚愕したが、彼女の父親クネル伯爵がここの領主だということにも驚く。
確かにそう言われてみれば、下級貴族にしては屋敷の調度品が豪華すぎると彼は思っていた。
リリアは腕を組んでソファに腰を下ろす。
「それにしても、まさかあなたがあの伝説のパーティー“レベースア”のリーダーさんと友達だったなんて」
どうやらさっき入違った時に出て行くルーイを見ていたらしい。
ここに来るまで何人かの守衛が居たはずなのに、それを突破してくる彼女の度胸にブラッドリーは感心した。
きっと強引に通ってきたのだろう。
「まあな。ちょいと訳があって、知り合いになった」
「ふーん、あっそ。じゃあもう用は済んだのね?」
「ああ。にしても、お前の偽名の“アネス”って…………クス、なんか男っぽいよな」
「あのねえ! べ、別に真剣に考えたわけじゃないから。何となくそれにしただけよ!」
それにしては大分怒っている様子だ。
ブラッドリーは茶化しておきながら、少し悪い事を言ったと反省する。
が、男っぽくて地味なのに変わりはない。
「じゃあ、あんたが考えてみなさいよ! 私よりいい案出せるんでしょうね?」
「はあ? なんでそうなるんだよ」
「いいから、そんな酷評するからには良い名前代わりに考えてよね」
ブラッドリーは呆れてため息をつくも、腕を組み真面目に考えだす。
あれこれと、たとえば果物の名前とか、英雄の名前とか伝承とか…………候補を探してみる。
ふと、彼はポンと手を叩く。
「――――“シシャーラ”なんてどうだ」
「え? 何それダサい」
「なんだとぉ? お前どうせ何言っても“ダッサ”って言うつもりだったんだろ!」
「あ、バレた?」
「ぶん殴るぞ」
リリアはクスクスと小馬鹿にしたように笑う。
ブラッドリーはすっかり拗ねてしまい、彼女から顔を反らしぷくーっと頬を膨らませる。
「で、その名前はどいう意味なの?」
ちょっと申し訳なくなったのか、リリアが取り付く島を見つけようと話題を投げた。
ブラッドリーは相変わらず不貞腐れた表情で答える。
「花だよ」
「花?」
「そ。大陸の東、主に平野に群生してる花でな。夜になると、月の光を受けて青白く光ってるように見えるんだ」
「へえー。そんな夢みたいな花が………。聞いてるだけだと綺麗に思えるけど、出来るなら一度この目で確かめてみたいわ」
「ご想像通り、かなり綺麗だ。ま、俺も数回しか見たことないけどな」
「そう…………それで、なんでその綺麗な花の名前にしたの?」
ブラッドリーは横目でリリアをちらと見ると、腕を頭の後ろで組んでソファにもたれかかる。
「いや、お前に似合ってるなーって」
「なんで?」
「訓練の時、お前の横顔見てふと思った。お前みたいな美人には月明りが似合うなーって」
「ちょっ…………!」
リリアは言葉の意味を理解して、突然顔を沸騰させる。
が、ブラッドリーは逆に笑みを浮かべた。
「ぷーくすくす、照れた?」
「う、うるさいバカ! うるさいッ!」
リリアがバタバタと暴れだし、ブラッドリーはケタケタ笑いながら華麗に彼女の攻撃を避けて見せる。
しばらく両者とも粘りを見せるも、段々とその息が荒くなってきた。
ブラッドリーはひいひい言いながらソファに崩れ落ちると、手で顔を扇ぐ。
「…………ハア、いやもう降参だ」
「私も、疲れた」
彼の隣に肩で息をするリリアが腰を掛けた。
「ところで、依頼はどうなったんだよ?」
「え? ああ、依頼ね。受けたわよ。って事で、さっそく例の斥候が来た“ソラス村”に事情を聞きに行くわよ」
「おい、まて」
突然ブラッドリーは深刻な表情でリリアの肩を掴む。
リリアは驚いてぽかんと口を開ける。
「きゅ、急にどうしたのよ」
「ソラス村って言ったか?」
「ええ。言ったわよ」
「……………やべえ、おい! さっさと行くぞ!」
ソラス村は――――さっきサシャから襲撃を受けていると聞いたばかりだった。
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