08. 魔王軍の残存

 ブラッドリーと青年は場所を変え、ギルドの奥にあるゲストルームに来ていた。

 これは“ダイヤモンドランク”を持つ青年の恩恵にあやかってのことだ。

 数の少ない少数精鋭の彼らは、どこの冒険者ギルドでもこういった厚遇を受けることができる。


 豪奢な調度品がそろった部屋の中央に位置するソファで、両者は向かい合って座っていた。

 青年の仲間と、リリアはいない。

 彼らには外で待ってもらうことになった。



「――――お久しぶりです。一年ぶりでしょうか」



 青年が口火を切る。


「まさか、まさかあなた様が生きておられるとは…………“ブラッドリー”将軍閣下」


「ああ何とかな。色々事情があって無事だったんだが。それより、本当に会えて嬉しいぞ“ルーイ”」


 青年の名はルーイ。


 かつてブラッドリーの元で諜報活動の指揮を執っていた下士官。

 その勤勉さと誠実さから、ブラッドリーの信頼する数少ない一人だ。


「最近は何をしてたんだ?」


「はぐれてしまった同胞との合流を試みたり、何とか食いつなぐためにこうしてギルドで仕事を」


 ルーイは魔王軍で働いていた頃、諜報部で部長としてその手腕を振るっていた。

 決して低くないその地位のお陰で、以前は豪華絢爛な生活を送れていたはずだが…………魔王軍が無くなってしまった今、彼とて身の振り方を考えなければならなくなってしまったのだろう。


 いつの間にか苦労を掛けていたことを知ったブラッドリーは、不甲斐なさで唇を噛む。

 同時に、もうそんな苦労は決してさせないと心に誓った。


 と、ルーイは不意にその鋭く美しい目を伏せる。


「…………ご存じかと思いますが、例の襲撃により魔王軍は形骸化しました」


「そうか。やはりそうか」


「あれから小競り合いが幾度も。もちろん、あの異界から招かれたとされる“異形”とのです。

 残された魔王軍の参謀を含め、再編された一般部隊は徹底抗戦をしました」


 ルーイのやり切れない表情から、ブラッドリーはその足掻きも芳しくないことを察した。

 あの異界からの来訪者は恐ろしいほど強い。

 魔王とブラッドリーの二人がかりでやっと倒せるかどうか。

 そんな相手を、参謀ですらない一般兵が相手する。結果は火を見るよりも明らかだ。


「本当に…………言葉にするのもはばかられる、凄惨な状況でした」


「気に病むなルーイ。それより、俺以外の最高幹部はどうなったんだ。ミーティアを除いて」


 魔王軍の最高幹部はブラッドリーを含め五人存在していた。

 それらは全員魔王直属の精鋭で、その才能を魔王から認められた者で構成されている。


 “地天変のミーティア”もそのうちの一人。


 だが彼女の死は確かめるまでもない。

 なぜなら、ブラッドリーは彼女の死に際に立ち会ったからだ。

 異形が彼女を喰らい、臓物を吐き捨てるその光景を目の当たりにしたから。


 ブラッドリーは顔をしかめる。


「どうされました?」


「なんでもない。ちょっといやーな事思い出しただけだ」


 仲が良かった。とまでは言えないが、仲間があのような殺され方をしては、流石にブラッドリーも堪える。


 あの恐怖に歪んだ顔が。


 あの悲鳴が。


 あの声が。


 脳裏に焼き付いて剥がれない。

 少し目を閉じれば、鮮明にあの光景が思い浮かぶ。

 いや、今まさに眼前でそれが行われているような錯覚さえ覚えた。


「それで、どうなんだ。ミーティア以外は」


「端的に申し上げると、一人は死亡。あと残りの“ボリーク”様と“ギエセルエット”様は不明です」


「…………“ファレオト”は死んだか」


「はい。ファレオト様は自らの力を全て、あの結界に注ぎ込みました」


 ブラッドリーはそこであの魔王城を包む結界の正体を悟る。

 あの不思議な結界は、結界術師のファレオトがつくりあげたものだったのだ。

 いつものとは違う見た目だったので、こうして聞くまで気が付かなかった。

 

「ファレオトは最後の最後で奴らを封じ込めた、か」

 

 残るは生死不明の二人。


 大剣豪の『ボリーク』。


 そして機械工の『ギエセルエット』。


 果たして二人は生きているのだろうか?


「…………ブラッドリー様。」


 不意にルーイが頭をもたげる。


「我々は、どうしたらいいのでしょうか」


 ルーイはその時、初めてブラッドリーに不安げな表情を見せる。

 常に冷静沈着で感情を滅多に表情に出さない彼が初めて見せた、弱々しい顔だった。


 ブラッドリーもそれに気が付く。

 彼は腕をむずと組んで目をとじ、ゆっくりと逡巡する。

 そして…………



「――――く、くく。クハハハ!」



 ゲストルームに、高らかな笑い声が響き渡る。

 ルーイは驚いて目を見開く。


「決まってんだろ、そんなの」


 ブラッドリーは両足を豪華な机に放りだす。


「“元通りにする”んだよ。あのヘンテコ共一匹残らずぶっ殺して、俺が…………“勇者”の代わりになってやるんだよ」


「ゆ、勇者!? どういうことですか!」


 驚きのあまりルーイはソファから飛び上がる。

 まさか魔王軍最高幹部とあろう者の口から、勇者になる等というと常軌を逸した発言が飛び出るとは夢にも思っていなかったからだ。


 慌てふためく彼を傍目はために、ブラッドリーは自信に満ちた表情を浮かべた。


「心配すんな。寝返ろうってことじゃない」


「で、では一体」


 ブラッドリーは机の上で足を組む。


「魔王様の代わりにはなれないが、あの腐った勇者の代わりならできる。俺が勇者になって――――世界を救ってやるんだよ」


 ぽかんと口を開けていたルーイが、慌てて反論する。


「ならば、ブラッドリー様が魔王様の代わりに……………」


「ダメだ」


 ブラッドリーはきっぱりと言い切った。


「悪いが、それは許さない。魔王様はあのお方しかいない。代わりに誰かがあの玉座に座ったところで、ソイツは魔王じゃない。玉座に座った、ただの“ニセモノ”だ」


 それは彼の譲れない一線。

 自らを育ててくれた魔王に成り代わろうというのは、たとえ自分であろうと許せない。


 ルーイは唖然とする。


「しかし! それでは魔王軍と対立することに…………」


「ならねーよ。第一、人間側は勇者を失ってまともに機能していないだろう。それは魔王軍も同じだ。

 それに、勇者と魔王様は敵同士とはいえど、その目的は一緒だったんだ」


「目的?」


「ああ。“世界に平和をもたらす”っていう点でな」


 ルーイはそれを聞いて先が読めてきたのか、落ち着きを取り戻してソファに腰を下ろす。


「つまり…………ブラッドリー様が勇者として、あの異形を駆逐すると?」


「そういうことだ。魔王様が亡くなった今、俺がその意思を継がなきゃいけない。他の最高幹部の行方が知れないとなれば尚更だ」


 ブラッドリーは不敵な笑みを浮かべた。


「…………ま、結局は“ニセモノ勇者”。所詮は真似事だが」


 いくばかりか落ち着いたルーイを見て、ブラッドリーは安堵の息を漏らす。

 仲間が絶望している姿を見るのは思った以上に辛い。


「けど、こうなっちまったからには最後までとことんやる。そういう性分なんでな」


「しかし。そうなるとブラッドリー様の立場はどうなるのでしょうか?」


「立場?」


「魔族か人間か。どちらにつくか、ということです」


 ルーイの真剣な表情とは裏腹に、ブラッドリーは笑っていた。


「面倒だからどっちも仲間にすりゃいい話だろ? 魔王軍の残党も人間も全部ひっくるめて仲間にすりゃいい」


 咄嗟に反論しようとしたルーイは、あほらしくなって止めた。


 ブラッドリーの不敵な笑みを見て彼は思ってしまったのだ。

 恐らく、このお方なら本当に何とかしてしまうのだろうと。


「具体的な策はお考えに?」


「ない。だから今から考える」


 この行き当たりばったりな性分も、間違いなくブラッドリーだとルーイは懐かしい気持ちになった。

 無計画で頓挫しそうな突拍子のない案ですら、彼は遂行してしまう。


 だからこそ、彼は魔王様に選ばれるべくして選ばれた。

 

 が、ルーイは以前から選ばれたのは別の理由があるような気がしてならなかった。

 確証も無いし、ただの勘の域を脱せないのだが…………。


「で、もちろんお前も協力してくれるんだよな?」


「はい。私は魔王様に忠誠を誓った身。この身体が、魂が朽ち果てようとブラッドリー様へ忠を尽くすことをお約束します」


「よくぞ言った。拍手を送るぞ。金が無いから飯は奢れないがな。というか酒と飯を奢ってくれ」


 ルーイは呆れて項垂れ、ブラッドリーが満足げに頷く。

 

 すると、突然ゲストルームの扉が大きく開け放たれる。

 あまりにも激しかったので、バンという大きな音で彼らは飛び上がりそうになった。


 ドアの前に立っていたのは、年端もいかない青髪の少女。



「――――“アルケーン”、緊急事態になった」



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